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教員として、アライとして、多様性のある社会をどう実現するか【前編】

この日の取材場所は、高野さんが教員として働いている自由学園。開放的な学園風景に驚かされつつ、高野さんは朗らかな笑顔で我々を迎え入れてくれた。細やかな気遣いはもちろん、言葉の節々に思慮の深さが滲み出ていて、「あぁ、“いい先生” ってこういう人のことを言うんだな」としみじみ感じさせられる。そんな真っ直ぐな高野さんの生き方は、幼い頃母に言われ続けていた、ある言葉によって導かれていた。

2018/02/14/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Mana Kono
高野 慎太郎 / Shintaro Takano

1991年、埼玉県生まれ。早稲田大学教育学部を卒業後、同大学院で修士課程を修了。現在は、東京都東久留米市の学校法人自由学園で教員として働き、有志生徒によるLGBT研究会「性の自分らしさを考える自由の会」の顧問も務めている。埼玉県川越市社会福祉審議会児童福祉専門分科会委員。早稲田大学高等学院情報科助手、国際キャリア教育学会(IAEVG)研究大会運営委員などを歴任。

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INDEX
01 同性愛にネガティブな感情はなかった
02 ボブ・ディランとLGBT
03 「“立派なひと” になりなさい」
04 新しい世界を見せてくれた恩師たち
==================(後編)========================
05 有志生徒によるLGBT研究会
06 多様性を認められない人々と、アライはどう接するべきか
07 大人世代こそが問題を抱えている
08 立派な行動は、自然と伝播する

01同性愛にネガティブな感情はなかった

海外の社会派アダルトビデオ

小学生の時には、セクシュアルマイノリティの存在をすでに知っていた。

クラスメイトがこっそり見せてくれたアダルトビデオに、ニューハーフやゲイも出演しているものがあったからだ。

「その時は、『こういう人もいるんだ!』とびっくりしたのを覚えています」

自分は同性を好きになったことがないから、彼らの感覚が今ひとつわからなかった。

だからこそ、新たな価値観に触れたような気がしたのだ。

初めて知った “同性愛者” という存在に対して、ネガティブな感情は特に抱かず、純粋な興味や驚きが先行していたように思う。

「しかも、僕が見た海外のアダルトビデオでは、冒頭で俳優が自分のセクシュアリティについて語るシーンが入っていたんです」

おそらく、ストレートの男優が演技をしているのではなく、当事者が当事者として出演しているのだろう。

「『自分はこういうセクシュアリティで、こういう人生を歩んできた。与えられた性を楽しんで生きている』というような語りが面白くて、本編だけでなく語りの部分もかじりつくように見ていました」

「ドキュメンタリーに近い、社会派AVという印象でしたね」

幼い頃の経験は、セクシュアルマイノリティが存在することへの “気づき” という側面が大きかったのだ。

周囲のセクシュアルマイノリティ

その後、中学生になってアメリカ・オレゴン州にホームステイし、当事者を目の当たりにする機会を得た。

「オレゴンは田舎なんですがリベラルなところで、2016年の大統領選でもトランプではなくヒラリーを選出した土地なんです」

「ホームステイしたときには、街なかでゲイやレズビアンのカップルが手をつないだり、キスをしたりする光景を目にしました」

また、身近には「父親がゲイだったために両親が離婚した」という友人もいた。

「セクシュアリティが原因で、夫婦関係が破綻するようなこともあるんだと知って、性がすごく身近な問題に感じられました」

「当事者が自身の性を良しとしていても、社会に出ることで生まれてしまう問題があるんだなと、その時、改めて気づかされたんです」

そうした経験を経て、高校は男子校に進学。

周囲にはゲイのカップルや、トランスジェンダーらしき生徒も多かったように思う。

「当事者たちはみんな自然体で、普通に校内でイチャイチャしているようなカップルもいました」

そんな彼らを批判したり差別したりする生徒も、自分のまわりには特にいなかった。

「入った高校には校則がなくて、髪の色や服装、出欠席などもすべて個人の自由だったんです」

「そういう雑多な環境だったからこそ、みんな自然体で振舞えていたんだと思います」

02ボブ・ディランとLGBT

ロックスターが社会に訴えるメッセージ

幼い頃から、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンといったミュージシャンが大好きだった。

「ふたりとも、歌詞がすごく社会的なんです」

ブルース・スプリングスティーンが楽曲を提供した映画『フィラデルフィア』は、ゲイのHIV患者を描いた作品だ。

ボブ・ディランも、人の“自由と権利”をモチーフに歌ってきた。

「セクシュアルマイノリティも含め、社会には弱い立場の人がたくさんいます。そうした人々の側に立つロックとはどういうものか、ふたりの音楽から教えられました」

「それで、高校生の時、卒論でボブ・ディランについて書くことにしたんです」

「卒論のためにボブ・ディランやLGBTにまつわる本を買ってくれ」と学校に打診したところ、関連する書籍を一式、自校の図書館に置いてもらえることになった。

「たぶん、ボブ・ディランに関連する本は、日本の高校の中でも私の母校が一番充実していると思います(笑)」

そうして様々な文献に触れるにつれ、LGBTに対して、社会的な側面から興味を持つようになっていった。

「単純に『こういう人もいるんだな』と受け止めるのではなく、『良い社会とはどういうものか』と考えるようになったんです」

そうやって知識を深めるにつれ、セクシュアルマイノリティを取り巻く問題点も浮き彫りになっていた。

性の多様性自体は、素晴らしいことだ。

だが、そうはいっても、セクシュアルマイノリティが社会の中で様々な制約を受け、不利益を被っているのもまた事実。

「そこに疑問を抱きましたし、そうした問題は取り除かなければいけないと思ったんです」

音楽史から見たLGBT

ボブ・ディランの軌跡を追う過程で、ローリング・ストーンズの音楽にも親しんだ。

「ローリング・ストーンズは、黒人音楽をかなり取り入れているんです」

その黒人音楽の系譜には、ファンクやソウル・ミュージック、ディスコ・ミュージックなどもある。

ファンクやソウル・ミュージックは、かつて迫害されていた背景もあって、公の場で耳にすることはほとんどなかったそうだ。

「じゃあ、どういう場所で聴けるのかというと、ゲイバーなどのアンダーグラウンドな場所なんです」

そのため、ソウル・ミュージックから派生したディスコ・ミュージックで活躍したアーティストには、ゲイの黒人が多かったという。

「そうやって、僕は音楽と関わりながら、LGBTについての関心を深めていきました」

03「“立派なひと” になりなさい」

母の教え

思えば、小さい頃から正義感や社会問題への関心が強かった。

それには、両親の教育が起因しているのだろう。

「うちの両親は、それほど教育についてうるさく言わない放任タイプで、『やりたいようにやりなさい』という感じでした」

だが、母からはひとつだけ、繰り返し言われていたのだ。

「“立派なひと” になりなさい」

たとえば、ケンカや悪さをして帰宅すると、「それは “立派なひと” のすること?」と尋ねられる。

“立派なこと” であれば、何をやっても許された。

しかし、母に「じゃあ、“立派なこと” ってどういうこと?」と聞いても、具体的な答えは返ってこない。

「だから、“立派” っていったい何なんだろう?って、自分ですごく考えたんです」

そうして考え続けた結果、「『みんなの幸せが自分の幸せ』と言える人が “立派なひと ”」という結論に至った。

逆に、“立派じゃないひと” は、自分のことばかり考えている利己的な人間だろう。

「お金や自分の損得ばかり考えているのも、それはそれでいいと思います」

「でも、少なくとも“立派”ではないですよね」

社会正義について考え取り組むことを、自分は“立派” だと思う。

「昔から、社会や人のことを考えている人に憧れてきたんです」

剣道から学んだこと

小学生の頃から高校生になるまで、ずっと剣道を習っていた。

その経験の中で得た教訓も、自分の血肉となっている。

「いいお師匠さんっていうのは、『ダメだ』って言うばかりで、どこが悪いか聞いても具体的にはあんまり教えてくれないんです」

だから、自分でどこが悪いのか考えながら練習するしかなかった。

そうした日々を重ねていると、ある日突然、師匠が「お前はすごくうまくなっている」と言うのだ。

「そういう教え方はコーチとしては全然ダメなんですけど、師弟関係としてはありだなって思えたんですよね」

そんな状況で得たのは、未熟な部分を自分自身の力で見出す術だった。

「『欠点がある』と言われて自分の稽古を見直すと、必ず悪い部分を見つけられたんです」

探しているものは、必ず見つかる。

それこそが、まさに修行のメンタルモデルなのだろう。

「剣道を通して、生き方やものの見方を教えてもらえたと思います」

04新しい世界を見せてくれた恩師たち

専門性に長けた高校時代の先生

「教師になりたいという夢は、小さい時からなんとなく抱いていたように思います」

いい先生もたくさんいたが、不親切な教師を見て、「自分だったらこうするのに」と不満に思うこともたくさんあった。

そんななか、本格的に教師を志すようになったのは、高校生の頃。

「中学の時は人情系の先生もいたんですけど、高校の頃は、専門分野に長けている研究者タイプの先生が多かったんです」

研究のかたわら生徒の授業も請け負っているような知的な教師たち。

彼らから大きな影響を受けた。

「授業では、それぞれの先生しか知りえないような最先端の研究についても教えてもらえました」

先生たちは、自分がこれまで知らなかった世界をたくさん見せてくれる。

「僕たちもフィールドワークと称して、歌舞伎町や新宿二丁目へ繰り出したり、ニューハーフの方にインタビューしたこともあります」

そうした先生の教えを受けたことで、社会への認識が格段に深まっていったのだ。

「現場に出たり、ホンモノに触れることで、“社会” をよりリアルに捉えようとする情熱を分けてもらえた気がします」

圧倒的な好奇心を持つ先生でいたい

セクシュアルマイノリティの人権問題に関心を持つようになったのも、高校生の頃。

その後大学では、教育学部で教育学と文学を学びながら、人権についても知識を深めていった。

そんな折に、20歳で学生結婚を果たす。

妻は、幼稚園時代からの幼馴染で、高校生の時には「結婚しよう」と将来を約束する仲だった。

「私が言うのもおかしいですけど、妻は結構しっかりしていまして、高校生の時に『結婚しよう』と切り出したら、『じゃあ、来月から月40万稼いで』って言うんです」

「共同生活して、子どももできると、そのぐらいかかるからって(笑)」

まもなく妻が出産。

妻子を持つ身ではあったが、大学卒業後は大学院に通い、修士過程を修了した。

「妻に言葉を尽くして説明したら、『行ってもいいよ』と言ってもらえたんです」

院進学をしたとはいえ、研究の道に進みたかったわけではない。

あくまでも、教師として現場に出るために、より深い知識を身につけたかったのだ。

「欧米では、修士号を持つ教員も多いですし、知識は少しでもたくさん持っていた方が望ましいと思ったんです」

 

<<<後編 2018/02/16/Fri>>>
INDEX

05 有志生徒によるLGBT研究会
06 多様性を認められない人々と、アライはどう接するべきか
07 大人世代こそが問題を抱えている
08 立派な行動は、自然と伝播する

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