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FTMだから知ることができた、自分自身を人にさらけ出すことの大切さ。【後編】

FTMだから知ることができた、自分自身を人にさらけ出すことの大切さ。【前編】はこちら

2017/12/06/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
東根 歩夢 / Ayumu Higashine

1992年、兵庫県生まれ。女性として生まれるが、幼い頃から自分自身を男性と認識。小学6年生の時、自律神経失調症を発症し、約6年間、悩まされる。18歳で家族に性同一性障害であることをカミングアウトし、ホルモン注射での治療や性別適合手術を経て、21歳で戸籍を男性に変更。現在は運送会社で働くかたわら、LGBTに関する講演活動も行っている。

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INDEX
01 子どもが教えてくれたこと
02 男子としての意識と女子としての現実
03 好きになった人と求めていた仲間
04 不安が悪化させていく病気
05 救いの存在とモノクロの学校生活
==================(後編)========================
06 思春期に深まった性別への違和感
07 性同一性障害だという気づき
08 家族にカミングアウトする意味
09 男として社会で生きていく現実
10 若い世代に伝えたいこと

06思春期に深まった性別への違和感

自分の性別に対する疑問

高校に進み、仲良くなった女友だちのグループに入った。

アニメが好きな子や音楽が好きな子、自分のようにスポーツが好きな子。

それぞれのキャラクターが違い、趣味を強要されない雰囲気で居心地が良かった。

ある日、その中の一人と歩いていた時に、ほかの友だちから「カップルみたい」と言われた。

「実は、一緒に歩いていた女の子のことが、好きだったんです」

「だから、ちょっとうれしい気持ちがありました(笑)」

しかし、喜びよりも、戸惑いの方が上回ってしまった。

自分も友だちもスカートをはいていて、髪も長いのに、なぜカップルに見えたのか。

「どういう意味のカップルなんだろう、って気になりました」

「自分は女の子の格好をしているのに、男の子として見られているのかな、って」

ずっと “意識は男性なのに体は女性” という事実に、モヤモヤした感情を抱いてきた。

そのモヤモヤが、さらに強まってしまった。

「自分は人の目に男の子として映っているのか?」「振る舞いが男の子っぽかったのか?」 疑問ばかりが浮かんだ。

「自分が何者か、わからない状態が続きました」

男子との交際という確認

性別に対するモヤモヤが募った時、隣のクラスの男子から告白された。

つき合ってみることにした。

彼は「ボーイッシュなところが好き」と言ってくれた。

高校でも体育委員を務め、少しずつソフトボール部に顔を出すようになっていた頃だった。

「体育の時間や部活中の僕を見て、彼は好きになってくれたみたいです」

「彼は身長が高かったけど、かわいらしいタイプの子だったんです」

「僕が引っ張っていく関係だったから、彼は自分にないものを求めていたのかもしれません」

ただ、自分が彼を好きになることはなかった。

「やっぱり男の子との交際は、できなかったです」

「手をつなぐこともままならなくて、1~2カ月で別れました」

その頃もまだ「カップルみたい」と言われた彼女のことが好きだったが、気持ちは伝えられなかった。

求めた男らしさの象徴

高1の中盤から、筋トレにハマった。

少しずつソフトボール部の練習に行くようになり、トレーニングを始めたのがきっかけ。

相変わらず教室に入る時には緊張し、体育館での集会も辛かった。

部活中だけが、学校内で唯一発散できる時間だった。

腹筋が割れるほどに鍛えて、女子に触ってもらうことが快感になっていた。

「女の子から『めっちゃ硬い』って触りながら言われて、ニヤけていました(笑)」

「自分は男性になりたいのか、かっこいい女性になりたいのか、まだわからなかったです」

「ただ、鍛えるとどうしても腰がくびれるのが、女性らしくて嫌でした」

「男らしくなりたいのに、実際にはなれないことに違和感を覚えていましたね」

「割れた腹筋や硬い筋肉を求めたのは、男性として見てほしかったからなのかな、って今は思います」

07性同一性障害だという気づき

LGBT当事者との出会い

高校3年生の時。

会話の流れで、初めて同級生に「体に違和感がある」と打ち明けた。

「体は女性として育ってるけど、心の中はわからない」と告げた。

同級生から、思わぬ返事が返ってきた。

「『私の友だちに同じ悩みを抱えてる子がいる』って、その友だちと合わせてくれたんです」

「紹介してもらった子はソフトボールをやっているボーイッシュな女の子で、バイセクシュアルでした」

バイセクシュアルの女子と出会ったことで、「LGBT」「性同一性障害(GID)」という言葉を知った。

自分が何者であるかが、ようやくわかった気がした。

スポーツトレーナーの専門学校への進学が決まってから、SNSを通じて同じ学校に進む子と知り合った。

GIDを自認している、かっこいい女性だった。

「ショートカットでナベシャツで胸を押さえて、どこから見ても男の子でした」

「身なりを男性に変えて生活している人がいることを、その時に初めて知ったんです」

「自分も男性として生きていいんだ、ってモヤモヤが晴れた感覚がありました」

この出会い以降、自律神経失調症の症状が出る頻度は少なくなっていった。

GIDだと打ち明けること

SNSを通じて、同じ専門学校に進む人と、たくさん知り合っていた。

これから同級生になる友だちに、自分がGIDであることを打ち明けた。

「嫌がらせを受けるようなことはなくて、味方になってくれる人が多かったんです」

「僕がポジティブな雰囲気を発していたからか、友だちも一気に増えました」

専門学校には、同じFTMの先輩がいた。

治療や手術について、教えてもらうことも多かった。

「ただ、先輩から『お前は身なりが女の子だから、なんちゃってじゃないの?』って言われたんです」

「その時に『自分の方が先に戸籍変更してやる』って思ったんですよね」

「後になって冷静に考えれば、人と競うことではないんですけど(苦笑)」

人生の節目で区別されること

男として生きていける可能性に、希望を抱いたタイミングで、ショックな出来事もあった。

「ライフプランを考えてみよう」という授業で、まっさらな紙に人生設計図を描くことになった。

結婚の話題が出た時に、教師がなんとなく放った言葉が胸に刺さった。

「男だったら、結婚指輪を買わないかんよな。女の子はもらう側やから、書かなくていいか」

プロポーズの場面でも、男女の区別がつけられていることが衝撃だった。

「女性である自分は指輪を買ったらいけないんだ、って思ってしまったんです」

「当時はまだ治療ができるかわからなかったし、どんな人生を歩めるかも想像できませんでした」

「授業でのショックもあって、ライフプランは白紙で提出しました」

この一件でやる気を削がれてしまい、専門学校も一年足らずで辞めてしまった。

08家族にカミングアウトする意味

初めて家族に言えなかったこと

専門学校で、初めての彼女ができた。

彼女は、自分を男性として見てくれた。

当時は、互いに大阪で一人暮らしをしていたため、半同棲のような状態になっていた。

「彼女と出会って、自分を理解してくれる人が、本当にいることを知ったんです」

「ただ、彼女と生活する中で、親に初めて隠し事をしている不安も感じ始めました」

男性として生きていくと決め、彼女とも生活を共にしていた。

しかし、実家に帰れば、女性として振る舞わなければいけない。

その切り替えが辛く、親に打ち明けられていない状況も耐えられず、カミングアウトを決意した。

思いがけない反対意思

年末に専門学校を辞め、年明けに実家に帰っていた時。

アルバイトに出かける10分前に、父と母を呼び出して告げた。

「自分ははるな愛さんの逆バージョンかもしれへん。生まれた時から体に違和感があった」

「はっきりさせたいから、カウンセリングに通わせてくれへんか?」

そう話し終えた瞬間、父は泣き崩れた。

母は笑っていた。

「お母さんは世間体を気にするタイプと思っていたけど、意外と理解があったことにホッとしました」

「お父さんは泣きながらも、『お前はお前らしく生きたらええ』って言ってくれました」

家族への告白は、思っていたよりスムーズに終わったと思った。

しかし、翌日になって、母の態度は一変した。

「『男になっていくあんたを周りの人が見て、どう思うかわからんから、帰ってこんでいい』って言われたんです」

カウンセリングを受けようにも、未成年だったため、親の同意が必要になった。

母に認めてもらわなければならなかった。

「サインしてほしい」と伝えても、母は聞く耳を持たなかった。

「病院でもらってきた資料を、お母さんにも読んでもらえるように、わざとリビングの机の上に置いていました」

母が綴った思い

カミングアウトから、2カ月程度が経っていた。

カウンセリングに通い始めると決めていた日の2日前、母がようやくサインしてくれた。

「お母さんは資料を読んでいて、ネットでGIDや手術の情報も調べていたみたいです」

「お母さんなりに、理解しようとしてくれていたのかな・・・・・・」

「サインするまでは、かなり葛藤したと思います」

当時を振り返ると、母はGIDであることを否定するようなことは言わなかった。

反対の理由は、「あなたの変化を周りに見られるのが心配」という一点だけだった。

両親のサインをもらい、19歳の3月にカウンセリングを開始した。

7月にホルモン注射での治療を開始。

21歳の時にすべての手術を終え、戸籍を男性に変更した。

仕事の関係で鳥取に引っ越した時、母から手紙をもらった。

「『産まれた時から、あなたのことを男の子として育てていたのかもしれない』って書かれていたんです」

「読んだ時に、ようやく受け入れてもらえた気がしました」

09男として社会で生きていく現実

男として働くこと

ホルモン治療を続け、手術も終え、戸籍を変えてから、社会に出た。

その頃には、外見で男性と判断されるようになっていた。

「就職面接でカミングアウトしただけで、門前払いを受けたこともありました」

「GIDと打ち明けずに入社して、トイレに入りにくかったこともあります」

「男性として社会に出てからの方が、学生時代よりしんどかったですね」

“ボーイッシュな女子” で済まされていたことが、男性になると許されなかった。

男社会で見た性別での区別

鳥取から兵庫・明石に移り、働き始めた運送会社には、カミングアウトしていなかった。

「物量が多いところで、なかなか仕事が追いつけず、嘆くこともありました」

ある日、出社すると、同僚のデスクの上にシフト表が置かれていた。

ふと目に入った自分の名前の横に「東死ね」と書かれていた。

同僚は慌ててシフト表を隠し、上司は「死ねばいいってことちゃうか」と笑っていた。

「配達に出たんですけど、仕事する気が起きなくて、『トラック置いて帰っていいですか?』って上司に電話したんです」

「『とりあえず戻ってこい』って言われたので、職場に帰りました」

「その時、上司に『お前は本当にメンタルが弱い』って言われたんです」

「僕はもともと女性だったから、女性らしいところがあるのかもしれない」と、男性になった経緯を伝えた。

上司から「体が男性になったんなら、心も男性になれよ」という罵声を浴びせられた。

「僕は『男性だったら笑い飛ばせる内容なんですか?』って言い返しました」

「この会社は自分を受け入れてくれないんだな、って思ってしまったんです」

社長からは「前の会社にも同じように男になったやつがおったけど、もっと男らしく頑張ってるぞ」と言われた。

「『男だから』『女だから』ではなくて、一人の人間として見てほしかったです」

その会社を退職し、地元の神戸に戻ることを決めた。

答えのない “男らしさ”

これまでに務めてきたほかの会社は、GIDであることを受け入れてくれた。

「どの職場も居心地がよくて、同僚と下ネタの話もしていました(笑)」

すべて運送会社で、男社会だった。

その中で、気づいたことがあった。

「自分の中で、男性は家庭を作って、家族を幸せにするという理想像があったんです」

「でも、実際は独身のおじさんもいるし、女々しい男性もいることを知りました」

「男性像や女性像って、決まったものはないんだなって」

「親に愛されて育った分、自分も家庭を作りたいという気持ちは今でも強いですね」

“男らしさ” とは何なのか、今模索しているところだ。

10若い世代に伝えたいこと

生の声を聞く必要性

自分はGIDと自認するタイミングが、遅かったと思っている。

「中高生の頃は殻に閉じこもって、人とコミュニケーションを取らなかったからかもしれません」

「テレビもほとんど見ない子だったから、情報も入ってこなかったんです」

しかし、今の子どもたちは、SNSを通じてあらゆる情報を手に入れることができる。

「ネットで調べたり、SNSでつながった友だちに話を聞いたり、便利ですよね」

「ただ、その情報は誰が書いたものかわからなくて、出どころが確かではない」

「僕はもっと生の声に触れてほしい、って思います」

自分自身もLGBT当事者の言葉を通じて、GIDの存在を知り、治療のプロセスを学んだ。

若い世代にも、経験した人の話を聞いた上で、覚悟を決めてほしい。

「当事者に会って、話を聞いて、信じられるものを探してほしいです」

一歩を踏み出す勇気

どんな生き方をしても、必ず何かしらの壁にはぶち当たる。

それは性別によるものではなく、LGBT当事者だからというものでもない。

「どんな人でも、マイノリティの部分はあると思うんです」

「カミングアウトしなければならない場面に、立たされる人もいるはず」

「でも、その一歩を踏み出せば何かを得られる、って僕は伝えたいです」

友だちに打ち明けたことで、精神的な安定を取り戻すことができた。

家族に打ち明けたことで、男性としての自分で生きられるようになった。

カミングアウトを経験してきた自分だから、伝えられることがあると思っている。

「緊張するし怖いけど、一歩を踏み出す勇気が、自分の世界を変えると信じています」

あとがき
職場で発した歩夢さんの一言「僕を人間として見て下さい」。男とか、女とか、そんなレッテルは要らないんだと、自身に向けた宣言のようにも聞こえた。今なら、同じ場面も澄み切った表情で、一度笑って見せるかもしれない■歩夢さんは、今まだ調整中の課題も臆することなく話す。見栄や虚勢のような [上げ底 ] の話し方はない。上手くはいかない部分を見せられる人は、他者を安心させる。その強さは、人を強くする。(編集部)

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