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いま楽しく生きている。自分のことを愛してほしいなって伝えたい【後編】

いま楽しく生きている。自分のことを愛してほしいなって伝えたい【前編】はこちら

2022/07/16/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shintaro Makino
村上 愛梨 / Airi Murakami

1989年、東京都生まれ。小学生の頃からバトントワリング、野球に親しみ、中学で始めたバスケットボールに情熱を傾ける。恵まれた身体能力とシュートセンスを生かして実業団チームで2度の全国制覇に貢献した。26歳でラグビーへ転向、日本代表キャップ1を持つ。セクシュアリティはクィアを自認している。

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INDEX
01 土手を走り回る元気な子
02 野球の日本代表でオーストラリアへ
03 スラムダンクを見て、バスケ部に入部
04 将来の夢はバスケで実業団
05 もしかして、性同一性障害?
==================(後編)========================
06 男と比べられるのか、この恋は
07 タクシーの中でお母さんにカミングアウト
08 夢の実業団入団! 秋田での一人暮らし
09 バスケットからラグビーへ転向
10 ようやく自信を持ってクィアと公表

06男と比べられるのか、この恋は

お母さんまでいじめの対象に

高2で好きになった人も女性だった。

「チームメイトで、とても影響力がある子でした」

もちろん隠しながらつき合っていたが、あまりに一緒にいすぎてバレてしまう。するとチームメイトのひとりが扇動して、いじめが起こった。

「恋愛相手も私をかばってくれませんでした。練習中や試合中に仲間から罵倒されて、孤立して・・・・・・。敵なの? 味方なの?って。悔しくて泣きながら、トイレにこもったこともありました」

そんなときまた
「ここに何しにきた?」
「バスケをしにきたよね?」

あの自問自答を繰り返して堪えた。

手紙を見られて親にもバレたが、今度はお母さんがいじめの対象になってしまった。

「試合で親たちが集まるときに、挨拶を返してもらえなかったり、食事会に誘われていやいや行ったら席がなかったとか、そんなことがあったみたいです」

「愛梨ちゃんはいい子だけど、同性愛者だから気持ち悪い」と面と向かっていわれたこともあったという。

「それはみんな後から聞きました。お母さんは、いつも私のことを守ってくれたんです」

隠さなきゃいけない、絶対にいえない

母も巻き込んだ恋愛は後味の悪い形で終わってしまったが、一方で慕ってくれる後輩もいた。

「トイレで泣いてると、『愛梨さん、帰るよ〜っ』て迎えにきてくれるんです。それに救われましたね」

「クラスにも親友がいて、彼女と一緒だとずっと笑っていられました」

しかし痛い思いをして、セクシュアリティに関する劣等感は決定的になってしまった。

「金八先生の上戸彩に共感しました。いっちゃいけないんだ、隠さなきゃいけないんだって、強く自分に言い聞かせました」

次につき合ったのは年上の人だったが、男性に心移りして振られる。

「それが最大の失恋でしたね。最終的には、男の人と結婚して、その人の子どもを生みたいからっていわれました」

「そうか、男と比べられるのかこの恋は、って分かりました」

つらいけどしょうがない、諦めるしかない。そう納得しようとしたが、悲しくて、気持ちは深く落ち込んでしまった。

07タクシーの中でお母さんにカミングアウト

バスケに没頭した大学時代

高校の3年間を終えても、実業団でバスケ選手になるという目標は変わらなかった。

「3年生のときにはスタートになって、東京大会を戦って、関東大会に出場することもできました。それでも、まだ自分に自信は持てませんでしたけどね」

次の目標は、大学でバスケの技術を磨くことだ。

「大学時代は、ほかに話すことがないくらい、シンプルにバスケに没頭しました。体育館に8時間いることもありました。まるで、仕事みたいでしたね」

練習以外の時間もチームのジャージばかり着ていた。

「ほかのことに労力を使う体力は残っていませんでした。オシャレ? それ、何? っていう感じでしたよ(笑)」

猛練習の甲斐があって、バスケ選手として大きく成長する。

「インカレにも出場して、結果も残せました」

思わぬ流れでカミングアウト

バスケ一色の大学生活だったが、恋愛もないわけではなかった。

「その頃はアプリを使って相手を探すようになりました。つき合ったのは、看護士さんでした」

「女性とつき合っても、将来は男と結婚すると思ってましたから、とにかく隠すことは徹底してました。カモフラージュで男とデートしたりもしましたね」

ところが、思わぬタイミングで母にカミングアウトをすることになった。

「20歳のお祝いに、お母さんが新宿のゲイバーに連れていってくれたんです。お母さんの行きつけで、スナックみたいなバーでした」

その店のママが、私を見るなり、「あんた、レズでしょ」と、図星をさしたのだ。

バーのママには全力で否定したが、帰りのタクシーの中で「私、自分らしくいきたい。女の子を好きになるんだよね。あのバーでママに言われたのは合ってたけど、男の子なのかな・・・・・・私」と告白した。

母の反応は、「理解はするけど、認めない」。

「高校のときの嫌な経験もありましたから、認められなかったんでしょうね。タクシーの中でちょっと言い合いになりました」

しかし、最後は「一緒に心療内科にいこう」と提案してくれ、お母さんの知り合いの先生に会いにいくことになった。

08夢の実業団入団! 秋田での一人暮らし

名門チームへ入団

カウンセリングを終えた後の、先生の結論は「この子は違う」。

「先生は、性同一性障害だったらバトントワリングの練習を泣きながらするというんです。私は楽しくて、喜んで習っていましたから」

母は、診断の結果を聞いて、ほっとしたのだろう。それ以来、セクシュアリティを話題にすることは、いっさいなかった。

「LGBTって言葉もまだ一般的じゃなくて、レズとかホモとか差別的な表現しかない頃でしたからね。でも、それまで他の人に『私の娘』っていってたお母さんが、『私の子ども』に変わったんですよ」

そして、大学卒業が近くなり、夢にまで見た実業団への入団が決まった。

「静岡のチームと迷ったんですけど、秋田銀行にいくことにしました」

秋田銀行レッドアローズは、2000年に創部した名門チームだ。

「私のキャラで銀行員をするって面白くないですか? 制服を着て窓口業務ですよ。それも決め手になりました(笑)」

意外にも銀行員が楽しい

秋田という知らない町。アパートでの初めての一人暮らし。そして、銀行の営業窓口。初めてのことだらけの社会人一年生だった。

「意外かもしれませんけど、仕事が楽しかったんですよ。お客様と話をするのが向いてたみたいです。銀行の制服を着ることにも違和感はなかったです」

天気や家族の雑談から入って、次第に相手の懐に入っていく。そして、いつの間にか投資物件の話にじんわりつなげる。

「横で聞いていた先輩に、よくそれだけ話が次々と出てくるよねって感心されました」

しかし、一人暮らしのほうは充実していたとは言い難い。

「銀行での仕事が終わってから、夜10時までバスケの練習があるんで、晩ご飯はお弁当が出るんです。アパートには寝に帰るだけでしたね」

夏の暑い時期に、エアコンが壊れたことがあった。

「お母さんに電話をして『暑いよ、死にそうだよ』といったら、扇風機を2台送ってくれたんです」

すると、今度は不動産屋が、「エアコンが直るまで」といって扇風機を持ってきた。

「扇風機3台の風に当たってたら苦しくなって、また『お母さん、苦しいよ』って電話しました(笑)」

09バスケットからラグビーへ転向

男性に見切りをつける

入社3年目、25歳のときだった。
ある男性に告白されて、つき合うことになった。そして、ベッドに誘われて・・・・・・。

「そのときに、やっぱりダメだって確信しました。気持ち悪くて我慢できなくて・・・・・・。また帰りたくなっちゃいました(笑)」

異性は無理。
男とはつき合えない。

そう、はっきりと見切りをつける決心をした。

「自分には軸としてスポーツがあるし、男性との結婚がなくても、すべてがなくなるわけじゃない。関係ないや、もういいやって割り切りました」

秋田では女性とのつき合いもあったが、それも男性との結婚を理由に再びフラれてしまった。

「もう、いいや。アスリートとして生きていくことを考えよう! そう気持ちを整理しました」

バスケ人生、最後に花開く

しかし、憧れの実業団に入部したものの、そこでのキャリアは順風満帆とはいかなかった。

「今度は監督に人格否定されたんです。挨拶をしても返してもらえないし、1年目はまったく試合に出してもらえませんでした」

「ここに何をしにきたの?」
「バスケをしにきたんだよね?」

またしても、自問自答、失意の日々がやってきた。

「でも、チームメイトがいい人たちばかりだったんで助かりました」

その監督が翌年、チームを去ると、ようやくバスケに打ち込めるようになった。そして、在籍中に全国優勝3回、国体2度優勝という輝かしい実績を打ち立てることができた。

「石の上にも3年、と思って頑張りました。最後に花開いたって感じですね」

ラグビーとの衝撃的な出会い

全盛期ともいえるバスケのキャリアをひっくり返す衝撃的なことが起こった。

「お客様にチケットをもらって、ラグビーの試合を見にいったんです。人間の体同士がぶつかる音を聞いたら、鳥肌が立って、自分の体が熱くなってました。嘘じゃなくて、本当に鼻血が出たんですよ(笑)」

この競技をやってみたい!

一瞬のうちにラグビーというスポーツに魅了され、ずっとラグビーのことを調べながら帰った。

「ビビッときたとしかいえないですね。知っちゃった! このスポーツって感じでした。バスケは30歳までできたと思いますけど、ただやっているだけになりそうな気もしてましたし」

迷うことなく、ラグビーへの転向を決意。

母に話すと、「危ないスポーツなんじゃないの?」と心配をしてくれたが、最終的には「やりたいならやりなさい」と認めてくれた。

「支店長には、銀行もバスケも辞めます。ラグビーでオリンピックを目指します、とはっきりといいました」

東京の実家に戻ってチーム探しを開始。
バスケから転向した選手を見つけて訪ねた。

その選手に相談に乗ってもらい、「東京山九フェニックス」への入団が決まる。26歳のときだった。

1年目から将来のオリンピック選手を発掘するための合宿に参加するなど、注目を集めた。

「最初はオリンピック競技になっているセブンス(7人制)にチャレンジしたんですけど、とにかく速さと痛さがバスケットとは全然違うんで、正直、途方にくれました」

しかも、練習中に目を強打し、眼底骨折をしてしまう。

「これは神様が、少し休めっていってるんだなって思いました」

10ようやく自信を持ってセクシュアルマイノリティであることを公表

日本代表キャップをゲット

次に訪れた転機は2017年、女子ラグビーのワールドカップを見たときだった。

「セブンスとは違う熱さを感じました。15人制ラグビーを本気で学びたいと思ったんです」

そしてその年、結成されて間もない、横河武蔵野アルテミ・スターズに移籍することになった。

「監督はオーストラリア人で2メートルくらいある大きな人なんです。まるで父親みたいに、頭の先から爪先まで、私を受け入れてくれました」

顔を合わせると、「ハウ・アー・ユー?」と声をかけてくれる。その瞬間に心の底から安心できた。

長年、スポーツに打ち込んできたが、初めて感じた完璧な安心感だった。

「監督、私、日本代表になりたいんですけど、っていったら『ナレルヨー』って励ましてくれましたね(笑)」

そして29歳のとき、有言実行、日本代表に招集された。

「直前にケガ人が出て、急遽、呼ばれました。監督に、『ユー・行くよ』っていわれました。すぐに準備をしてオーストラリアに飛んで、オーストラリア代表と対戦しました」

セクシュアルマイノリティであることを自分なりに公表

2019年10月11日の国際カミングアウトデーに、Twitterでこれまで隠すしかなかったセクシュアリティについて公表にした。

「ラグビーが好きで、チームが好きで、好きな人もいる」という、自分なりのカミングアウトだった。

「今のチームの環境が大きいですね。自由な雰囲気で、陰口をいう人もいない。何も隠す必要がないんです。安心できる場所、大きく呼吸ができる大切な場所です」

友人の紹介で知り合ったパートナーの存在も助けになっていた。

「彼女はレズビアンであることを公表しているんです。お母さんにも紹介して、一緒に箱根旅行にもいきました」

30歳でメディアにもデビューし、同性パートナーがいることを公表した。

「ラグビーでケガをしてCTを取ったら、全然違うところに腫瘍が見つかったんです。癌かもしれないっていう不安のなかで打ち合わせをして、手術の後にインタビューを受けました」

いろいろなことを乗り越えて、ようやく自信を持って自分のことを話すことができたのだ。

「自分を愛せる、セルフラブだと思ってます」

新しい仕事、これからのこと

現在は、「クーゼス」という企業に勤めている。自分の生き方や人生に自信と誇りを持って胸を張れるようになる商品を製造・販売しているブランドだ。

その中で、オーダースーツのフィッターという仕事をしている。

「店舗を持っていないんで、社長の田中さんと私はそれぞれ、お客様がお住まいのエリアへ出張して、生地や裏地、ボタンなどを選んでいただいてます。フィッターは、採寸までする仕事ですね」

「初めての仕事ですけど、なんとか役に立てれば、と思っています」

予約を取ってくれた顧客を集めて、採寸会を開くこともある。

「週末に全国に出張することが多いんで、ラグビーの練習との調整も必要になります。仕事を通じて、LGBTとしての悩みがある人とも話をしたいと思ってます」

LINEを使って「誰も一人にしないプロジェクト」も立ち上げた。

「自分が教えるとか、伝えるっていうのはおこがましいんで、その人の言葉を引き出すことに専念しています。困ったときに連絡できて、ふらっと発言できる場所を提供できればいいな、と」

精神的にキツくなった人、自分の性別が分からない人、性に悩んでいる人がアクセスしてくれる。

「私も中学生の頃はつらくて、何度、総武線に飛び込もうかと悩んだことがありました」

でも、今こうして楽しく生きている。誰もが自分らしく平等に輝ける場所を作りたい。

2022年1月、横河武蔵野アルテミ・スターズは第8回全国女子ラグビーフットボール選手権大会に優勝し全国制覇を成し遂げた。

「40歳までラグビーを続けるか、バスケに戻って指導者になるか。パーソナルトレーナーとしてのスキルも磨きたいですね」

私はバスケに助けられた。
ラグビーという素晴らしいスポーツに出会うこともできた。

「自問自答を繰り返しながらも続けてきました。何かを続けていれば、いいことがある。それを伝えたいですね」

 

あとがき
人見知りとも感じられる正体は、人の気持ちを感じて行動するゆえなんだと、話すほどに感じた。「誰も一人にしなしない」は、村上さんの愛だ。言葉に重ねられる気持ちは、村上さんの細やかな優しさが伝わる■一人でいることが孤独なんじゃない。大勢と過ごしていたら孤独を感じないわけでもない。誰かとつながることは、自分とつながること。新しい自分、これまでの自分を知って、そうなんだな!って、少しニッコリおもえることかな。(編集部)

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