02 変態な自分を治さなければ
03 誰かに話したい、わかってほしい
04 カミングアウト
05 保育士をめざす
==================(後編)========================
06 本当にやりたいことが見つかった!
07 これからどうやって生きていこう
08 ウソをつかなくていい人生
09 「理解しよう」という姿勢が大事
10 家族をつくりたい
01普通に生きたい
みんなと同じことができない
早生まれだったため、幼い頃は周りの子たちにくらべて体力的も精神的にも弱く、成長の度合いも遅れぎみだった。
「背も低かったし、何をやってもクラスで一番ビリでした。食べるのも遅かったから、給食の時間も最後まで教室に残されていて。おまけに、怖がりの泣き虫で、いつも先生にくっついていました」
「プールにしても、先生に抱っこしてもらわないと入れなかったんです」
弱くて、小さくて、いろいろなことがみんなと同じようにできない。
そんな自分が、イヤだった。
「親も心配していたとは思うんですけど、できないことを責めたり叱ったりすることはありませんでした。ただ、僕自身が、みんなと同じようになりたいという気持ちが強かったんです」
でも、思うようにいかない。かんしゃくを起こすこともしばしばだった。
「違う」と思われるのが怖かった
クラスメートにからかわれたり、いじめられたした経験は、一度もない。
自分で勝手に、人とずれていること=悪いことだと思い込んでいた。
だから、なんとかして「普通」という型にはまりたい。
「子ども心にも、みんなができることができない、みんなと違っている、ということに対してものすごいコンプレックスを感じていました。みんなに『この子、変だよね』とか『なんか違って、気持ち悪いよね』と思われるんじゃないかと、すごく怖かったんです」
赤いランドセルを背負うのがイヤでも、スカートがはきたくなくても、女子用の体操服を着るのが苦痛でも、親にも訴えることなく、ただ我慢をし続けた。
だって、ほかの女の子たちは全然そんなふうに思っていない。
自分だけが変なんだ・・・・・・。
ただ、この時点では「自分は女の子じゃない」「男の子になりたい」とは思っていなかった。
「みんなができることができない、ダメで弱虫な自分のことが心配で心配で、自分が女なのか男なのか、ということを考える余裕もなかったんです」
02変態な自分を治さなければ
女である事実を突きつけられる
中学に進む頃になるとさすがに、自分の性について考えないわけにはいかなくなった。
胸が徐々にふくらみ、クラスメートの間では1人、2人と初潮を迎え始めた。
でも、自分にはまだまだその兆候はない。
「ラッキー! と思ってました。でも、みんなは生理を待ち望んでいるようだったから、本当のことを言ったら変だと思われる。だから、『全然こないんだ』って、ちょっと心配しているふうなことを言っていましたけど」
しかし3年生になり、ついにその時が来てしまう。
嫌で嫌でトイレの中でひとり泣き、学校を休んでしまった。
「母がお赤飯を炊いてくれたんですよ。そうか、これは世間的にはめでたいことなのか、なのに喜べない自分はおかしい。やっぱり変なんだと、気持ちがどんどん落ち込んでしまって」
この時、気がついた。
自分は、女の子として扱われることがイヤなんだ!
スカートをはき通せば女の子になれるかもしれない
体は間違いなく女なのに、自分が女であることを受け入れられない。
「そんな自分は、『変態』なのだと思いました」
普通の人間として普通に生きたいのだから、これはどうしても治さなければ。そう考え、高校に進む際、ある決心をした。
「3年間、制服のスカートをはき通す、と決めたんです」
中学校にも制服があったがジャージ登校が許されていて、式典や特別な行事のある時以外、生徒の9割がジャージで通学していた。
だから、ほとんどスカートをはかなくてもすんでいたが、高校では制服通学が基本。これは、自分を普通の「型」にはめるにはいいかもしれない、と思ったのだ。
矯正ギプスならぬ、矯正スカート。
「セーラー服ではなくブレザータイプの制服だったので、実は女子もスラックスを選択することはできたんです。でも、同学年でスラックスをはいているのが2、3人しかいなかったから、目立つんですよね」
「自分はあくまでも『普通』を目指していたので、そうやって周りから浮くのが怖かったんです」
03誰かに話したい、わかってほしい
”そら” がいてくれたから
高校生になって、「変態」から「普通の女の子」になろうと毎日スカートをはいて学校へ通っていたが、意に反して、女であることの違和感は募る一方だった。
自分は女じゃないような気がする。
でも、体を見ればまぎれもなく女で、どう考えても男にはなれないし・・・・・・と、ひとり悶々する日々。
学校では明るく振る舞っていたが、夜、自分の部屋にひとりでいると涙が出てきて、止まらなかった。
そういう時、決まって “そら” が側に寄ってきた。
“そら” は、小学校5年生の時に家族の一員となった、愛犬。
「もともと人間にあまり興味がなくて、ふだんは家族の誰のところにも近寄ってくるタイプじゃなかったんですよ。でも、僕が泣いていると近寄ってきて手をぺろぺろなめたり、膝の上にポン、て乗ってきたり」
言葉は通じないが、それだけに動物は人間の心を読み取る能力が高いのだろうか。
「言葉にするとすごく薄っぺらくなっちゃうんですけど、”そら” には本当に癒やされた。僕の精神的な部分を、ものすごく支えてもらいました」
おかげで、今は泣き暮れることもない。そんな大沼さんを見て “そら” は、「おにいちゃんは、もう大丈夫」と安心したのだろうか。
先日、13年の生涯を終えて、天国に旅立っていった。
「大げさでなく、あいつがいたから今の僕があるような気がします」
もう、ひとりでは抱えきれない
高校2年の時、10人の女子仲良しグループで伊豆に、一泊旅行に出かけた。みんなでわいわい、キャアキャア、それこそ恋バナで盛り上がった。
自分はまだ恋をしたことがなかったし、そもそも恋がどういうものかわからない。
「好みのタイプは?」と聞かれると、当時人気のあったジャニーズ系のアイドルの名前を挙げていた。
そうこうするうち、ひとりの子が「ぬまっちって、悩みなんて何にもなさそうだよね」と言った。
「ないない」と笑って答えながら、「あ、みんな僕が悩んでいることに気づいていないんだ」とホッとした。と同時に、「なんで気づいてくれないのか、わかってよ」と思う自分がいることにも気がついた。
その夜、なかなか眠れず、みんなから離れてひとりで考えごとをしていると、昼間とは別の子がやってきて声をかけてくれた。
「さっき、悩みないって言ってたじゃん。でも、ホントはあるよね?」
びっくりして、とっさに「いや、ホントに何もないよ」と答えると彼女は、「話したくなったら、話してくれていいよ」と言い残して、みんなが寝ている部屋に戻っていった。
彼女の言葉で、心の中にある何かがフッとゆるんだ。
「本当は自分のことを誰かに話したい、聞いてもらいたいんだなと、この時にわかったんです」
04カミングアウト
初めての理解者、初めての恋人
1ヶ月後、また同じメンバーで1泊旅行に出かけた。
夜、みんなが寝静まった後、またひとりであれこれ考えていると、いつの間にか “あの彼女” が隣に。
「何か悩んでいるでしょ」。
その言葉で、これまでずっと抑え続けてきたフタがはずれ、「実は、自分は女として扱われるのがイヤだと思っている」と打ち明けた。
すると、「うん、そうだよね。私、わかってたよ。ほんとに辛かったよね」と彼女。
目から涙が一気にあふれ出た。
彼女には「男になりたいの? 女の子が好きなの?」とも聞かれたが、それはまだ、自分の中ではわからないままだった。
FTMの人からはよく「最初は、自分はレズビアンだと思った」と聞くが、自分にはその認識はなかった。
性同一性障害のことはテレビドラマ『3年B組金八先生』で知っていたが、自分は “直” のようには周囲から浮いてはいなかったし、あんなに堂々と「自分は女ではない」と宣言することもできない。
「だから自分は、直のようなトレンスジェンダーとも違うと。じゃあ自分は何者なんだと思いながらも、調べることはしませんでした。詳しく調べたら、もう後戻りできなくなっちゃうような気がして」
だから、彼女の問いにもすぐには答えられなかった。
「そうしたら彼女が『私はあなたのこと男だと思っているし、男にしか見えないよ』って。制服はコスプレに見える、って言われました(笑)」
そして彼女は、こう言ってくれた。
「私でよかったら相談に乗るよ。あなたの、いちばん近くにいたい」
二人は恋人同士になった。
母親への初めての反抗
女の子の恋人ができ「自分は女ではない」と確信したタイミングで、母親にカミングアウト。
つきあっている彼女がいることこそ話さなかったが、自分はたぶん女ではない、性同一性障害だと思っていること、そのことでずっと悩んでいたことを打ち明けた。
「母は『わかった』と。でも、16年間、私はあなたのことを女の子として育ててきたから突然そんなことを言われても、はいそうですかとは言えない、って」
「体にメスを入れるようなことはしないでね」とも言った。
あえて手術のことは伝えなかったというが、母親は性同一性障害についての知識を持っていたのだろう。
「そして、もうその話はしないで、って。次の日から、僕は母親と話をしないどころか、無視しました」
年齢的にはちょうど反抗期。でも、それまでは一度も、親の言うことをきかないことなんてなかった。
「うちの親もこまごまと口うるさくて(笑)、鬱陶しいと思うことはありましたよ。口げんかも、もちろんしてました」
「でも、とくに母の言っていることは筋が通っているというか。理不尽なことを言われたことがなかったので、僕も強く反抗する理由がなかったんです」
だがその時は、母親の態度に納得がいかなかった。
「母が、僕の話をすぐには受け入れられないのは、わかります。だからこそ僕は言葉を尽くして説明したいのに、問答無用に話し合いを拒否するなんて」
「母のことを、初めて理不尽だと思いました」
膠着状態に耐えきれなくなったのは母親のほうだった。
3日後、「どうしてそんな態度をとるの? 口をきかないなんてやめて!」と泣き出した。
一度も反抗したことがなかったわが子が、ここまでの態度をとるのだから本気なんだ、と思ったのだろう。今度はじっくり話を聞いてくれた。
その後、「これからあなたのことを男の子だと思って、接する。でも、これまでの16年間をリセットしてやり直すから、あなたのことを本当に男と認めるのは16年後、あなたが32歳の時ね」
そして、「きっと動揺するから、お父さんには言わないで」と釘をさされた。
その言葉に従った。
05保育士をめざす
母親なりの受け止め方
カミングアウトして気持ちはラクになったが、そのほかには何も変わらなかった。
「僕の中の根本的な問題がそこで解決したわけじゃないですから。むしろ、これから自分はどうしていけばいいんだろうと、ようやくスタート地点に立った気持ちでした」
いっぽう母親はといえば、わが子を娘として見ないよう、接しないようにと努めていてくれていたようだ。
高校2,3年くらいから、親のもとには成人式に着る振り袖のセールスが来ていたが、母親は「成人式には着物を着なさい」とは決して言わなかったし、年頃の女の子が興味を持っていそうな話題にもいっさい触れなくなった。
母親の配慮が、ありがたかった。
「その頃、母はどんな気持ちだったんでしょうね。いまだに一度も、母とはそういう話をしたことはないですけど」
母親と同じ道を
高校卒業後は、保育科のある短大に進んだ。
「母親が保育士なんですよ。その影響なのか、自分も昔から子どもが好きでしたし。将来的に自分は子どもを持つことはできないので、せめて子どもに関わる仕事がしたいなあと」
何より、「子どもは素敵だな」と心から思っていた。
「中学時代、職場体験の授業があって保育園に行ったんです。当時から僕はショートヘアだったので、子どもたちは何も臆せず『男? 女?』と聞いてきたんです。でもそのうち、誰ともなく『そんなこといいから、一緒に遊ぼうよ』って。そんな彼らを見て、ああ、人間って最初はこういうふうに偏見を持っていないんだな、それが大人の言葉とか環境で変わってしまうんだなと思いました」
「その頃くらいから僕はじわじわと、自分のセクシュアリティについて悩み始めていたから、ああ、純粋で偏見を持たない子どもって、なんて素敵なんだろうと」
進学先を選ぶ時、そのことを思い出して即決。
つきあっていた彼女も、たまたま保育の道に進むことを望んでいて、同じ短大に進んだ。
<<<後編 2016/10/21/Fri>>>
INDEX
06 本当にやりたいことが見つかった!
07 これからどうやって生きていこう
08 ウソをつかなくていい人生
09 「理解しよう」という姿勢が大事
10 家族をつくりたい