02 おばあちゃんからの「鉄槌」
03 自分の机がない
04 キスの現場を目撃されて
05 カミングアウトの上で結婚
==================(後編)========================
06 壮絶なDV
07 子どもを授かったことは自分の責任
08 「ママパパ」と呼ばれて
09 FTMの看護師
10 LGBTQ当事者は少数派じゃない
06壮絶なDV

家族の金銭事情は関係なし!?
結婚した夫は、モラルハラスメントやDVのひどい人だった。
「1人目の妊娠中から態度が変わりましたね。九州男児だから男尊女卑の固定観念が強いとか、そういうレベルではありませんでした」
たとえば金銭面では、4人家族なのにもかかわらず家には毎月6万円しか入れてくれなかった。
「雑誌に、4人家族で食費が25,000円だっていう記事が載っていて。それなら、さすがに25,000円は難しくても、6万円もあれば諸々賄えるだろう、って言われたんです」
「夫は、自分の稼ぎは自分のもので、家族には関係ない、って」
「夫の収入額は、調停離婚の裁判のときに初めて知りました」
食費以外の支払いを含めたら、6万円で足りるわけがない。
「『子どもの上履きが必要なんです、お金をください』って言ったら『なんで今月お金が足りなかったのか、レポートを書いて提出しろ』って」
自分が悪いこと、なぜお金が足りなかったのかを事細かく書かせたレポートの提出は、結局毎月「提出」することに。
「追い詰められすぎて、100%自分が悪いんだ、って洗脳されてました・・・・・・」
実家からの支援
金欠のなかで、自分にお金をかける余裕は一切なかった。
「自分の髪や身なりのことは後回しでした」
「実家に帰ったときには、親が自分の姿を見て『そんなに稼ぎがないの!?』って驚いて、服を一式買いそろえてくれました」
2人目を妊娠したときには、妊娠7カ月目のころに実家に帰らされた。
「妊娠中も満足にご飯が食べられなかったから、妊娠後期になってもお腹だけ出てるけど、全体的にはやせてたんです。親からは『前から見たらそんなにお腹が大きかったなんて気づかなかった』って言われました」
実家で過ごしている間にも、夫から時折意味不明の連絡がきた。
「『お前がいなくてさびしいから、パチンコで20万使った。だから20万円返せ』っていう話をスピーカーにして電話してたら、親がどういうこと!? って聞いてきて。冗談だよ、って言ってその場はやり過ごしましたけど」
「北海道に旅行に行ってます、って手紙も届きました」
その一方で、自分の貯金で出産費用を賄わなければならなかったため、どうしても2万円足りず、親に借りた。
そのとき、さすがに親も「娘の夫はおかしい」と気づいた。
「それからは、実家から野菜とかたくさん送ってくれるようになりました」
07子どもを授かったことは自分の責任
呪縛からの解放
2人目の子どもが幼稚園に入園してから、仕事を再開した。
「職場で自分の家のことや夫のことを話したら、それっておかしいよ、って言われて。自分でも『ウチっておかしいのかな!?』ってだんだん気づき始めました」
離婚を決断した決定的な出来事は、夫が長男を殴ったことだった。
「長男が私をかばって『やめて』って夫に言ったんです。それまでは言い返したら怖いから子どもたちも黙ってたんですけど・・・・・・」
粘着質な夫とすんなり離婚できるわけもなく、調停離婚の裁判は最高裁までもつれ込み、期間は7年にも及んだ。
「夫から長男に暴力が振るわれたことが児童心理士の鑑定で証明されて、夫は子どもと面会禁止になりました」
「いまは子どもたちが成人してるので面会可能です。長男は元夫に会ってあげて『人間、変わらないね』って言ってましたね。次男は会いたくないって言ってます」
時々、元夫から子どもたち宛に手紙が来たが、その中身も不思議だった。
「子どもの名前が書きかえられてるだけで、内容がまるっきり一緒だったんです。子どもたちも『俺たちのこと、あんまりおもってくれてないんだな』って言ってましたね」
わがままは通らない
結婚したことはいまでも後悔している。でも、子どもを授かったことは後悔していない。
「子どもをつくったことは自分の責任。『自分の性自認は男だから子どもを受け入れられない』ってのは、わがままだと思います」
2人の息子たちは立派な大人に育ってくれた。
「私の子どもなのに、よくあんなにいい子たちになったな、って」
「子どもたちがいなかったら、いまの自分はいません。子どもたちが私を助けてくれました」
子どもたちは、私への反抗期がなかった。
「長男が次男の母親代わりになってたので、次男から長男に対する反抗期はあったみたいです」
大人になった子どもたちは、2人とも看護師になった。
「看護師は心身がきつい仕事だから絶対にやめておけ、って言ってたんですけどね(苦笑)」
幼少期に身体が弱かった次男は、病室のベッドで目が覚めたときに、熱心に仕事をしている看護師の姿を見て憧れたのだという。
「でも実際に看護学校に通い始めたときには『つらいからやめたい』って言ってましたけどね(笑)」
08「ママパパ」と呼ばれて

ママなのか、パパなのか
元夫は転勤族だったので、北九州だけでなく神奈川や仙台などに住んでいた時期もある。
「神奈川にいたころは、ママ友からは『ママパパ』って呼ばれてました」
子どもたちの「ママ」だが、周りの友だちにはパパに見えるからそう呼ばれていたのだと思う。
「いまでもそのころのママ友とは連絡を取り合ってます」
保護者仲間から自然と受け入れてもらえることもあれば、いろいろと噂されることもあった。
「あの家はゲイカップルなんじゃないか? って言われたこともありました。いまなら子どものいるゲイカップルもいるかもしれませんけど、2000年代じゃまだいませんよね」
「ママ」として振る舞うべき?
子どもたちのために “女性らしいママ” を演じたほうがいいか、考えたこともある。
「子どもたちも本当は、ママ友みたいな女性らしいお母さんのほうがよかったと思うんですよね・・・・・・」
「子どもが生まれて初めての入学式のときには、レディースの服で参加しました。でもそれ以降はネクタイを締めてました」
子どもたちに直接たずねたこともある。
「洋服売り場で、レディースかメンズ、どっちの服がいい? って聞いたんです。そうしたら、メンズのほうがいいって」
「授業参観のときには、ウィッグを被ってレディースの服で行こうか? って何度も聞きました」
実は、いつでも対応できるようにレディース用のウィッグも、当時は用意していた。
「でも似合わなかったですね(苦笑)。子どもも大爆笑してました」
子どもが高校生になるころには、状況を楽しむ余裕が出てきた。
「子どもの付き添いで病院に行ったとき、子どもが病院のスタッフに『お父さん、お若いですね』と言われて『お母さんです』と答えたら、スタッフみんなが私のことを凝視してました」
でも、実は子どもたちに「正式」なカミングアウトはしていない。
「彼女がいることはバレてますけどね(笑)。でも『死ぬまでに男になりたい』と言ったことはあります」
09 FTMの看護師
FTMの当事者として、現場を切り拓く
男性の看護師として働き始めたのは、大規模な病院の救急病棟に勤めていたときからだ。
「最初は女性用の白衣を着用してたんですけど、新しい上司がLGBTQにすごく関心のある人で、私に『どうしたらいいかな?』って聞いてくれたんです」
男性用の白衣を着用したい、と答えたところ「いまから一緒に行こう!」と上にかけ合ってくれた。
「院長先生はすごく理解がある人で『なんで男性用の白衣を着用できないの? 時代錯誤でしょう』って言ってくれて。3日後には男性用の白衣を着られるようになりました」
フリーランスの看護師として全国各地に派遣されるようになった現在でも、派遣元の会社が自分のセクシュアリティのことを先方に伝えてくれている。
「いままでにセクシュアリティが理由で断れたことは1件しかないですね。そのときは『前例がないから』って断られたんですけど、じゃあ前例作ろうよ! って思ったんですけどね」
FTM当事者として病院の現場で求められること
FTM当事者が病院で働く環境を切り開くことだけが、自分の役割ではない。
「救急の現場で働いてた当時は、トランスジェンダー当事者の患者さんが運ばれてきたとき、私が窓口になりました」
患者から話を聞いて、看護師長らとどう対応するかを相談して進めていった。
「個室を選ぶ場合は、減額措置を受けられる場合もあるので、その交渉役になることもあります」
実際、自分がトランスジェンダー当事者の患者として、病院で対応を受けたこともある。
「私が1カ月入院したときには個室の病室が用意されたんですけど、ベッド代が1ヶ月で40万円もかかったんです! ほかの患者さんには、そういうことはできるだけ避けてあげたいです」
病院で困っているのはトランスジェンダー当事者だけではない。
患者との関係が法的な親族ではないパートナーが来院したときも、私の出番だ。
「家族じゃないと病状説明を受けられないんで『ご親族のかたですよね??』って、話がうまく運ぶように、こっちからパートナーさんに圧をかけてます(笑)」
LGBTQ当事者が病院で過ごしやすくなるなら、私はなんでもする。
「職場環境のことでいえば、私のことを陰で噂するくらいなら、直接聞いてほしいですね」
10 LGBTQ当事者は少数派じゃない

子どものうちから知ってもらう重要性
以前、LGBTQに関する無料相談所を開いていたが、その際に「初めてLGBTQ当事者を見た」と言われることが少なくなかった。
「絶対にそんなはずはないのに、なんでそんな言葉が出てくるんだろう? って考えたんです」
「男の子は、将来女の子と結婚する」など、子どものころからシスジェンダー・ヘテロセクシュアルの価値観を刷り込まれているからではないか、と思い至った。
「だから小学校教育を徹底すべきだと思うんです」
いまでは小学校高学年になればLGBTQの存在について触れられるようになったが、もっと前から学ぶ必要がある。
「子どもたち向けに講演会を開きたいんですけど、現状ではなかなか呼んでもらえないので、法人格を得るために現在準備中です」
子どもが相談できる居場所づくり
看護師の仕事を引退したら、LGBTQ当事者の居場所となるお店を開きたいと思っていたが、予定を前倒しして数年前にバーを開店した。
「コロナ禍のあとに空き店舗が増えたので、チャンスがあるうちに、って始めました」
北九州でも田舎に行けば行くほど、LGBTQへの差別や偏見はまだまだ根強いと感じるできごとがあった。
「お店を始めようと思ったときにも、地元の商工会からLGBTフレンドリーと掲げることを渋られたんです」
思わぬ体験もあったが、どうにかバーOPNEにこぎつけた。
生まれそだった場所で目指すこと
以前、中学生から来店したいと相談されたため「夜10時まで、保護者が送迎すること」を条件に受け入れた。
「お客さんには、その子がいる間は夜の大人の話はダメだよ! って事前に注意しておきました(笑)」
子育て経験のあるLGBTQ当事者が開くお店で、連絡先などをちゃんと開示していれば、保護者も安心して子どもを預けたり、相談したりできるだろう。
「子どもが少しでも悩みを話せる場所があったら『自分がLGBTQでもおかしくないんだ』って思えるようになると思うんです」
「LGBTQ当事者の私が『齢をとっても、ちゃんと仕事をして幸せに生活してるよ』って発信することで、北九州を自由な都市にしていきたいです」