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FTMでも関係ない、実力主義の黒服の世界。ここが自分の居場所【前編】

夜勤明けからそのまま取材にやって来たという宍戸槙さん。でも、徹夜しているとはまるで感じさせないほど、元気いっぱいの笑顔で明るく自分の半生を話す姿に驚かされた。なかなか馴染みの薄い「水商売」「黒服」の世界についても、自分の夢と交えながらたっぷり語ってくれた。

2023/03/29/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Hikari Katano
宍戸 槙 / Maki Shishido

1988年、宮城県生まれ。20歳のころからLGBTや性別違和(性同一性障害)について調べるようになり、FTMを自認。25歳からホルモン治療を始めるかたわら、副業としてキャバクラで黒服のアルバイトを開始。現在勤めている店舗では、キャストの管理や採用業務など、責任あるポジションを任されている。

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INDEX
01 悪く言えば、落ち着きのない子
02 「しゃーねーべ」
03 いじめられたくなくて
04 ほろ苦い初恋
05 一人で決めた進学先
==================(後編)========================
06 こっそり黒服の副業開始
07 水商売は実力主義の業界
08 唐突なカミングアウト
09 SRSするきっかけがあれば
10 FTMでも自分らしく働ける場を

01悪く言えば、落ち着きのない子

外遊びが大好き

宮城県亘理町に生まれる。
海から離れた緑豊かな環境のなか、男の子たちと外遊びをする毎日を過ごした。

「男の子とサッカーとかキックベース、野球、ドッジボールとかで遊んでましたね」

周りには女の子もいたが、一緒に遊ぶことはなかった。

「幼稚園に通ってたときも、女の子と遊んだ記憶がないですね」

「女の子たちはよくおままごととかリリアンで遊んでたんですけど、座ってする遊びが苦手だったんで」

常に動き回っている “女の子の自分” は、両親からは「ボーイッシュで、落ち着きのない子」だと思われていた。

思い立ったら即行動

じっとしていることが苦手だった理由のひとつに、好奇心が旺盛だったということもある。

それは、大人になった今でも変わっていない。

「これをやりたいと思ったら、じっくり考えるんじゃなくてすぐに行動に移すタイプなんです」

現在生業としている黒服の仕事も、持ち前の行動力のおかげで出会えた。

「男もののスーツを着て男性として仕事がしたいと思ったときに見つけた求人が黒服だった。じゃあ応募しよう、って思っただけです」

「水商売の世界へ飛び込むことへの不安はありませんでした」

この先、どうなっちゃうんだろうという不安よりも、どんな世界が待っているんだろうという興味のほうが、いつも勝っている。

02 「しゃーねーべ」

口うるさい母、要領のいい妹

両親と5歳下の妹の4人家族。現在は自分も妹も実家を離れている。

家族の中心は母だ。幼少期からよく怒られていたことを覚えている。

「たとえば、自分が脱いだものを脱ぎっぱなしにしてると、よく注意されました。まあ、自分の生活態度がだらしなかっただけなんですけど(笑)」

母は教育熱心な面もあった。

「自分があまり頭がよくなかったので、母親が家庭教師をつけたり、塾に通わせたりしました」

母からよく怒られている自分を観察していた妹は、賢く立ち振る舞っていた。

「自分は運動神経がいいけど、頭はよくない。妹は逆で、運動は苦手だけど頭はいい。だから、妹は自分が怒られてるのを見て、怒られないようにしてましたね。『槙ちゃんのようにはならない』って(笑)」

妹とは今でもたびたび連絡を取り合う仲だ。

寛大な父

母が口うるさい一方、父はなんでも受け入れてくれる、懐の深いタイプ。

「父親は『しゃーねーべ』が口癖ですね。いつも、まあ仕方ないだろう、なんとかなるだろうって言ってくれます」

「でも、本当にキレたら一番怖くて手が付けられないですけど(笑)」

両親にカミングアウトしたときも、父親は「しゃーねーべ」と受け入れてくれた。

「もしかしたら、心のなかでは娘が男だなんて嫌だったかもしれないですけど、父親はそういうことは言いませんでした」

今でも、母より父と連絡を取るほうが多いほど、仲が良い。

そんな父の存在もあり、母も今では自分のことを少しずつ理解しようとしてくれている。

03いじめられたくなくて

自ら学級委員長に

小学生になると、スポーツが大好きな自分はますます目立つ立場を求めた。

「目立ちたがり屋でしたね。学級委員長とか、生徒代表みたいなものはすすんで立候補しました」

「運動会ではリレーの選手もやってました」

とはいえ、先生から気に入られる「優等生」だったわけでもない。

「忘れ物をよくしてたので、先生は手を焼いたと思います(苦笑)」

周りを観察して、みんなと仲良く

小学校に上がる前は男の子とばかり遊んでいたが、小学校高学年ともなると周囲との関係も気になり始める。

「本当は男子とだけ遊んでたかったですけど、高学年になると男女で分かれる場面が増えるじゃないですか。それでも男子とばかり遊んでると、女子から『男好き』とか陰口を言われるかもしれないから・・・・・・」

修学旅行の部屋決めなど、女子だけのグループに置かれる場面でも浮かないように、女子ともある程度の距離感を保つように努めた。

「あまり好きじゃなかったけど、陰口や恋バナに共感するふりをして、女子と合わせてました」

「机の中に水を入れるとか、学校内で陰湿ないじめもあったので、いじめられたくない一心でしたね」

性別にかかわらず、特段仲の良い親友こそいなかったが、男女ともにうまく付き合って過ごしていたと思う。

それでも、素の自分を出せていないというもやもやした感情は残っていた。

赤いランドセルが嫌で・・・

小さいころからボーイッシュな格好を好んでいた。

「髪もショートカットでしたし、スカートも穿きませんでした」

そのため、与えられた赤いランドセルは、できれば身に着けたくなかった。

だが、高学年になってランドセルが壊れたり、体に合わなくなったりすれば、好きなリュックに変えてもいいことを知る。

「これだ! と思って、6年生のときに、わざとランドセルを壊しました(笑)」

いとこの男の子のお下がりでもらった青いリュックで、ご機嫌に登校した。

04ほろ苦い初恋

消去法で陸上部へ

中学生になると制服を着なければならない。でも、制服のスカートは極力避けたかった。

「部活の朝練があれば日中もジャージで過ごすことが許されてたので、運動部に入部しようと思って」

第一希望は、学校のなかで一目置かれていた女子バスケ部。駆け引きのあるゲーム性も好きだった。

だが、入学前の「一日体験入学」の日に、やらかしてしまう。

「家にブリーチ剤があって、一日体験入学の前にこっそり色を抜いてみたんです。そんなに目立たないだろうって思ってたんですけど、やっぱり生活指導の先生にばれて職員室で叱られて。しかも、その様子を女バスの先輩に見られてしまって・・・・・・」

先輩に目をつけられたことで、女子バスケ部は残念ながら断念。

ソフトボール部は部員数がチーム人数に足らず、試合にならないからつまらなさそう。バレーボール部はボールが当たって腕が痛そう。テニス部、バドミントン部もしっくりこない。

残った選択肢が陸上部だった。

小学生のうちからリレーの選手として活躍していたこともあり、短距離走の選手として入部する。

先輩への恋心を抑えられず

部活動に打ち込むなか、初恋をした。相手は、1つ年上の女子バレーボール部の先輩。

「陸上部にヘルプで来てくれてる先輩の一人でした」

「小柄でかわいくて、サバサバしていて引っ張ってくれるタイプで。優しくされると弱いんですよね(笑)」

陸上部のユニフォームはどうしても薄着になり、身体のラインが出やすい。

「ユニフォームを着るのは我慢してましたけど、先輩にユニフォーム姿の自分をあまり見られたくないなって思ってました」

当時はまだ中学生がケータイを所持することは稀。そのため、他愛のない内容を書いた手紙を、下駄箱を通してやり取りした。

「好きな人から手紙をもらえるのが嬉しかったですね」

元来は、思い立ったら即座に行動に移すアクティブ派。本音では、今すぐにでも気持ちを打ち明けてしまいたい。でも、このときはそうはいかなかった。

「先輩の在学中に思いを打ち明けて気まずくなったり、同性愛者なんて気持ち悪いと思われたらと考えると・・・・・・」

葛藤を続けた挙句、先輩が卒業するタイミングでとうとう告白した。

「直接伝えるのは気が引けたので、手紙にしました。恋愛対象として好きでした、って。付き合ってくださいとまでは書けませんでした」

結果は判然としていない。

「先輩は、手紙を渡したその場では読んでないと思います。きっと、今までありがとうございましたとか、そんな内容だと思ってただろうし」

「でも、自分が高校生になって電車に乗るようになって、先輩と鉢合わせたことがあったんです。でも、そのときに言葉を交わすことはありませんでした。それで察しましたね・・・・・・」

もしあのとき告白していなかったら、今でも気軽に挨拶したり、連絡を取り合ったりする仲だったかもしれない、と思うときもある。

淡く切ない思い出として、今も大切に胸に秘めている。

05 一人で決めた進学先

陸上を続けるために、女子高へ

高校は、運動部の強い、仙台にある私立の女子高に進学する。

「中学のときに、高校でも陸上を続けたいと思って、親に内緒でその高校に体験入学に行ったんです。でも、私立でお金がかかると思うと、そこに進学したいと親になかなか言い出せなくて」

その後、高校に提示していた自宅の住所に高校の書類が届いたことで、ひそかに体験入学に行っていたことが親にばれた。

「わきが甘かったですね(笑)」

だが、地元の地区大会で優勝した成績もあったため、両親も承諾。無事にスポーツ推薦で希望の高校へ入学を果たす。

女子高での「居心地」は悪くないはずだということを、体験入学の際に感じ取っていた。

「スポーツが強い学校だったから、自分と同じようなボーイッシュな先輩が多かったんですよね。何より、中学と同じように基本的にジャージで過ごせるっていうことが重要だったので」

女性が好きなのは、自分だけじゃないんだ

セクシュアリティに対する悩みは、どん底に深まることはなかったものの、ずっともやもやとくすぶっていた。

「高校生になっても好きになる相手は女の子でした」

女子高に進学したことで新たな気づきも得られた。

「朝練のために始発の電車で登校して、一番乗りだと思って勢いよく教室のドアを開けたら、女の子同士でチューしてた、ってこともありました」

女子が好きなのは自分だけではないのだと分かった。でも、高校では同性愛が必ずしも受け入れられているわけでもなかった。

「女の子同士で付き合ってる子たちは、噂にはなってましたね」

自分の身体への違和感も大きくなっていく。

「とにかく胸が嫌で、私服を着るときには、テーピングで胸を潰してました。剥がすときはかなり痛かったですけどね・・・・・・」

「男として見られたかったんだと思います」

だが、自分の性的指向や性別違和について調べようと思ったことはなかった。

「当時はまだガラケーの時代で、ネットもあまり普及してなかったんです。なべシャツの存在も知りませんでした」

諦め半分に、この女性の身体とずっと付き合っていくしかないと思い込んでいた。

 

<<<後編 2023/04/02/Sun>>>

INDEX
06 こっそり黒服の副業開始
07 水商売は実力主義の業界
08 唐突なカミングアウト
09 SRSするきっかけがあれば
10 FTMでも自分らしく働ける場を

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