02 ボブ・ディランとLGBT
03 「“立派なひと” になりなさい」
04 新しい世界を見せてくれた恩師たち
==================(後編)========================
05 有志生徒によるLGBT研究会
06 多様性を認められない人々と、アライはどう接するべきか
07 大人世代こそが問題を抱えている
08 立派な行動は、自然と伝播する
05有志生徒によるLGBT研究会
「性の自分らしさを考える自由の会」
大学院を卒業し、現在は東京都東久留米市の自由学園で教鞭をとっている。
そして、2017年4月に生徒たちを中心に発足したLGBT研究会「性の自分らしさを考える自由の会」では、顧問も務めている。
会の立ち上げは、当事者である生徒のカミングアウトがきっかけだった。
「その生徒が、最初は僕に性自認について話してくれて、その後他の生徒にもカミングアウトを広げていったんです」
「カミングアウト後も、彼は学校で問題なく生活していましたが、やっぱり不安に感じることもあるだろうと思っていました」
彼を守るために、何か砦のような存在が必要だろう。
そう考えていた折に、彼を中心とした生徒たちが、「性の自分らしさについて、もっと考えを深めたい」と名乗り出てくれたのだ。
「それまで、授業でLGBTについて扱ったり、LGBTの研究者を招いた講演会が行われたこともあったんです」
こうして、「性の自分らしさを考える自由の会」の結成に至った。
「固定のリーダーがいるわけではなく、会の名前も特にこれといって決まっていないので、本当に自由なんです」
地域イベントに出演する時には、わかりやすく「自由学園 地域のことを考える会」など、柔軟に名前を変えたりもする。
名前は自由だが、中核となるのは “性の自分らしさ” を考えること。
“性の多様性” ではなく、“性の自分らしさ” としている点がこだわりだ。
会のメンバーは、現在13人。
「中には当事者もいますが、ほとんどがアライの生徒です」
素人談義にならないために
会の活動内容は、部活というよりも勉強会に近い。
「僕らの根底には、『素人談義にならないようにしよう』という意識があるんです」
あくまでも目標は、社会に訴えかけること。
そのためには、まず自分たちがLGBTの理論的な背景を理解した上で活動していく必要がある。
「だから、歴史や言葉の定義など、それぞれかなり勉強した上でディスカッションを重ねています」
たとえば、「多様性」という言葉。
これを、「個々が自由に振舞うこと」だと考えている人が多いのではないだろうか。
だが、海外には、「unity in diversity(多様性の中の統合)」という言い回しも存在する。
「つまり、『多様性』には『統合する』という方向性も含まれているんです」
これは、「個々がバラバラで自由に生きる」というよりも、「異なるそれぞれの存在が集まって社会を形成する」という考え方に近い。
「そうした言葉の定義や語源についても、生徒たちと学びを深めています」
ほかにも、フィールドワークとして新宿を訪れたり、著名な社会学者や大学教授に話を聞いたこともある。
「理論研究と実践研究、どちらも並行している感じです」
どれだけ「素人談義にならないようにしよう」と心がけても、圧倒的な経験や学識を持つ人々の前では、自分たちは所詮 “素人” でしかない。
「でも、無知な素人だからこそ持てる視点を大切にして、そこから問題に切り込んでいくこともできるんです」
高校生と一緒に、そうした “素人の楽しみ” も味わいたい。
06多様性を認められない人々と、アライはどう接するべきか
アライの生徒たちの変化
会の発足から今に至るまで、およそ半年強。
その間の活動を通して、特にアライである生徒の眼差しが大きく変化したように感じられる。
「というのも、最初はみんな、理性的に取り組もうとしていたんです」
知識があまりないまっさらな状態においては、当事者の置かれた状況を、まずは文献などを通して知っていくことからスタートする。
だが、資料にあたるだけでは限界がある。
そこで次に、当事者や活動家に取材したり、周囲との交流を図るようになった。
「地域のイベントに登壇して、『豊かな社会を目指すためにはどうすればいいだろう』ということを考えながら、LGBTを関連付けた発表をしたんです」
しかし、イベントの来場者には年長者が多かったためか、発表後、バッシングを受けることもあった。
会場アンケートには、「どうしてLGBTのことなんかを考えないといけないのか」というコメントも。
「そうしたバッシングを受けて、生徒たちは初めて、『当事者の人たちはこういう世界を生きているんだ』と気づいたんですよね」
「そこから、彼らは一気に世直しモードにシフトチェンジしていきました」
会の活動アイディアを積極的に出し、現在はシンポジウムの開催に向けても奮闘している。
当事者やアライの活動家なども含め、これまで30人以上への取材もおこなってきた。
「LGBTERさんとの関わりも、生徒が代表の方にインタビューさせて頂いたのが始まりでしたね」
「『社会を変えるために、どうすればいいんでしょう』とか、たくさんご質問させて頂きました」
「生徒たちには、生の声を聞いて本当のことを知りたいという気持ちがあるようです」
多様性を認められない人たちのケア
性の多様性を社会に訴える活動においては、昨今の「多様性や他者理解が重要だ」という風潮に取りこぼされている存在も忘れてはいけないと思う。
「多様性を認められない人たち、他者理解ができない人たちが、今では逆に排除されている側面もありますよね」
多様性の重要性をかざすのはもちろん大切だが、多様性を受け入れられない人たちをどうやって社会に包摂していくかも考えていかなければならない。
「そのためには、多分、一緒に楽しいことをやればいいと思うんです(笑)」
信条はそれぞれ違うにしろ、まずはそれを取っ払った上で楽しめるようなイベント等を開催する。
そして、イベントを通じて、徐々にリベラルな価値観に触れられるように導くのだ。
「たとえば、池袋に『ふぉー・てぃー』という情報ラウンジがあります」
若い女性がチラシを配っていて、内装もかなり派手な場所だ。
「それで、なんだろうと思って中に入ると、壁にはHIVの啓発ポスターが貼ってあるんですよね」
入り口は物珍しく人目を引くが、出口は啓発へと繋がっている。
「そうやって入り口と出口、表層と深層を使い分けることが、問題解決のために重要だと思います」
07大人世代こそが問題を抱えている
教育者が抱える問題
10代の若い生徒たちを見ていると、「時代は確かに変わってきている」と痛感する。
「10代、20代の子たちって、すごくリベラルなんですよね」
彼らは、多様性を受け入れるための豊かな土壌を持ち合わせている。
「メディアにも色々な人が出ているためか、セクシュアルマイノリティに対しても寛容で理解があるんです」
「ただ、彼らを育てる大人がどうか、という部分が問題ですよね」
たとえば、教育者。
昨年、ある小学校教諭が、LGBTの生徒が在籍するクラスで「誰だオカマは」という差別発言をしたことが大きな問題となった。
また、セクシュアルマイノリティに関する授業の後で、生徒に「先生はゲイなの?」と聞かれ、「そんなわけないだろ!」と嫌悪感を込めた返答をする教師もいる。
「なかなか難しいです、本当に・・・・・・」
そもそも、教育課程でセクシュアルマイノリティについて学んだ経験のある教師は、全体のたったの7パーセントしかいないという統計もある。
「教える側の大人が、『多様性!性教育!』と言いながら何も考えていないから、色々と問題が起こってしまうんでしょうね」
教員の振る舞いすべてが、子どもに影響を与える。
だからこそ、教員はもっと自由に性について話すべきだ。
「僕は生徒と、性についてよく話しています。自分の性のあり方を言葉にしたり、理解してもらう練習をするのは、とっても重要だからです」
生徒には、パートナーと性的にも良い関係を作ってほしい。
「そのためには、相手の理解を得られるように表現できないといけませんからね」
自分のこうした性教育を、よく思わない人が存在することも重々理解している。
それでも、性について語るべきだと思う。
「いま、性の問題は、人の生死にも関わっているわけですから」
高齢の当事者が抱える問題
もうひとつ、高齢の当事者が抱える問題も指摘したい。
「おそらく、当事者の中でも彼らが一番大変なんですよ」
今の若い世代は、比較的リベラルな社会に生まれ育ってきた。
だから、知らず識らずのうちに多様性を認められるストレートも多く、当事者を取り巻く環境は昔と比べれば改善されているだろう。
「でも、高齢者が若い頃というのは、産めよ増やせよの時代だったわけです」
「周囲の理解」どころの話ではない。
仮にゲイやレズビアンでも、異性と結婚して子どもを産むのが当然とされていたのだ。
きっと、死ぬまで自分の性を偽っていた人も少なくないだろう。
「そういう人たちをどうやってケアしていくかが、重要だと思っています」
これからの社会を作る若者の教育はもちろん、そうした高齢者の問題とも向き合っていかなければならない。
08立派な行動は、自然と伝播する
自己肯定感ってなんだろう
セクシュアルマイノリティを取り巻く日本社会には、まだまだ問題が山積みだ。
だが、だからこそ、これからも「性の自分らしさを考える自由の会」の活動を通して、多様性の大切さを社会に訴えていきたい。
「絶えず地域や社会に出ていって何かを発表する、そうした働きかけが大切だと思うんです」
そうした働きかけには、性教育の新たなロールモデルとしての可能性も秘められている。
「これまでの性教育は、当事者に対して『あなたはそのままでいいんだよ』と存在を肯定するだけでした」
だが、そうやって個を肯定しても、当事者が社会でうまく生活できるとは限らない。
当事者が心理的な問題を抱えている一方で、社会の側にも確実に問題はあるからだ。
「だから、心理的な手当てをするだけではなく、それぞれが社会を変えていく力を身につけないといけないと思うんです」
「自己肯定感」を心理学的に読み解くと、「セルフエスティーム」と「エフィカシー」の2種類にわけられる。
セルフエスティームは、存在に関する肯定、つまりは自尊心だ。
「これまでの性教育は、セルフエスティームに寄っていました」
「いろいろな人に『あなたはそれでいい』と説いてはいるものの、その下の句には、『社会は変わらないけどね』という意味合いが含まれてしまうんです」
カウンセリングを受けて社会に出ても、自殺してしまうような当事者が少なくないのはそのためだろう。
「だから、これからはセルフエスティームだけでなく、エフィカシーにも着目しないといけませんよね」
エフィカシーとは、能力を評価すること。
社会に自分から働きかけて、なんらかの成果を得る。
それは、自分の能力によって自己肯定感を得ることでもあるのだ。
「その積み重ねが大事なんです」
たとえセクシュアルマイノリティであっても、能力を生かせばコミュニティーだって作れるし、大衆に語りかけ、社会を変えることだってできる。
そう自覚することが、生きる糧になるのは間違いないだろう。
「だから、今後はセルフエスティームからエフィカシーに照準を変えた性教育に変化していくべきだと思っています」
立派な活動は自然と連鎖していく
今後も、「性の自分らしさを考える自由の会」の活動を通して、子どもたちが社会に働きかける手助けをしていきたい。
「学内に限らず、逃げ込む場がなくて困っている他の小・中学生のセクシュアルマイノリティにも、手を差し伸べられるような組織になれたらと思っています」
こうした活動には、“使命の連鎖” のようなものも伴っているだろう。
「僕たちがこういう活動をしているのを見て、『いいな』と思って参加してくれる人たちがいる。それを見てまた別の人たちが『いいな』と思って参加してくれる・・・・・・」
最初に誰かが何かを成せば、その連鎖は自然と起こっていく。
「そういう連鎖は、やっぱり “立派なひと” じゃないと起こせないんだろうな、と思います」
「だから、子どもたちにはよく言います。『“立派なひと” になりなさい』って」
「“立派” ってなんだろう」と、幼い頃から考え続けてきた。
それが、今でも自分の中で、社会正義と向き合うための指針となっている。