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すべての人が、その存在を認められる社会に【後編】

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2016/05/30/Mon
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Yuko Suzuki
平良 愛香 / Aika Taira

1968年、沖縄県生まれ。2003年より、神奈川・相模原「日本キリスト教団三・一(さんいつ)教会」にて主任牧師を務める。現在、農村伝道神学校講師、日本聖書神学校特別講師、立教大学非常勤講師。1995年よりセクシュアル・マイノリティ・クリスチャンの集い「キリストの風」集会の代表のほか、カトリック・HIV/エイズデスク委員、「いのちの電話相談員全国研修会」講師を務めるなど、キリスト教会外でも幅広く活動中。なお、出身地沖縄の基地問題に取り組んでいる。趣味は「自分の “変な” 証明写真集め」。

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INDEX
01 ”人と違う子” になりなさい
02 自分で選び取る、ということ
03 違っている=変わっている?
04 誰か、助けて!
05 同性愛者として、アクションを起こす
==================(後編)========================
06 両親にカミングアウトした日
07 母親という人
08 キリスト教者として
09 LGBTへの認知度は広がったけれど
10 ゲイでよかった、と思うこと

06両親にカミングアウトした日

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「私が死んでからにしてほしい」と母は言った

短大を出たら牧師になる。
そう告げたら、沖縄の両親もさぞ喜ぶに違いない。

「でも、ただ喜ばせたくはありませんでした。僕は、何の疑問も持たずに親と同じ道を進もうとしているのではなく、ちょっとしんどいことをしようとしているのだ、ということを知ってほしかった」

「だから沖縄に帰る前にまず、電話で両親に『うれしい報告とショッキングな報告があります』と伝えておいたんです」

いざ両親を前にするとなかなか話を切り出せず、「で、報告というのは何?」と父親に促されてようやく告白。

自分はゲイであり、そのことを公表して牧師として活動しようと考えていることを伝えた。

父親も母親も絶句し、父親はそのまま、その日は一言もしゃべらなかった。

一方、母親は「質問が2つあります」と言ってきた。

質問の1つめは、「私の育て方に問題があったのか」、2つめは「それは、治るものなのか」というものだったという。

「前者については、むしろ育て方のおかげで僕は、ありのままの自分でいいと思えたんだよと。後者については、治る治らないというのは、同性愛が異常であるということが前提の話になってしまうから答えられない、と言いました」

「すると母は『じゃあ訂正。異性愛に変わる可能性はないの?』って。そこでこう答えたんです。『24年間同性愛者で生きてきたし、今さら変われるとは思わない。仮に変われるとしても、変わりたいとも思わない。同性愛者である自分を大事にしていきたいから』と」

母親はしばらく黙った後、こう言った。

「あなたは線の細い子だから、ゲイであることをオープンにして生きて行くのは大変だと思う。その姿を見るのは母親としてつらいから、ゲイを公表するのは私が死んでからにしてほしい」

3秒後に起きた大どんでん返し

カミングアウトしないほうがよかったのだろうか。

母親の苦しむ姿に、心が痛くなった。

ところがその3秒後、母親が顔を上げて「今の、撤回!」と言ったのだ。

「『あなたがそう言うのなら、親としては応援したい。同性愛のことを勉強させてほしい』って。そこで、これまで調べたこと、自分が経験したことをたくさん話し、後日、同性愛に関連する本もたくさん送りました」

「しばらくして、母は電話口で『これまでずっと愛香を遠くに感じていたけど、今はすごく近くに感じられる。嬉しくてしょうがない』と言っていました」

父親には翌日、散歩に誘われた。

海辺を歩きながら、あらためて牧師になることを祝福してくれたという。

ただ、息子がゲイであることを、まだ母親のようには受け止められなかったようだ。

「『愛香が、自分はゲイだと思うのは、まだ素晴らしい女性と出会ってないからだと、親としては思いたい。だから、素晴らしい女性との出会いがあるよう祈ろうと思う』って」

しかしそんな父親も、ゲイの息子を誇りに思う母親によって徐々に考えが変わっていき、今ではよき理解者だ。

07母親という人

お星様柄のスカート

自分自身ゲイであることを受け入れ、ゲイとして胸を張って生きてこられたのは、「母の影響も大きいでしょうね」と平良さんは言う。

父親ももちろん、キリストの教えとして「ありのままで生きなさい」と説いた。

が、人と違っていていい、むしろ「違うことのほうが素敵」と常に言っていたのは、母親だ。

「僕がもともとジェンダーフリーなのも、母の影響でしょう。子どもの頃から、あなたは男の子なのだから男らしくしなさいと言われたことは、一度もありません」

ある時、「スカートをはいてみたい」と思った。

女の子になりたかったわけではなく、ただ単に、スカートを試してみたかったのだ。

「それを母に言うと、生地屋さんに一緒に連れて行ってくれて、そこで僕がいちばん気に入ったお星様柄がプリントされた生地でスカートを縫ってくれました。そしてそのまま『遊びに行ってらっしゃい』って(笑)」

思い返すに、母親はつねに「周りがどう見るか、どう思うか」ではなく、「子どもがどうしたいか」を大切に考えてくれた。ゲイとして生き始めて、改めてそのことに感謝したという。

「私の自慢の息子はゲイです」

母親は「すべての辻褄が合った」と。

「子どもたちの中であなたが一番、何を考えているのかわからなかった。もしかすると、自殺してしまうこともあるのではないかと思っていた」とも言った。

だが、息子がゲイであることを知り、”なるほどそういうことか、それで長い間、ひとりで何かを抱えているように見えたのか” と、納得したというのだ。

「挙句の果てには、黒地に銀文字で『私の自慢の息子はゲイです』と書いたTシャツを自分で作って、町を歩き始めました。その後、母のもとには、我が子がゲイではないかと悩む親御さんたちの相談が多く寄せられたようです」

母親は、ゲイパレードにも参加し、ともに歩いてくれた。

もちろん、黒地に銀文字が輝くTシャツを着て。

08キリスト教者として

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”歌のおいにさん” に憧れていたけれど

牧師になると決心する前、実は別の夢があった。

NHKのテレビ番組『おかさんといっしょ』の “歌のおにいさん” になることだ。

もともと音楽が好きで、フリーター生活の後に進んだ短大も音楽専攻だった。

NHKに確認すると、歌のおにいさんを募集しているという。さっそく採用試験を受けるも、結果は不合格。

そのことを後に母親に話すと、彼女はこう伝えてくれた。

「神様は、進む道を用意してくれるだけじゃなくて、迷っている時、要らない道を閉ざしてくれるのよ」

その後、神学校で学び、牧師の資格を取得。

ただ、同性愛者である自分を牧師として迎えてくれる教会があるかどうかわからない。

心配したある人が、働き口として幼稚園を紹介してくれた。

「そこで、園児たちに歌を教えることができたんです。自分で好きな歌を選んで、子どもたちと歌えるのがとても楽しかった。また、彼らのリクエストに応えるのも好きでした」

「子どもたちは『ライオンとおさるさんが出てくる歌を歌って』なんて無茶を言うんですよ(笑)。でも、次の日までに一生懸命考えて作っていくと、みんな大喜びでした」

自分が好きな歌を歌い、自分で歌をつくることができる。”歌のおにいさん” になっていたら、そんなことはできなかっただろう。

ああ、神様はやはり自分にとって要らない道を閉ざしてくださったのだと、母親の言葉を思い出し、納得した。

子どもたちは、ただ受け止めてくれた

幼稚園で働くにあたっては、園に、自分がゲイであることを最初から伝えていた。

園児たちにも、そしてその親にもとりたてて隠すことはしなかった。

「ある日、女の子に『お姫様ごっこするから、先生、王子様になって迎えに来て〜』と言われたので『僕も王子様に迎えに来てほしい〜』と言葉を返したんです。するとその子は『そっか、先生、男の人が好きなんだもんね。でも、今は我慢して、迎えに来て!』って(笑)」

こんなこともあった。

ある子が「男と男は結婚できないんだよ」と言うので、平良さんはこう返した。

「できる国もあるんだよ」と。

「すると、『へー、そうなんだー』って、すぐに納得してました。気持ち悪いとか、変だとか言わずに」

何の刷り込みもない子どもは、同性愛への偏見はなく、ただ事実として受け止めてくれたのだ。

子どもたちの中にも、トランスジェンダーかもしれないと感じられる子が
いた。

そういう子に対して園は、「小学校に入ると、ひょっとすると否定されるかもしれない。せめてここでは、あなたは大切な存在なのだということを徹底して感じさせよう」という方針で接していた。

「幼稚園での日々は、セクシュアル・マイノリティに対する偏見、あるいはコンプレックスを持つか持たないかに幼児期の体験がいかに大きく影響するかを実感しましたね。貴重な経験でした」

09LGBTへの認知度は広がったけれど

理解は広まった、でも・・・・・・

1995年から、平良さんはセクシュアル・マイノリティのための集会を続けている。

もちろん、レインボーパレードにも、ゲイの人たちで音楽を楽しむイベント「プレリュードにも参加。

自らのセクシュアリティに悩む人たちから寄せられる相談にも、応じている。

「僕がゲイとしてアクションを起こし始めた頃は、セクシュアル・マイノリティを可視化し、存在を知ってもらおうことが大切だと言って” ビジビリティ” という言葉が合言葉のようになっていました。現在、その目的はかなり達成したように思います」

見える存在となったことで、嫌がらせを受けたり攻撃されたりすることもある。

だが最近は、そういう行為をする人たちの存在も可視化され、世間から追求されるようになった。

それでもまだ同性愛者に対して差別的な暴言を吐く政治家はいるが、それに対しては必ず「おかしい」と発言の修正、撤回を求める声が上がる。

「セクシュアル・マイノリティに対する認識は、かなり広まったと思います。ただ、理解が深まったかといえば、さあどうでしょう」

同性婚が、真の解決なのだろうか

渋谷区、世田谷区の同性パートナーシップ関連の記事が、マスコミで大々的に取り上げられることで、最近はよく「日本も早く同性婚が認められるようになるといいですね」と声をかけられる。

「でも、そう言われるたびに戸惑うんです。それが果たして、問題の真の解決なのだろうかって」

「セクシュアル・マイノリティにかぎらず、日本には結婚して一人前とするようなパートナー絶対主義が存在すると思うんです。同性パートナーシップ条例についても、『パートナーシップを大切にする同性愛者だけを尊重する』というようなことになりはしないか」

「異性カップルでも離婚した途端不利益を被りやすい現在のシステムを、無批判に同性カップルが歓迎していいのだろうか」

「確かに、同性パートナーシップが認められないことによる弊害は想像以上に大きいので、必要な条例だとは思いますし、画期的なことだと思います。でもそれだけで終わってはならないのでは。僕のほかにも、同じような危惧を抱いている同性愛者は少なくありません」

また、たとえばDV(ドメスティック・バイオレンス)防止法についても、異性同士なら事実婚でも適用されるが、同性カップルには適用されない。

「異性間のDVに関しても日本の警察はまだまだ理解が足りないと思いますが、とくに同性カップルの場合は『まったく相手にしてもらえなかった』という話をよく耳にします」

「本当の意味で誰もがが生きやすい世の中になるには、まだしばらく時間がかかりそうです」

10ゲイでよかった、と思うこと

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さまざまな ”マイノリティ” に共感する

“多様な性” についてひとりでも多くの人に知ってほしい、理解を深めてもらえたらと、現在、講演活動や大学の授業などを通して、自らの経験をもとに話をしている。

講演の依頼があるということは、それだけ世間がセクシュアル・マイノリティに対して関心を持ち始め、理解しようとしていることの現れだろう。

「それは、とても喜ばしいことだと思っています。ただ、僕は、話をセクシュアルの問題だけに止めたくありません。いまの社会は、性のことに限らずあらゆる場面でマジョリティとマイノリティに分けがちで、それによってさまざまな差別が生まれているのが現状です」

自分がゲイであることによって、同じくマイノリティとされる人々の存在に気づき、共感できるようになった。

だから、「ゲイでよかったと思う」のだという。

差別者にもなり得る自分に気づいて

平良さんが気をつけていることがある。

それは、自分自身が差別者になってはいけないということだ。

「たとえば、日本ではいまだに女性は男性より弱い立場に置かれています。そうした中、ゲイである僕は、女性から見れば抑圧者である男性であることには変わりはありません」

「僕は女性を性的な対象としては見ていませんが、それ以外の部分で差別していることはないだろうか」

「あるレズビアンの人から『セクシュアル・マイノリティの中にあっても、私たちは差別を受けていると感じることがある』と言われたことがあります。それを聞いて、そうか、自分も差別者になる可能性があるのだと気づきました」

障がい者の問題も、また然り。

健常者中心に整備されているこの社会の中にあって、自分は無意識のうちに障がいを抱えている人たちを差別しているのかもしれない。

そんなことに気づけるようになったのも、自分がゲイだからだろう。

「そんなふうに、僕はゲイでよかった、と思う瞬間がたくさんあります。でも、いちばんよかったと思うのは、これまですてきな男性と出会い、恋愛できたこと。結婚できる、できないではなく、ただ『この人が好き』という純粋な思いで、ふたりの関係を築けてこられたこと。そして、自分を大切だと実感できる幸せ。この幸せを、異性愛の人にも味わってほしい。そう思うんです」

あとがき
愛香さんの「お片づけのうた」が響いた。最寄り駅まで迎えに来て下さった車内でのこと。本気の美声で、いっぺんに楽しくなった■問いかける大切さを教えてくれた愛香さん。それは、自身にも、知らぬ間に世の中に出来上がった事実にも■違いを隔てる壁が立てられると、議論の対象はその向こうになりがち。どちらの側も向こうであり、こちら。「世界の壁」は増える一方。まずは自己点検しようと思う。いらない壁を「お片づけ」できるように。(編集部)

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