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家族がバラバラになってはじめて始まった、自分だけの人生【後編】

家族がバラバラになってはじめて始まった、自分だけの人生【前編】はこちら

2016/05/18/Wed
Photo : Taku Katayama  Text : Momoko Yajima
アーヤ 藍 / Ai Ayah

1990年、長野県生まれ。慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)卒業。現在、「人と人をつないで世界の課題解決をする」をミッションに掲げる映画配給会社のユナイテッドピープル(株)の取締役副社長として、社会問題をテーマにしたドキュメンタリー映画の宣伝・上映などを手掛ける。セクシュアリティは「クエスチョニング」。

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INDEX
01 本当は、たぶん、ずっと、怒っている
02 「クエスチョニング」という存在
03 LGBTコミュニティを知って
04 多感な少女時代
05 大きかった母の存在と葛藤
==================(後編)========================
06 家族と離れて得られたもの
07 新しい会社と人との出逢い
08 血を超えた家族的な存在を求めて
09 「いい子」からの脱却を目指して
10 脱ぎ捨てて、軽くなりたい

06家族と離れて得られたもの

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ファミリーネームに縛られて生きることへの疑問

母の影響下を出て、自分らしく生きる術を模索し始めた矢先、慕っていた親戚のおじさんが亡くなる。

子どものいない家庭で、自分を娘のように、孫のようにかわいがってくれたおじさんだが、両親が別居したことで連絡が取れなくなってしまい、きちんと感謝を伝えられないうちに亡くなってしまった。

「すごく悲しくて悔しくて。今の会社に転職して、せっかく前を向いて歩けるようになっていたのに。自分が後ろを向いてしまう原因は、家族の問題ばかりだと自覚しました。でも、せっかく前を向き始めたのだから、このまま一人の人間として自分の道を切り拓いていきたいと、強く思ったんです」

ファミリーネームを卒業しよう。
これからの人生を、自分の第二の人生のスタートとするために。

そう、決意した。

改名。アーヤ藍へ。

大学では下の名前で呼ばれることが多いが、就職するととたんに「○○会社の△△です」のように、名字が使われるのが一般的になる。

ファミリーネームで呼ばれるたび、家族の存在に縛られている気がしてモヤモヤした。

その頃、自分と同じように家族間で問題を抱えるトランスジェンダーの友人も、ファミリーネームを変えたいということに共感してくれて、どんな名前に変えるかで盛り上がっていた。

その直後ぐらいに、忘年会の席で会社の社長に「名字を変えたいんですけど」と伝えてみたところ、あっさり「いいんじゃない? むしろ名字なくてもいいくらいだよね」と認めてくれた。

新しい名前は、アラビア語で「奇跡」を意味する、「アーヤ」に決めた。

大学時代にアラビア語を学び、研修で訪れたシリアで先生からもらった大切な名前だ。

大学の友人からはその名で呼ばれ、自分でも親しみがあったし、今の仕事に就いたきっかけもシリアにある。

文字通り、名実ともに、自信を持って「私である」と言えるようになった。

セクシュアリティも、名前も、大事なアイデンティティのひとつである。

自己を獲得していく道のりは決して平坦なものではないけれど、それでも自分を肯定し、もう一度生き直すためには、そこにこだわらずにはいられないのだ。

07新しい会社と人との出逢い

多種多様な人たちとの出逢い

高校時代から国際交流に興味を持ち、大学では色々なゼミを取ったが、中でもアラブ・イスラムの社会や文化について学んだことが、卒業してからもずっと心に残っていた。

シリア情勢の悪化とともにシリア人の友人と連絡が取れなくなってしまったり、SNSで悲惨な写真がアップされるのを目にしたり、アラブ情勢に関する心配は尽きず、社会人になってからもシリアのために何かしたいと思いながら働いていた。

3年ほど前、いまの会社が配給を手がけた、ピースデー(国際平和デー)に関するドキュメンタリー映画『ザ・デイ・アフター・ピース』を見て、「この映画を広めることは、間接的にシリアのためになる」と思い、大学生たちに上映会を行ってもらうプロジェクトを立ち上げた。

働きながら、プライベートな活動として動いていたが、やっているうちに「“自分が本当に伝えたいこと” を伝えるのはこんなに楽しいのか」と、手ごたえを感じるようになる。

そんな矢先、今の会社で社員の募集があり、これが仕事になるなら楽しいだろうと、入社を決める。

事業内容は、映画の配給・宣伝で、環境問題や人権問題など社会的な問題をテーマにした内容の映画に力を入れている。

この仕事を通して、本当に様々な人との出会いが生まれた。

そんな出会いの中で、家族の存在や、自分の「居場所」に対する考え方も変わった。

もはや両親に認めてもらいたいという感覚は消え、逆に両親だって、考え方も生き方も自分とは違う他者なのだと改めて思うようになった。

自分がもし家族から離れられていなかったら、現在のような価値観も考え方も異なる多様な人たちとのつながりや、新しいことへのチャレンジもできなかったと思う。

LGBTをテーマにした作品上映の実現

ここ最近は、立て続けに「絶対にやりたかった」2つのテーマでの作品の上映が叶った。

ひとつはシリアの内戦のドキュメンタリーだ。映画の買い付けは社長が行ったが、宣伝は自分がメインで進めた。

そしてもうひとつが、今年上映された『ジェンダー・マリアージュ~全米を揺るがした同性婚裁判~』。

アメリカ・カリフォルニア州で同性婚の法的容認を求めて裁判を起こした2組の同性カップルたちを5年に渡り追ったドキュメンタリー映画である。

2014年のレズビアン&ゲイ映画祭で上映された作品で、友人から反響について聞き、気になっていたのだ。

「ずっと扱いたかったテーマがLGBTだったので、この作品を見つけた時には、代表を説得しました」

念願のテーマだけに、何としてでもひとりでも多くの人に届けたいと、メディアにも出て語るようになる。

これまでは誰にも弱みを見せられずに生きてきたけれど、自分の体験を発信することで「言ってくれてありがとう」「同じ体験をしているから心に響いた」「順風満帆だと思っていたけど過去に色々あったんだね」など言ってくれる人たちがいた。

自分の声を受け止めてくれて、誰かの心に少しでも響いているのを感じることで、自分のこれまでの生きてきた過程が無駄ではなかったのだと思えるようになった。

映画館での上映後は、市民上映会という形で、カフェや公民館などでの上映の輪も広げている。

映画を観た後に感想をシェアしたり、関連するゲストのトークを聞いたりすることで、一層自分に引きつけて考え、深めることができる。

「当事者、非当事者と、線引きをするのがもったいない。セクシュアリティを考えることは自分が何者なのかを考えることにつながるから」

08血を超えた家族的な存在を求めて

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必要なのは、安心して何でも話せる、受け入れてくれる人や場所

今、自分の居場所は完全に家族から別の場所に移ったと感じる。

相変わらず仕事も多忙で人と縁を結ぶ機会も増えているし、LGBTの活動にも参加している。

プライベートでは、2年強、シェアハウス暮らしをしている。

「家族の中に自分の居場所はもうないので、安らげて、受け入れてくれる、血縁を超えた家族のような存在を増やしたい。そうしないと生きていけないから(笑)。不安は、ありますよ。割とよく家で落ち込んでます」と笑う。

自分の人生を着実に切り拓いていっているように見えるアーヤさんだが、ひとりで格好よく颯爽と歩いて行けるわけじゃない。

「たぶん、よちよち歩いていると思います。だからよく壁にぶつかって転んでます(笑)」と、飾らず、率直に答える表情が実に微笑ましい。

「少しずつですけど、そういう家族的な存在を築けていっている気もします。やっぱりずっとどこかで、何のために生きているのだろう、何のために生き続けるのだろうって疑問は持ち続けているから、この世を離れないでいるための、生きていく上での執着みたいなものが自分には大切なんだと思うんです」

関係性はお互いに尊重し合い、努力し築き上げていくもの

結婚については、両親を見てきて、今はしたいと思えない。

信じていた家族像が崩壊したことで、恋人やパートナーなど、特定の他者と密接な関係を結ぶことへの不信感も募った。

人との距離感は、今も試行錯誤している。

「あんまり距離が近くになると、逆に不安になっちゃうんですよ。ずっとこのままであってほしいと願う反面、このままの関係が続くわけはない、ってどこかで思ってる」

始まりがあれば終わりがあると考えてしまう。その不安は、やはり根深い。でも、パートナーはほしいと考えている。

「同性のカップルを見ていると、法的に守られない状況だからこそ、自分のパートナーをどう守るかを真剣に考えている人が多いと感じます。かたや自分の両親を考えると、男女として結婚という制度にあてはまったからこそ、それに甘んじて、お互いの関係性を保つための努力が大切にされていなかったのではないかな、と思います」

どんなセクシュアリティでも、相手のことを大事に思って、考えることは必要だと思っている。

「以前に付き合っていた人も、“相手の立場に立って”とか、“どうしたら相手を大切にできるか”という視点で私のことを見てくれていたら、もしかしたらお互いの接し方が違っていたかもしれません」

「セクシュアリティのことがきっかけになって、お互いに考えられたらよかったんですよね」

09「いい子」からの脱却を目指して

もっとわがままに、もっと素直に感情を出して

アーヤさんが話の中で一貫して伝えるのは、「枠」を取り払っていくことの大切さだ。

セクシュアリティという枠、血縁に拠る家族という枠、結婚制度という枠・・・・・・。

そしてそこには当然、「伝統的な家族観」「いい子」という枠も加わる。よい家族、よい子ども、という作り上げられた像は、他者からの評価が大きな基準になる。

思えば、家族の中で自分は道化役をやろうとしていた。

姉は強い人で、ハッキリと自己主張をするし、両親との衝突もいとわない。

父と姉がケンカしてピリピリしているところで自分がおどける。そんな役割だった。

でも本当は、もっとわがままに生きたかったし、もっと怒りの感情も出したかった。

でもいつも出せなくて、黙ってしまっていた。

言いたい言葉はこころの内側にたくさんあったのに、飲み込んだまま、大人になってしまった。

だからこれからは、他者の目を気にするよりも、自分の感情に素直に生きていきたいと願っている。

母自身の「家族を作ること」への気負い

母自身も「家族」への思い入れが強かったのだということを、今は知っている。

母の両親も母が高校生の時に離婚した。

だから、「家族をちゃんと作る」のが母の夢だった。気負いがあったのだと思う。それゆえに、自分はいい子でなければならないと感じてしまっていたし、父と母のコミュニケーションもすれ違っていってしまったような気がしてならない。

母の気持ちは痛いほど理解できるが、それでも自分を枠にはめようとすればするほど、苦しいのは自分、ということが今なら分かる。

父を恨むようにと、母から投げかけられた言葉も、逆に自分を母から遠ざけた。

「恨みの感情は生きていく上でとてもネガティブで、それを抱えて生き続けるのは嫌なんです」

アーヤさんは本当によく笑う。

でも、苦しみ抜いてきたことが、どこからか漏れ伝わってくる。

パンパンに張った風船は何かの拍子で破裂してしまうことを、おそらくちゃんと知っているから、コントロールの効きにくい恨みの感情は極力手放そうとしているのかもしれない。

実際にはそう簡単にはいかないのだけれど。

10脱ぎ捨てて、軽くなりたい

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一枚一枚、こころの着物を脱いでいく

昨年度はメディアで発信する機会が多かった。

一人でも多くの人にどうしても観てもらいたい映画があったからこそ、マスメディアも使ってアグレッシブにガンガン攻めていく姿勢だったのだが、それこそ家族の問題や自身のセクシュアリティなど、プライベートなことも公表、身を削るような思いでの発信もあった。

しかし、これまで言えなかった自分のことをオープンにすると、どんどん気持ちが楽になっていくのを感じた。

まるで一枚一枚、厚着した服を脱ぐように、人に伝える度に新しい自分が出てきて新鮮だった。

「こんな自分もいたんだ!って、自分を発見している感じで楽しいんです」と、心からの笑顔を見せてくれる。

一方、去年中南米を旅行し、少し意識が変化した。インターネットがつながりにくいこともあり、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが基本。

目の前にいる人との「今」この瞬間を大切にし、日本とは違うリズムで生きている人々が心地よかった。

「自分が好きだったのはこっちだったなーって思い出して。一対一でじっくり話して、お互いの考えを深めていくようなコミュニケーションが好きだし、それがやりたかったんだと気がついたので」

「今年はもうちょっと生き方を変えて、その機会を増やしたいとも思う」

勢いよく走り出したのを急には止められないから、徐々に、徐々に。

でも着実に、自分の気持ちに正直に生きてきている熱量を感じる。

今年の目標は「奔放になりたい」

アーヤさんにとっては、今はまだ旅の途中というか、本当の自分を生き直すための「脱皮」の作業中なのだ。

「去年の年末、一年を振り返る会をやった時に、今年の目標として『奔放になりたい』と言ったら、友だちから『え? いま奔放じゃないの?』って言われて(笑)。周りから見ると結構奔放らしいんですけど、私はまだまだ自由奔放な感じはしないので・・・・・・」

「もっともっと、自由になりたい! って思っているところです」

今年は色んなことに挑戦しようと思っている。

スカイダイビングやバンジージャンプもやってみたいし、この間はゲイの友人にストリップも見に連れて行ってもらった。なんでも経験だ。

今までどこか自分で歯止めをかけたり、タブー視してきた世界に触れるなかで、自分の心から沸き起こる感情を確かめ、何者にも左右されない自分だけの価値観をしっかりと築いていきたい。

こんな風な自分になれたのは、それでも家族のことがあったから。

色々あったからこその、いま。あのまま両親が別居せず、親の望むままのいい子でいたら、いまの充実感はなかったと思う。

でも、まだスッキリと、完全に家族のことを割り切れているわけでもない。

引っかかりはある。

「家族に代わる存在」の土台が揺るぎないものとならないうちは、まだ家族に向き合えないのも、本音だ。きっと心をかき乱されてしまう。

「もっとわがままに生きたい! と思ってます。だってまだ、なんだか『いい子』な気がしますもん(笑)」という言葉に、思わず居合わせた一同で笑ってしまった。そう、これだけ色々と話を聞いても、アーヤさんのベースはやっぱり、「いい子」で、「ちゃんとしてる子」だ。だけどそれでもいいじゃないか、それのどこが悪いのだと、開き直って脱皮したアーヤさんの姿を見てみたいと、心から思う。清濁あわせ持つ、そのとびきりの笑顔の陰にちょっぴりの毒が見え隠れしたら、それはなんと人間的で、魅力的な女性だろうか。そんな姿が見られる日が、遠くない未来に、きっと訪れると信じている。

あとがき
アーヤさんはずっと、春のような笑顔。「まだ、自由でない」と語る時も微笑んだ。クエスチョニングとのセクシュアリティは、世の中に対する「あたなたは、自分は、何者なのか?」との投げかけように感じた。言葉の大切さと、そこで縛られる窮屈さ、そんなことも浮かんだ■アーヤさんは、きっとまだまだ変化する。社会への問題定義も、愛の詰まったアーヤさんらしさがきっと呈される。純粋なパワーは、家族、恋人の固定概念を超えた信頼や幸せをも定義してくれる。(編集部)

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