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こういうワケわからん性別のヤツがいるって、周りに免疫をつけたい。【後編】

こういうワケわからん性別のヤツがいるって、周りに免疫をつけたい。【前編】はこちら

2023/12/23/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
白川 万里 / Banri Shirakawa

1993年、愛媛県生まれ。高校で女子サッカー部に所属し、女性同士の恋愛やFTM(トランスジェンダー男性)の存在を知るなかで自分自身の性別に疑問をもつ。女性として生きたくはないが男性になりたいわけではないという、性別二元論に当てはまらない自分自身を理解できず思い悩むが、LGBT関連のイベントボランティアをとおしてさまざまな考えに触れ、自分はFTXだというひとつの答えに至る。2017年からホルモン治療を開始。

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INDEX
01 万里の長城のように大きく逞しく
02 ブラジャーは “エッチなもの” ?
03 恋にも性にも憧れる思春期
04 ボーイッシュ女子が好きな男っぽい自分
05 女性なのか? 男性になりたいのか?
==================(後編)========================
06 FTMではなく、レズビアンの「ボイ」?
07 ウェディングプランナーになって同性婚を
08 女として生きる道はない
09 たぶんFTXのゲイかパンセクシュアル
10 「これでいい」と自分を認める

06 FTMではなく、レズビアンの「ボイ」?

レズビアンバーで知り合ったFTMと恋愛関係に

「専門学校に通ってた頃から、自分がなんなのかわかんなくなって “性別迷子” になってたんです」

自分がなんなのか。その答えを求めて訪れたのはレズビアンバーだった。

「女の子が好きだし、ボーイッシュな格好をしてるから、自分はレズビアンの『ボイ』なのかな、って考えていた時期が長かったと思います」

「でも、バーで会うボイのかたにはかわいらしい女性が好きな人が多いのに、自分はFTMさんとか、ボーイッシュな女性にしか目が行かなかったんですよ。だから、まだスッキリとはしてなくて・・・・・・」

「とはいえ、どこかのカテゴリーに当てはまっていないと、そわそわして落ち着かないので、自分のことをボイって思ってました」

あるとき、バーで知り合った4人で飲みに行くことがあり、それがきっかけで、そのうちのひとりと付き合うことになった。

「相手はFTMさんでした」

「飲みに行った日の夜に『行ったことないからラブホ行こう!』ってなって、ふたりともトラシャツにボクサーパンツ姿で、なんにもしないでただ寝ました(笑)。で、次の日に『付き合ってくれますか?』って言われて」

「1日おきに会いに行ったりして、2カ月くらい付き合ったんですけど、一緒にレズビアンバーのオフ会に行ったら、そこで出会った10歳くらい年上の女性に、そのコを取られちゃって(苦笑)」

「まじかーーー、ってショックだったんですけど、考えてみたら、その元カレ? 元カノ? は、もともとかわいらしい女性が好きだったし、付き合ってるときにも『外で、ボイ同士で手なんて繋げないわ』って言ってたし・・・・・・。なんかそれで、恋愛自体をほとんど諦めました」

食べては吐く生活

専門学校卒業後は、結婚式場にパティシエとして就職。
男性用のスーツを着て出社した。

「職場でも、これまでの感じで、『自分、女の子が好きなんですよね』って言ってましたし、周りも『まぁ、ええんちゃう』って感じでした」

「人間関係は、そんなふうに割とよかったんですけど、仕事のほうでいろいろありまして・・・・・・。実は専門学校に通っていた頃から、バセドウ病になってしまって、満腹中枢がおかしくなってたんです」

「でも、自分は新卒で、いちばん年下なので、職場のまかないもめっちゃ食べさせられるんですよ。それで・・・・・・食べて食べて、腹が膨れて吐くっていう生活になってしまっていて」

「それで、食に関することがイヤになってしまっていました」

「それでも、負のオーラは出したくなかったんで、なんかやたら笑ってたんですよね。病気のことも言わず笑ってました、ずっと」

パティシエの仕事は、その体調では続けられず、1年勤めて退職した。

07ウェディングプランナーになって同性婚を

メイクしてパンプスはいて働くつらさ

パティシエになることを目指して高校では食物関連のコースを選び、専門学校で学び、就職してようやくその道の入り口に立ったところだった。

しかし、もう食に関する仕事を続けるのは難しかった。

「こうなったいま、自分のやりたいことはなんだろうって考えたとき、レズビアンバーで会った人たちの話を思い出したんです」

「自分たちにはゴールがない、と」

「女性同士で付き合ってても、相手が男性と結婚しちゃったり・・・・・・。そんな話をいっぱい聞いてきました」

いまの日本では、同性で結婚することができないから、同性カップルはゴールに到達できず、最終的に別れてしまうことが多いのだと考えた。

「だったらゴールをつくりたいと思って、同性婚をプロデュースするウェディングプランナーになろうと思ったんです」

そこで結婚式場に就職したが、職場は想像以上に過酷だった。

「その頃も、病気のことは周りに言ってなくて、月に1度は吐いてました」

「それよりも、お客様に会う仕事だから女性の格好をしてくれって言われて、メイクして、パンプスはいて、首もとにはスカーフを巻いて働いてたのがしんどかったですね・・・・・・」

ずっと自殺の方法を考えていた

入社前の面接では、「女性ではない」「同性婚を挙げたい」ということをはっきりと伝えていたが、戸籍上の性別に合う格好を職場で求められた。

「いや、もう、ほんとイヤで、仕事が終わったら、ソッコーでメイク全部とって、パンプス脱いで、ボーイッシュな格好に戻ってましたね」

「なんでこんな格好しなくちゃいけないんだろう・・・・・・って、泣きそうでしたけど、みんなのゴールとしての同性婚をつくりたいっていう目標があったので、なんか必死になってました」

「あと、職場の女性上司が怖くて(苦笑)。すぐに怒鳴り散らす人が多かったんですよ。結局、何度か転職して結婚式場は大阪で4社経験しました」

「最初はコンシェルジュを務めて、次にプランナーのアシスタントをやって、最後はプランナーとして契約社員になりました」

「キャリアを積むことはできたんですけど、最後の職場では常に同期と比べられて、自分はできないほうだったので病んでしまって・・・・・・」

「どの職場でも性別のことは伝えてました。女として生まれたけれど、自分のことは女じゃないと思ってますって。でも『結局、女の子だよね』って周りから言われたりするのも、つらかったです」

逃げ出したくて、・・・・・・死にたくて。

気づけば、ずっと自殺の方法を考えているということもあった。

「そんなとき、一緒にがんばってた同期から『明日、退職届を出す』って言われて、自分も辞めました」

「職場の雰囲気というか、ウェディングプランナーという職業が自分に合ってなかったのかもしれないです。大声で叫ぶ女性も怖くて。なんか、それから女性が苦手になったかもしれないです(笑)」

仕事を辞め、セクシュアリティの悩みを抱え、闇は深まるばかり。
そこに光をもたらしてくれたのは両親だった。

ちょうど東京への転勤が決まり、家族3人で一緒に暮らすことになった。

08女として生きる道はない

レズビアンともFTMとも違う

東京で暮らし始めて3カ月ほどは、まだ結婚式場で働きたいという気持ちがあり、就職のために面接を受けてはいたが、うまくいかなかった。

親からのプレッシャーを感じつつ、そろそろ働かないと、と焦って探して見つけたのが宅配会社の仕事だった。

「職場の人はサバサバした男性ばっかりで、職場の環境が自分に合ったのか、少しずつ元気を取り戻していきました」

「その頃は23か24歳。まだ、自分がなんなのかわかってなかったんで、“自分探し” をまたやろうと思って、新宿二丁目に行ってみたんです」

レズビアンのボイとは自分は違うと感じていたし、FTMともまた違うと考えていた。

「FTMさんは、はっきりと『自分は男だ』『いずれ性別適合手術をする』って言ってる人が多かったから。それに比べると、自分はまだはっきりしてないし、手術は別にしなくてもって感じでした」

「だから、結局なんなんだ自分は、って。男の格好してるけど、男じゃないし、とはいえ女ではないし・・・・・・・って」

「ミックスバーの店員さんに『ここはもうなんでもありよ。いろんなのいるわよ』って言ってくれて、そうか、はっきり決めたいと思ってたけど、決めなくてもいいんだって思えて、やっと気持ちが軽くなったんです」

「そこでプランナーになって同性婚をやりたいという話をして、ほかに自分にできることはありますかねって相談して」

「そしたらLGBT関連の座談会とか、ボランティアとかを紹介してもらったので、自分からSNSなどでいろいろとイベントの情報を集めるようになりました」

自分もXジェンダー

プランナーとして同性婚をプロデュースする以外にも、イベントのボランティアなどでLGBTコミュニティの力になれるとわかってうれしかった。

「ボランティアとして参加した座談会では、いろんな人と出会えました。ゲイの人、トランスジェンダーの人、同い年のMTXの子もいました。同じような悩みを抱えてる人が、こんなにいるんだって勇気がもてましたね」

そして少しずつ、自分の性別もわかってきた気がした。

「話を聞いて、いちばんしっくりきたのがMTXの子。女の子になりたいわけじゃないけど、自分を男とは思ってないって言ってて、同じだ、って」

「ああ、じゃあ、自分もXジェンダーって言ってもいいのかな、って思って、ちょっと安心したんです」

「それからはFTXの集まりとか開いて、いろんな話を聞きました。女性が好きな人も男性が好きな人もいるし、そもそも恋愛に興味ない人もいる。なんかいろいろだなって思ったら、気持ちもラクになりました」

その後、ホルモン治療をスタートする。

「配達に行った先で、女じゃなく男だって思われたかったんです」

「両親には反対されましたけど、自分はもう女として生きる道はないと思ってたんで。父もいまはLGBT関連の記事をLINEしてくれたりして、応援してくれてます」

「結婚とか孫とか・・・・・・期待してたかもしれないから、申し訳ない気持ちはあるけれど、違うところで、親のことは大切にしたいと思います」

09多分FTXのゲイかパンセクシュアル

FTX? ゲイ? パンセクシュアル?

女として生きる道はない。
周りから男として見られたい。

「ホルモン治療のおかげで、男に見られるようになったし、手術はやっぱりしばらくはやらなくていいかなって思います。気持ち的にも、以前に比べたらだいぶラクになったんで」

恋愛対象に関しても変化があった。

いまはボーイッシュな女性よりも男性に惹かれる。

「SNSのプロフィールではGBTとしています。ゲイでバイでトランスジェンダーってことです。基本、男として男性に惹かれることが多いので、いまはゲイではあるんですけど、女性もいけるし・・・・・・好きになるならないは結局人柄だと思うから、相手の性別を限定したくなくて」

「そういう意味ではパンセクシュアルかなとも思います」

「まぁでも、いまは気持ち的にゲイ寄り。好きな人もいます」

「ホルモン治療を始めてから気分の浮き沈みが少なくなったし、前よりもだいぶん元気です」

「恋愛経験が乏しいぶん、好きな人のことで悩んだりはするけど、刺激とか新しいことを教えてくれて大切な存在。感謝してます」

いまが一番楽しい。

単なる思い込みだったこと

つらかった時期は、確かにあった。

それでも、いろんな人にあって、さまざまな話を聞くことで、自分はひとりではないと思うことができ、さらには自分を知ることもできた。

「自分と同じような人も、きっといるはずだからとあきらめず、探し続けて、会ってみて、話してみるのが大切」

「傷つくことを言われることもあるかもしれないけれど、言われた言葉はすべてを受け入れる必要はないし。受け流してもいいと思う」

「自分を守るのは自分だから、自分のなかに “芯” をもたないと」

「その芯をつくるには、いろんなことを経験するなかで自分はこうだと納得したりとか、自分に自信をもったりとか・・・・・・。そうですね、いろんなことを経験するのが大切なのかなとすごく思います」

以前は、自分が男性を好きになることはないと思っていた。
特に、理由なく自信満々な男性が苦手だった。

ゲイのコミュニティが居心地いい

東京レインボーパレードで出会った同い年のゲイの子が、あるとき自分の弱いところも打ち明けてくれた。

「アレ、こんな男性もいるんだって」

「それで、いろいろ経験してみようって思って、ゲイのコミュニティに行ってみたら、自分には居心地がよくて(笑)」

「トランスは男ではないって言う人もいるし、FTXだとわかったら離れていく人もいますよ。でも、『ぜんぜん大丈夫!』って人もいるし、友だちもできたし、コミュニティにいることができてます」

「なにより、好きな男性のタイプが近い人が多くて。その話で盛り上がれたりするから居心地がいいっていう(笑)」

「最近では、友だちはゲイばっかりなので、逆に女性との接し方がわからなくなってきているかも(笑)」

LGBTERのことを教えてくれたのも、友人であるゲイの稲垣晃平さんだった。

「ちょうど悩んでいた時期に、LGBT成人式で出会って以来ずっと仲良くさせていただいてます」

とてもお世話になっている素敵なご夫夫だ。

10 「これでいい」と自分を認める

好きなものは好きなままでいい

自分はなんなのか。
答えを探し求めて、たくさんの人に会って話を聞いた。

そこで得たひとつの答えは、FTXという性。

そして、自分を認めること。

「こういう男になりたいとか、俺はこういう人間だ、っていうのはないんですけど、これでいいなとも思うんです」

「自分の感性で、好きなように生きていけたらいいなって」

「男には見られたいけど、性格が完全に男かって言われると、そうでもないし、好きなタイプは中川大志くんだし(笑)」

「自分をレズビアンだと思っていた頃は、ボイはかわいらしい女の子を好きなはずだから、自分も女の子を好きになろうと無理にがんばっていたこともありました」

「でも、好きなものは好きなままでいていいって、素直に認めてもいいのかなって最近思い始めたんです」

そう思えるようになったのは、人と対話を重ねてきた経験のおかげだ。

勇気を出して少しだけ行動を起こして

「ボランティアに参加した仲間で、自分より年下の子が、ロープで首を吊ろうとしたことがあるとか、泣きながら過去のつらいことを話してくれることもあって・・・・・・。

「うん、そういう子に言いたいんです、絶対に、自分を理解してくれる人はいるよ、って」

「死んでしまうのはもったいない。人にはそれぞれ魅力があるはずだから」

「もしも、死ぬほど悩むことがあるなら、ちょっとだけ勇気を出して、座談会に参加してみるとか、新宿二丁目に行ってみるとか、友だちに話してみるとか、少しだけ行動を起こせるといいなと思います」

いま、積極的に起こしている行動は、自分のことをオープンに話すこと。

「オープンに話せば、相手もオープンに自分のことを話してくれるし」

「こういうワケわからん性別のヤツもいるんですよ、って伝えていくことで、周りの人に免疫をつけたいと思ってるんです(笑)」

そうすれば、自分に会った人は、そのあとにほかのLGBT当事者に会っても、以前にも男女以外の性別の人・・・・・・。「ワケわからん性別のヤツ」がいたことを思い出して、多様な性が “ふつう” になっていく。

「そうなってくれればいいなと思ってます」

「どんな性別も、アリですよ」

あとがき
キラキラと瞳を輝かせながら話し続けた万里さん。どんなことにも気をくばる。優しいのだ。きっといつも相手の考えを優先しようと努めるから、人と会うとヘトヘトにならないかと気になった■相手の意見を尊重することと、違うと思っても妥協しないことの塩梅は難しいな。自信をもって! といわれても、サンタさんに届けてほしいくらいだ。まずは、自分のまぁまぁ好きなところでも書き出してみるか。鈴の音を聞きながら、今年の楽しかったことを思い出しながら。(編集部)

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