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彼と養子縁組して良かった。家族の安心感があるから。【後編】

彼と養子縁組して良かった。家族の安心感があるから。【前編】はこちら

2019/07/24/Wed
Photo : Ikuko Ishida Text : Ryosuke Aritake
宮田 大 / Dai Miyata

1967年、熊本県生まれ。生まれながらに聴覚に障害があるが、小学校から高校にかけて健聴者と同じ学校に通う。中学卒業後、昼は調理師専門学校、夜は定時制高校という生活を送り、19歳で上京。料亭で8年間修業した後、一度熊本に戻り、33歳の時に再び上京。現在は、養子縁組をした11歳下の男性パートナーと生活を送りながら、趣味の自転車競技に精を出している。

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INDEX
01 あらゆる面で支えてくれた家族
02 不満も悩みもない平穏な小学生時代
03 ただただ走ることに夢中だった少年
04 「家を継ぐ」という確固たる未来
05 知りたい自分のセクシュアリティ
==================(後編)========================
06 理想的な結婚とゲイとしての自覚
07 居心地のいい場所と関係
08 大切な人と “家族” になること
09 ありのままを認めてくれる環境
10 当たり前に抱ける夢と未来

06理想的な結婚とゲイとしての自覚

芯の強い結婚相手

27歳で東京での料理修行の日々を終え、実家がある熊本に戻った。

その2年後、友だちの紹介で、1人の女性と知り合う。

「その女性も、自分と同じで耳が聞こえなくて、手話を使わずに口でしゃべる人でした」

「そして、意志の強い女性だったんです」

共通点が多く、芯の通った女性。
結婚するならこの人だ、と思った。

「いずれは誰かと結婚するだろう、とは思ってました」

「まだケータイがなかったし、ゲイに関する情報も得られてなかったんです」

29歳で結婚し、夫婦生活をスタートした。

ゲイというセクシュアリティ

結婚してから時が経ち、携帯電話が普及し始めた。

携帯電話を購入し、ウェブサービスが自由に使えるようになる。

ふと、いままで抱いていた違和感を解消してみたくなった。

「小学生の頃から男性に興味があったので、この気持ちは何なのかなって」

「確か『ホモ』って打ち込んで、検索したと思います」

ウェブ上には「ゲイ」という言葉が出てきて、セクシュアリティについて詳しく書かれていた。

この時に、自分もゲイなのだ、と気づかされた。

「自分に対して、否定的な感情は出てこなかったです」

「むしろ、興味の方が強かった。自分が経験してこなかったことをこれから経験したい、って強く思うようになりました」

「同時に、結婚は失敗だったかな、って思っちゃったんです」

選ぶしかなかった別れ

「人生で初めてのカミングアウトは、当時の妻だったと思います」

「『男性に興味がある』って、正直に伝えました」

「妻からは『理解はできるけど、そんなあなたと一緒に生活するのは難しい』って、言われました」

妻は、「恋愛や性の対象は自分であってほしいからこそ、このまま一緒にはいられない」という気持ちだったようだ。

2人の間に、子どもはいなかった。

3年間の結婚生活に、終止符を打つ。

「妻に対して、申し訳ないな、って気持ちはありました」

強くてやさしい彼女は、離婚後も友だちでいてくれた。

家族や親戚には、離婚の理由を「互いの考え方にズレがあったから」と、告げた。

07居心地のいい場所と関係

自分探しの上京

離婚してすぐ、33歳で再び上京する。

「離婚する時に妻と交わした条件が、『もう1回東京に行く』だったんです」

彼女が「本当の自分を見つけてきなさい」と、背中を押してくれた。

「上京してからも、彼女とは友だちとして、しばらくメールをしてました」

東京に戻るきっかけをくれた彼女には、感謝している。

ようやく新宿二丁目を見つけ出すことができ、ゲイの文化に触れられた。

ゲイ専用の出会い系サイトで、同じセクシュアリティの男性に出会うこともできた。

男性の恋人

出会い系サイトで出会った男性と、交際が始まる。

「初めて男性とつき合って、やっぱり自分はゲイなんだな、って改めて気づきましたね」

「でも、つき合い始めた頃は、ゲイであることは隠したい、って思ってました」

ある日、出会い系サイトで、11歳下の男性と出会う。

当時の自分は34歳で、彼は23歳。

「自分には恋人がいたから、彼とは友だちとして知り合った感じでした」

「知り合ってすぐに、『泊まらせてほしい』みたいなことを言われたんです」

年下の友だちと見ていたため、断る理由もなく、1人暮らしの家に招いた。

「ひと晩だけのことかと思いきや、彼はそのまま生活し始めたんです(笑)」

「彼からアタックされるようになって、好きになっていったんですよね」

つき合っていた恋人と別れ、年下の彼との正式な交際が始まった。

オープンな彼の影響

20代半ばだった彼は、子どもっぽいところがあり、かわいかった。

「あと、とにかく愛が強くて、自分が受け入れたような感じでした」

これまでは芯が強い人に憧れてきたが、年下の彼は少し違うタイプかもしれない。

「自分が世話しないといけない、と思わせるところがあって、今もそのまま続いてる感じです(笑)」

2人の関係は、現在に至るまで16年間続いている。

「彼とつき合い始めた頃も、周りの人に2人の関係は隠そうとしてました」

「でも、彼がオープンなので、その影響もあって自分も変わっていきました」

ストレートの友だちに「ゲイなんだ」と話すと、「あ、そう」で終わることが多かった。

「『ゲイって気持ち悪い』なんて言われることは、ほとんどなかったです」

「徐々に、隠さなくてもいいんだ、って思えるようになりました」

今は、友だちや知り合いのほとんどに伝えている。

「今勤めている会社もLGBTフレンドリーを掲げたので、上司にもカミングアウトしました」

「変に隠すよりオープンにした方が、理解が広まるのかな、って思ってます」

08大切な人と “家族” になること

「養子縁組」という方法

つき合い始めて数カ月が経つ頃、2人の関係に変化が訪れる。

・・・・・・というより、訪れさせた。

「たまたま読んでいたゲイ雑誌に、『パートナーと家族になるには養子縁組を使う方法がある』って、書いてあったんです」

彼に「養子縁組したい」と話をされて、「ちょっと考えていい?」と、返した。

「彼と家族になりたい、って気持ちが強かったです」

実は、初めて彼と会う日にこんなことがあった。

テレビ番組の占いで、「今日、運命の人に会います」と、言っていたのだ。

「その日の夜に、初めて彼と会ったので、この人なのかなって(笑)」

その後、自分は「養子縁組しよう」と、彼の申し出を受け入れた。

「知り合って9カ月目のことなので、スピード婚って感じですね(笑)」

「大切な人と家族になることが大事、って思いました」

「法的に家族扱いになれば、もし緊急入院した時にも面会できるから」

彼と養子縁組すると、ろう者のゲイカップルから手続き方法などを聞かれた。

「なんで聞くんだろう、と思ったら、彼らが結婚式を挙げたので、縁組したのかなって」

ケンカで負けない精神

関係が長く続いている秘訣は、よくわからない。

「一度だけ、別れたんですよ。籍は抜いてないけど、ちょっと距離を置いたことがあって」

以前は、ケンカが絶えなかった。

「自分は気が弱かったので、彼から一方的に意見を言われるような感じだったんです」

その状況が嫌で、一度離れることを決意。

1人になると気持ちが落ち着き、精神的に強くなれたような気がした。

「再び一緒に住み始めてからは、気が強くなって、自分の意見を言えるようになりました」

「ケンカしても負けないようになって、関係も対等になれたと思います(笑)」

互いに意見を言い合えるようになり、ケンカの頻度も減ったように感じる。

「今は、一緒にいることが当たり前みたいな感じです」

「だから、関係を長く続けよう、ってことも意識はしてないですね」

09ありのままを認めてくれる環境

「彼と一緒に過ごしていいよ」

妻との離婚の直前、妹に「男性に興味がある」と、カミングアウトした。

「妹の最初の言葉は、『あ、やっぱりね』でした(苦笑)」

その数年後、親戚に打ち明けた時も「やっぱりね」と、言われた。

「仕草がちょっと女性っぽかったのかな。なんでそう思われたのか、わからないけど(苦笑)」

両親には、直接打ち明けてはいない。

「彼とつき合い始めた頃に、一緒に実家に帰った時も、具体的な話はしませんでした」

母に「彼と一緒にいるつもりだよ」とは、伝えたと思う。

「その後、1人で実家に帰った時に、母から『今後の人生、彼と一緒に過ごしていいよ』みたいに言われたんです」

どうやら、妹から母に話は伝わっていたようだ。

両親にも、彼と養子縁組したことを告げた。

「妹には、4人の子どもがいるんです。だから両親は、孫がいなくて寂しい、とは思っていないと思いたいですね(苦笑)」

彼と養子縁組をして10年が経つタイミングで、友だちを招いてパーティーを開いた。

「その時に、サプライズで姪っ子からのお祝いメッセージが流れたんです」

自分に内緒で、彼が姪っ子と連絡を取り、用意してくれていたらしい。

「『おめでとう。お幸せに』って内容で、感動しちゃいました」

息子ではなくパートナー

36歳の時、それまで続けていた料理の仕事を辞め、大手航空会社のグループ企業に転職した。

「退職されたOBの方が、社内の行事に参加する際に、案内をする仕事です」

「もう15年ぐらい、勤めてます」

入社する時には彼と養子縁組していたため、「息子がいる」と、報告した。

「11歳しか離れてないから、人事部の人も疑問に思ったみたいだけど『まあいいか』って(笑)」

家族として、福利厚生の制度を使うことができた。

ただし、息子として。パートナーとしては、当然認められない。

「2年前から、会社がLGBTフレンドリーを掲げて、制度の見直しが始まりました」

「そのタイミングで、会社にもはっきりカミングアウトしたんです」

「息子ではなくパートナーだ」と話すと、すんなり認められた。

今後は、パートナーとして、福利厚生の制度が使えるようになると思う。

「今年の東京レインボープライドに会社がブースを出して、自分もお手伝いしました」

職場でも家庭でも、普通に生活を送れていることが幸せ。

10当たり前に抱ける夢と未来

練習の末につかんだ金メダル

趣味は、自転車競技。

「20歳の時に、ボクシングを始めたんです」

「2年間頑張ったんですけど、『耳が聞こえないと危ないから、プロは無理』と、言われてしまったんです」

ボクシングを諦めざるを得ない時、トライアスロンの本がたまたま目に飛び込んできた。

「新しいものに挑戦したい気持ちがあったから、始めてみようかなって」

「でも、最初は25mも泳げなかったんです(笑)」

24歳から水泳、自転車、マラソンの練習を始め、26歳の時に初めて大会に参加。

「練習すれば達成できるってことは、今までの経験から知ってるんで」

学生の頃は野球に精を出し、ホームランが打てるまでに成長できた。

ある時、友だちからデフリンピック(聴覚障害者を対象とした総合競技大会)があることを教えてもらい、「自転車で出ない?」と、誘われた。

「そこから、自転車競技をメインにしていきました」

「2018年8月には、パリで開かれたゲイゲームズ(同性愛者を対象とした総合競技大会)にも、自転車競技で参加しました」

「世界各国から選手が集まる大会で、金メダルと銀メダルを取ることができたんです」

練習によって、自分をいじめ抜くことが好きなのかもしれない。

「Mなのかな(笑)」

「憧れていた王貞治さんも努力家だから、その影響は大きいと思います」

夢実現のための一歩

いつかは、大勢の日本人選手と一緒に、ゲイゲームズに出場したい。

「2018年の大会に、台湾や香港、タイからは100人ぐらい参加してたんです」

「同じアジア圏でも、日本人選手は8人しかいなくて、寂しかったですね」

第11回目となる2022年の香港大会にも、参加するつもりだ。

「歴史がある大会なので、きちんと参加したいし、参加者も増やしたいです」

「でも、日本には取りまとめる団体がないから、自分が立ち上げたいな、と思ってます」

国内各地のレインボーパレードなどで、PR活動を始めている。

「来年の東京レインボープライドでは、ブースも作りたいって考えてます」

新たなチャレンジは、まだまだ続いていきそうだ。

「自転車は、80歳になっても続けていきたいですね」

特別じゃない日々

「去年のゲイゲームズには、車いすに乗った選手も参加していました」

「その姿を見て勇気をもらえたから、自分も誰かに勇気をあげたいです」

聴覚障害があり、ゲイである自分は、人からはマイノリティの中のマイノリティと見えるだろう。

しかし、自分自身はそれが当たり前のこととして生きてきて、不便さも感じていない。

「耳が聞こえないとかゲイとか関係なく、人として平等につき合っていけるのがいいと思います」

「認めてくれない会社や人もいると思うけど、こちらがオープンにしていけば、考えを変えてくれる人は増えていくんじゃないかな」

16年間連れ添っている彼との生活も、特別なものではない。

「料理は僕がやって、洗濯は彼がやって、掃除はお互いに、って分担してます」

「彼はごはんをキレイに食べてくれるから、作りがいがあるんです」

「僕の器に米粒がついてるだけで、『残ってるよ』って、指摘されます(笑)」

養子縁組という形を、積極的に勧めるつもりはない。

養子縁組でも同性婚でも事実婚でも、それぞれのカップルのやり方でいいと思う。

「でも、僕は養子縁組して良かった、って思ってます」

「家族なんだな、って安心感があるから」

あとがき
人を愛するとは、器を磨くこと。そう感じた大さんのライフストーリー。 イライラしたり、忙しなく過ごす大さんは、想像がつかない。それは、ストレスを溜めない過ごし方にもあるのかな? 楽しみを見つけるのも上手だ■パートナーと結んだ養子縁組。まだ同性婚が認められていない日本で家族になる方法だった。家族であることの安心感は、大さんの笑顔が語っていた。自分が選べるところから最善とおもう選択ができたらいい。その選択肢が偏りなく、ひらけていたらいい。 (編集部)

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