02 いろいろできる子だったけれど
03 文武両道
04 大切な人を守りたい
05 「かわいかったなら、いいじゃん」
==================(後編)========================
06 すぐに後期研修医とならずに
07 周りとコミュニケーションを取りたい
08 性自認と、実際の生活
09 「鈍感力」を磨く
10 いつかパートナーとともに
01クールな子ども

子どもながらに気遣いを
4人家族の長女として生まれる。出生地はお父さんの実家のある名古屋だ。
「小学校に上がるまでは、東京の小金井市というところに住んでましたが、お父さんが転勤族だったので、おばあちゃん家のある名古屋と東京を行ったり来たりしてました」
いまでは、職場で同僚から「名大医学部卒とは思えない」と肯定的に言われるほどのいじられキャラだ。
しかし、子どものときから愛くるしいキャラクターだったわけではない。
「小さいころから言いたいことを言っちゃいけないんだ、っ思って育ちました」
自分の気持ちを抑える冷めた人物として、家でも外でも振る舞っていた。
「家族でケーキを食べるときに、自分用にカットしてもらったケーキが横に倒れても全然泣きませんでした。子どもなのに」
「◯◯しなさい!」がない
お父さんは、転勤族としてあちこちに赴任して忙しく過ごしていたが、忙しい合間をぬって私に接してくれたやさしい姿を覚えている。
「私が小学校高学年のときにソフトボールを習ってたんですけど、お父さんは野球をやってたので、コーチとして一緒についてきてくれました」
「小さいうちは、家族旅行にも何度か行きましたね」
「『これをしなさい』って言われた記憶はないんですけど、『弱い者いじめは、カッコ悪いからしちゃダメだ』ってことだけは言われてました」
「普段、お父さんはそんなにしゃべらなかったんですけど、名古屋に帰るとおばあちゃんやおばさんと、冗談を言いながら明るく話していた記憶があります」
お母さんもあまり口数が多いタイプではないが、やさしさを受け取った記憶がある。
「家事もしてくれてましたし、友だちを家に上げることも歓迎してくれました」
「小さいころからずっと、勉強しなさい! って怒られた記憶がないんですよね」
「いまでも定期的に会ってます。都内で集まって、家族みんなでご飯を食べたり」
02いろいろできる子だったけれど
4月生まれを生かして
小学校進学を機に、お父さんの地元である名古屋市に引っ越す。
年齢が低ければ低いほど、4月生まれは周囲に比べて成長が進んでいて有利に働くことがある。
4月生まれである私自身も例外ではなかった。
「小さいころから身長が高めで、スポーツも好きで、勉強もできるほうでした」
「小学校に上がる前から、大人から算数を教えてもらったりしてました。勉強はあんまり苦ではありませんでしたね」
クラスのリーダーとまではいかないものの、みんなを引っ張っていく立場として、分け隔てなく遊んでいた。
引っ越しで一変
小学校4年生のときに、慣れ親しんだ名古屋から東京へ転校する。
「東京に行きたくない、って東京行きの新幹線で泣いてた記憶がありますね・・・・・・」
転校先では、よそ者として周囲からいじめを受けてしまう。
「イントネーションがおかしい、って上の学年の男子に目を付けられて、けられたりしたこともありました」
「5、6年生になってからは友だちも少しできたんですけど、友だちとの間でトラブルがあったときに、かなりきつく言ってしまったこともありましたね・・・・・・」
家や学校での生活で自分を抑圧し続け、鬱々とした気持ちがたまっていたのかもしれない。
03文武両道

バスケに明け暮れて
中学は、現役東大生も数多く輩出している中高一貫の女子校に進学する。
「小学生のころは勉強がわりと好きだったので、地元の中学に進学するんじゃなくて中学受験したい、って思ったんです」
中学校3年間は、バスケットボール部に所属した。
「運動神経がいいっていう自覚はないんですけど、いろいろなスポーツをやっていてすごいね! って言われたことはあります」
バスケットボールに打ち込むあまり、ストイックすぎる生活を送っていた。
「毎日じゃないですけど、朝練、昼練、午後練のあと、自主的に2時間くらい走り込んでました。筋トレ的な感覚だったと思うんですけど、そのころ精神的には荒れてたので、自分をいじめてたのかもしれないですね」
「家のごはんでも、ささみばかり食べてました」
部活動だけでなく、勉強にも目一杯励み、息抜きの時間をつくらなかった。
「宿題以外に家でも自主学習してたんですけど、机に突っ伏して寝ちゃってたときもありました」
「勉強は嫌いではありませんでしたけど、好きだからワクワクしてやってる、ってわけではなくて・・・・・・。完璧主義の傾向がかなり強かったんじゃないかな」
成績は学年で常に上位をキープ。学年トップ3の成績を収めていた時期もあった。
「友だちからは、めっちゃ頑張る、ストイックな子だって思われてたみたいです。『私がこうして寝てる間にも、花江は勉強してるんだろうな』って」
その成果として、校内で「体育優良生」として表彰された。
「卒業式の前日ぐらいに、運動も勉強も頑張ってた人に贈られる賞です、って急に声をかけられました」
気にしないフリをしていたけれど・・・
多感な中高生時代、女子校のなかで文武両道を地で行く、スポーティーな学生は、校内で注目を浴びる。
「入学したてのときとか、先輩に気づかれたときに、廊下からキャーキャー言われたこともあったんですけど、無視して本を読んでました(苦笑)」
幼少期からの性格を引きずって、このときもまだ素直に感情を表現できなかったのだ。
「いまもまだ残ってるところはありますけど、10代のころは特に、自分は本当はこういう人です、って他人に見せたら嫌われるんじゃないか、って思ってたんですよね・・・・・・」
かっこいい! と黄色い声援を浴びていたことも、内心では嫌悪感を抱いていたどころか、むしろうれしかったはず。
「いまだったら、手を振り返したり、連絡先を交換しよう! って声をかけたりしてただろうなぁ(笑)」
04大切な人を守りたい
武道を習いたい
高等部に進むと、バスケットボールを辞めて剣道部に入る。
「バスケで中学時代に怪我をしていて、なかなか体がついていかなかったんです」
でも、剣道部に入ろうと思った最大の理由は「ヒーローになりたい」と思ったから。
お父さんから言われ続けていた「弱い者いじめはカッコ悪い」という教えも影響しているだろう。
「人を守れるくらいに強くなりたい、って」
本当は素手でやり合うタイプの武道が望ましかったが、残念ながら学校にある武道系の部活が剣道しかなかったので、剣道部にしたのだ。
「でも、中学から続けてる子のほうが断然強くて、私は全然勝てなかったです(苦笑)」
「最後の試合には出場させてもらえたんですけど、相手が見たことのない構えをしたんです。なにそれ? どうすればいいの? って思ってるうちに負けました(笑)」
たまにはカラオケでも
中学時代は時間を余すことなく自己研鑽に費やしていたが、高校生になって部活を変えてから、ようやく息抜きすることを覚えられた。
「自分にとって楽しいことを見つけよう、ってところまではまだたどりつけなかったですけど、たまには朝練をさぼるようになりました(苦笑)」
学校が休みの日には、友だちとよくカラオケに行った。
「学校帰りに原宿とか繁華街を出歩いてると学校に見つかってしまうので、カラオケくらいしか行くところがなかったんですよね」
友人の家に遊びに行く機会も増えた。
「友だちのお母さんが、子どもたちにご飯をたくさん振る舞うのが好きで、よく食べさせてもらってました」
家から離れる
友人とカラオケに行ったり、部活動にほどよく打ち込んだりする一方で、精神的に疲れて保健室に登校していた時期がある。
「いま思えば、中学で頑張りすぎて、疲れちゃったんじゃないかなと思います。友人関係や、家のことでも引き続き悩んでましたし・・・・・・」
「保健室では、友人関係について相談したこともありました」
数学の授業を受けているときに、突然涙を流したこともあった。
「先生からギョッとした顔で見られましたね。その先生とはいまでも年賀状のやり取りがあるんですけど、あとで泣いたときのことを聞いたら『子どもらしくない泣き方をする子だな、って驚いた』って言われました」
「どうしたらいいかわからなくて、精神的につらかったからか、高校生のころの記憶は、あまり覚えてないんですよね・・・」
友人の一人が親身になってくれて、なんでもない時間を共有するなど、たまに息抜きすることも。
「冬の海に行って、なにをするでもなく過ごしたことがあります。高校生が冬の海に行くなんて、意味わからないですよね(苦笑)」
高校2、3年生のある日、家でお母さんと激しいケンカをしたこともあり、数日間家出する。
「何もかもうまくいかないなぁって感じで、愛知県のおばあちゃんの家に行きました」
それをきっかけに、大学は東京ではなく名古屋大学に進学しよう、と決めた。
「家族から逃げたのか、向き合うのが嫌だったのかわかんないですけど、とにかく一回家から離れてみよう、って思ったんです」
高校卒業後は、愛知に住むおばあちゃんの家で暮らしながら大学に通うことにした。
05「かわいかったなら、いいじゃん」

自分が苦しいときこそ、人を助けたくなる
受験期最後の猛烈な追い込みが功を奏し、名古屋大学医学部に進学した。
「中学のときに勉強してた『貯金』も役に立ったかなと思います」
自分の家系は医師一族ではないし、幼少期から将来の夢が医者だった、というわけでもない。
「高1のころ、発展途上国の貧しい人たちの力になりたい、って思ったんです」
支援にはさまざまな方法があるが、当時は教科のなかで生物が特に好きだったので、それならば「国境なき医師団」のような医者になろう、と思ったのだ。
でも、実はそれより前にも「医者になる」と発言したことがあるらしい。
「中学のころ、私がお父さんに『人を助けられる仕事がしたい!』って言ったらしいんです。お父さんが『それなら医者じゃない?』って返したら、私が『じゃあ医者になる!』って言ったらしいんですけど、そのやり取りは覚えてませんね」
いまにして思えば、精神的に荒れていた高校時代だからこそ、医者を志したのかもしれない。
「人って、自分がしんどいときこそ人を助けようとする、って思うんですよね。なにか少しでもだれかの役に立ってる、って感じたかったのかもしれません」
いじられキャラに
大学では、新しい自分になりたいと思った。
自分のことを知らない人たちが集まる環境で、自分を変えたいと考えたのだ。
「自分からも周りに積極的に話しかけるし、周りからも話しかけてもらいやすいような、気さくな人になりたい! って思ったんです」
大学で合気道部に所属すると、女子の同期が一人もおらず、先輩からかわいがられるようになり、自然といじられキャラとして確立していった。
「いまでは、いじられキャラのほうが先行して、同僚からは『名大医学部卒に見えない』って言われますね(笑)。自分でもそう思いますし、嫌な気持ちはしません」
女性が好きだったとカミングアウト
中高時代から同級生の女の子のことが気になったり、大学生になっても女性の先輩に惹かれたりした。
「大学では、自分はおかしいんじゃないか? って思って、校内でカウンセリングを受けたこともありました。『年齢が上がったら惹かれる対象が変わるかもしれない』って言われましたね」
しばらくしてから、部活動での飲み会で「女性を好きになったことがある」と、先輩にカミングアウトした。
「えい! ってかなり勇気を出して伝えました」
その先輩は「その女の子はかわいかった? それならいいじゃん」と、自然に肯定してくれた。
「仲のよかった先輩に受け入れてもらえてうれしかったです!」
<<<後編 2025/10/12/Sun>>>
INDEX
06 すぐに後期研修医とならずに
07 周りとコミュニケーションを取りたい
08 性自認と、実際の生活
09 「鈍感力」を磨く
10 いつかパートナーとともに