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FTMという言葉の影に、ひっそり隠れていた本当の自分。【前編】

女の子であることに、初めて疑問を持ったのは3歳。高校のときには、女の子しか好きにならない自分を「レズビアン?」と疑った。そして、20歳で性同一性障害という言葉を知り、「自分はFTMやったんや!」と本当の自分に出会った。Freedom詩人、講演、奈良レインボーフェスタ主催、児童発達支援放課後等デイサービス管理責任者と多彩な才能を輝かせるようになるまでの奮闘を追う。

2019/08/07/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Shintaro Makino
定政 輝 / Hikaru Sadamasa

1989年、奈良県生まれ。保育園の頃から、男の子に混じって遊ぶヤンチャな女の子だった。小学生で器械体操、中学からはソフトボール部で活躍。保育士を目指して入学した短大でFTMを自認する。大阪国際大学スポーツ行動学科を卒業し、26歳で性別適合手術を受け、男性として第2の人生を歩み始めた。

USERS LOVED LOVE IT! 10
INDEX
01 ボスザルのような女の子
02 5歳のときに、「男の子になりたい!」
03 レオタードとリボンで選手コースを断念
04 ソフトボールに打ち込んだ中学時代
05 いつか、男子を好きにならな、あかんな
==================(後編)========================
06 初めて好きになった人は、慕ってくれた他校のソフト選手
07 女の子が好きなんだから、レズビアンなのか?
08 FTMと分かって、スッキリとつじつまが合った
09 振袖姿は、娘としての最後のお務め
10 Freedom詩人、講演、そして奈良レインボーフェスタ

01ボスザルのような女の子

おばあちゃんにかわいがってもらった

1989年、母親の里帰り出産により熊本で誕生。育ちは、奈良県の斑鳩町法隆寺だ。

「有名な五重塔は、家から徒歩3分です。あまりに近すぎて興味はありませんけどね。法隆寺は、住みやすくて、居心地のいいところです」

最近は、外国人の観光客も急増している。

「来てくれてありがとう、って気持ちです」

「英語で道を聞かれることもありますけど・・・・・・、まあ、笑顔でやり過ごしてます(笑)」

子どもの頃、父親は鹿児島などに単身赴任をしていたため、家を空けることが多かった。母親も看護師の仕事を持っていた。

「父方のおばあちゃんの家に、よく預けられていました。おばあちゃんが一番の相談相手で、大好きでしたね」

父方のおじいちゃんが入院したときに、看護師として担当してくれたのが母親だった。

「おばあちゃんが二人の縁を取り持ったと聞いています」

2歳下と、10歳下に弟がいる。

「お母さんも働いていたので、保育園の送り迎えなど、下の弟の面倒はよくみましたよ」

すぐ下の弟とはよくケンカをしたが、一番下の弟にとって自分は小さなお母さんのような存在だった。

他人の家の屋根を走り回る

「外でばかり遊んでる、とにかくヤンチャな女の子でした」

他人の家の屋根に上ったり、電信柱や木によじ上ったり・・・・・・。

しつけに厳しかった父親に怒られることも多かった。

「当時、筋肉番付が流行っていて、住んでいたマンションの周りをコースに見立てて、走り回ってました」

近所の男の子たちを集めて、忍者ごっこのような真似もした。

「ボスザルみたいな感じでしたね。女の子はついてこられなかったみたいですよ(笑)」

小学校1年生のときに自転車を買ってもらった。

「お父さんはピンク色のかわいい自転車を買おうとしたみたいですけど」

なんとか、頼み込んでマウンテンバイクをゲット。

「その自転車で急坂や崖やら、けっこう危ないところも走り回ってました」

02 5歳のときに、「男の子になりたい!」

女の子の水着を着せられるのがイヤ

3、4歳のときに、自分が男の子でないことにすでに違和感を感じ始めた。

「ケンカも強くて、男の子にも負けたことがなかったんです。それなのに、自分だけが女の子ということに納得がいかなかったんです」

5歳のときには、はっきりと男の子になりたい、と思うようになる。髪の毛はその頃から短髪だ。

「女の子の水着を着せられるのが、本当にイヤでした」

2歳下の弟がうらやましかった。

「弟は男のくせに、弱っちい感じで(笑)。弟とケンカばかりしていたのも、それが原因かもしれませんね」

靴下のかわいいフリルを切り取った

保育園の制服はズボンとピンクのスモックだった。

「そのかわいいスモックを、どうしたら着なくてすむか、日々考えてました(笑)」

わざとドロドロに汚して帰るのも、しょっちゅうだった。

「そんなときもお父さんに怒られました」

おばあちゃんは孫のために、かわいいワンピースを買ってくれた。

「ひらひらのフリルがついた靴下は、ハサミでその部分を切り取って履いてました」

外で遊んでいると、男の子たちはその辺で用を足す。

「何で、私だけ立ちションができないの?」と、お母さんに聞いたことがあった。

「それは、女の子だからでしょ、と軽くあしらわれました」

いつも外で暴れまわっていたが、将来、なりたい職業は保育士。

「女性の保育士の先生が好きになって、その先生のようになりたいと憧れました」

5歳のときに、保育士になるためには必須と知って、エレクトーンを習い始める。

「頑張って練習をしていたんですが、10歳のときに『ピアノは女の子の習い事やで』とクラスの友だちに冷やかされて、やめてしまいました」

外で遊びたいのに、「ピアノの練習があるから行けない」と言い訳をするのが、我慢できなかった。

「5年間も習ったのに、もったいないことをしました」

ピアノをやめたことは、短大で保育士を目指したときに後悔することになる。

副組長誕生

4年生まで、男の子に混じって走り回るヤンチャな女の子で通した。

「近所にガキ大将の男の子がいて、よく遊んでました」

ガキ大将は、悪ガキグループを作って「組長」と呼ばれ、学校でも幅を利かせていたのだ。

「そのなかでも自分は2番手くらいの存在でした」

体は小さいが、副組長として存在感を示した。

ところが、5年生になると、クラスの雰囲気が変わってくる。

「女の子同士のグループができ始めて、みんなと違うことをしているといじめに遭いそうな雰囲気だったんです」

「なんで男の子とばかり遊んでるの?」と、冷たい視線を浴びた。

「本当はドッジボールをしたいのに、シールを集めたり、サイン帳を交換したりしました(苦笑)」

どちらかというと、ポケモン、デジモンが好きだったが、危険を察して、それも封印。

「まあ、女の子に合わせたおかげでいじめられることはありませんでした」

03レオタードとリボンで選手コースを断念

小学校から制服

小学校は公立だったが、制服があった。

「秋冬はジャージでもいいことになってたので、よかったんですが、春夏は制服を着ないといけませんでした」

スカートの下に短パンを履いて、気持ちをごまかした。

「スカートから短パンがちょっと出ているくらいの丈で。どっちつかずのヘンテコな格好でしたね」

上着のブレザーはともかく、つばのついた帽子がどうにもならなかった。

「とにかく雑に扱って、くしゃくしゃにしました。ブーメランみたいに投げては、ドブにはめたこともありました」

「被りたくない」と言葉にすると、「ダメだ」と決めつけられるので、粗末に扱うことで自分の意志を表現した。

「家に帰ると、すぐに制服を脱いで着替えてました。プーマの3本線のジャージがお気に入りで、そのほかバッドボーイやプレイボーイを着てましたね」

マットや鉄棒で運動神経を発揮

近所にあるガンバ体操クラブに入り、器械体操にチャレンジした。

忍者ごっこで鍛えた機敏さが、ここで開花する。

「あの頃は、ジャニーズJr.に憧れていたんですよ(笑)」

練習をすると、バク転や鉄棒の大車輪ができるようになった。

「猿が高い跳び箱を跳んでいるような感じでした」

ところが、上級の「選手コース」に上がるときに問題が起る。

「試合に出るときに、全身タイツを着なければいけなかったんです」

レオタードで体の線が露わになることが、どうしても許せなかった。

「それに、女子の種目に限られるから、新体操のリボンもやるんです。何で、リボンをクルクル回さなあ、あかんのかと・・・・・・」

「結局、レオタードはイヤです、といって、『ウルトラマンコース』にしてもらいました」

ウルトラマンコースは、選手コースと一般コースの間のレベルで、短パンでもいい。

「男子の種目も好きにできたので、トランポリンや鉄棒を一生懸命やりました」

04ソフトボールに打ち込んだ中学時代

バレーボールでリフティング

小学校では、サッカー部か野球部に入りたかった。

「でも、女の子は前例がない、という理由で入れてもらえなかったんです」

仕方なく選んだのはバレーボール部だった。

「バレーボールをサッカーボールみたいに蹴ってましたよ(笑)」

リフティングをしているのが見つかったときは、さすがに怒られた。

そんな自分を見たみんなの反応は、「ひかるは、やっぱり、ひかるやな」。

「なかには、『お前、男やろ』という子もいました。そういわれても、イヤな気持ちにはなりませんでしたね」

むしろ、そう思われているほうが楽で、否定も肯定もしなかった。

ソフトボール部に渋々、入部

中学に進学したが、やはりサッカー部にも野球部にも入れない。

「バレーボールは女の子のスポーツみたいで、もういいや、という気持ちでした」

何をしようか考えていると、担任の先生から声がかかる。

「先生がソフトボール部の顧問で、部員が2人しかいないから入ってくれないか、と頼まれました」

たまたま、お父さんがその先生と同級生だったため、「お前、やってみろ」と指示が出た。

「男の子たちとしていた野球が得意だったので、似ているからいいかな、と・・・・・・」

見学に行くと坊主頭の先輩がいて、男っぽい格好も許されそうだった。

「それで、まあ、やってみようかと気持ちが決まりました」

ハスキーな声になりたかった

何となく入ったソフトボール部だったが、始めてみると夢中になれた。

「土曜も日曜も練習でしたね。手はバットのスイングで血だらけになってました」

ソフトボールに打ち込むうちに、将来、体育の先生になる道が見えてきた。

「体育の先生になって、ソフトも教えたいな、と思うようになりました」

その頃、ちょっとした悩みがあった。声が高くて、かっこ悪いのだ。

「男子の声変わりが羨ましくて仕方なかったですね」

「何とかハスキーな声になりたくて、ソフトボールの試合では、わざと声をからして応援をしてました」

炭酸水を飲むと声が低くなると聞いて、がぶ飲みしたこともあった。

一方で、筋トレも一生懸命にやった。

「今にして思えば、男の子と張り合う気持ちが強かったんでしょうね」

05いつか、男子を好きにならな、あかんな

最初に気になった子は女の子

初めて気になる子ができたのは、小学校5年生のときだった。

「クラスの仲のいい女の子に『好き』といわれました」

よく一緒に遊んでいて、その子の家に泊まりに行くような関係だった。

「友だちの延長ですよね。自分がその子のことを好きかどうかは、分からなかったですね」

もちろん、学校では二人が “特別な関係” であることは秘密だった。

「女の子グループに入っていましたから、その気はないのに組長が好きだ、ということにしておきました」

カモフラージュでバレンタインにチョコレートをあげたりしたが、組長には、「本当はお前のことなんか、好きじゃないんだから勘違いするなよ」と念を押した。

「そうしたら、『お前のことを女なんて思ってない』と、いい返されました(笑)」

思春期になると異性を好きになる?

中学のとき、一度だけ、男子とつき合ったことがある。

「サッカー部の子でしたね。周りにカップルが出来始めていましたから、流れに乗っておこうか、と(笑)」

話題は、お互いに好きだったサッカー。

「一緒に帰ったりしましたけど、長続きはしませんでした。つき合ったうちに入らないでしょうね」

次に仲良くなった子は、同じクラスの女子だった。

「中学3年のときでした。でも、『私、そんなんちゃうわ』と、断ってしまいました」

体育の先生を志してから、保健体育の授業だけは真面目に勉強していた。

「教科書に、『思春期になると異性を好きになる』と書いてあったんですよ」

女の子を好きになってはいけない。でも、男の子を好きにはならない。

「いつか、男子を好きにならな、あかんな。そんな気持ちでした」

同級生の気持ちを無下に拒絶した背景には、そんな事情があった。

 

<<<後編 2019/08/10/Sat>>>
INDEX

06 初めて好きになった人は、慕ってくれた他校のソフト選手
07 女の子が好きなんだから、レズビアンなのか?
08 FTMと分かって、スッキリとつじつまが合った
09 振袖姿は、娘としての最後のお務め
10 Freedom詩人、講演、そして奈良レインボーフェスタ

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