INTERVIEW
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自分が好き、といえるようになるまで【前編】

中1のとき、心と体の性が違うことに気づき、将来の幸せな姿を見失う。抱いた想いは「早く死にたい」。しかし、恋愛と別離を経験、東京でいろいろな人と出会うことで徐々に自分のセクシュアリティをオープンにできた。今は「自分が好き」「めちゃハッピー」と公言する。たくさんの人に支えられ、大きな夢を語る青年に成長する物語。

2023/11/11/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Shintaro Makino
大野 海 / Kai Ono

1992年、沖縄県生まれ。故郷はきれいな海が広がるうるま市。小さい頃からリーダー的存在で元気に走り回った。自分は男の子と信じ、女の子扱いされるのが大嫌いだった。ところが中1のときに生理がきて、「自分は女の子だったんだ」という事実に直面。以降、「ボーイッシュで無口な女」という殻に自分を押し込めてきたが、ミックスバーで働いたことで性の呪縛から解放された。

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INDEX
01 故郷は青い海がきれいな沖縄県
02 自分は男の子、と信じていた
03 生理の日。驚きとショックで涙が止まらなかった
04 女の子として生きるために頑張った
05 トランスジェンダーという答えを探すのも嫌だった
==================(後編)========================
06 10人の友だちに囲まれて、初めてのカミングアウト
07 カノジョを追って名古屋へGO!
08 性別適合手術をして、子どもを育てることが大きな目標
09 男の名前で働き始める
10 沖縄で自分の店を出したい

01故郷は青い海がきれいな沖縄県

小さな町の元気な子

沖縄本島の中部に位置するうるま市。海まで歩いてすぐの環境で育った。

「沖縄のなかでも、けっこう田舎です。でも、海はメチャきれいです。東京に来て、初めてサーフィンに行ったとき、海水が濁っていて『うわっ、この海、入れません』『パドリングできません』ってなりました(苦笑)」

地元の海は、観光客が来るようなビーチではないが、水は透明で砂は真っ白だ。

子どもの頃の遊びは、自然の中での木登り、水泳、素潜り、マリンスポーツなど。いつも真っ黒に日焼けし、木から落ちてはしょっちゅうけがをしていた。

「町に小学校が2つあって、1学年2クラスでした。だから、上の子も下の子もみんな顔見知りでしたね」

そんな小さな町で、お母さんは花屋さんを営んでいた。「あ、花屋の娘ね」と町の中で認識されていた。

「友だちは多かったです。男女一緒に仲良く遊んでました。幼稚園のときから、仕切り屋っていうんですかね、みんなの先頭に立っていろんなことをしてました」

自分はどこに行ってもリーダー的な存在だったが、3歳下の弟は逆におとなしい性格だった。

「女々しいっていうか(笑)。よく性別が逆なんじゃない? っていわれてました」

家族の中心は明るいお母さん

8歳下に、もうひとり妹がいる5人家族。家族の中心は、いつもお母さんだった。

「メチャメチャ元気で明るい人です。とっても社交的です。お父さんは飲食店を経営していたんですが、静かな人でした」

子育ては、お母さんの担当だった。

「3歳からスイミングスクールに通いましたが、幼稚園でトップになったら、もういいやって思ってやめちゃいました。飽き性なんだと思います」

その次に習ったそろばんも、上手くなったらつまらなくなってやめてしまった。

「唯一、続いたのがバスケットですね、小学6年のときに始めて、高校生までやってました」

02自分は男の子、と信じていた

好きになるのは女の子だけ

小学校に入っても立ち位置は変わらなかった。

「勉強はそこそこで、真面目すぎず先生にも適当に怒られながら、学級委員なんかもやってました(笑)」

今でも仲がいい女友だちもたくさんいるが、苦手なこともあった。

「部屋の中でするような、女の子だけの遊びは避けてましたね」

男子に恋愛感情を持ったことは一度もなく、好きになる相手はいつも女子だった。

「幼稚園のときに一番かわいい子が好きになったし、小6のときにもクラスの女の子が好きになりました」

学級委員の権限を利用して、その子を自分の隣りの席に座らせた。

「友だちに持つ友情とは明らかに違う感情で、あれは恋だったんだと思います。男の子にとられるのは嫌だって思ってましたから」

相手の子も特に嫌がる様子はなかったし、周りも気がついていたはずだった。

「大人になってから地元で再会したとき、当時好きだった女の子に『私のこと、好きだったでしょ』っていわれました。うん、好きだったって素直に答えました(笑)」

仏頂面の七五三

「子どもの頃から、自分は男の子だと信じてました。着るものや格好、振る舞いも、まるで男の子でしたね」

お母さんが無理にスカートを履かせようとすると、「やだ。なんで、そんなもの履かなきゃいけないの!」と抵抗した。

「女の子なんだからっていわれると、女の子じゃないから、っていい返してました。後になって、お母さんも、何か違うって感じたといっていました」

最悪だったのが七五三だ。無理矢理、女の子用の晴れ着を着せられてしまった。

「弟もいたので、ちゃんと記念写真をとらなきゃいけないってなって、どうしても拒否できなかったんです・・・・・・」

そのときのことはよく覚えていなかったが、後で写真を見ると、とんでもないことになっていた。

「一枚も笑顔がないんです(笑)。全部、怒っている顔。女の子用の着物が本当に嫌だったんでしょうね」

03生理の日。驚きとショックで涙が止まらなかった

トイレは授業中に行く

学校で困ったのはトイレだった。

「女子トイレに入るのが嫌だし、入るところを見られるのも嫌でした」

もちろん、友だちに誘われても、一緒にトイレに行くことなど一度もなかった。でも、もちろんトイレは必要だ。

「休み時間はダメなんで、授業が始まってから『トイレに行ってきます』っていって、ひとりで行ってました」

それでも、自分のことをほかの子と決定的に違うとは思わなかった。

女の子扱いされることもあるけど、自分は男だし、男性のアレもそのうち生えてくると信じていた。

「性教育の時間はあって、男女の体の違いも教えてもらいました。でも、女の子向けの内容は自分には関係ないし、自分には生理なんてこないって思い込んでいたんです」

スカートを履くか、学校をやめるか

町にひとつの公立中学に進学。

制服を着なければならない。「なんでスカート、履かなきゃいけないの?」と、お母さんに噛みついた。

母 :「それはそうでしょ、女の子なんだから」
ぼく:「メチャ履きたくないんだけど」
母: 「じゃあ、学校をやめれば?」
ぼく:「いやいや、それは違うでしょ・・・・・・」

押し問答に妥協点は見つからない。

「いい合いだと、お母さんにはやっぱり負けちゃうんです。仕方なくスカートで学校に行って、学校ではせめてもの抵抗で、下にジャージを履いてました。本当はそれもダメで、先生にときどき注意されました」

スカートを短くするのが流行っているなかで、ひとりだけジャージスタイルを貫いた。
ところが、ある日、とんでもないことが起る。

「1年生のときに生理がきたんです。なんでこんなことになったんだろうって、びっくりして、トイレから出られなくなりました」

驚きと決定的な何かを突きつけられたショックで、あふれ出した涙が止まらなくなった。家に帰ると、お母さんから「話そう」といわれた。

「泣くことじゃないんだよ」
「あなたは女の子なんだよ」
「生理があるのは、当たり前なんだよ」

嫌で嫌で仕方なかったが、お母さんの言葉を受け入れざるをえなかった。

04女の子として生きるために頑張った

バレたら。きっといじめられる

自分は女の子なんだ。

すべての状況を考え合わせると、どうしても認めなければならない事実だった。と、同時に自分は心と体が違うことにも気がついた。

「それがバレたら、いじめられるって身構えました。LGBTという言葉も、まだ知りませんでした」

沖縄の社会は保守的だ。ましてや顔見知りが多い小さな町で、みんなと違うことを知られたら大変なことになる。親に迷惑がかかる、ということまで考えた。

「みんなに合わせて、女の子らしく生きていくしかないと諦めました」

ジャージを脱いでスカートを短くして、女の子たちのトークにも頑張って参加した。

「好きになった子もいたんですけど、前みたいに恋愛感情を出すわけにはいきませんでした。告白なんてまったく無理でした・・・・・・」

好きな女の子にはバレないように感情を抑え、友だちのひとりとしてつき合うのが精一杯だった。

高校生になるとハードルが高くなった

「みんなに合わせて女の子らしく」といっても、中学生のときはそれほど困ったこともなかったと思う。

「部活をしてましたから、まあ日常生活はちょっと無理をすればなんとかなりました」

ところが、高校生になると、急にハードルが高くなった。

「派手な子が多かったんで、お化粧をしたり、私服でもおしゃれをするような子が周りにたくさん現れました」

そして、彼氏だ。

彼氏とのデート話が女の子たちのメインテーマになっていた。それまでも男子からの好意を感じることはあったが、拒否のバリアを張ってきた。

「彼氏を作らなきゃいけないのかって悩みましたね。メチャ、嫌なんだけどって」

ところが、そんなとき偶然にも告白されてしまう。

「同じ学年のバスケット部の子で、背が高くて一般的にはとてもカッコいいタイプでした。清潔感もあるし、ま、いいか、と思ってつき合うことにしました」

もちろん、その相手に魅力など感じてなかった。あくまでも女の子らしく振る舞うための道具だった。

本当は女の子とチューしたい

つき合うといっても、かわいい私服を着てデートする気にはならなかった。

ときどき、ほかのカップルと一緒にデートしようと誘われたが、「あ、その日はちょっと・・・・・・」とごます。

「連絡を取り合って、学校から一緒に帰るくらいのつき合いでした。それも、歩いて通学していたんで、短い距離でしたけど(苦笑)」

精一杯がんばって手をつなぎ、メチャ嫌なんだけど、と思いながらチューをした。

「チューしたんか? って女の子たちに聞かれるんで『仕方なかったんです。正直、気持ち悪い』って思ってました」

本当は女の子にそうしたいのに、逆に押さえつけられてされるのは耐えられなかった。

「きっと相手は “意外に真面目で身が固い子だったんだ” と思ったでしょうね(笑)」

おつき合いは1年ほどで終了。
「やっぱり、好きじゃなくなった」と告げてお別れした。

05トランスジェンダーという答えを探すのも嫌だった

初めて会ったトランスジェンダー自認の人

「好きになるのは、自分と似ている元気でノリのいい子が多かったですね」

高校でも好きになった子はいたが、自分の気持ちはしっかりと封印した。

「拒否されたら嫌だし、迷惑をかけたくないという気持ちも大きかったですね。告白して、やっぱり男の人が好き、といわれるのもつらかったです」

好きになればなるほど、かえって近づけない状況だった。

「レズビアンという言葉は知ってましたけど、自分がレズビアンだとは思いませんでした。なぜなら、ぼくは女じゃないから。女の人が女の人を好きになる気持ちは、まったくわからないんです」

それじゃ、何なんだ、自分は?

「やっぱり男なんだ、体だけ違うんだ、と思ってました」

スマホも使っていたから、当時でも調べれば「トランスジェンダー」という言葉が出てきただろう。

「でも、調べて知るのも嫌でした。自分を何かの枠に入れたくない、っていう気持ちも強かったんです。自分が一番、自分のことを差別していたのかもしれませんね」

初めて会ったトランスジェンダーは、2学年上の先輩だった。

「その人は学ランを着て、女の子を連れて歩いてました」

「ある意味、自分の理想の姿なんですけど、実際はふたりだけの世界に浸っている変わり者として扱われてました。あの人みたいになれるかというと、なれないな、というのが自分の答えでした」

早く死にたい

自分は男だと思うと、男子に対する対抗心が強くなる。

「男になめられたくないって思って、ずっと尖ってました。柔らかくなったのは、つい最近なんです(笑)」

その当時は、ニコニコと笑うことはほとんどなかった。

「本当はスポーツでも男に負けたくないんですけど、体力が違うからやっぱり負けちゃうんですよね」

そこで活路を見出したのが、学園祭の司会だった。

「けっこう人気があるポストで、普通は男子がやるんですけど、初めて女子で司会をしました。けっこう目立っていたと思います(笑)」

頑張れるところは頑張ったが、でも限界はあった。

女として生きていく限りは、いつか男の人と暮らさなければいけないのだろうか。そう考えると辛すぎる。

人生に希望は見出せなかった。

「早く死にたい、長生きしたくないって、マジに思い始めました」

 

<<<後編 2023/11/18/Sat>>>

INDEX
06 10人の友だちに囲まれて、初めてのカミングアウト
07 カノジョを追って名古屋へGO!
08 性別適合手術をして、子どもを育てることが大きな目標
09 男の名前で働き始める
10 沖縄で自分の店を出したい

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