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スポーツで培った精神力が仕事、私生活の原動力【後編】

スポーツで培った精神力が仕事、私生活の原動力【前編】はこちら

2021/10/02/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
先﨑 愛 / Ai Senzaki

1993年、福島県生まれ。小学校3年のときに兄と一緒に地元のソフトボールクラブに参加。中学でオリンピック出場を夢に見て強豪校へ進学するが、実力の差を思い知る。大学在学中、友人にセクシュアリティをカミングアウト。初めての交際も経験した。現在は保険アドバイザーとして自立しながら、LGBT当事者だからこそできる活動をしている。

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INDEX
01 男の子たちと走り回るやんちゃな子
02 男の子にはまったく興味がわかない
03 強豪校で知った厳しい現実
04 とにかく耐えた地獄の寮生活
05 いい思い出なく終わった高校生活
==================(後編)========================
06 大学の同級生に初めてのカミングアウト
07 レズビアンバーで知り合った10歳年上の恋人
08 1日100軒ピンポンするリテール営業
09 サイトを通じてパートナーと出会う
10 LGBT当事者である私だからできること

06大学の同級生に初めてのカミングアウト

スポーツライターを目指す

オリンピアンへの夢は、高校1年で早々に諦めてしまった。次に志したのはスポーツライターへの道だ。

「朝日新聞に連載される高校野球の記事が大好きだったんです。スポーツが好きだし経験もしてきたので、自分でも挑戦してみたいと思いました」

ひとりの球児にスポットライトを当て、甲子園にかける情熱を描く物語。そこにはいつも感動があった。そういう仕事なら、自分も打ち込めると考えた。

「スポーツ推薦で、仙台大学のスポーツ情報マスメディア学科に入学しました」

大学は柴田郡柴田町にあり、仙台から30分くらい離れた場所だった。大学の目の前にアパートを借り、一人暮らしを始める。

大学は全学年で1000人ぐらいのこじんまりしたキャンパスだった。マスメディア科の同期は男女合わせても40人程度そのなかで、女子の比率は2割と少なかった。

「授業の一環として、楽天やベガルタ仙台の中継に立ち会えたのはよかったですね。解説者の真後ろで試合を観戦しました」

ちょうど東日本大震災の後だったので、復興マルシェも取材した。

「取材して書いた記事は学科内で発表しました」

解放された大学生活とカミングアウト

推薦で入ったので、ソフト部には籍をおかなくてはいけなかった。

「高校のレベルが高かったんで、それに比べると練習も楽でしたね。指導する先生もいないので、同好会的なゆるさがありました」

1年生から試合に出場する機会もあったが、練習の後はバイトをする余裕も生まれた。

ある時、仲良くなった友人が女性と交際していることを知る。

「その友人からセクシュアリティの話を聞くうちに、自分のことも自然と話すことができました」

高校のときから、どんな環境だったらいえるのか、誰だったら話せるのか、いろいろと悩んできた。そんなときに現れた、「話すことができる相手」だった。

「その子に話してから、少しずつバイト仲間とか周囲に話せるようになりました。みんな、『へえ、そうなんだ』という感じで、否定的な反応は少なかったですね。誰にでも話せる気になっていきました」

ずっと抱き続けた悩みだったが、いったん壁を破ると思いのほか、その後は簡単だった。

07レズビアンバーで知り合った10歳年上の恋人

コンビニのお客さんに一目惚れ

周囲へのカミングアウトが順調に進むと、彼女がほしいという気持ちが強くなった。

「バイトしていたミニストップに、スタイルがよくてショートカットが似合うきれいな人がお客さんとして来たんです。その人に一目惚れしてしまいました」

何度か応対するうちに、かわいい人だなぁ、なんとか知り合いになりたいなぁという気持ちが増していく。

「あるとき、その人が同じ大学に通っていることが分かったんです。しかも、ソフト部の先輩と同じ学科だったんです」

先輩から連絡先をもらうと、「ミニストップで働いている者なんですけど、よく買い物に来ていらっしゃいますよね。いつもきれいな人だな、と思ってました。今度、食事にいきませんか」とメッセージを送った。

「いいよ」と返事をもらったので、待っていると、数日して彼女がミニストップに現れた。

「こないだのメッセージ、私が送ったんです、と打ち明けて、一緒に食事にいきました。彼女も一人暮らしで、アパートがすぐ近くだったことも分かりました」

「家にも行かせてくださいよ」とたたみかけ、彼女の家でよく飲む仲にまで進展する。

「そして、実は好きなんです、と告白しました。そうしたら、彼女も恋愛の対象が女性だって分かって、過去につき合った人の話も聞きました」

これはチャンス! と意気込んだ。

「2年間、追いかけたんですけど、結局、恋は実りませんでしたね(苦笑)」

レズビアンバーの門を叩く

どうしても彼女がほしくなり、大学4年生のときにひとりで仙台のレズビアンバーのドアを開けた。

そのころは、まだアプリやオフ会のことも知らなかった。

「バーにひとりで来ていた人に話しかけました。10歳年上の人で常連みたいでした。落ち着いた女性っていう感じで。そのときに、年上って話しやすいなと思ったんです」

大学生から見れば、30代の女性はかなり大人だ。

一緒にお酒を飲みながら、セクシュアリティのことなどを話すと、自分の気持ちがリラックスするのが分かった。

「今度、食事をしませんか、って誘って・・・・・・。それからつき合うようになりました」

彼女も一人暮らし。メッセージの着信音が鳴ると、「来た!」と胸が高鳴った。

「毎日、ワクワクしてましたね。ちょっとでも時間があったら会いたい、という気持ちでした」

しかし、その頃すでに東京の会社に就職することが決まっていた。

「彼女は宮城から出たくないといっていて。おつき合いしたのは、半年くらいでした」

08 1日100軒ピンポンするリテール営業

やさしいおばあちゃんが最初の契約者

スポーツ記者を目指して大学を選んだが、就職先に選んだのはまったく違う業界、証券会社だった。

「野球の記事は書きたいんですけど、政治とか興味のないジャンルはできないな、と思って諦めました。ずっとスポーツできたから、真逆の分野も見てみたくなって」

金融ってなんぞや、株ってなんぞや、お金って何? まったく知らないジャンルだからこそ挑戦してみたくなった。

「人から厳しいよっていわれましたけど、厳しいのは慣れているんで(笑)。むしろ、普通は避ける業界にいきたい気持ちでした」

仕事はリテール営業、最初の配属先は静岡県だった。

「お金持ちを探して、個人宅を一軒一軒、ピンポンして歩くんです。完全な飛び込み営業です。電話してもアポなんか取れないから、ただ歩くのみです。1日に100軒、ピンポンしたこともありました」

茶畑の下は金持ちが多い、と聞いて同じエリアを何度も歩いた。

「3日に一度同じ家を訪ねるから、怒り出す人も多かったですね。水をかけられたこともありました」

しかし、粘り続けるうちに顔を覚えてくれる人も出てきた。

「最初に契約してくれたのは、76歳のやさしいおばあちゃんでした。不憫に思ったんでしょうね。『あんた、毎日、よく歩いてるね。話を聞いてあげようか』って・・・・・・」

そして、「ここに100万円の余裕資金があるから、あんたの勧めるものを買うよ」といってくれた。

人の役に立つ仕事

最初に契約が取れたのは配属から2週間後。平均からすれば早いほうだった。
うれしかったし自信にもなったが、営業を続けるうちに疑問が大きくなった。

「お客さんが儲からない仕組みになっているんですよ。投資信託は長期間保有して利益が出るのに、証券会社は手数料を取るために、早めの切り替えを勧めるんです」

「ウィンウィンにはなりにくい。それが日本の証券会社の現実なんです」

やさしい人を傷つけるような仕事はやりたくないと、2年間働いて結論を出した。

「個別株、投信、社債、保険など、いろいろな商品を扱ったんで、とても勉強になりました。営業のノウハウも覚えることができました」

営業も嫌いではなかった。人の役に立つ営業なら頑張ることができる。そう考えて、転職。損保に移った。

「売上高10億円から700億円未満の企業をターゲットにした部隊で、労災の上乗せと言われる業務災害総合保険など、企業にとって大切な賠償の保険を販売していました。これも100%新規開拓でしたね」

電話や飛び込み訪問でアプローチをする。

「だいたい、どの会社も適切な補償に入っていないんですよ。加入している保険の内容を見せてもらって説明をすると、みんな、『えっ』て驚きます」

人の役に立つ喜びも感じられ、仕事に打ち込むことができた。

09ネットを通じてパートナーと出会う

一番好みじゃない人

証券会社に勤めているとき、静岡から茨城に転勤になった。

「その頃は、もうネットを利用していて、2歳の子どもがいるシングルマザーの人と知り会いました」

「私の家で会いましょう」と誘われ、「飲めるならいいですよ」と訪ねていった。

「料理がとても上手な人で、こういう人もいいなぁと思いました。クルマを持っていたんで、毎日、会いにいってましたね」

その人との関係は、損保への転職を機に解消。今のパートナーとは友人の紹介を通じて知り合った。

「つき合って半年で一緒に住むようになりました。それまでは、つき合いを始めると徐々に構えてしまって、うまくいかなくなったんですが、今の人はとてもリラックスできるのがいいですね」

スタイルがよくてショートカットの人が好みだが・・・・・・。

「今まで理想ばかり追ってきました。今の彼女と出会って、見た目よりもっと大切なことがあることに、やっと気付きました」

8歳年上で、それまでトランスジェンダーと何度か交際経験がある人だ。

「もう、つき合って3年です。料理をしてもらったら、皿洗いをするとか、簡単なことですけど、お互いに思いやりを持つことが長続きするコツですね」

兄と父へのカミングアウト

今でも仲のいい兄に、今のパートナーとつき合って1年が経ったときにカミングアウトした。

「最初は、驚いて絶句してました。世の中にそういう人がいることは知ってたけど、まさか自分の妹だったとは・・・・・・って」

「オレがソフトボールなんかやらせたから、男勝りになったのか」と、冗談ともつかない反省までした。

「でも、すぐに理解してくれて、父親にLGBT関係のテレビ番組をみせて説明までしてくれんたんです」

兄のおかげで父には間接的にカミングアウトしたが、母親にはまだ話をできていない。

「体調を崩して入院中なんです。コロナでなかなか会いにもいけないんですよね。会えるようになったら、パートナーを紹介しようと思ってます」

子どもの頃からスカートを嫌がり、男っぽかったのは知っている。もしかしたら、勘づいているかもしれない。

「きっと拒絶することなく、受け入れてくれると思います」

パートナーの家族には紹介してもらった。今、目標にしているのは同性婚だ。

「日本はまだ偏見を持つ人が多いと感じます。もう変に隠したりしませんけど、きちんと認められた関係になれればもっといいですね」

10 LGBT当事者である私だからできること

お客様に正しい知識を伝えたい

損保会社に勤めているときに、生保と損保にまたがる、いわゆる「第三分野の保険」を取り扱った。

「生命保険も、みんな間違えたものに入っているんです。自分自身もそうだったから、生保は、より正しい保障内容のものに入ることが大切だと思って、法人と個人の両方を対象とした保険アドバイザーにキャリアアップしました」

会社に所属しながら、給与体系は個人事業主という立場だ。

「知識のない人がとんでもない商品を何も知らない人に売っている。それが日本の生命保険の現状なんです。その現状を変えるためには、自分でやるのがいいと思いました」

ケガや病気は個人の生活に直結している。それだけに正しい知識を伝えたいという思いは強い。

「お金の話は保険がすべてではありません。保険の営業は保険しか知らない、では意味がないんです。それは証券会社にいたからこそ分かることです」

総合的な相談に乗るファイナンシャルプランナー。そんな頼りになる存在になりたいと思っている。

LGBT当事者として情報発信の機会を増やしたい

もうひとつ、自分にしかできない仕事と使命感を感じていることがある。

「中学まで一緒にソフトボールをしていた幼なじみが、女性の恋人がいて、いずれ男になりたいって話してくれたんです」

その幼なじみから「保険のことについて知りたい」と相談があった。

「でも、もうホルモン治療を始めちゃってたんです。ホルモン治療する前にその情報知りたかったなぁ、と言われて自分が情けなくて。それで、LGBT当事者だからできる情報発信をしたい、と思うようになりました」

今の制度では、一度でもホルモン注射を打つと治療歴となり、加入できる保険が限られてしまう。

「そういうことを少しでも知っていれば、適したタイミングにより良い保険に加入できるはずなんです。それは私だからできることだと思って、情報提供できる機会を増やしたいと考えているところです」

セクシュアリティによって肩身が狭い思いをしている人たちがいる。そんな生きづらさがなくなる社会に少しでも貢献したい。

そのために影響力のある活動ができればいい。
そう思っている。

あとがき
先﨑さんは、さりげなくサッパリと話しを続ける。「・・・地獄でしたね(苦笑)」などと、タフな話も折り込まれたが、描写のおもしろさが加わって笑いが生まれた。忍耐強く乗り越えたからこそ備わる人間味■見渡せば、世の中は[大変なこと]にあふれてる。逃げるのもいい、戦ってもいい。そこにどんな意味を持たせてもいい。たまに振り返ると、大変なことに出くわしたときの自分が見えてくる。成功のためとか、勝つためとかさておき、知っておこうか。(編集部)

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