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97%の秘めた力でどんな悩みも乗り越えられる。【後編】

97%の秘めた力でどんな悩みも乗り越えられる。【前編】はこちら

2019/08/15/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Shintaro Makino
髙橋 博光 / Hiromitsu Takahashi

1965年、岩手県生まれ。小学4年生でブルース・リーに憧れ、通信教育で中国武術を学ぶ。高校卒業後、千葉真一率いるJACに入門、その後、香港で本場の武術を修行する。36歳のときに「マッスルミュージカル」に総合リーダーとして参加。超一流のパフォーマンスと前代未聞の演出が一世を風靡する。現在、治療院を経営しながら、「ハッスル☆︎マッスル」の構成・総合演出・プロデュースを務めている。

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INDEX
01 負けず嫌いは母譲り
02 修行僧のストイックな姿に感動
03 故郷を出てアクションの世界へ
04 ヒーローショーに見切りをつけて香港を目指す
05 本場の中国武術に入門
==================(後編)========================
06 天才プロデューサーとの出会い
07 伝説のイベントの総合リーダー
08 新たなチャレンジ、ハッスル☆︎マッスル
09 ショービジネスとLGBTの密接な関係
10 力の97%は、まだ残っている

06天才プロデューサーとの出会い

自己流のストレッチで筋肉断裂

日本初のフィットネスクラブ、エグザス青山がオープンし、その会員となった。

「ところが、自己流のストレッチをしているうちに、ハムストリングの筋肉断裂を起こしてしまったんです」

「なにしろ、伸ばすだけ伸ばすという無茶な考え方でしたからね(笑)」

25歳から3年間、思うように足が上がらないという大けがを負ってしまった。

「これをきっかけに治療やヨガなどの勉強を始めました」

自分で無理をして体を壊し、治療を受ける。振り返ってみれば、小学生のときから同じことをしていた。

その後、あん摩マッサージ指圧師の免許を取り、現在の治療院開設につなげている。

「自分自身で体験したから、人に的確なアドバイスができるのでしょうね。何事も前向きに考えていますよ(笑)」

テレビ番組出演が世界を広げる

1995年、新しいテレビ番組が世の中を席巻する。
TBSの「筋肉番付」だ。

「その後に『SASUKE』が始まって、一大ブームになりましたね」

体力自慢の出演者が数々の難所を乗り越えて進む、テレビゲーム感覚の構成が受け、「筋肉バラエティ」というジャンルを確立した。

「『SASUKE』に何度か出演するうちに、プロデューサーの樋口潮さんと知り合いました」

筋肉バラエティを成功させた樋口さんは、カリスマ的存在だった。

「尊敬する人物の一人です。情に厚く、男らしい人です。ビジネスにも天才的な嗅覚を持っていましたね」

「今も筋肉系の人気番組がありますけど、全部、樋口さんが当時作った作品のレガシーだと思っています」

鋭い才能と厳しさを持つ人との出会いが、新しい世界への扉を開いてくれた。

07伝説のイベントの総合リーダー

ラスベガスでのロングラン成功

2001年、伝説の「マッスルミュージカル」がスタートする。

「樋口さんがTBSで仕掛けて、その後、退社して事業化しました。最初の3年間は続くかどうか分からない状態でしたが、その後、大ブームになりました」

高さ3メートルの巨大な跳び箱や超高速腕立て伏せなど、それまでのミュージカルとはまったく違う発想と構成が人気を集めた。

「オリンピック選手やプロのアスリートが出演して、究極のパフォーマンスを繰り広げるんですからね。世界にも前例がない挑戦でした」

2004年、横浜の赤レンガ近くにマッスルシアターを常設したことが、ブームに拍車をかけた。

「日本のチームとして、初めてラスベガスでロングランを成功させたのもマッスルミュージカルでした」

全盛時は70人の団員が在籍。それだけで全員が食べていける、巨大な興行に成長した。

「ぼくは総合リーダーとして、フロントサイドとチームの取りまとめを担当していました」

「ジャパンツアー、専用シアター、ラスベガスと3つのチームを同時に回すんですからね。それは大変でした」

その世界では一家言ある強者たちが集まる混成チーム。取りまとめ役の苦労は計り知れなかった。

「年間360公演で常に9割のお客さんが入っていました。出演者のテンションも高かったですね」

千秋楽がない辛さ

ロングランを続ける難しさは、チームの内部に潜んでいた。

「常に100%のパフォーマンスをすることで成り立つ出しものなんですよ。それが永遠に続くわけですから、調整をするヤツらが出てくるんですよ(苦笑)」

プロ野球は年間140試合を6割勝てば優勝できる。ときには既定の負け試合もある。

「でも、マッスルミュージカルでは、常に全力を出すことが前提なんです。70%のヤツがいるとバランスが崩れてしまうんです」

ギリギリの力で挑戦する姿が大切なのに、緩い演技があると緊張感を削ぐ。もちろん、けがをする可能性も高くなる。

「千秋楽がないというのが、精神的につらかったですね。正直なところ、マンネリ感も出始めました」

年間に4、5回、演出を変えるが、それでも限界はあった。

横浜シアターの借地契約が切れ、2007年に渋谷に移転することになる。

「興行自体の人気は維持できていたんですが・・・・・・」

2011年の東日本大震災で公演のキャンセルが重なり、さらに施設の防災設備が問題となった。

渋谷区との話し合いがまとまらず、一時代を築いたマッスルミュージカルは2011年11月に緞帳を下ろした。

08新たなチャレンジ、ハッスル☆︎マッスル

スポンサー探しに奔走

自らの治療院を始めたのも、2011年だった。

「自分自身が何度もけがをして、それを克服してきました。失敗をした反省もあります。若い人にそれを教えてあげたいと思っています」

そして、2013年、「ハッスル☆︎マッスル」を立ち上げた。

「マッスルミュージカルは、日本の宝ですよ。それを休眠させたままにしておくのはもったいない」

貴重な経験を生かし、現在は年間10公演ほどの興行を行なっている。

「自分では、これまでのマッスルミュージカル以上の舞台をできていると思っています」

「パフォーマンスには絶対の自信がありますが、周囲の環境が以前とは違いますからね」

専用シアターがないので、練習時間がままならない。

「公演のたびに場所を探して、コストを捻出する必要があります」

現在はスポンサー探しに奔走する毎日だ。

営業の打ち合わせが入ると治療院を閉めなくてはならない。

「クライアントもステージを観てくれると、ゴロッと変わるんですよ。ただ、そこに連れ出すまでが大変で・・・・・・」

すでに全米ツアーのオファーもきている。

「IR法案もきっとプラスになるはずです。どこかで化けると信じて頑張るだけです」

子どもたちに何かを残したい

同時に進めているのが、「子供元気計画」だ。

「ショーの第一部に、開催地の子どもたちが発表する場を提供しています」

次の世代に何を残せるか、それが大人たちの使命だと思っている。

「才能あるキッズがたくさんいるんですよ。彼らに進む道を切り拓く手伝いをしてあげたいですね」

「大それたことをしなくても、一人が一本の小さな道を拓けば、それが積み重なって大きな希望になるはずです」

金儲けのことばかり考えれば、その先にあるのは失敗しかない。

「実は、2歳になる子どもがいるんですよ。自分が親になったら、すべての子どもがかわいく見えてきて(笑)」

キッズを主役にした、コンテスト形式のステージを検討している。

「優勝者にはニューヨークに短期留学できるとかね。そんな夢のある企画をしてみたいですね」

子どもたちにこそ最高の指導者が必要

もうひとつの信念が、子どもたちに最高のものを見せたいという気持ちだ。

「子どもにはトップのものを見せて、トップの指導をしなければいけません」

初心者には、経験の乏しい指導者が教える。それが日本の指導法だ。

「それじゃ、ダメなんです。初心者にこそトップの指導者が必要なんです」

「最高の動きを見て感動する。それが前進するエネルギーになるはずです。悪い動きがお手本でも、それが目標になってしまう」

公演も同じだ。地方だからといって、少しでもレベルを落とすのは許せない。

「常に東京でやるのと同じパフォーマンスを要求しています」

しかし、それが難しいことも承知している。

「莫大な費用がかかる仕事ですからね。でも、目標を変えるつもりはありません」

09ショービジネスとLGBTの密接な関係

ニューヨークで知ったゲイ的なダンス

応援しているのはキッズだけではない。

「ダンサーには、LGBTの人たちがけっこう多いんですよ」

マッスルミュージカルでラスベガス公演をしているころ、休みができるとよくニューヨークのダンススクールでレッスンを受けた。

「ニューヨークには『ブロードウエイ・ダンス・センター』と『ステップス』という有名なスクールがあるんですが、ぼくは『エイリー』というスタジオのモダンダンスが好きで、よくそこに習いにいっていました」

ニューヨークには、性別を超えた繊細なダンスの表現があった。

「最初、見たときは、あの女っぽい踊りは何だ? と、ビックリしました」

しかし、しばらくその世界に身を置くと、ゲイのダンサーが多いことに気がついた。

「繊細な世界観というんですかね。逆にゲイでないと、あの独特なセクシーな動きはできないと感じました」

当時、本場の動きに比べると、日本の踊りは単なるジャズダンス。かつてのベースボールと野球ほどの差があると感じた。

「ぼくが大好きなボブ・フォッシーという振付師が作る世界も、ジェンダーを超えた美しさがあります」

LGBTの団員たち

ハッスル☆マッスルにもLGBTの団員がいる。

「妃羽理(ひばり)は、『最強のニューハーフ』をキャッチフレーズにしています」

「SASUKE」にも一緒に出演した、つき合いの長いダンサーだ。昔から、ペアを組んで踊ることが多かった。

「彼女は伊賀に伝わる忍術の正統継承者に認定された、本物の忍者なんです。ハッスル☆マッスルの公演には欠かせない存在です」

同じく団員の一ノ瀬文香は、以前、同性婚を公表して話題になった。

MAGU(マグ)はFTMですしね。でも、LGBTだからといって、特別扱いをすることは、もちろんありません」

体を張った演技で舞台に立つ姿は、FTMの憧れでもある。

ハンデを乗り越える努力が必要

LGBTは肉体的、精神的なハンデを背負って生きていることが少なくない。

「彼ら、彼女たちは乗り越えなければいけない何かがありますよね」

世間から注がれる差別の視線は、ゼロにはならない。

「それを克服しながらショービジネスの世界で成功するのは、ストレートの人の数倍の努力が必要だと思います」

FTMであっても、男と同じ力や動きのスピードが要求される。そのうえで、自分らしさを表現するのは、さらにハードルが高い。

「これまでに、何人もマイノリティと言われる人たちと仕事をしてきました。基本的に真面目な人、努力家が多い印象ですね」

「ステージの上では、LGBTであることは関係がありません。あえてそれを出す必要もないでしょう」

観客の前では、パフォーマンスがすべて。

平等な関係で自分の力を披露することが要求される。

10 力の97%は、まだ残っている

中国雑技団の底力

元中国雑技団の大御所が団員にいる。

「彼らの体力って、日本人の常識から外れているんですよ」

たとえば、朝、10キロのロードワークをしてから、なんと1時間の倒立を行う。

「1時間ですよ。普通は2、3分が精一杯でしょ。しかも、倒立したまま、朝ごはんまで食べちゃう(笑)」

「つまり、人間というのは、そのくらいのことができる力を持っているということです」

「逆にいえば、多くの人はまだ3%くらいの力しか出していないということです」

辛いことがあっても、苦しい場面に立たされても、残り97%の力があると思えば、乗り切ることができる。

「人間の悩みなんて小さいものですよ。そう考えれば、笑ってやり過ごせるでしょ。自分で限界を作っちゃダメですよ」

今、ハッスル☆マッスルは正念場を迎えている。

「演出、構成、チケット販売、ホール手配など、すべて一人でやっています。規模が大きくなってきて、今が一番きついですね」

「ハムストリングの筋肉を切ったときよりもつらい(笑)」

それでも、笑って取り組めるのは、自分がまだ発揮していない97%の力を信じているからだ。

比叡山大本堂前での公演が大目標

一昨年、母親が亡くなった。

丈夫な体に生んでくれ、わがままを許してくれた母親だった。

「仕事で沖縄にいるときに、容態が悪化したという知らせを受けたんです」

なんとかその日の最終便の飛行機に飛び乗り、北海道にいた姉と羽田空港で落ち合った。

「レンタカーを飛ばして岩手に向かったんですが、その途中で息を引き取ったという知らせが入りました」

初めて肉親を亡くしたため、どうしていいか分からない。

「後輩のツテで紹介してもらった僧侶が、なんとあの尊敬する大阿闍梨のお供をしていた人だったんですよ」

まさに、逝った母親が導いてくれた縁だった。

「それをきっかけに比叡山と関わりを持つことができました」

それ以来、お参りを重ねている。

「精神世界っていうんですか、改めて共感を受ける体験ばかりです」

そして、交渉の末、比叡山大本堂の前で公演をする許可を得ることができた。

「子どもたちに感動を届けたいという思いを理解してもらえました」

万全の準備をして、そのイベントを成功させるのが目標だ。

尊敬すべき沖縄の喜劇女優

沖縄では、素晴らしい人に出会った。

「沖縄喜劇の女王と呼ばれている、仲田幸子さんという人です」

芸歴70年、85歳という大ベテランだ。

「何がすごいって、1年365日、1日も休まずに70年間、芝居をやり続けているんですよ」

戦後の沖縄。特殊な社会を喜劇で生き抜いてきたレジェンドだ。

「仲田さんを見ていると、自分が小さく見えてくるんですよ」

見習うべきものを持っている人は、まだまだたくさんいる。

「仲田さんの最後のステージは、ぼくが演出するということを決めてきちゃいました(笑)」

陸上のアスリートは記録を0.1秒縮めるのに何年もかかることがある。

「自分を1ミリ成長させるのは、大変なことなんです。つらい顔なんかしていたら、何もできませんよ」

つらいことを乗り越えれば、またつらいことがやってくる。
でも、それでいい。

「99%笑顔。そうすれば、次の笑顔がやってくんです」

人生の応援団長は、自らお手本を披露しながら、今日も驀進を続ける。

あとがき
とにかく元気が出る。すごい活力に溢れている。語る内容?手振り身振り?インタビュー後には、運動してすっかり汗をかいたような、爽快感を得た。それは、髙橋博光さんだ■才能がある人は、あたかも生まれながらに素質があったような、もしくは運がいいように言われることがある。でも、髙橋さんといるとそれだけか? と。人並みの何倍もの行動と努力ができるから、凡人にはかなうわけがない。潔く、自分を凡人認定したくなる(笑)。(編集部)

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