02 “最初で最後の人” との出会い
03 夫婦になるための第一歩
04 “パートナーの名字” になるために必要なこと
==================(後編)========================
05 人に言えない関係とカミングアウト
06 “FTMと結婚する” という現実
07 胸を張って生きていける関係
08 悩んだ過去があるから未来に希望を抱ける
01土台を作った学生時代の経験
オープンで豪快な両親
幼い頃から、活発な少女だった。
小学生の頃は男子に混ざってお昼休みや放課後にサッカーをやったり、中学から大学まではソフトボールに没頭した。
「ずっと外で遊んでいるような子で、見た目もボーイッシュでしたね」
「その頃から “男だから”“女だから” って括りみたいなものは、あまり意識していなかったです」
男女で区別をしなかったのは、両親がオープンな性格だったからかもしれない。
18歳という若さで、長女の自分を生んだ両親は、何事も大らかに受け止めてくれた。
「何かをこそこそ隠すってことがない両親でした」
「昼ドラでエッチなシーンが流れると、お母さんはチャンネルを変えずに『見とけ』って言ったり(笑)」
「小さい頃は、両親が毎日 “行ってきますのチュー” をしていたことも覚えていますね」
ただ、時間を守る、挨拶をするなど、人としてのしつけには厳しかった。
メリハリのある親だった。
「両親の影響を受けて、私もかなりオープンな性格に育ったと思います」
好きになる相手の性別
中学生の時、同じ女子ソフトボール部の同期のことを好きだと感じた。
もともと仲が良かったため、一緒にいることが多く、同級生から「お前ら、レズだろ」と言われた。
「同級生の言葉で、女の子のことを好きになったらダメなんだ、って思いました」
高校生になってからも、一度だけ女子に好意を抱いたことがあった。
しかし、周囲には言えなかった。
「女の子が好きって言えば、『レズ』ってからかわれると思ったから、言えなかったです」
ただ、「自分はレズビアンではない」という思いもあった。
好きになった女子は2人とも、ボーイッシュで男らしいタイプの子だったから。
そして、高校生の時に、野球部の男子にも恋をした。
「その時は、周りにも『野球部のあの子が好き』って言っていました」
「周りはみんな、私の好きな人を知っていたけど、男の子相手だとからかわれることはなかったですね」
結局、野球部の男子にも告白せず、実らないまま終わった。
今でも、自分はレズビアンではないと感じている。
「夫には『バイセクシュアルなんじゃない?』って言われるんですけど、それもしっくりこないんですよね(苦笑)」
02“最初で最後の人” との出会い
きっかけはFTMの食事会
大学1年生の時、大学のある岐阜で国体が開催された。
さまざまな競技の選手が岐阜に集まることもあり、先輩に食事会が開かれることを聞いた。
「『FTMが集まるから、一緒に行こう』って誘われたんです」
大学の部活の同期は13人いたが、その内の何人かはFTMだった。
高校生の頃から、部活にはFTMの子がいたと思う。
「だから、そういう集まりがあることに、何の違和感もなかったです」
その集まりに来ていたのが、後に夫となる人だった。
「先輩の先輩にあたる人で、FTMということを知っている状態で紹介されました」
「当時は性同一性障害(GID)の治療を始める前だったので、彼の見た目は女性的でした」
柔道をしていたため、体格はよかったが、女性らしい丸みがあり胸も大きな人だった。
「出会った時は、恋愛感情みたいなものはまったくなかったんです」
決め手は積極的なアプローチ
その集まりの後、彼から熱烈なアプローチを受けた。
「当時の私はボーイッシュで髪も刈り上げていたから、男の子に間違われることも多かったんです」
「だから、アタックされるなんて少しも思っていなくて、びっくりしました」
自分は岐阜に、相手は千葉に住んでいたが、ある時、その距離を越えるためのプレゼントが届いた。
「『遠距離だけど、話せるように』って、携帯電話をくれたんです」
「そこまでのアプローチをされたことがなかったので、どう対応したらいいかわからなかったです」
彼は岐阜に遊びに来てくれたこともあり、積極的な姿勢に好感を持っていった。
彼といっても、その頃の戸籍はまだ「女性」。
しかし、女性から好意を向けられることに、抵抗はなかった。
「私自身も女の子を好きになったことがあるからか、女性相手という部分に違和感は抱かなかったです」
「最終的には私が押しに負けて、なんとなくつき合うことになりました(笑)」
人生で初めての恋人ができた。
告白らしい告白はなかったが、いつの間にか隣にいる存在になっていた。
「彼は今でも『俺は彩香の最初で最後の人だ』みたいに言っています(笑)」
「友だちからは『もっといろんな経験しといた方が良かったんじゃないの?』って言われますけど(苦笑)」
年齢は10個離れているが、ジェネレーションギャップは感じたことがない。
「彼は人とのつながりがすごく多いので、単純にすごいなって尊敬できます」
「しっかりした人柄にも、感心させられることが多いですね」
03夫婦になるための第一歩
拍子抜けの交際報告
つき合い始めて少し経った頃、地元・沖縄にいる両親に電話した。
FTMの人とつき合っている、と伝えるために。
「『簡単にいうと、はるな愛さんの逆バージョン』って話したんです」
「きっと反対されるだろう、と思っていました」
「でも、お母さんもお父さんも、すんなり受け止めてくれたんです」
両親は反対するどころか、「あら、そう」と驚きもしなかった。
「お母さんは、私が女の子を好きになったことがあるって気づいていたと思うんです」
「だから、ある程度の心構えはできていたのかな、って思います」
打ち明けた勢いで、「ゆくゆく彼は戸籍を変えて・・・・・・。結婚したいと思っている」とも伝えた。
母からは「親の反対くらいで別れるなら、これから先うまくやっていけないだろうから、今のうちに別れなさい」と言われた。
「別れるつもりはなかったので、『一度、沖縄に連れていきます』って言いました」
男より男っぽい挨拶
大学2年の時、ケガをしてしまい、ソフトボール部から離れることになった。
同時に、目指していた体育教師の道に疑問を覚え、大学を辞めることを決めた。
岐阜から実家のある沖縄に戻った。
「実家にいる間に、彼が両親に会いに来てくれたんです」
その日は、たまたま父の仕事が遅くなり、帰りが23時を回ってしまった。
父は「彼に先に家に上がってもらえ」と言ってくれた。
しかし、彼は「お義父さんがいない家に、先に男が上がるのはダメだ」と、玄関先で待ち続けた。
「その姿を見たお父さんは、『どんな男より男っぽいな』って認めてくれました」
彼が「僕が面倒を見るので、千葉に連れて帰らせてください」と挨拶してくれたことで、千葉に引っ越すことが決まった。
婿を受け入れてくれた家族
電話をした時の母のひと言が、自分の背中を押したことは間違いなかった。
「お母さんは偏見がなくて、寛容ですね」
「『あんたが信じてるものだったら、私も信じてる』って言ってくれる人です」
妹と弟も、彼に対してまったく抵抗がなかった。
「妹も弟も、よく私たちの家に遊びに来てくれるんです」
「泊まっていくこともあるんですけど、私と彼と妹で一緒に寝たりとか(笑)」
父は接し方に戸惑っている雰囲気があるが、息子として受け入れてくれている。
「今は彼もSRS(性別適合手術)を終えて戸籍も変えたので、父は旅行先とかで『一緒に風呂入るぞ』って言いたいらしいです」
「実際は言い出すタイミングがつかめなくて、悩ましいみたいですけど(笑)」
自分の家族はすんなり受け入れてくれた。
しかし、彼の家族に受け入れてもらうまでには、時間がかかった。
04“パートナーの名字” になるために必要なこと
亀裂が入ったままの関係
彼は大学時代にカミングアウトした際、母に拒否された過去があった。
それ以来、両親との関係がギクシャクしていた。
「連絡は取っていたようですけど、セクシュアリティに関しては一切話していませんでした」
「8年ぐらいは、実家にもほとんど帰っていなかったみたいです」
「私の家族はすごく仲がいいから、親と疎遠になっている状態って想像できませんでした」
彼は「親は自分のことをわかってくれないから、死に目にも会えなくていい」と話していた。
彼女である私の両親と仲良くしながら、自分の両親のことをないがしろにするのは、何かが違うと思った。
「私はいずれ “彼の名字” になるつもりだったので、『どうでもいい』とは言えないんじゃないかなって」
「当時の彼は、人に理解して欲しいと思いながら、自分のことを話そうとしない人でした」
「私は言わないと伝わらないこともあると思ったので、ご両親と連絡を取って欲しかったです」
何度「連絡してみよう」と言っても、彼は「いいんだ」と頑なだった。
緊張しかなかった交際報告
実業団で柔道をしていた彼は、現役を引退してすぐ、乳房切除手術に踏み切った。
「ご両親には事前に報告していなかったんですけど、本人に揺るぎない意志があったので、私も止めませんでした」
「ただ、SRSをしたら後戻りはできないので、それまでに関係を修復して欲しかったです」
ホルモン注射の投与も開始し、戸籍変更が現実的になってきた時、彼の気持ちに変化があった。
「結婚するって意志が確実になり始めた時、彼も決心できたんじゃないかな」
ようやく、両親に「彼女がいる」と伝えるため、実家に行く決意をしてくれた。
いざ、実家を訪れる日の道中、自分は極度の緊張で涙が止まらなくなってしまった。
「お義母さんとは関係を絶っていたので、急に彼女である私を紹介しても、受け入れてもらえないんじゃないかって不安でした」
しかし、彼の実家に着くと、義母は「いつもお世話になっています」と迎え入れてくれた。
「お義母さんの言葉が、うれしかったです」
「ここから少しずつ、彼の親子関係が修復されていったのかなって感じています」
埋まっていった隙間
実家で見つけた昔の写真には、親戚に囲まれている幼い彼が写っていた。
「彼が愛されて生まれてきたんだなって、すごく感じました」
「望まれて生まれてきたのに、親と隔たりがあるのはもったいないじゃないですか」
「今は2人で実家に行くと、お義母さんもうれしそうで、私も仲良くしてもらっています」
「お義父さんは無口な方で、私と彼の話を静かに聞いてくれます」
彼の両親に会いに行ってからは、SRS、戸籍変更とトントン拍子で進んでいった。
「手術前に彼が1人で婚姻届をもらいに行っていて、気づいたらテーブルに置いてあったんです」
「『戸籍を変更したら、すぐに書いて出せるように』って(笑)」
2015年、彼の名字になった。
<<<後編 2017/11/7/Tue>>>
INDEX
05 人に言えない関係とカミングアウト
06 “FTMと結婚する” という現実
07 胸を張って生きていける関係
08 悩んだ過去があるから未来に希望を抱ける