INTERVIEW
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スポーツで培った精神力が仕事、私生活の原動力【前編】

トップレベルを知りたくて入部したソフトボールの強豪校。しかし、その厳しさは “地獄” 級だった。早く解放されたいと願う3年間だったが、グラウンドで培った精神力が厳しい金融業界を生き抜く支えとなった。レズビアンバーで知り会った10歳年上の大人の女性に恋の手ほどきを受けて以来、恋人はいつも女性。現在のパートナーとは同性婚を視野に入れている。

2021/09/25/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
先﨑 愛 / Ai Senzaki

1993年、福島県生まれ。小学校3年のときに兄と一緒に地元のソフトボールクラブに参加。中学でオリンピック出場を夢に見て強豪校へ進学するが、実力の差を思い知る。大学在学中、友人にセクシュアリティをカミングアウト。初めての交際も経験した。現在は保険アドバイザーとして自立しながら、LGBT当事者だからこそできる活動をしている。

USERS LOVED LOVE IT! 17
INDEX
01 男の子たちと走り回るやんちゃな子
02 男の子にはまったく興味がわかない
03 強豪校で知った厳しい現実
04 とにかく耐えた地獄の寮生活
05 いい思い出なく終わった高校生活
==================(後編)========================
06 大学の同級生に初めてのカミングアウ
07 レズビアンバーで知り合った10歳年上の恋人
08 1日100軒ピンポンするリテール営業
09 サイトを通じてパートナーと出会う
10 LGBT当事者である私だからできること

01男の子たちと走り回るやんちゃな子

明るくて社交的なお母さん

福島県いわき市に生まれ、小さい頃に田村郡小野町に引っ越した。

「いわきと郡山の間で、ほとんど山しかありませんね。唯一、有名なのが『リカちゃんキャッスル』なんですけど、私、リカちゃんには全然、興味がなかったんで(笑)」

キャッスルの中には、初代リカちゃんはじめ、歴代のリカちゃんが展示されるミュージアムのほか工場もある。リカちゃんファンにとっては聖地だ。

「それよりも虫取りをしたり、外を走り回ってましたね。紙飛行機を飛ばしたり、男の子遊びがほとんどでした」

里山や田んぼが多い、自然に恵まれた環境で暗くなるまで走り回っていた。

「父は、ほぼほぼ家にいなかったんです。政治関係の仕事をしていたので、人づきあいが忙しかったみたいですよ。私たちが寝てから帰ってくるんで、ほとんど会うことがなかったですね」

東京への出張もあり、家庭で過ごす時間は限られていた。子どもたちは、必然的にお母さんっ子になる。

「母は、私が小さいときから看護師の仕事をしていました。明るい人で、勝手になんでもやって父に怒られることもありましたね(笑)」

子どもたちが入っていたソフトボールチームをみんな呼んで、父親に相談することなく自宅でバーベキューパーティーを開いた。そこにたまたま父親が帰ってきて、大げんかになったこともあった。

「夜勤もあるのに子育てもして、すごい人だなぁと思います」

実業団のソフトボールの試合を観たいというと、夜勤明けでも山梨や岩手までクルマを運転して連れていってくれた。

「その分、兄と私で小学校の頃から家事を手伝ってました。料理をしたり、風呂掃除をしたり、兄と協力してやってましたね。特に、それを嫌だとは思いませんでした」

兄と一緒にソフトボールチームに参加

遊び友だちは、主に近所の男の子たちだったが、ひとつ上の兄も仲間のひとりだった。

「兄はひとりで行動できないタイプだったんですよ。ソフトボールを始めたのも兄がひとりで練習にいけないんで、私がついていったのがきっかけでした(笑)」

兄のつき添いとして(?)、小学3年生のときに地域のソフトボールチームに参加。チームに女の子は私しかいなかった。

「ちっちゃい頃から男の子たちと遊んでたんで、女の子ひとりでもなんとも思わなかったですね」

以来、大学生まで続けるソフトボールとの出会いだが、最初はあまり好きになれなかった。

「どっちかというと、嫌いでしたね。やめたかったけど、やめさせてもらえなかった感じです(苦笑)」

途中から、近所の幼なじみを誘って女の子はふたりになった。

「続けているうちに、女子としてはそこそこ上手くなって、男の子に混じって試合に出るようになったんです。その頃からですかね、面白くなったのは」

ほぼ毎日、練習があり、週末もソフトボールの仲間たちと遊ぶことが多くなった。

「ソフト以外のスポーツは得意じゃなかったですね。勉強もほとんどした記憶がないです。唯一、漢字に興味を持って、難しい漢字を黙々と覚えたりしてましたけど」

02男の子にはまったく興味がわかない

弱小チームで見つけた夢

地元の公立中学に進学。小学校は1学年2クラスしかなかったが、中学は4クラスになった。

「学校のソフトボール部に幼なじみと一緒に入部しました。私と彼女以外のメンバーは、まったく経験がない素人だったんで、レベルが低いチームでした」

先輩たちにも上手い人はあまりいなかった。

「1年生からレギュラーで試合に出てました。でも、初心者に教えることが多くて、あまり楽しくありませんでしたね」

当然、試合は連戦連敗。もっと上手くなりたい、強いチームでプレーをしたいという気持ちが強くなり、ある目標が芽生えた。

「高校は強豪校にいって、実業団チームに入って、オリンピック選手になりたいと思いました」

憧れは、アトランタ、シドニー、アテネのオリンピック3大会に出場して大活躍した高山樹里選手だ。

「カッコいいなぁ、ああいう選手になりたいなぁ、と憧れました」

あれが初恋?

幼なじみのほかに、もうひとり、家が近い子と仲良くなった。

「その子はバレー部でした。彼女のバレー部の友だちと4人でよく遊んでましたね。数学専門の塾にも4人で通いましたし」

考えてみると、さんざん男の子と遊んできたのに、男子をカッコいいと思ったことは一度もなかった。

「小学校のときから周りの子たちは、誰がカッコいいとか、あの子がいいとか話してましたけど、私は男子をそういう目でまったく見れませんでした」

それでも、みんなと話を合わせるために、無理矢理好きな子を探したりした。

「誰かを好きにならなきゃいけないのかな、って感じでしたね。好きだってことにした人はいたけど、バレンタインも何も特別な関わりをもつことは一切ありませんでした」

そんな自分の気持ちに不自然さを感じたが、それが何かはさっぱり分からなかった。

「たとえば、カップルが歩いていると、普通、男性を見ますよね。でも、私は逆に女性のほうが気になっちゃうんです。それには気づいていました」

小4のときに、初めて気になる人が現れる。
ショートカットが似合う、スタイルがいい人だった。

「2歳上の上級生で、近づくためにはどうしたらいいか、考えました。家が近かったんで、学校帰りに、一緒に帰りませんかって声をかけました」

積極的に近づき、話ができるようになると「家に遊びにいってもいいですか」と持ちかけ、家にまでお邪魔するようになった。

「とってもやさしい人でした。今にして思えば、初恋ですかね。そのときは自分の感情がなんなのか、分かりませんでしたけど」

03強豪校で知った厳しい現実

練習会で広がったオリンピックへの夢

ソフトボールでオリンピックへいく! その夢を叶えるために絶好のチャンスが訪れた。

毎年福島県で開催される大会に、強豪校として知られる埼玉栄高校が来ていて、憧れを抱いた。

学校見学会の際に練習会に参加。埼玉栄といえば、憧れの高山選手の母校でもあった。

「練習会でいいプレーをして監督の目に止まると、スカウトしてもらえるんです。一種のセレクションですね」

選ばれるのは、15人程度。狭き門だ。

「とにかくトップレベルを知りたい。それしか考えていませんでしたから、一生懸命アピールしました」

その甲斐あって、見事に合格。監督に気に入ってもらうことができた。

「夢への階段を一歩上がった感じでした。幼なじみは地元で一番強い高校に進みました」

努力ではどうにもならないこともある

夢に胸を膨らませて入部した憧れのチームだったが、現実は厳しかった。

「自分の実力ではダメだとすぐに分かりました。よく『努力さえすれば』っていうじゃないですか。でも、努力でなんとかなることには限度があって、どうにもならないこともあるだなぁって、それを知りました」

中学では、ほかにできる選手がいなかったのでキャッチャーに回っていたが、本当はショートをやりたかった。

「でも、ショートには同級生にめちゃめちゃうまい子がいたんですよ。とてもかなわなかったんで、セカンドになりました」

しかし、セカンドでも試合に出ることはできない。なんとか20人のベンチ入りに入るのが精一杯だった。

「ベンチに入ってもうれしくはないですね。ゲームに出られないとやっぱり面白くないですよ」

打撃でも、中学のときは大きいのを狙ってバンバン振り回していたが、高校ではバントやバスターなど、小技専門になる。

望んで進んだ道だったが、辛さ、厳しさのほうが大きくなっていった。

04とにかく耐えた地獄の寮生活

日本一になるために

自分が試合に出られない以上、練習のモチベーションは、いかにチームの日本一の目標に貢献できるか、しかなかった。

「とにかく、日本一しか考えていないチームでしたから。日本一になるために、自分に何ができるんだろうって、いつも考えてました」

ソフトボールは、コーチャーの役割が重要だ。

3年生になるとコーチャーとして、レギュラー陣がいいパフォーマンスをするためのサポートがしたいと思い、裏方の仕事をかって出た。

「チームを支えることにやりがいを見出したって感じですかね」

チーム40人ほどの力が結集して、1学年上のチームは見事に全国大会準優勝を果たした。

「途中からいつ解放されるんだろうっていう気持ちも出てきましたね(苦笑)」

しかし、寮にいる限り、休まる時間はない。

3年生の6月にインターハイ予選が終わって引退してからも、後輩たちが新人戦で勝つためにノックや球拾いが待っていた。

やめたいけど、やめられない

厳しいのは練習だけではない。ある意味、もっと厳しかったのは寮での生活だ。

「一言でいえば地獄でしたね(苦笑)。とにかく先輩たちが厳しかった。それに、寮がグラウンドのすぐ隣りにあるんで、まったく逃げ場がないんです。オリに入れられているみたいでした」

ナイター設備、室内練習場も完備され、練習は平日は夜9時近くまで。土日も朝から晩まで明け暮れた。

「それから食事をして洗濯なんですけど、1年生は他にも役割があるので洗濯が最後なんですよ。疲れ切って寝るだけでしたけど、朝練もありますから、1年生のときは、毎日、3時間くらいしか寝てなかったですね」

唯一、食堂にあるテレビは3年生以外、観ることができない。もちろん、毎日が合宿同然だった。

「夏休みは3日だけでした。冬は元旦の次の日から試合があったんで、休みは12月の30日と31日の2日だけでした。ソフトボール以外の生活は、ほぼほぼなかったですね」

しかも、寮では同じ階に先輩がいたため、先輩の部屋の前を通らないと洗濯室にいけない。

「小さな音も立てないように、四つん這いになって先輩の部屋の前を進んでました(笑)」

同級生ひとりと2人部屋だった。

「2年生になって、楽になるかなと思ったけど、楽になることはなったですね」

同級生は13人いたが、みんな各中学のお山の大将ばかり。個性派揃いだった。

「本当に何回もやめたいと思いましたよ。でも、福島から進学させてもらって、簡単に自分だけの気持ちでやめるのは失礼じゃないですか。やめたいけど、やめられなかったというのが本心でした」

05いい思い出なく終わった高校生活

最悪だった体育祭のダンス

ソフトボール部が高校生活の大半だったが、もちろん、普段の授業には出席していた。

「私は保健体育科でした。保体科は4クラスあって、各クラスに女子が10名くらいいました。みんな仲がよくて、楽しかったですね」

部活を引退してからは、ちょっとした時間に一緒に出かけることもあった。

「部活以外で印象に残っているのが、体育祭のダンスですね。埼玉栄の伝統行事なんですけど、これが最悪で・・・・・・(笑)」

保健体育科の女子全員でおそろいのレオタードを着て、踊る。これもまた “地獄” だった。

「ダンス部の顧問の先生が振り付けを教えてくれるんですけど、ある程度まで指導すると、あとは先輩方に指導をお願いするんですよ。その後が最悪でした」

保健体育科は全員、運動部に所属している。ソフト部以外の先輩も厳しかった。

「体育祭は10月半ばなんですけど、8月後半ぐらいから午後はずっとダンスの練習なんですよ。背中は日焼けでヒリヒリするし、本当にひどかったですね」

絶対に隠さなきゃダメ

楽しい思い出がない高校の3年間だったが、好きになった子がひとりいた。

「同級生でした。仲良くなって、よく話してたんですけど、なんだか不思議な気持ちになって。この感覚はなんだろう? って思いました」

実は、校内には内緒でつき合っているカップルがいたが、「あのふたり、つき合っているらしいよ」と周りで噂が広まった。

「ひとりは風貌が男っぽくて、相手は女性らしい人でした。本人たちは隠していましたけど、つき合っているのは、すぐに分かりました」

そのふたりを見て、「キモい」という声も聞こえてきた。

「それを聞いて、自分が女の子を好きなことは、絶対に隠さなきゃダメだ、と思いましたね」

当然、好きな相手に告白などできなかった。

「男性になりたいという気持ちになったことはなかったですね。レズビアンとか、セクシュアリティに関する言葉も、その頃は何も知りませんでした」

苦しかった高校の3年間。
ようやく卒業を迎え、ついに解放された。

 

<<<後編 2021/10/02/Sat>>>

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06 大学の同級生に初めてのカミングアウト
07 レズビアンバーで知り合った10歳年上の恋人
08 1日100軒ピンポンするリテール営業
09 サイトを通じてパートナーと出会う
10 LGBT当事者である私だからできること

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