02 人生を振り返り、自分を知る活動
03 物足りなさを抱えた少年
04 輝く姿を見てもらえる場所
05 ショックだった「ゲイ」という言葉
==================(後編)========================
06 誰かを「好き」だと感じる気持ち
07 「バイセクシュアル」に一番近い自分
08 LGBT当事者を取り巻く環境
09 これからの自分が日本でできること
10 それぞれの国の良さをつなげる存在
01興味とチャレンジにあふれた国
三度目の来日
2016年7月、英語教師として働くため、日本に渡った。
それから2年が経ち、仕事の契約が終わろうとしている。
「フェローシップという、2年間仕事ができるプログラムを使って、日本に来たんです」
「日本での次の仕事は決まっていないので、8月にアメリカに帰ると思います」
日本に滞在するのは、今回が3回目。
初めて訪れたのは、大学2年生の時だった。
「アニメ『ちはやふる』を見て、競技かるたに興味を持ったのがきっかけです」
「アジアに行って研究するための奨学金をゲットできたので、日本に留学しました」
その翌年にも、再び日本に留学した。
日本で就職したのは、海外で働くことにも興味があったから。
「いままで教育の勉強はまったくしていなかったので、英語を教えるのが大変でした(苦笑)」
「でも、先生としての経験は積んでみたかったので、いいチャレンジになりました」
「日本で暮らした2年間での経験は、大切だったなって思っています」
「先生の仕事だけじゃなくて、LGBT当事者との関わりも持てたことが良かったです」
日本での居場所
三回目の日本。最大のチャレンジは自分の居場所を見つけることだった。
「それまでの留学を通じて、日本人の友だちもたくさんいます」
「大学のかるたサークルにも入っていたけど、そこだけだと自分らしくいられなかったと思ってます」
「自分にとってはかるたがすべてじゃないので、1つのコミュニティだけだと違和感があったんです」
働くために日本を訪れてからも、留学で来ていた頃と同じ感覚になった。
英語教師という居場所しか、見つけられていなかった。
「2017年3月に一度、アメリカに帰ったんですけど、その時は辛かったんですよ」
「私は日本にいて、何をしているんだろう・・・・・・って」
もう学生ではない自分は、同じ経験は二度とできないことは感じていた。
それならば、新しい場所に行ってみないといけないと思った。
日本に戻り、LGBT当事者である自分が楽しくいられる場所を見つけようと、動き出した。
「その時に、あるLGBT系のNPO団体の説明会に行って、ここがいい、って思ったんです」
02人生を振り返り、自分を知る活動
LGBTコミュニティへの参加
NPO団体の存在は、大学生の頃に知った。
“日本でのカミングアウト” というテーマで卒論を書いた時に、その団体のホームページに辿り着いたのだ。
「ウェブサイトには、当事者のインタビューやいろんな情報が載っていたんです」
「その時から、LGBTのコミュニティに入るとしたらここがいい、と思っていました」
いざ訪れた説明会では、入りやすい雰囲気を感じた。
LGBTの出張授業を行う活動に、感銘を受けた。
「自分もLGBT教育に携わりたいと思って、『入りたいです』ってお願いしました」
教師の仕事をしながら、コミュニティでの活動を続ける中で、仲間に言われたことがある。
「活動に参加し始めた頃と比べて、日本語がすごく成長したね」
そう言ってもらえるようになったのは、活動の中で自分の話をする機会が多かったからかもしれない。
自分の人生から見つけ出すヒント
出張授業では、自分自身のライフヒストリーを10分程度で話す時間がある。
「話すためには、どんな道をどう歩んできたか、考えないといけないんです」
「自分がバイセクシュアルと自覚するきっかけがどこにあったか、何回も何回も振り返りました」
その繰り返しで、自分のセクシュアリティを、さらに知ることができた。
「日本語はもちろん英語でも、言語化するのが難しいものなんですよね」
「でも、いろんな経験をして、今の自分があるということがわかるようになりました」
「いい経験も悪い経験もあったから、私は私であるんです」
ただし、最初からスムーズに思い返せたわけではない。
「一番難しかったのが、幼い頃の話だったんですよ」
20年近く前の記憶を掘り返すことは、決して簡単ではない。
「バイセクシュアルである自分のヒントが、あの頃の経験にあったかなって振り返らないといけないんです」
「大変だったけど、自分がどういう道筋で動いてきたかを考える貴重な機会で、勉強になりました」
「どんな性格の子で、どんなことをして過ごしていたか考えると、全部つながっているような気がして」
03物足りなさを抱えた少年
自分にとっての当たり前の生活
アメリカ・ニューヨーク州で生まれ育った。
4歳の時に両親が離婚し、母親に育てられた一人っ子。
「お父さんが家からいなくなったことは、覚えています」
「でも、お父さんとは週1回会えていたから、そんなに寂しくはなかったです」
小学校の友だちは、10歳の時に両親が離婚した。
その子は怒りや悲しみ、複雑な感情を抱いていた。
「両親が離婚した時、私はまだ幼かったから、意識的に深く考えたりはしなかったです」
母親と一緒に暮らし、たまに父親に会うという環境が、当たり前のものだった。
母親の帰りを待つ日々
母親はとてもやさしくて、真面目な人。
「1人で私を育ててくれたから、いい関係だと思います」
「お母さんはずっと髪が短くて、いつも『息子さんとすごい似てますね』って言われてます(笑)」
母親は出版社に勤め、書籍の在庫確認の業務を担当していた。
夜遅くまでかかる仕事だった。
「私は学校から帰ったらテレビを見て、21時頃にお母さんが帰ってから夕飯を食べて、宿題して寝る感じ」
「そういう生活が何年か続きました」
「今振り返ると、無駄に過ごした時間がたくさんあって、もったいなかったと思います」
今の自分が何かを実現させたい、もっと仕事がしたいと思うのは、あの頃に何もしていなかったからかもしれない。
何も持っていない自分
毎年、夏休みになると、ニューヨークから2時間ほどで着くシェルター・アイランドに家族で出かけた。
フェリーに乗っている時が、世界で一番楽しい時間だと感じていた。
満面の笑みの写真も残っている。
「だけど、その笑顔の裏に、自信のない私がいました」
小学生の頃、周りの友だちはすごい記録を残している子ばかりだった。
成績がいい子がいれば、趣味のカードゲームで一番を取る子もいた。
「できる子ばかりだったから、私には何ができるだろう・・・・・・って悩むことが多かったです」
「その頃を思い出すと、楽しい時もあったけど、悲しさや物足りなさを感じちゃう」
「私はずっと友だちの後ろに立っていて、一生そうなのかなって思ってました」
しかし、そこから脱したいと思い、勉強に励み、趣味にも時間をかけるようになった。
「ずっと何かを目指しているような人生だったと思います」
「自信がなかった自分を変えたいという気持ちは、今でも持ってます」
04輝く姿を見てもらえる場所
物足りなさを満たすもの
自分には何ができるのか――。
探し続ける中で出会ったものは、ミュージカル。
「中学では、校内で毎年上演するんですけど、誰でも参加できるんです」
「最初は友だちと一緒に出て、2年生から楽しいと思い始めました」
褒めてもらうことが増え、もっとミュージカルに出たいと思うようになった。
「3、4年生の時は、学校の外の団体の作品にも出るようになりました」
「友だちの後ろに立っていたあの頃の自分は、もっと輝きたい、もっと見てほしいってずっと思っていたんです」
ステージに立って表現できるミュージカルは、幼い頃から抱いてきた物足りなさを満たしてくれた。
ミュージカルに出会えたことで、堂々と振る舞えるようなった。
国内トップの芸術学校
中学卒業後は、アメリカでトップの芸術学校に進んだ。
声楽を専攻する。
「友だちの後ろに隠れていた自分が、一気に自信がついて、ちょっと偉そうだったかもしれない(苦笑)」
「でも、褒めてくれる先生がいたから、気持ち良かったです」
1、2年生のうちはクラシックのアート・ソングを学び、3年生からオペラを勉強し始めた。
成績はいい方だった。
「中学高校の自分にとって、音楽は本当に必要だったと思います」
ここまで打ち込めたのは、中学4年生の時の経験があったから。
信じられないほどの拍手
中学4年生の時、ミュージカル『INTO THE WOODS』を上演した。
童話の登場人物たちが繰り広げる物語の中で、『ジャックと豆の木』のジャック役を演じた。
「ステージで輝ける立場にいられたことが、すごく心地良かったです」
初めてのスポットライトに驚き、興奮した。
中学時代の自分は、「オカマ(Faggot)」と言われ、いじめられていた。
しかし、そのミュージカルが幕を閉じる時、いじめっ子たちが拍手をしてくれた。
「いじめで苦しんだ時期もあったから、信じられないっていうか」
「歌うだけでこんなに温かい目で見てくれるなんて、思いもしなかったから」
「音楽ってこんなにも力があるんだな、って思い始めたんですよね」
自分にできることは、歌うことだと思った。
05ショックだった「ゲイ」という言葉
中傷を目的とした「ゲイ」
中学3年生の頃、同級生から「オカマ」「ゲイ」と言われるようになった。
女の子っぽい素振りをしたわけでも、「男の子が好き」と言ったわけでもない。
「私は13、14歳の割に声が高かったし、ヒゲも生えていなかったんです」
「スポーツ系の活動もしていなかったし、下ネタもあんまり得意じゃなかった」
「『お前だけ変だよね』って言葉から始まって、『オカマ』って言われるようになりました」
おとなしかった自分は、反論せずに我慢した。
「最初の頃は対抗していたけど、何も変わらないとわかっていきました」
母親に相談すると、「笑って無視した方がいいですよ」とアドバイスしてくれた。
母親の言う通り、同級生の言葉を無視した。
「それしかできなかったかな・・・・・・」
親にも話せない恥ずかしいもの
母親には何でも相談できたが、唯一言えなかったことがある。
「いじめの話をする時に、『ゲイって言われた』とは言わなかったです」
「言っちゃったら、意識しているように感じられてしまいそうだったから」
その頃は、自分のセクシュアリティを自覚していなかった。
まさか、自分がゲイだとは思っていなかった。
「ゲイであることは、恥ずかしいことだと思っていました」
だから、「オカマ」や「ゲイ」と言われることが、苦しかった。
ただただ黙って、やり過ごすしかなかった。
今と昔の子どもたちの感覚
「今の中学生はどう思っているのか、気になるんですよね」
アメリカでは、2015年に全州で同性婚が法制化された。
その結果、映画やテレビではゲイやレズビアンのキャラクターが増えている。
同性愛をテーマにした音楽も、たくさんある。
「社会全体が変わってきている気がします」
「私も、政府に認められてから、カミングアウトしていいんだ、って思えたんです」
「今は目の前に当たり前にLGBTがいるから、バカにすることでもないと思います」
小学生や中学生でカミングアウトする子がいるという話を、よく聞くようになった。
「環境が整ってきているから、できることだと思います」
「その子自身がそう思っているなら、いいんじゃないですか。でも、ちょっと早すぎないかな? とも思いますけど」
自分自身も、親にカミングアウトした経験がある。
その時は、早すぎたカミングアウトに、悩みが深くなってしまった。
だからこそ、今の子どもたちの環境や気持ちが、気にかかる。
<<<後編 2018/12/08/Sat>>>
INDEX
06 誰かを「好き」だと感じる気持ち
07 「バイセクシュアル」に一番近い自分
08 LGBT当事者を取り巻く環境
09 これからの自分が日本でできること
10 それぞれの国の良さをつなげる存在