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LGBTQの子どもたちのために、子どもを生み育てたFTMの私ができること【前編】

写真撮影中「写真だと怖そうに思われがちなんです」と、はにかんだ前野千浪さん。だが、実際に会話を交わすと、とても気さくで柔軟な感覚を持ち合わせた人だとわかる。性別役割の固定観念が厳しい九州で生まれ育ち、結婚後は夫から過酷なDVを受けながらも、現在「すごくしあわせ」と言えるようになるまでの半生とは。

2025/09/21/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
前野 千浪 / Chinami Maeno

1969年、福岡県生まれ。幼少期から女性に興味を抱く。高校生で初めて女子と付き合うが、20代半ばで男性と結婚し、2男を出産。現在はフリーランスの看護師として、さまざまな現場で働くかたわら、LGBTQフレンドリーのミックスバーや予約制のリンパドレナージュサロンを経営している。

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INDEX
01 THE 九州の家
02 おばあちゃんからの「鉄槌」
03 自分の机がない
04 キスの現場を目撃されて
05 カミングアウトの上で結婚
==================(後編)========================
06 壮絶なDV
07 子どもを授かったことは自分の責任
08 「ママパパ」と呼ばれて
09 FTMの看護師
10 LGBTQ当事者は少数派じゃない

01 THE 九州の家

絶対的な父

福岡県豊前市で兼業農家を営む家族に、3人姉妹の末っ子として生まれる。

「隣町は大分県です。隣の家まで50mも離れてるような田舎ですね。水がおいしくて、うどんも有名です」

父は絵に描いたような九州男児だ。

「男尊女卑の価値観が強くて、父の言うことは絶対でしたね」

男女に対する固定観念も揺るぎなかった。

「『女の子は女の子らしく』って、小さいころはフリフリのスカートをはかされて、髪も伸ばさなきゃいけなかったです。本当は男の子がはいてたショートパンツがよかったんですけどね(苦笑)」

「ちょっと女の子らしくないって思われただけで、歩き方も注意されました」

習い事も女の子らしさ重視だった。

「ピアノを習わされました。父方のおばあちゃんの意向で、茶道と華道も習ってました」

意にそわなかった記憶はあるものの、父を恨んではいない。

「父は定年退職してから、母が担っていた家事とかの大変さをようやく理解して、人間らしくなりました」

助けてくれたらよかったのに

母は、家庭内で絶対的な権力を持つ父の3歩後ろを歩くような、こちらも昔ながらの九州の家庭では典型的な母親の役割を演じていたと思う。

「母は、父には絶対に口答えしませんでした。子どものころは、なんで離婚しないんだろう? って思ってましたよ」

でも母は、父の言うことすべてに付き従っていたわけではない。

「父が私に怒っていなくなったあとに『大丈夫?』って気遣ってくれました。あの時代に、父と子どものあいだに立って上手に振る舞ってたな、と思いますよ」

「なんで助けてくれなかったの? とは思いましたけど、時代が時代だったのでそうせざるを得なかったんでしょうね・・・・・・」

姉たちの存在

2人の姉とは、それぞれ7歳、2歳離れている。

「長女は学校の先生をやっていて、頭が堅いんです」

私のこともいまだに「妹」だと思っている。

「うちの家系には教員が多いんですけど、みんなそうですね」

「先生がそんな感覚のままだから、学校現場ではいまでもLGBTQ当事者が理解されづらいんじゃないかなって思いますよ」

次女のほうは私のセクシュアリティを理解してくれている。

「カミングアウトしたときには『知ってたよ』って言われましたね。子どもの友だちにFTMの子がいたみたいで、私と一緒だなって思ったみたいです」

姉たちからは「ショックで倒れるから、親には死ぬまでカミングアウトするな」と言われていたが、父が危篤のときに次女は驚きの行動に出た。

「父が虫の息のときに、次女が父の枕元で突然『千浪は男だよ』って言ったんです」

いまそのことを伝えたら、驚きのあまり心臓が止まるのでは!? と思ったのだが・・・・・・。

「お父さん、3人目には男の子を欲しがってたから、知らせてあげようって思ったらしいです(苦笑)」

結局、面と向かってのカミングアウトはしないまま、父は10年前に、母は2年前に天国へ旅立った。

02おばあちゃんからの「鉄槌」

おっぱい大好き

幼少期から性的に興味を抱いていたのは女性だった。

「おっぱいの絵をよく描いてました(笑)」

家族は、母、姉2人、おばあちゃんと、女性の多い環境だったが、家族ではない「女性のおっぱい」に憧れていた。

「でも、おっぱいを描いてるとバレるのは嫌なので、学校では横から描いたおっぱいを、途中から横から見たスヌーピーみたいな絵に変えて、ごまかしてました(笑)」

「父がカメラ好きで写真集を持ってたんですけど、当時のそういう写真集って必ず女性のヌード写真が入ってるんですよね。だから、写真集を見るフリをして女性のヌードを見てましたね(笑)」

「女の子が好き」と発言したら

小学校2年生のとき、家に集まっていた近所のおばあさんたちから「好きな子はいないの?」と聞かれた。

「『女の子が好き!』って答えました。『友だちとして好きなの?』って聞かれても『ちがう』って答えたら、おばあちゃんに殴られました」

父と同じくらい、おばあちゃんは強い男女の固定観念を抱いており、女の子が女の子を好きだということが許せなかった。

「そのときから、おばあちゃんに無視されるようになりましたね。私もおばあちゃんのことが嫌いになりました・・・・・・」

ちんちんが生えてくる?

幼いころ、父から「お前は男っぽいから、ちんちんが生えてくる」と言われたことがある。

「ラッキー! いつ生えてくるんだろう!? って楽しみにしてたんですけど・・・・・・」

いっこうに生えてこないどころか、第二次性徴で女性らしい体つきに変化していく。

「ラップやさらしを巻いて胸を押さえつけてました」

だが、思いもむなしく初潮が始まってしまった。

「一人で大号泣しました。あれは父が悪いですね(苦笑)」

小学校高学年のころ、セクシュアリティに悩んで一番精神的につらかった、と記憶している。

「そのころには、自分は女の子が好きだっていう自覚はもうありました。そのことを周りからからかわれたこともあって、自分はおかしいのか? って・・・・・・」

小学生には、モヤモヤをはっきりと言語化することもまだ難しい。だが、「普通」ではない自分に嫌悪しても「好き」という気持ちは消えない。

その葛藤で、子どもながらに苦悩した。

03自分の机がない

陰湿ないじめ

地元の中学校に進学すると、ショートカットヘアにした。

というのも「男子は5mmの坊主、女子はショートカット」という校則だったからだ。

「先生はいつもバリカンを持って歩いてました。いまだったら完全にアウトですけどね(笑)」

相変わらず性的指向は女子に向けられていた。

女性が好きで変わっている、と思われたのか、中学時代には裏でひどいいじめを受けた。

「男子からも女子からもいじめられました。小学校時代におっぱいを描いてたのがバレてたのかもしれないですね」

ある日の朝、教室に入ると自分の机がなかった。

「どこに行ったんだろう? って探したら、廊下の隅まで移動されてました。わざわざここまで運んだなんて、ご苦労! って思いましたけど」

「翌日には机の上に、仏壇に置かれるお線香が供えられてました」

「よくここまでやるな」と達観していたわけではなく、精神的にダメージを受けていた。

「どうしても学校に行きたくない、って家で泣きわいたこともあったんですけど、母に無理やり学校に行かされましたね・・・・・・」

「父からも『いじめっ子を泣かすまで帰ってくるな』って言われました」

学校は休まず行くところ、という考えが根強い時代背景もあったかもしれない。

学校の先生には、なにも相談しなかった。

「廊下に机があったから、いじめに気づいてたんじゃないかなと思うんですけど、なにもしてもらえませんでしたね」

淡い恋心

いじめを受けても大人に頼れないなか、幼稚園のころから恋愛対象として好きだった女友だちの存在が、心の支えだった。

「ほかの子と違って、その子だけは態度を変えないで私に接してくれました」

だが、その友だちも中学生になって男子と付き合い始めた。

「相手の男の子もすごくいい子で、お似合いだったんですよね。だから仕方ないか、ってあきらめました」

ずっと好きだった子だけれど、せっかくすてきな相手を見つけられたのだから、と心のなかで応援していた。

04キスの現場を目撃されて

女子に囲まれて

中学校卒業後、地元の女子高に進学する。

「勉強が苦手だったので、中学を卒業したらそのまま看護学校に行って働こう、って思ってたんですけど、父から『どこでもいいから、高校には行け!』と言われたんです」

学校生活は女子ばかりの空間。特に校外学習でお風呂に入る際は、恥ずかしさでいっぱいになった。

「女の子の裸を見ることになるから、どうしよう、って」

「自分は男性である」という明確な自覚はなかったが、どこに目を向けていればいいのかわからなかった。

「時間ごとに入浴時間があるから入らなきゃいけなかったですけど、仕方ないからずっとうつむくようにしてましたね・・・・・・」

強そうな子

高校に進学してから急に身長が伸びた。

「中学でいじめられてたからか、あまり喜怒哀楽が表に出づらくて、黙ってると『強そうな奴だ』って周りから思われてたみたいです」

美術部で部長を務めているとき、新入生のヤンキーたちが「なにも活動しなくてもよさそうだから」という理由で美術部にやってきた。

「『なにもしないなら帰って』って注意したら『お前、何様だよ』って言われたんです。『殿様だ』って返したら、裏に呼び出されて平手打ちを食らいました(苦笑)」

そんな怖い場面にも遭遇したが、高校ではだんだん自分の感情を表に出せるようになっていった。

「女子校ってこともあって、女子同士が付き合うことがそれほどタブー視されてなかったから、自分を抑圧する必要がなくなったんです」

クラス内では、クラスメイトの3分の1が所属する大きなグループのなかに入っていた。

「クラスのなかから委員を選出するとき、私と、真面目な子との間で決選投票することになったんですけど、先生が『真面目に選ぼうよ』って言って、それとなく『前野に投票するなよ』って注意してましたね(笑)」

初めてのお付き合い

高校1年生のときに2つ上の先輩から告白されて、付き合うことになった。

「男子がいないから、身長が高くてショートヘアの子はモテてましたね」

相手は、愛が「重め」のタイプだった。

「相手が高校卒業を控えてもう学校に登校しなくてもいい時期になっても、ふと気づくと校内で斜め上から自分のことをじっと見てたりしてました。女の子って怖いぞ! って思いましたね(笑)」

いまとなっては笑える事件が、家庭内でもあった。

ある日、自分の部屋で彼女とキスをしていたときのこと。

「母がパーンとドアを開けて『お茶、持ってきたよ!』って(笑)」

私が彼女とキスしているのを目撃した母は、なにも言わずに、すぐにドアを閉めた。

「それから少し時間をおいて、また『お茶、持ってきたよ』って、母が部屋に来ました。なにも見なかったことにされましたね」

05カミングアウトの上で結婚

福岡のLGBTQコミュニティ

高校卒業後、看護学校に進学する。

「当時はまだ看護 “婦” と呼ばれる時代で、看護学校の学生も40人中35人は女性でした。女子高と似た環境で楽しかったですね」

学校以外での出会いもあった。

「看護学校時代に、知り合いから『セクシュアルマイノリティが集まるお店があるよ』って紹介されて、大分にあるミックスバーに初めて行きました」

「天国だ! って思いましたね」

みんな内緒でお店に集まって、そこから少しずつほかのLGBTQ当事者とつながるようになっていった。

看護師になるべく専門的に勉強する一方で、将来プライベートはどのようになるかは考えられていなかった。

「親からは『結婚して敷地内に家を建てなさい』って言われてましたけど、自分は結婚しないって思ってました」

男性にカミングアウトしたけれど・・・

昔から乗り物が好きで、社会人になってからバイクでツーリングすることが趣味になっていた。

「あるとき、バイク仲間を通して知り合った男性から告白されました」

男性に「私は女性が好きなんです」と率直にカミングアウトしたのだが、「それでも構いません」と返された。

当時は、男性のことも好きになれるバイセクシュアルかもしれないと思っていたこともあり、親からも結婚しなさいと言われているから、という理由で、その男性と結婚することにした。

25歳のことだった。

 

<<<後編 2025/09/28/Sun>>>

INDEX
06 壮絶なDV
07 子どもを授かったことは自分の責任
08 「ママパパ」と呼ばれて
09 FTMの看護師
10 LGBTQ当事者は少数派じゃない

 

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