INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

「好き」を追求することは、未来の自分の糧になる【後編】

「好き」を追求することは、未来の自分の糧になる【前編】はこちら

2017/06/06/Tue
Photo : Taku Katayama  Text : Mana Kono
上井 ハルカ / Haruka Kamii

1980年、岐阜県生まれ。工業系の専門学校を卒業するも、進路に悩んで就職を断念し、実家の工務店を手伝うことに。その後、図面の知識があったことと偶然が重なり、25歳でCADオペレーターとして就職。現在は千葉県に居住を移し、仕事の傍ら市民団体「レインボー千葉の会」の共同代表として、LGBT関連の講演会やシンポジウムなどにも積極的に携わっている。

USERS LOVED LOVE IT! 61
INDEX
01 大人には期待しない
02 社会問題への知識欲
03 鉄道旅行でストレス発散
04 未来が見えない
05 迷ったことが、人生に活きている
==================(後編)========================
06 綺麗なものが好き、綺麗になりたい
07 もっと社会的な活動がしたい
08 制度に合わせる必要はない
09 マイノリティ全体を考える
10 スタートが遅くても大丈夫

06綺麗なものが好き、綺麗になりたい

6syou_kumi

「女装趣味」とは何か違う

20歳以降の人生には、インターネットの存在が密接に関わっていた。

鉄道関連の情報を集めるために、ネットを駆使していたのだ。

「ただ調べるだけじゃなく、ネットで誰かと繋がったりすることも多かったです」

「ネットを通じて知りあった人と、オフ会に行って直接会うこともありました」

鉄道以外にも、「女性の格好をしたい」という思いから女装について調べることもあった。

しかし、思い通りの情報にたどり着くことはなかなかできなかった。

「2000年代の前半って、性別違和というよりも趣味や性癖で女装してる人が多かったんです」

だけど、自分がやりたいのはそういう意味での女装ではない。

「当時は、どちらかというとボーイズラブの受けの子みたいな感じに、綺麗でかわいくなりたいなって思ってたんです」

だから、服装もセミフォーマルのような小綺麗な格好をすることが多かった。

「そうやって綺麗めな格好をすることで、自分を納得させている部分もあったんだと思います」

鉄道の趣味に没頭していたこともあって、セクシュアリティについてそれ以上突っ込んで考えたり、悩んだりすることはあまりなかった。

綺麗な人に惹かれる

昔から男の子を好きになることが多かったが、自分をゲイだとは思っていなかった。

「好きになるのは、どちらかというと肌の綺麗な女の子っぽい男子が多かったんです」

だから、きっと自分はバイセクシュアルだろうと思っていたのだ。

「綺麗なものを好きになるのは当然のことだと思うから、男性を好きになることに対して後ろめたさはありませんでした」

「でも、だからといって恋愛対象を男性に限定するっていう考え方も、そもそも持ってなかったんですよね」

そうして、現在はパンセクシュアルだと自認している。

07もっと社会的な活動がしたい

性別は「自分」

「小綺麗な格好をしている頃、女性の格好をしてみたら似合うかもなって思ってはいたんですけど、まだそこまで女性化したいとは思っていませんでした」

女性になるためには、手術なども含めてハードルが高いと思ったからだ。

「手術が怖いとかよりも、金銭面でのハードルがまず高いじゃないですか?」

「だから、それなら女性を目指すんじゃなくて、ボーイズラブ方面にいけばいいかなって思ったんです」

今から10年ほど前、SNSを通じて、いわゆる「男の娘」系の友達を爆発的に増やしていった。

初めて女性の格好をしたのもその頃だ。

「初めて女装をした時は、まだまだ努力がいるなって思いました。目つきとかもまだすごい男っぽかったし」

女装で街を歩いてみて、周囲からの目も気になったが、それでも喜びの方が大きかった。

もっと美しくなりたい、綺麗な洋服が似合うようになりたいと思った。

「これまでとは違う自分になりたいというよりも、どっちかというと自分の幅を広げるっていう感覚でした」

それでもやはり、「綺麗になりたい」とは思っても「女性になりたい」とはあまり思わなかった。

26歳まで社会的に男性として生きてきたから、それを白紙にしていきなり女性としていきていくのは無理だと思ったからだ。

「その代わり、『性別は自分』という意識は持ってました」

「男でも女でもなく、自分として生きていけばいいんだろうなって」

「男」にも「女」にもはっきりとは属さない、「自分」というマイノリティとして生きる。

それは孤独なことかもしれないけれど、恐れはなかった。

男の娘の世界を飛び出す

ネットを通じて東京に友人が増えてきたこともあって、2009年に岐阜から上京した。

「そこからは、男の娘関係のイベントにもよく足を運んでいました」

しかし、「男の娘」と一口に言っても、中にはいろいろなタイプの人がいる。

性別に違和感を抱えている人。コスプレ気分で女装している人。息抜きだと割り切って週末だけ女装する人。

あくまで趣味の範疇にとどまっている人も多かったから、性別に違和がある人たちから「生きづらさを改善させよう」という声は、なかなかあがってこなかった。

「もちろん性同一性障害の人もいたんですけど、自分が知りうる限り、そういう人たちの意識も外側ではなく内側に向いていました」

いずれ性転換手術を受けて、女性社会に埋没できればそれでいい。

そうした個人的な目標にとどまりがちで、より良い社会を創造していこうと周囲に働きかけるような動きはほとんどなかった。

「だから、友達はどんどん増えていくんですけど、どこか煮え切らないような、くすぶった感情はありましたね」

「自分は生きづらさをなんとかできないかと考えていたし、中学生の時から社会問題に取り組みたいとも思っていたので」

そんな折に、仕事の都合で千葉へ引っ越すことになった。

「その数ヶ月後に、たまたま市民団体『レインボー千葉の会』の立ち上げシンポジウムに行ってみたんです」

男の娘関連以外でLGBTのイベントに足を運んだのは、それが初めてのことだった。

「2回目のミーティングにも参加したんですけど、千葉市内のトランスジェンダーが私しかいなかったので、運良く共同代表になれたんです」

代表としてLGBT活動に参画していく中で、今までくすぶっていたものがようやく解消されていった。

08制度に合わせる必要はない

8syou_kumi

家族へのカミングアウト

「自分のことを両親にはっきり話せたのは、去年の夏でした」

最初は、お酒好きの父とサシ飲みしながらのカミングアウト。

レインボー千葉の会で人の役に立つ仕事を始めたことが、カミングアウトへの後ろ盾となったのだ。

「親にはいつか言おうと思ってたし、自分は立派なことをしてるんだぞっていう誇りが後押しになりました」

活動報告も兼ねてのカミングアウト。

昔から体と心の性別が違ったということ。

千葉でセクシュアルマイノリティのための活動をしていて、講演会に登壇した経験もあるということ。

最初は少し驚いていた父だが、「思い返せばそうだったな」と、納得していたようだった。

講演会などの社会的な活動をしていたことも、父の理解に一役買ってくれたように思う。

「その流れで母親にも話そうと思ったんですけど、その時はついお酒を飲みすぎちゃって。母に話す前に酔っ払って寝ちゃったんですよ(笑)」

母には、今年の正月に改めてカミングアウトした。

「まだはっきりとは話していないし、向こうもちゃんとは飲み込めていないかなって感じはしますけどね」

その後、家族以外の友人何人かにも打ち明けたが、現在に至るまで公にカミングアウトしているわけではない。

「自分としては、隠してはいないけど積極的に公表はしない、というスタンスなんです」

無理して手術しなくてもいい

現在はジェンダークリニックに通っていて、ホルモン治療を予定している。

「自分の好きな外見で生きていくためには、病院で診断をもらって性転換手術をして、戸籍を変えるしかないって思っていたんです」

最初は、それしか選択肢がないと思っていた。

「でも、実際にLGBTの世界を見回してみたら、いろんな人がいました」

「だから、別に制度に合わせて自分を無理に変える必要はないんじゃないか、って気づいたんですよね」

別に、このままでいいのかもしれないな。

「なので、今のところ手術はそれほど考えていないです」

「ただ、仮に今後手術を受けることになったとしたら、その前に精子凍結をしたいなと思っています」

もともと子どもを作る気はあまりなかった。

しかし、手術によって自分の遺伝子を残す選択肢がなくなるかもしれないと思うと、急にさみしさがこみ上げてきたのだ。

「それで、精子を保存しておきたいと思ったんです」

自分自身で子どもを育てることにならなくてもいい。レズビアンカップルに精子提供するような形でも全然問題ない。

「自分の生きた形を、この世に残したいっていう欲望があるのかもしれませんね」

「人間に限らず、動物が子孫を残すのは、自分が生きた証を残したいからなんだろうなって思います」

09マイノリティ全体を考える

困窮者支援への関心

CADオペレーターの仕事は現在も続けているが、今後転職も視野に入れている。

「これまでとは業種を変えて、困窮者支援関係の仕事に就きたいと考えているんです」

LGBT活動を展開する上で、セクシュアルマイノリティ以外の問題にも視野を広げる必要性を強く感じるようになった。

「だから、困窮者のような、他のマイノリティ問題についてもいろいろ勉強したいなと思っています」

そもそも、LGBTと貧困問題には密接な関わりがある。

LGBTは困窮者の入り口になりやすいのだ。

たとえば、トランスジェンダーでスーツや制服を着ることに抵抗があって、思うような仕事に就けない人も多い。

精神的な問題を抱えているために、定職に就くのが難しい当事者も少なくない。

「なので、ゆくゆくは当事者のメンタルヘルスを安定させるような支援ができればいいなと思っています」

マイノリティ全体の支援を

「LGBTの問題って、『男はこうあるべき、女はこうあるべき』ってジェンダー規範の押し付けで、みんな押しつぶされているんですよね」

「ジェンダー規範に押しつぶされている」という点では、DV被害者にも共通する部分があるように感じられる。

「なので、DV支援やフェミニストの人ともつながって、情報交換をしたり勉強しあったりしたいなとも思っています」

ほかにも、発達障害や統合失調症についての勉強も重ねたい。

「セクシュアルマイノリティに限らず、マイノリティ全体の支援をできたらいいなと思うんです」

社会的不利益を被っている人たちすべてに、手を差し伸べられるような人間になりたい。

10スタートが遅くても大丈夫

IMG_0364_510x360

LGBTの輪を広めるために

「今後LGBTの輪を広げていくために、やるべきことは3つあると思います」

ひとつ目は、活動家がアライの仲間を増やすこと。

非当事者と手を取り合うことで、活動の幅を広げていくことができる。

そうしてふたつ目に目指すのが、法律の整備だ。

「LGBTの若者は政治活動にも熱心なんですけど、若者がこんなに政治に取り組むことって実は珍しいんですよね」

「その結びつきが更に強まれば、政治も無視ができなくなって、差別解消につながると思います」

若者を中心に活動を広げていければ、国会のLGBT議連にも注目され、法整備にもつながるのではないだろうか。

「3つ目にするべきなのが、当事者自身が他のセクシュアリティを仲間だと認識することです」

「L」「G」「B」「T」それぞれが尊重しあうだけでなく、その4つでカバーできないセクシュアリティの存在についても考えることが必要だ。

「以前、男の娘界隈にいた時は、コミュニティ内部での分裂を幾度かみてきた。

「だから、もうあんな景色は見たくない。二の轍を踏みたくないんです」

「好き」を突き詰めていけばいい

「『自分が役に立つ場所なんてないかもしれない』って、ずっと思ってました」

「死んだ方が楽かもしれない」と考えていた時もある。

自分はいい大学を出ているわけでもないし、勉強も苦手。

誇れるものなど何も持っていなかった。

「でも、自分の人生で経験したことが、今になってすごく活きてきているんです」

自分の「好き」に身を任せてきたことで、まさかこんな人生が待ち受けていたなんて。

人よりスタートは遅かったけれど、着々と自分のやりたいことが仕事につながっている。

「だから、自分の好きなことをどんどんやれば、後で何かにつながるんだってことを、若い人たちに伝えたいんです」

大丈夫。今が苦しくても、きっと明るい未来が待っているから。

あとがき
初めてお会いした日はメンズスーツ。取材日はナチュラルでガーリーな装い。「性別は『自分』です」と、ハルカさんは笑った■好奇心に忠実な人だ。振り返ったこれまでの人生には “やってみたい!” が散りばめられ、「行動」した時間がハルカさんを築いている■日常の出来事も、望まない結果をもたらす体験も・・・そこから生まれた感想や言葉は、今、たくさんの人に届き始めている。そして、誰かの心で動き始めている。(編集部)

関連記事

array(2) { [0]=> int(32) [1]=> int(28) }