INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

セクシュアリティって測るもの? 国籍が違っても、自分を受け止めるまでの過程は一緒。【後編】

セクシュアリティって測るもの? 国籍が違っても、自分を受け止めるまでの過程は一緒。【前編】はこちら

2018/12/08/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
ヘンリー・アベリ / Henry Aberie

1994年、アメリカ・ニューヨーク市生まれ。4歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られる。中学時代からミュージカルに傾倒し、名門芸術学校に進学して声楽を専攻。大学2年時に初めて日本に留学。大学卒業後は、日本で英語教師として就職。仕事を続けるかたわら、LGBT関連のNPO活動にも参加した。

USERS LOVED LOVE IT! 25
INDEX
01 興味とチャレンジにあふれた国
02 人生を振り返り、自分を知る活動
03 物足りなさを抱えた少年
04 輝く姿を見てもらえる場所
05 ショックだった「ゲイ」という言葉
==================(後編)========================
06 誰かを「好き」だと感じる気持ち
07 「バイセクシュアル」に一番近い自分
08 LGBT当事者を取り巻く環境
09 これからの自分が日本でできること
10 それぞれの国の良さをつなげる存在

06誰かを「好き」だと感じる気持ち

幼かった恋と否定した恋

幼い頃から、同じピアノ教室に通っていた同い年の女の子がいた。

「中学に入ってから気になってきて、いつの間にか好きになっていたんです」

「その子は転校しちゃって、何も起こらなかったけど、確かに好きでした」

「異性にしか、好きとは言えないと思ってました」

中学3年生になり、同級生の男の子が気になり始めた。

学年で一番スポーツができて、程よく筋肉がついた、金髪のイケメン。

「彼もいじめの流れに乗ることはあったけど、他の子よりやさしいところもあったんです」

しかし、ほのかな好意を認めたくなかった。

誰にアピールしたわけでも、つき合ったわけでもないのに、「ゲイ」といじめられていたから。

「この気持ちは、絶対にバレちゃいけないと思っていたんです」

「自分の中でも、好きとは違う何かだろう、って思うようにしてました」

同じ時期、サマーキャンプで知り合った女の子とデートをした。

帰り際に「つき合えない」と関係を終わらせたが、翌日、そのデートを友だちが尾行していたことを知る。

「友だちから『キスしなかったんだね』って言われて、デートを見られていたって気づいたんです」

知らない間に、人に見られていたことが怖かった。

「キスをしなかった私は普通じゃないのかな、って気持ちも抱き始めました」

停滞した人間関係

芸術学校に進学してからは、恋愛感情を抱く暇がなかった。

「声楽に夢中だったと思います」

「あと、中学で嫌な経験をしたから、友だちをどう作ればいいかわからなかった・・・・・・」

学校で新しい友だちを作ろうと必死になり、あらゆる人と交流を図った。

「結果的に友だちはできたけど、親友はいなかったから、学校が終わったらすぐ帰っていました」

「今なら、たくさんじゃなくて、誰か1人でも近しい友だちができればいい、って思います」

友だちのことを深くは知れなかったため、恋愛感情に進展することもなかった。

叶わなかった恋愛たち

芸術学校の3年生になり、同級生の男の子から告白された。

好きなわけではなかったが、誰かとつき合ってみたかったため、「いいよ」と応えた。

1、2回デートを重ねたが、好きにはなれず、関係を断った。

「この時の初めてのおつき合いがきっかけで、人から言われるのではなく、自分から人を好きになっていきました」

大学に入ってから、いろんな人に告白してはフラれ、何度も新しい恋をした。

「好きになる人は男の子が多かったけど、たまに女の子もいました」

「でも、好きだった人とつき合うことは、できなかったです(苦笑)」

07 「バイセクシュアル」に一番近い自分

カミングアウトが招いた苦悩

初めて男の子とつき合った時、その関係を母親には内緒にできなかった。

「ずっと秘密はなしで一緒に暮らしてきたから、隠し事はできないと思ったんです」

つき合い始めた翌日に、「俺はゲイだ。彼氏がいる」と打ち明けた。

「言ったそばから、やっちゃった、って思いました」

「だって、言ってる私自身が、本当にゲイなのかよくわかっていなかったから」

息子の言葉を聞いた母親は、「わかったよ。あなたはあなたでいい。お母さんはいつもそばにいるから」と言ってくれた。

否定せずに応援してくれたが、それがかえって自分を悩ませた。

「肯定してくれたことには感謝してます。否定されたら、お母さんを拒絶していたと思うから」

「ただ、私は自分がゲイだと決めつけちゃったけど、違うかも、って思いもあったんです」

「『ゲイなんだね』って認めてくれるお母さんを見たら、恥ずかしくなっちゃって」

自分のセクシュアリティが不確定であることに加え、ゲイには辛い人生が待っていると思っていた。

応援してくれる母親を前にすると、ゲイであることが確定したようで、怖くなった。

「この頃の私は、何よりも相談相手がほしかったです」

「でも、お母さんにはできなかったし、お母さんも相談相手として求められてるとは知らなかったと思います」

「相手に、なぜ今のタイミングでカミングアウトしたか、きちんと話した方がいいなって思いました」

「ゲイ」ではなく「バイセクシュアル」

自分はゲイなのか考えていく中で、別の可能性に気づく。

「性的な魅力は、男性に感じることが多いと思います」

「でも、女の子にも恋愛感情を抱くし、好きな子がいたのは確かなんです」

「その気持ちは偽物じゃないし、演じていたわけでもありません」

自分はバイセクシュアルなのではないかと、考えるようになっていった。

大学2年生の時に、初めてバイセクシュアルの友だちができた。

2人で話しているうちに、自分にとって性指向は緩いものであることを知った。

「男性と女性が好きな気持ちの割合なんて測れないし、測らなくていいと思ったんです」

「自分の恋愛感情にぴったりの言葉はなくて、一番近いのがバイセクシュアルでした」

「好きなパートナーができたら、それだけで幸せだと思っているので」

言葉に縛られるのではなく、大切に思える人と出会えることが素晴らしいのだと気づいた。

「あなたはあなたでいい」

芸術学校の後半から大学2年生の頃まで、何度か母親とセクシュアリティについて話した。

その中で「ゲイではなくて、バイセクシュアルかもしれない」と伝えた。

「お母さんは、また『あなたはあなたでいい』って言ってくれました」

「でも、多少は混乱していたかもしれないですね」

当時つき合っていた人がいたわけではないため、わかりにくかったと思う。

今ではSNSにセクシュアリティのことを書き、友だちや同僚にもカミングアウトしている。

「あえて言葉にすることはそんなにないけど、話が出たら普通に伝えますよ」

「バイセクシュアルであることは、そんなにこだわる必要のないことだと、今は思っています」

「私は私だから」

08 LGBT当事者を取り巻く環境

改革がもたらした気持ちの変化

世界中どこからでも見られるSNS上で、カミングアウトできたのは、アメリカで同性婚が認められたから。

「堂々と言っていいことなんだと、初めて思えたんです」

「社会が認めていない限り、オープンに生きることはなかなか難しいと思います」

10代の自分は、同性に好意を抱くことが恥ずかしいことだと思っていた。

街中で同性のカップルを見かけることは、ほとんどなかったから。

「ニューヨークにもゲイタウンがあって、前はそこだけに限られたイメージでした」

「同性のカップルが手をつないで歩ける街は、特殊だったんです」

同性婚の法制化によって、アメリカでは偏った考え方が減っていっているように感じる。

社会の変化が個人に与える影響

アメリカを見ていると、法律で認められることが大きな推進力になると実感する。

「もし同性婚が認められていなかったら、当事者は今も生きづらさを抱えていたと思います」

「そして、日本はまだセクシュアリティに関して、生きづらさがある」

日本でも、東京都渋谷区や世田谷区、札幌市、大阪市などで同性パートナーシップ制度が導入されている。

しかし、全国的に見れば、まだ同性のカップルは法的に認められていない。

「私は当事者だから、日本でもLGBTのコミュニティと接する機会があります」

「でも、ストレートの人はLGBTについて考えたり、コミュニティに関わったりする必要性は感じないですよね」

「法律を整えたり、大きなニュースになったりしない限り、社会全体は動かないと思います」

日本人とアメリカ人の違い

日本人とアメリカ人で、セクシュアリティに対する感覚に違いはないと感じている。

「自分の中でLGBTであることを認めるまでの過程は、一緒かもしれないです」

アメリカ人だから、ポジティブに受け止められるわけではない。

マイノリティであることを受け入れるまでには、個々に時間がかかる。

「ただ、アメリカでは認めてから、すぐに行動に移せる気がします」

社会が認めているからこそ、コミュニティに参加したりカミングアウトしたり、次の一歩を踏み出しやすい。

一方、日本では、自分のセクシュアリティを隠すという選択をする人が多い。

「世の中的に認められていないから、目を背けることになっちゃうんだと思います」

その社会に少しでも働きかけるため、また日本で生活することを視野に入れている。

09これからの自分が日本でできること

やりたいことを追求する時間

日本に戻ってこられたら、やりたいことがある。

「教育に興味があって、日本人向けに外国語の教材を作りたいです」

教材を作っている日本の企業の説明会に行ったことがあるが、自分がやりたいこととは違う気がした。

「起業した方がいいのかな、と思って、アメリカで始めようかと考えているんです」

「あと、マーケティングとか、海外と接するような仕事も面白そうだと思っています」

「好きなことがいっぱいありすぎるけど、どれも仕事につながると思います」

アメリカでいろいろな仕事を経験し、自分に何ができるか、振り返っていきたい。

「好きなものを徐々に絞って、本当にやりたいことを見つけていけたらいいかな」

一度アメリカに帰ったら、二度と日本に戻れないとは思っていない。

「経験を積んで、やりたいことをはっきりさせてから、日本に帰ってきたいです」

多様性が生み出す気づき

また日本に来た時には、LGBTに関わる活動も続けていきたい。

「私は日本人じゃないから、活動していても『日本と関係ないでしょ』って言われることがあります」

「でも、参加していたNPO団体のメッセージは『みんなとちがって、それがいい』なんです」

「人は多様であるから、生きるのが面白いし、いろんな気づきができるんだねって」

一人で日本を変えることはできないし、一人では意味がないと思う。

日本の当事者と一緒に動くことで、新しい気づきがあるかもしれない。

「自分に何ができるのかは、よくわからないです」

「でも、私の話の中で、聞いている人の人生に似た経験があったら、何かに気づいてもらえるかもしれない」

人種は関係なく、同じ経験をしてきた自分が動くことが、当事者にとっての意味になればいい。

新たな考えの輸出

「みんなちがって、みんないい」というメッセージは、アメリカにも持っていきたい。

「アメリカの活動は『LGBTを認めなさい』という権利の主張がメッセージのメインになっちゃうんです」

「自分がLGBTであることを認めたくない人に言ったら、まるでケンカをしているみたい」

「一歩一歩、互いを思い合えるようなメッセージがないと、何も変わらない気がします」

だから、「認めなさい」ではなく「みんな違って面白いよね」と伝えたい。

「まずは、軽い話から始めてもいいと思います」

「このメッセージをアメリカに持ち込んだら、すごいことになるかもしれないな」

10それぞれの国の良さをつなげる存在

歴史が培ったアイデンティティ

アメリカで生まれ育った自分だから感じる日本の良さは、統一感があること。

「一つの長い歴史があって、みんなが知っていて、関われる文化があることが羨ましいです」

自分の先祖をさかのぼると、7割は120~130年前にウクライナからアメリカに渡っていた。

3割はドイツやハンガリーから、海を渡って来たようだった。

いろいろな人種が集まってできたアメリカでは、文化も宗教も人それぞれ。

アメリカ人としての歴史は浅い。

「日本に住んでいる時に、アメリカ人と出会ったら、すごくうれしいと思います」

「でも、アメリカにいた時は、同じアメリカ人でも、当たり前のように一緒に何かを楽しむことはない気がします」

「アイデンティティを周りの人と共有できなくて、寂しかった」

「日本人は、意識しなくても統一されたアイデンティティや文化があるから面白いです」

自然と人が集まるお祭りやお花見、日本人にとっては当たり前のことに憧れた。

「頑張らなくてもみんなと仲良くできる、一緒に動けるところが、日本の強みだと思います」

実体験を伝えていく意味

「アメリカと日本は違いすぎますね(笑)」

個性を重んじるアメリカと、協調性を重んじる日本。

「その真ん中にいられたら、ちょうどいいと思うんです」

グローバル化が進み、世界はグッと近くなった。

その一方で、国のアイデンティティを守りたいと考える人も、増えているように感じる。

「国と国が近づくほど、自分たちと他の国は別だという考えが、自然に出てくる気がします」

そう思う人がいたら、自分自身の海外での経験を伝えていきたい。

「私は海外に住んだ経験のあるアメリカ人の友だちも、日本人の友だちもたくさんいます」

「だから、いろんな国の強みを知れるし、伝えられるかもしれない」

「私一人では、たくさんの人に共有することが難しいと思いますけど(苦笑)」

「今は、どう話したら耳を傾けてもらえるか、考えているところです」

日本で暮らすアメリカ人であり、バイセクシュアルである自分。

マイノリティだからではなく、いろいろな場所で、いろいろな体験をしてきたから見えたものがある。

今は、その経験を振り返り、伝えていくための準備段階。

あとがき
同性婚法制化に対して、是非や婚姻制度そのものへの投げかけなど様々あるが、ヘンリーさんのいう「社会が認めない限り、なかなかオープンにできない」は、大きな枠組みの影響力をリアルに想像させた■家族という単位から始まり、地域、学校へ。誰もがはじめは、小さなコミュニティにいる。幼かったヘンリーさんに、日本でのかけがえのない時間は想像もつかなかっただろう。国の「違い」も「同じ」も、あなたと私の色合いも、知ることで始まる。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(24) }