02 男子としての意識と女子としての現実
03 好きになった人と求めていた仲間
04 不安が悪化させていく病気
05 救いの存在とモノクロの学校生活
==================(後編)========================
06 思春期に深まった性別への違和感
07 性同一性障害だという気づき
08 家族にカミングアウトする意味
09 男として社会で生きていく現実
10 若い世代に伝えたいこと
01子どもが教えてくれたこと
最初に受け入れてくれた甥っ子
21歳で働き始めてから、鳥取県米子や兵庫県明石などを転々としてきた。
今は、故郷の神戸に戻り、実家で暮らしながら、運送業に身を置いている。
両親と一緒に暮らす家には、姉の子どもも頻繁に遊びに来る。
「甥っ子も姪っ子も、めっちゃかわいいです。子育てしてる感覚で見ています(笑)」
18歳の時、家族に性同一性障害であることをカミングアウトした。
最初に自分を男として扱ってくれたのが、甥っ子だった。
「カミングアウトした時、甥っ子は小学1年生くらいだったと思います」
「『男の子になりたいんだ』って伝えると、すぐに『お兄ちゃんなんやな』って言ってくれたんです」
「それからは甥っ子にも姪っ子にも、LGBTについて話すようにしています」
「LGBTに偏見を持ったらあかんで」「やさしい目で見てあげて」と伝えてきた。
現在、中学1年生の甥っ子とは、よく一緒にお風呂に入る。
外見的に下半身は女性のままだが、気にせずに叔父として接してくれている。
小学4年生の姪っ子も「お兄ちゃん」と呼んでくれる。
「2人にとって、トランスジェンダーの存在が普通になっているんですよね」
「その姿を見ていると、小さい頃からセクシュアルマイノリティについて伝えていった方がいいのかなって感じます」
子どもからの素直な質問
甥っ子から「おちんちんほしい?」と、聞かれたことがあった。
子どもらしい率直な質問に、思わず笑ってしまった。
「その時は『ほしいけど、今の技術では難しいんやで』って話しました」
最近行っているLGBTに関する講演活動の一環で、中学校に赴いた際にも驚かされた。
「若い子たちって、すごく純粋なんですよね」
「僕らが投げかけたことに対して、感じたままを素直に伝えてくれるんです」
「大人からは聞かれたことがないような質問も、飛んできましたね」
ある学生から「手術には、どのくらいお金がかかったの?」と聞かれた。
直球の質問に面食らったが、しっかりと細かく説明していった。
「『それでも男になりたかった』という気持ちを伝えるには、金額も話すべきだと思ったんです」
子どもの意見や質問から、考えさせられることはたくさんある。
彼らを見て、10代の自分を振り返る。
うまく自己主張ができるタイプではなかった。
男子という意識がありながら、女子として生きていた。
02男子としての意識と女子としての現実
遊び相手はいつも男友だち
5歳離れた姉と遊んだ記憶は、ほとんどない。
家が近い同い年の男子と一緒にいるのが、当たり前だった。
保育園から帰ってきたら、ゲームや野球、泥遊びに興じた。
「自転車に乗って走り回ってばかりで、リカちゃん人形で遊んだことはないです」
「お姉ちゃんは女の子らしいおもちゃを買ってもらっていたけど、僕はゲームボーイだった」
クリスマスにゲームがほしくて、サンタクロース宛に手紙を書いた。
郵便局員だった父が「届けとく」と、手紙を預かってくれた。
クリスマスの朝には、ほしかったゲームが枕元に置いてあった。
「女の子らしいものを、ほしがった覚えはないです」
求められなかった女性性
両親から “女の子らしさ” を求められたことはなかった。
「小学校の卒業式も、パンツスーツで行かせてもらったんです」
「僕の希望ではなくて、お母さんが『あんたはズボンの方が似合う』って用意してくれた気がします」
唯一、水泳の授業がある日だけ、ワンピースを着させられたことがあった。
ワンピースに対して抵抗感があり、嫌がったが、最終的には着て登校した。
「その時も、お母さんがワンピースを薦める理由は『着替えやすいから』でした」
母は女の子らしさを求めたわけではなく、機能性を重視していたのだ。
中学に上がる時、制服のスカートをはくことに違和感があった。
「女装している感覚になったんですよね」
女子であるという事実
幼い頃から、自分を男と思って生活していた。
周りの男子のように、いつか性器が大きくなると思っていた。
お風呂上がりに母に体を拭いてもらう時に、自分は股間を触っていた。
「お母さんに『大きくなるのかなぁ?』って話したことを、覚えているんです」
「その瞬間の記憶だけが、今も残っているんですよね」
小学校中学年で、自分が女子であることを自覚させられた。
初潮だ。
同級生の女子が生理の話で盛り上がっている中、「何それ?」と知らないふりをした。
「もちろん女友だちからは『知らないわけがないでしょ』って、いじられましたね(苦笑)」
「自分に生理というものがあるって、言いたくなかったんだと思います」
「生理の話が出そうになったら、その場を避けていましたね」
「本当に嫌だったからか、その頃の記憶があんまりないんです」
03好きになった人と求めていた仲間
かっこいいと思える部活
中学では、ソフトボール部に入った。
「ずっと幼なじみの男の子と野球をしていたので、本当は野球部に入りたかったんです」
「でも、野球部には男の子しか入れなかったので、似たものを探しました」
当時は、父の薦めで剣道の稽古にも通っていた。
しかし、練習方法を巡って父とぶつかり、「なんでそんな言い方されなあかんのや!」と辞めてしまった。
これから何がやりたいか考えた時に、ソフトボールが浮かんだ。
「かっこいい、と思えるものがやりたかったんですよね」
初めての恋愛感情
ソフトボール部には、身長が高くスレンダーで、とてもきれいな先輩がいた。
目を奪われた。
「小学生の頃から、かわいいな、かっこいいな、って思う相手はみんな女の子でした」
「でも、好きだと思ったのは、ソフトボール部の先輩が初めてだったかもしれません」
自分は小6の時に自律神経失調症と診断され、中学でも精神安定剤を服用していた。
精神的に不安定な時に、先輩はそばにいて励ましてくれた。
「先輩が近くにいてくれると、すごくドキドキしたんですよね」
「恋をしていたんだと思います」
「その反面、男性を好きにならなきゃいけないのかな、って葛藤もずっとありました」
第二次性徴期に入り、体は日に日に女性らしくなっていく。
先輩には、思いを伝えられなかった。
恋とは違うドキドキ
先輩に魅かれる一方で、ボーイッシュな女子に憧れる自分もいた。
話していると、ドキドキした。
この子は自分と同じ気持ちを持っていたりするのかな、という思いを抱いていた。
しかし、恋とは違う感情だったと感じている。
「今考えると、自分と似た子を探していたのかもしれません」
「先輩が好きだった気持ちとは違うって、今になってわかり始めました」
「当時は、恋愛感情と自分の仲間に出会いたい気持ちの違いが、わかっていなかったですね」
04不安が悪化させていく病気
理由のわからない疾患
小学校の卒業式前日、胃痛に襲われた。
病院に運ばれ、「自律神経失調症」と診断された。
「突然のことで、原因はよくわかりませんでした」
「きっと卒業式や中学生活に対する不安が、積み重なったんだと思います」
この出来事をきっかけに、何事にもネガティブに考えるようになってしまった。
電車に乗っている間に地震が発生し、家族と離れ離れになる自分を想像してしまい、1人で電車に乗れなかった。
飛行機が落ちたら、エレベーターに閉じ込められたら・・・・・・。
「1人で遠くに行けなくなってしまったんです」
中学に入ってからは、徐々に教室に入ることも怖くなっていった。
「密閉された空間に、苦手意識が生まれたんです」
「教室に閉じ込められている感覚になって、授業が終わったらすぐに出て、保健室に行っていました」
「集会などで人が多い体育館にいなきゃいけない時も、息苦しくなることがありました」
乗れる電車は各駅停車だけ
中学3年の時、初めて車酔いを経験した。
それ以来、電車でもすぐに酔うようになってしまった。
「乗っているだけで、手が震えて過呼吸になりかけました」
「その頃、進学先を決めるため高校見学で電車に乗ることが多かったけど、すぐ降りられるように各駅停車しか乗れなかったです」
中3から高1にかけては、特に症状が出やすかった。
高校では、ソフトボール部の顧問から「入部しないか」と声をかけてもらっていた。
しかし、授業が終わったら、すぐ家に変える毎日。
顧問の期待には、なかなか応えられなかった。
「部活には入りたかったけど、それより帰って落ち着きたい気持ちの方が強かったです」
修学旅行も、飛行機に乗ることや団体行動への不安が募り、休んでしまった。
「その時は、女の子と一緒にお風呂に入るのも嫌だ、って気持ちもあったのは間違いありません」
少なからず、性別違和が影響していることも自覚していた。
原因は他人ではなく自分
情緒不安定になる度に、なんでこんなに慌ててるんだろう、と焦った。
余計にパニック状態に陥ってしまった。
「人に暴言を吐かれたとか、嫌がらせを受けたってわけではないんです」
「何でもネガティブに捉えて、考え込みすぎてしまっただけなんだと思います」
同級生となじめていないわけでもなかった。
「特定のグループには所属していなかったけど、友だちもいました」
ただ、教室より保健室が好きで、家が一番落ち着く場所だった。
家にいても、手の震えが止まらなくなる時があった。
「両親が『とりあえず落ち着け』って手をつないで、冷たくなっている手を温めてくれました」
05救いの存在とモノクロの学校生活
支えになった母の言葉
学校を休みたいと思ったこともあった。
「しんどいから熱計って」と、母に訴えたこともあった。
しかし、真面目な母は「熱はないから、学校行きなさい」と答えるばかり。
「お母さんに『行きなさい』って言われるから、行かなきゃダメだなって思っていました」
「でも、お母さんは必ず『ほんまに無理な時は、学校から連絡してきたらいいから』とも言ってくれたんです」
「甘やかされていましたね(笑)」
両親は、子どものために逃げ道を作ってくれていた。
とにかく家族が大好きで、家にいたい子どもだった。
思い出がない中学時代
中学時代を振り返った時に、楽しかった思い出はほとんどない。
「苦痛だったわけではないんですけど、薄っぺらいんですよね」
体育委員を務めていて、決して静かなタイプではなかった。
一方で頻繁に保健室に通う自分は、同級生からするとギャップがあったかもしれない。
「イジメとかはなかったけど、いじられることは多かったかもしれないですね」
「ただ、性別に関するような差別はまったくなかったです」
当時は、性別に対する違和感も病気のことも、同級生に打ち明けたことはなかった。
髪も肩ぐらいまで伸ばし、制服も校則通りにきちんと着ていた。
一般的な女子として、学校生活を送っていた。
「もう一回学生時代に戻りたいと思ったことはないですね」
「あの時代を男性としてやり直せたらいいのにな、って気持ちはありますけど」
<<<後編 2017/12/06/Wed>>>
INDEX
06 思春期に深まった性別への違和感
07 性同一性障害だという気づき
08 家族にカミングアウトする意味
09 男として社会で生きていく現実
10 若い世代に伝えたいこと