02 優等生
03 夢に向かって
04 過食の始まり
05 ゆらぎ系引きこもり
==================(後編)========================
06 20歳を越えるまで
07 就職から起業まで
08 親友の病気
09 パンセクシュアルじゃない?
10 私らしい仕事
06 20歳を越えるまで
女子校から定時制高校へ
高2のとき、出席日数が足りず、留年になると学校側から言われた。
再び学校に行けるようになるとは、到底思えなかった。
あれほど行きたかった女子校を辞め、定時制高校への転入を決める。
「定時制高校には、女子校にはいなかったような子たちが集まっていました」
「煙草を吸ったり、30分遅刻してきたり・・・・・・」
「これは無理だと思って、早々に離脱しました」
その後、高卒認定試験を受けて、合格。
しかし、大学や専門学校に進学する意欲はなかった。
「高卒認定試験に合格した後、外に出られるようになった期間があったんです」
「ちょこちょこオーディションを受けて、小さい舞台に出たりしてました」
「やっぱり舞台が好きだったので、なんとか芸能方面でやっていけないかなって考えてましたね」
舞台の上では
どんなに嫌な思いをしても、歌や踊りのレッスンを辞めようとは思わなかった。
「レッスンに行きたいという気持ちよりも、辞めたら本当に何もなくなってしまうという不安が大きかったんです」
「居場所もなくなっちゃうし、なんで生きてるんだろう、って考え始めるのが怖かった」
20歳を越えて、何も実績を残せなければ、夢を諦めよう。
そう思いながら、レッスンに通い続けた。
「誰にも認めてもらえず、自分は欠陥人間だという絶望感に苛まれても、舞台の上では、そんな辛さを忘れられたんです」
誰かが私を必要としてくれるんじゃないか。
私目当てに、誰かが舞台を観に来てくれるんじゃないか。
そんな期待が、崩れそうな自分を支えていた。
07親友の病気
親友とのメール
高校に行かなくなり、退学してからも、1人だけ連絡を取り続けてくれた友だちがいた。
中学時代に仲良くなった女の子で、今では親友と呼べる存在だ。
「まだLINEやSNSがなかった頃だったので、Eメールでやりとりしてました」
「頻繁に連絡を取り合うわけではなかったけど、私がメールを送ると、絶対に返してくれる子だったんです」
「不安定になったときに、唯一話を聞いてくれる相手でしたね」
「1週間外に出なかったわー」とメールを送ると、「でも、漫画いっぱい読めていいじゃん」とユルい返事が返ってくる。
「大丈夫?」と心配されるよりも、よほど心が軽くなった。
人前で食べる
20歳を過ぎても、芸能では芽が出ず、スクールを辞めることにした。
通信制の短期大学に入学し、思い切ってアルバイトも始めてみた。
でも、なかなか続かない。
「何を考えても、マイナスのことしか浮かびませんでした」
「親に迷惑がかかるから、死にたいとは思わなかったけど、消えてなくなりたいと思ってましたね・・・・・・」
「今すぐいなくなれたらいいのに、ってずっと思ってました」
親友とはたまに遊びに行っていた。
一緒にファミレスに入ると、「いいよ、無理して食べなくて」「頼んで食べなかったら、私が食べるから」と言ってくれた。
「その子が側にいてくれたから、外で食事ができるようになっていったんです」
「カラオケとか、知らない人の目がない場所から食べることを始めました」
「過食も、少しずつ治っていきましたね」
なんで私じゃないの?
調子のいい時期と、悪い時期は、交互にやってきた。
アルバイトに休まず行けるようになり、「治ったかな?」と楽観視していると、とたんに深い穴に突き落とされる。
また何ヵ月も引きこもりを続けることになり、そのたびに、自己否定を繰り返した。
24歳のある日、親友から電話が掛かってきた。
ちょうど、部屋に引きこもっていた時期だった。
電話に出て「どうしたの?」と言うと、親友から「◯◯かもしれない。緊急入院になった」と告げられた。
頭をガツンと殴られた気がした。
「なんで、私じゃないんだろうと思いました」
「私みたいなこのクズ人間じゃなくて、なんであんなに頑張っている子が病気になるんだろうって・・・・・・」
当時は、10分以上電車に乗ると、パニックになることが多かった。
しかし、そんなことを考えている暇はなかった。
「電話を切って、すぐ病院に向かいました」
「片道3時間くらいかかる場所にあったんですけど、居ても立ってもいられなかったんです」
親友の長期入院が決まった翌日から、毎日3時間かけて病院に通った。
親友の家は、父親しかいなかったため、洗濯物や入浴などを手伝った。
「彼女が病気と闘っているあいだに、就活を始めました」
「元気になったときに、『ちゃんと独り立ちできたよ』って言いたかったんです」
08就職から起業まで
世界が一変した
親友はその後、病気を克服し、いまでは結婚して家庭を築いている。
あの一時期を境に、大げさではなく、世界の見え方が変わった。
「生きていることが、どれほどすごいことか、気づいたんですよね」
「私がここにいることは、当たり前じゃないんだなって」
「嫌なことがあっても、いつか何かにつながるんだろうなって、俯瞰で捉えられるようになったんです」
親友の闘病中に、フルタイムのアルバイトを始めた。
短大で税理士コースを取っており、ある会社で経理事務として採用されたのだ。
もともと数字が得意だし、細かいお金の計算は、自分に向いていると思った。
その後、別の会社で正社員として採用されたのは、25歳のとき。
いまから、たった3〜4年前の話だ。
起業の決意
「20歳くらいの頃、働くとしたら、フリーランスだろうと思っていました」
「学校生活を経て、自分は組織に向いている人間じゃないとわかっていたからです」
「だから、正社員として採用されてからも、どうすればフリーランスになれるかずっと考えていました」
フリーランスとして働くなら、どんな仕事がいいだろう。
そう考えていたときに、パーソナルスタイリストという仕事があることを知った。
「その人の個性に合わせて、ファッションやメイクを提案していく仕事です」
「直感で『これだ!』と思って、学校に入りました。半年でカリキュラムを終えたあと、すぐに起業したんです」
起業について両親に相談すると、「好きなことをやってみたらいいんじゃない?」「あなたが前向きにやりたいと思うんだったら、やりなさい」と言われた。
「それまで、脇道に逸れてばかりだったので、父も母も、もはや動じなくなっているんです(笑)」
「応援してもらえて、うれしかったですね」
09パンセクシュアルじゃない?
初恋の苦味
10代前半は勉強やレッスンに忙しく、10代後半は家に引きこもって過ごした。
そのため、淡い恋をする余裕もなかった。
初恋をしたのは、21歳のとき。相手は、年上の女性だった。
「心身ともに調子が良かったときに、クレジットカード会社で事務のアルバイトをしてたんです」
「バイトの同僚だった26歳の方に、初めて恋愛感情を持ちました」
21歳の自分から見て、26歳の女性はとても大人びて見えた。
神経質で、すぐにイライラする自分と比べて、余裕がある感じも好ましかった。
「彼女の外見と、自分が持っていないところに惹かれたんです」
今もそうだが、恋をすると、すぐに相手にバレるタイプだ。
「誰かを好きになると、ぐいぐい迫ってしまうんですよね(笑)」
「私のことをよく知っている友だちからは、『お前、すごい童貞だよね』って言われます」
「攻め方がスマートじゃないって意味で(笑)」
好きという気持ちが、言葉や態度に滲んでいたのだろう。
その女性と初めて食事に行ったとき、きっぱり線を引かれた。
「私は男の人と結婚したいから」
「私は男の人が好きだから」
その後も、何度か一緒に遊びに行ったが、アルバイト先を辞めると同時に、疎遠になった。
私はパンセクシュアル、彼女はMTF
その後も、何度か人を好きになったが、付き合うまでは至らなかった。
いまのパートナーと知り合ったのは、25歳のとき。
「彼女が働くバーに通ううちに、仲良くなって、なんとなく交際が始まりました」
「デートに出掛けるとか、家に泊まりに行くとか、いわゆる “お付き合い” の経験は、いまのパートナーが初めてですね」
彼女はトランスジェンダーMTFだ。
トランスジェンダーの存在は知っていたが、パートナーと付き合うまで、当事者に話を聞いたことはなかった。
彼女のことを、もっと理解したい。
そう思い、LGBT当事者が集まる座談会に、参加することにした。
「山本絵理子です。いまはMTFのパートナーと付き合っています」
「私はバイセクシュアルです」
そう自己紹介すると、参加者から「付き合ってる人がMTFってことは、パンセクシュアルじゃない?」と声が挙がった。
そのときに初めて、「パンセクシュアル」という言葉を知る。
「家に帰ってから調べて、そうかもしれないと思いましたね」
「過去に、FTMの人を好きになったこともありましたし」
「戸惑いはなかったです。私は、相手の性別が関係ない人なんだな、って思いました」
彼女を自慢したい
パートナーと付き合い始めて、今年で3年になる。
昨年から一緒に暮らし始め、いまでは、お互いを家族のように感じている。
「彼女は、見た目は美人なんですけど、中身はけっこうだらしなくて(笑)」
「お風呂に入らないまま寝ちゃうとか、化粧を落とさずに寝ちゃうとか・・・・・・」
「付き合ってから、何度『お風呂入って!』って言ったかわかりません(笑)」
パートナーと手をつないで歩いていると、視線を感じることがある。
170cm近い身長の女性2人が、手をつないで歩いていると、やはり目立つのだろう。
「そういうとき、私はむしろ『美人な彼女でしょ?』って、自慢したい気持ちになるんです」
「彼女は声が男性なので、電車でしゃべってると、ジロジロ見られることもあります」
「まあ見るでしょうね、という感じ。彼女も気にしてないですね」
10私らしい仕事
両親の反応
パンセクシュアルであることは、隠してもいないし、敢えてカミングアウトもしていない。
聞かれたら「そうだよ」と答えるだけだ。
「身近な人に言ったのは、たぶん母親が最初です」
「『いま付き合ってる人がいるんだよね』っていう話から始めたんですけど、その時点で、既にびっくりしてました(笑)」
「オカマみたいな人なんだよね、って言ったら、『それでもいいじゃない。あなたのことを好きになってくれる人がいたんだね』って言われました」
父にも「いま付き合ってる人がいるんだけど」「トランスジェンダーなんだよね」と話したが、特に驚いた様子はなかった。
「10代のときから、数々のびっくりを提供してきたから、もう動じないんですよ(笑)」
「父からは『性別は別にいいけど、どういう性格の子なの?』って聞かれましたね」
そのままでも素敵だよ
起業する前、自分の過去を一度振り返った。
自分が一番つらかったときに、一番してほしかったことは何だろう?
「私は、誰かから認められたかったんだなって思いました」
「体型や価値観など、全部含めて、『そのままでいいじゃん』って言ってほしかったんです」
「だから、『あなたはそのままでも素敵だよ』って言える仕事をしたいと思ったんですよね」
「パーソナルスタイリストは、相手のいいところをどんどん見つけて、肯定してあげられる仕事」
「私にぴったりの仕事を選んだな、って思ってます」
摂食障害や、引きこもりだった過去は消せない。
しかし、何かしら意味があって、自分はそういう経験をしたのだと感じている。
「苦しさを乗り越えてきたその経験を、誰かのために生かしたいんです」
「自分の経験をお話できる場に立つとか、スピーカー的な役割も、今後は果たしていきたいですね」
「いま悩んでいる人の、何かのきっかけになれるような活動をしたいと思います」
「あなたはすごく魅力的な人なんだよって、悩んでいるすべての人に伝えたいです」
過食症に苦しんでいたとき、母から「生きてるだけでいいんだから」とよく言われていた。
「自分はこんなにつらいんだぞ」とアピールするために、自傷行為の跡を見せつけたときも「生きていてくれればいいから」と言われた。
その言葉が、ようやく心に沁みたのは、親友の闘病に立ち会った後のこと。
ずいぶん、遠回りしてしまったなと思う。
誰かに認めてほしいともがいていたけど、母はずっと、私の存在を認めてくれていた。
「自分の顔が嫌だとか、太っているのが嫌だとか、誰しもコンプレックスや悩みを抱えていると思います」
「でも、そんなあなたのことを好きな人が、あなたの周りにいるっていうことは、知っていてほしい」
「それは、絶対に揺らがないから」