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心の壁をやぶり、ありのままの自分で生きていく【後編】

心の壁をやぶり、ありのままの自分で生きていく【前編】はこちら

2017/03/18/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Junko Kobayashi
持木 ひろ / Hiro Mochiki

1984年、群馬県生まれ。国際医療福祉大学卒業後、理学療法士として医療・介護業界に10年以上携わる。現在は、医療・福祉・介護分野を中心に、すべての人が「自分らしく生きる」社会を創るための活動している。開業資金の獲得や経営を支援するために、タックスプランナーの資格も取得している。

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INDEX
01 人と話すのは苦手、外遊び大好き
02 持木家の子育て方針
03 みんなと同じことがしたい
04 サッカーが自分を開放してくれる
05 女子力が高かった高校時代
==================(後編)========================
06 自分は何者?男女どちらが好き?
07 家族からの自立と性自認
08 25歳でカミングアウト
09 壁をつくっていたのは自分 
10 「わくわくどきどき」を大切に

06女子力が高かった高校時代

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男子とのおつきあい

「振り返ると、高校時代の自分が一番女子力が高かったです(笑)」

2年生の時に、同じ高校の男子と付き合うことになった。

「なんとなくお互いに意識しているのがわかり、付き合うことになりました。オレ様系ではない、カッコイイ男子で一緒にいて楽しかったです。私、メンクイなんです(笑)」

その彼とは、半年くらいで別れを迎える。

「男子とお付き合いしていた自分は『恋愛していること』に酔っていたのかもしれないです」

「別れてから時間を持て余して、、、週3日クラブチームに通っていましたが、高校にはサッカー部がなかったし、家のルールでバイトはダメだったし、何かしたいというエネルギーを注ぐ場なく、モヤモヤが膨らみ始めていました。

女友だちと遊びに行っても楽しくない。

そもそも、友だちと2人ででかけるのが苦手。

行き場のないエネルギー全てを受験勉強に注いだ。

「高校まで自転車で1時間かかったんですが、その時間ももったいないと最後は学校を休んで家にこもって勉強していました」

高校2年生の途中から1日に10時間以上、とにかく勉強した。

理学療法士への道

「ケガや病気などで身体に障害がある人に対して運動療法や物理療法などを用いて、自立した日常生活が送れるよう支援する医学的リハビリテーションの専門職」が理学療法士。その国家資格をとるために大学へ進学した。

親戚に理学療法士がいたので、中学の頃からそんな仕事があることは知っていた。

なろうと決めたのは将来の進路を考える高校2年生の時だった。

「理学療法士を選んだ理由は3つあると思います。まだメジャーでなく、やりがいがありそうな仕事をやってみたかったです。そして、将来金銭的にも自立できそうなこと。さらに、人と接する仕事であることです」

ずっと課題と思っていた「引っ込み思案な自分」を矯正するために、人とコミュニケーションを取る仕事を選択した。

「看護師は全く興味なかったです。当時、まだピンクのスカートの制服が主流でナースキャップをつけていました。格好だけでもやる気が失せます(笑)」

理学療法士と似た職業に作業療法士があるが、理学療法士は動作の専門家。

小さな頃から体を動かすのが好きだった自分に、理学療法士が向いている気がした。

「大学は家から離れていたので、合格したら一人暮らしをすることになります。高校2年生の頃は、ちょうど父親が嫌いな時期でもあり、早く家を出て自由になりたい、もっと広い世界で生きてみたいと強く思っていましたね。だから、勉強に集中していた感じです」

勉強し過ぎて体調崩し、第一志望には大失敗したが、国家資格を取れる大学に無事合格。

結果オーライだ。

07家族からの自立と性自認

一人暮らしで得たもの

大学に入学して、念願の一人暮らしをスタート。

なんとも言えない解放感を味わう。

「初めて自分で全て選べる環境になりました。禁止されていたバイトもできるし、車も持てる」

「何より親から離れ、様々なことを自分で選択できるようになったことが嬉しかったんです。人生の転機になりました」

「その頃はまだ、恋愛は男性と付き合うものと思い込んでいたので、やはり男性とお付き合いしました」

「彼氏との時間も、普通に楽しかったです」

しかし男性と付き合いながらも、女性に興味がある自分を徐々に無視することができなくなってくる。

「好きになった女友だちが夢に出てくるんです。夢の中であんなことやこんなことをしていて、、、(笑)自分が恋愛対象として同性が好きなのだということを、はっきり認めた瞬間でしたね」

「同時に、これは絶対言ってはいけない事とも勝手に思い込んでいたので、カミングアウトするまでは心にずーっともやを抱えて生きていました」

今思えば、自分が作ったイメージの中に自分を押しとどめようとして、勝手に苦しんでいただけなのかもしれない。

「当時まだインターネットは学校にしかなく、ネット環境は遅れていましたが、LGBTという言葉を検索するのも勇気がなかったですね」

「誰かに知られてしまうんじゃないか、という恐怖があったんです」

誰にも言えない

大学時代は、自分が女性に興味があることを誰にも言わなかった。

そして、社会人になってからも言うつもりはなかった。

墓場までもって行くものと思っていた。

「社会人になっても相変わらずフットサルはやっていて、チームには明らかに男性に見える人がいたんです。『モッチはどっちなの?』とか聞かれるんですけど『何のこと?』と適当にごまかしていました」

社会人になって付き合いが広がってくると、LGBTの人が身近に存在するようになってきた。

「そういう人が普通にいるんだ、、、と受け入れられるようにはなってきましたが、自分がそうだと知られるのはまだ無理」

「カミングアウトしたらどうなるか、考えただけでも怖かったです」

その頃は、自分と向き会うことに臆病だった。

「あくまでサッカーが好きなボーイッシュな女性。周りにはそう思ってもらい、本当の気持ちは自分だけが知っていればいいんだ、と折り合いをつけて生活していました」

自分の気持ちは誰にも知られないように、心の奥深くにしまい込んだ。

そして、そう生きていくつもりだった。

08 25歳でカミングアウト

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1人で家にいられない

理学療法士として病院に勤務するようになり、23か24歳の時に男性から告白された。

「しかし、男性に触られることに初めて気持ちが拒否したんです。生理的というか、あーもう男だめだわ!という感じ(笑)」

今までは大丈夫だったものが、受け入れなくなった。

頭でコントロールしていた自分の気持ちが、少しづつ制御できなくなる。

「ちょうどその頃、テレビドラマで『ラスト・フレンズ』をやっていたんです。もうなんか自分事過ぎて毎週必ず見ていました」

自分の気持ちが抑えきれなくなってきたこの頃が、泣きたいくらい辛かった。

「どうしたら良い?どうなるの?誰に相談すれば良い?と、悶々としていました」

でも自分の気持ちに向き合えず、1人で家にいることができなかった。時間があると考えてしまうか、現実逃避で寝てしまうから。

結果、とった行動は考える時間がないくらいスケジュールを埋めることだった。

「仕事を終えて飲みに行くか、週3日は夜9時から11時までフットサルです。フットサルの後はみんなでファミレスで深夜2時までくっちゃべって、帰宅するとバタンキュー」

「見事に何も考えられないですよね(笑)」

逃避と捉えられようが、その時の自分はそうするしかなかった。

爽やかな笑顔の裏で、ずっと悩みを抱えていたことは誰も知らない。

このままでは後悔する

レズビアンだということを隠しながらの生活は、ぎこちなかった。

本来の自分を違う何かで装い、社会でイメージされる女性を演じた。

自分なのに自分ではない。

足が大地についていないような、ふわふわした毎日。

「きっかけは忘れましたが、ある日ふと思ったんです。もしこのまま死んでしまったら絶対に後悔するなって」

「このままで良いのか。人生こんなんで良いのか。いやっ良いわけがない!」

答えは明白だった。

何より、心の叫びと1人戦うのが限界に達しつつあった。

そこで、ある決断をする。

「25歳の誕生日までに、女性が好きだという気持ちがかわらなければ、カミングアウトしよう!」

迎えた25歳の誕生日。

やはり、自分の想いは変わらなかった。

「誕生日を過ぎてから積極的にネットで情報を集め、勇気をふり絞ってオフ会に行ってみたんです。そこで自分と同じようにセクシュアリティで悩んでいる人に沢山会って、肩の力が抜けたというか、初めてホッとしました」

気持ちを交わし、みんな同じように悩んでいることを知ることができた。

自分だけがおかしいのではないかと思ったことが、特別な悩みでないとわかった。

オフ会に参加したことで、自分のままでいいんだ、と社会に受け入れてもらえたような気がした。

09壁をつくっていたのは自分

自分の思い込み

オフ会の参加をきっかけに、少しずつ友だちにもカミングアウトする。

「誰に打ち明けようかリストアップして、心の準備をしてドキドキしながら話すんですが『あーそうなんだ』とか『うん、そうかなと思ってたよ~』とか、気が抜けるほどあっさりした反応をされるんです」

気にしているのは自分だけ。周りは自分が思うほど気にしていないことがわかってくる。

「そうしているうちに、周囲に対して壁をつくっていたのは私自身なんだ・・・・・・と気づいたんです」

いろいろなオフ会に顔を出すようになると、かつての自分のように初参加の人が結構多いこともわかってきた。

「みんな悩みに悩んで、最初の1歩を踏みだしていたんです」

「カミングアウト前後を知っている友だちから、カミングアウトしてからよりイキイキしたねと言われました。自分に嘘をつく必要がなくなったので、無理をしなくなったのかな」

「見た目はよりボーイッシュになりましたし(笑)」

「カミングアウトしてすぐ、好きだった女性に勇気を出して告白したんです。あっさり振られましたけど、スッキリしたのでよし次に行こうと、ポジティブになりましたよね」

世の中でいう「女性」にならなくてはいけないと力が入っていたものが、やっと素のままの自分でいいのだと思えるようになった。

その後、彼女もできた。

家族の反応

25歳でカミングアウトしてから、家族にいつ打ち明けるべきかが大きな悩みとなった。

28歳の時、母親と飲む機会があり、言うなら今だと切り出した。

「3年間付き合っていた彼女がいて、実家にも何回か遊びに行ったことがあったんです。一緒に住んでいたのですが、部屋の契約更新のタイミングで別れました」

「もちろん母親は、その子を女友だちと思っていたんですが、実は彼女だったんだよと話したんです。母親は一瞬動きを止め『ちょっと待って、もう1本お酒たのもう』と(笑)」

すぐに受け入れるのは難しいだろうとは思っていた。

「母親に打ち明けた後、長文メールをした時に、母親が自分の育て方に原因があるのかと口にしたときは、正直辛かったです」

「ずっと養護教諭をやっていて、多くの生徒と接していたので、多少免疫があるのかと思っていたのですがどうやらそうでもないらしい」

「まぁ自分の子供となるとまた特別ですよね。そこに関しては、ゆっくり時間をかけることにしました」

最近はLGBTという言葉を耳にする機会も増え、母親はだいぶ慣れてきた様子。

父親や弟達にはまだ話していないが、機会があれば普通に伝えようとも思っている。

10「ワクワク ドキドキ」を大切に

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30代は何にでもチャレンジする

カミングアウトをして、かかっていた霧がさーっと晴れるように、自分がやるべきことがみえてきた。

「今までボヤけていたものが、ピントが合うように明確になってきたんです」

「自分の軸がずれている時に、自分の価値観や、どんな生き方をしたいとか分かるわけがない。自分が何者かが見えてきて、生きていく上で何がしたいかがはっきり考えられるようになってきたことを実感しています」

何者かわからなく悩んでいた時は、何をしてもしっくりこなかった。
ありのままの自分を認められるようになって、急速に自分が成長していることを感じる。

「やりたいことも増え、何でもできるんだって手応えを感じてきています。30代は小さくまとまらず、好奇心のままいろいろなことにチャレンジしたいですね」

モットーは『ワクワク ドキドキ 自分らしく “活きる人” を増やすこと』

医療や福祉、介護分野の常識を変えたいという野心をもっている。

「高齢者だから障がい者だからと特別扱いが生じていることが、そもそもおかしいんです。人間なんてみんな違って当たり前、出来ないことは補え合えばいい」

高齢者は人生の先輩。個人としての尊重・尊厳の上に、出来ないこと対して介護などのサービスがあれば良い。

もっと「人」を見なければ何もかわらない。

「それが当たり前の社会にしたいんです。そのために情報を発信しながらいろいろな団体とコラボしたり、伝えるパイプを増やしています」

最近、障がい者×LGBTの音楽フェスを渋谷のクラブイベントで開催した。

「個性・特性は皆あるし、見方によっては何かしらマイノリティな部分はあります。だから自分は自分でいいし、他人は他人で良い。認め合えればよいですよね」

「こういうジャンル・問題って言葉では中々伝わらないし堅苦しくもしたくもない。だから “楽しい” を通して感じてもらうんです」

「実際に体験して、何かを感じ取ってもらうことが大切。そこに正解も不正解もない。だから今回は音楽というキーワードで、皆で楽しむ空間を創ることでそれにチャレンジしました」

自分と同じように、資格を持っている人の働き方にもバリエーションを持たせたい。

その先に、もっと自分らしく活きられる高齢者・障がい者が沢山いるから。

30代は、何でもできるという可能性をとことん楽しむつもりだ。

本来の自分でいられることからスタート

理学療法士として高齢者と接する時に、感じたことがある。

「わくわくした気持ちになって、心が元気になった時の体の回復って本当に早いんです。それを目の当たりにすると、心が与える影響の大きさが分かるんですよね」

自分に置き換えても、カミングアウトして自信が持てるようになってから、想像以上のパフォーマンスを出せるようになった。

「大人になって『わくわくどきどき』な生活をしている人ってあまりいないように思うんです」

子どもの頃はみんなそうだったのに、いつの間にかそうでなくなってしまう。

「見た瞬間にこの人幸せだなとわかるくらい『ワクワクどきどき』に生きている人が増えれば世の中が変わりますよ!」

そんな生き方をするには、本来の自分でいられることが最低限大切なことだと思う。
「セクシュアリティを含めた自分の特性を、まずは認めること。そして次のステップとして、それぞれの特性を尊重する社会になれば、性別や年齢、健常者か障がい者なんて関係なくなるんです。そんな社会をつくりたいです」

失敗をおそれず、子どものような好奇心で行動することができるようになった自分。

「パートナーは絶賛募集中です。レズビアンって良い意味でも悪い意味でも、依存好きな人が多い気がします。私はあまり依存は好きじゃないので、気が合う人は自立した人なんですけど、今度は恋愛関係に発展しなくて(笑)」

「こればかりは今後の課題ですね(笑)」

どんな人になりたいか聞くと、上を見つめしばらく考え「愛にあふれる人」とふわっとした表情で答えてくれた。身近に目指す人がいるのだと言う。持木さんの包み込むような愛と行動力で、本来の自分を大切にできる社会が開けていくのだろう。

あとがき
ひろさんは “安全な場所” を感じさせてくれる。最近あった不平や不満をつい口にしてしまいそうになった。初対面なのに(苦笑)■身体にも心にもアプローチできる。「一人ひとりの個性を認め合って、活かしあっていくことが大切・・・・・・」。どれだけ沢山の過去〜未来を見つめてきたのだろうか■取材から公開までの過程を振り返ってもおもう。ひろさんは、諦めないでいてくれる人。それは、人が「おもいのまま」を表現できる安心感。人を自由にする。(編集部)

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