02 小さいころからテレビっ子
03 仲良しな小学生コミュニティ
04 「笑われる」のは悔しい
05 もしかしたら好きかも?
==================(後編)========================
06 高校デビュー?
07 忙しすぎて不調に
08 子どもたちからもらったエネルギー
09 「LGBTの人と、そうでない人」で分けたくない
10 目指すは敏腕プロデューサー!
06高校デビュー?

環境を一新
中学卒業後は、石垣島内の高校ではなく、沖縄本島の高校に進むことに決める。
「石垣島の中学生の9割は、島のなかの高校に進学しますね」
「進学校に行きたいってのと、厳しい親から離れたいっていうおもいがありました。親は好きにしていいよって、言ってくれましたね」
環境を変えるにあたり、高校では中学生のときとはとは違う振る舞いをしよう、と決意。
「落ち着いたクールキャラになって、周りからはちょっと距離を置いて、ここぞ! というときにボソッとツッコむような人になりたい、って」
「クールの要素は自分のなかになかったので、結局はそうなれず、無理でしたけど(笑)」
でも高校では、中学のときのように突拍子のない行動を取るのではなく、周囲の空気を察して振る舞うようになれた。
「自分のツッコミがきっかけとなって、笑いが生まれるようになりました!」
もともと小さいころには、休日に母の職場である小学校で過ごし、母の同僚である大人たちと接するなかで、周囲の空気を読む能力を身につけていた。
「中学では逆張りのように、空気を読まない行動をして迷走しましたけど(苦笑)、高校で小さいころの才能が開花しました」
寮生活
沖縄本島にある高校とはいえ、実際には那覇の市街地から車で3時間もかかるようなさとうきび畑のなかに位置していたため、ほとんどの時間を寮の仲間と過ごした。
「休日には友だちの部屋に行って、一緒にマンガを読んだりしてました。家族以上に一緒に過ごす時間が長かったので、兄弟みたいな関係です」
部活動は、目立ちたがり屋の性分から「人前でパフォーマンスしたい」ということを軸に、いろいろと挑戦した。
「最初はダンス部に所属して、ブレイクダンスをしてました。そのあとは演劇部と軽音楽部を兼部してました」
一見すると、かなり充実した青春の日々を送っているように思われるかもしれないが、その裏で人間関係での悩みも人知れず抱えていた。
「どの人たちとも仲良く過ごせてたんですけど、親友にはなれないっていう “しこり” のようなものはずっと残っていて・・・・・・」
もっと仲良くなりたいと思える友人はいたのだが、なぜかその気持ちを表に出せずにいた。
「親から『人との距離感を上手くとることが苦手だよね』って言われたこともありました」
周囲との距離感が密接な寮生活も、常に順風満帆だったわけでもない。
「お手洗いに行ったあとに手を洗わない人がいたりとか、衛生面で雑な人が多くて、そこは合わなかったですね・・・・・・」
中学生まで母から生活習慣も厳しくしつけられていたので、ほかの寮生とはなかなか価値観が合わなかった。
「・・・・・・お風呂に入ったあとにはベッドスペースから一切下りなかったり、コロナ禍と重なってた時期にはアルコール消毒スプレーを部屋中に振り撒いたり・・・・・・」
「潔癖症みたいになっちゃいました」
新しいヘアスタイル
現在はロングヘアだが、髪を伸ばし始めたのは高校生になってからだ。
「中学のときは、親に言われるがままにスポーツ刈りにしてました。そのときはファッションに、そこまで興味がなかったんです」
高校で親元を離れてから、髪を伸ばしたいと思うようになる。
「最初はボブくらいまで伸ばしてみたんですけど、そうしたら長いほうが好きだな、って。髪を伸ばすようになったのは、自分のなかでも大きなターニングポイントですね」
ありがたいことに、周囲から髪を伸ばしていることをとがめられたり、からかわれたりすることはなかった。
「髪を伸ばし始めたころは、友だちから『なんで髪伸ばしてんの?』って聞かれたこともあったんですけど、卒業するころには長髪キャラとして受け入れてもらってました」
「本当は校則違反だったと思うんですけど、先生からは『武士みたいだね』とか『切ってみたら?』って言われても『切りなさい!』とは言われませんでした。先生には感謝ですね」
いつしか、周囲からは「ロン毛のおもろいやつ」と認識されるように。
「3年生の部活紹介で、ロン毛キャラで有名なハイキングウォーキングさんのコーラ一気飲みギャグをやろうって思ったんですけど、危険だからって先生に止められました(笑)」
07忙しすぎて不調に
中性的、女性的な性表現
髪型に合わせるように、服装もレディースのものを手に取るようになっていった。
「メンズの服って、レディースより数が少ないじゃないですか」
「男の娘」という言葉をきっかけに、かわいらしいファッションが気になり始め、ユニセックスなレディースファッションを身に着けるようになった。
そんななか、高校生のときには自分がLGBTQ当事者なのでは、と自覚し始めた。
「周りにはない個性が自分にあるなんて、ちょっと面白いんじゃない? って」
自分はレアな存在なんだ、ラッキー! とすら思えた。
自分を律する難しさ
高校卒業後は、沖縄県外の大学に進学する、と最初から決めていた。
「関東のほうに行きたいな、とずっと思ってました。やっぱりライブとかに行きたいってなると、沖縄ではなかなか開催されないから、関東のほうが便利なんですよね」
受験の末、群馬大学共同教育学部に進学する。
「一人暮らしするようになって、1限の授業に出席できなかったりして、怠惰になったな、って自覚はあります」
1年生で初めて迎えた、北関東の冬の時期に心身が疲れてしまったことも一因かもしれない。
「地元とは寒さが全然違いました。自転車で通ってたんですけど、とにかく風が強くて、毎日疲労困ぱいでした」
同じころ、サークル活動が繁忙期に。
「ダンス、ジャズ、演劇の3つのサークルを掛け持ちしてたんですけど、忙しい時期が全部ちょうど冬に重なっちゃったんです」
ダンスサークルでは、深夜の練習で生活サイクルが崩れた。それなのに「お金を貯めないと」と考え、アルバイトを2つこなしながら食費を削った。
「ジャズサークルではドラムをやってたんですけど、個人練習が全然できてなくて、ライブ前に結局ほかの人に代わってもらうことになりました」
演劇サークルでは演出兼脚本という重要な役割を担当していたが、自分が書かなければならない台本が間に合わず、公演が取りやめとなってしまった。
「1つのことができなくて落ち込んで、別のこともできなくなって、っていう負のループでしたね・・・・・・」
だれにも相談できずに悩みを一人で抱え込んでしまい、病院に行く気力も失せてしまった。
学部内でもぎくしゃく
大学2年生の前期には、学部内でトラブルが起こった。
「教育学部内での体育大会で、応援合戦っていう種目があったんですけど、本番の結構直前の時期に、ぼくがリーダーになることになったんです」
応援合戦に向けて、音響など技術的な面で用意を進めつつ、ほかの学部生を指導できる人物が自分しかいない、ということで任せられたのだ。
急きょ曲や振り付けを用意したのだが・・・・・・。
「みんなが付いてきてくれなかったんです。ぼくもみんなに不信感をもって、みんなとの間に距離ができちゃったんです」
大学ではあるが、高校の同級生のように学生間の距離感が近い環境だったため、学部内で孤立してしまった。
「2年生の後期くらいまでは、人間関係が上手くいかなかくて、精神的に病んでました・・・・・・」
08子どもたちからもらったエネルギー

純粋な子どもたち
大学1、2年生では心身ともにつらい時期が続いたが、それを救ってくれたのは大学3年生のときに経験した教育実習だった。
「幼稚園、小学校、中学校の教育実習に行きました」
慣れない環境で体調を崩したりするなど大変なことも多かったが、子どもたちに元気づけられた。
「特に幼稚園や小学校は『先生~!』ってまっすぐに寄ってきてくれて、やっぱりうれしかったですね」
それまではうまくいかないことの連続で、自責の念が積もりに積もっていた。そんな自分の心を、純粋な子どもたちの姿が癒してくれた。
「身体的には疲れましたけど、精神的にはかなり回復しました」
現在も、万事順調とはまだいかないが、メンタルは以前より安定していると思う。
病院へ
不調のどん底だったときにはだれにも相談できていなかったが、精神的に回復できたことで病院に行ってみよう、と思えるようになる。
「性別違和(性別不合/性同一性障害)のことも含めて一度ちゃんと診てもらうと思って、精神科に行きました」
性別移行治療に向けた性別不合の診断をもらいにいったわけではないので、診断書はもらえなかったが「身体的な性別違和は強い」と診断を受けた。
「発達障害の疑いがあるって言われました。ぼく自身もそうだろうな、と思ってたので、納得感はありました」
09「LGBTの人と、そうでない人」で分けたくない
中性から女性寄りへ
中性的なファッションから、いまのような女性らしいスタイルに変化を始めたのも、大学生になってからだ。
「かわいくなりたいなって思って、大学1年の後期あたりから変えていきました」
いきなりフェミニンな装いにがらりとチェンジしたわけではなく、自分が着たいものを少しずつ取り入れていった。
「周りからは『レディースものじゃない?』って声をかけられることもありましたけど『まあ別に、着てみてるだけだよ』みたいな感じで流してました」
大学では、友人に初めてカミングアウトもした。
「1、2人に『中性というか、性別の感覚がないんだ』って伝えたら、『別にいいと思うよ』って受け入れてくれました!」
SNSでの反応
2023年、19歳の誕生日を迎えたタイミングで、SNSを通して自分のセクシュアリティをオープンにした。
「いつかは伝えたいなって思っていても、伝えるタイミングなんてそうそうないじゃないですか。だから、二十歳ならちょうどいいだろう、って軽い気持ちでカミングアウトしました」
性自認や性表現、周囲に対する自分のおもいを率直に、長文のメッセージにしたためた。
「そうだったんだね、応援するよ、って肯定的な反応ばかりでした」
ちょうど精神的に参っている時期と重なっていたこともあり「友人がいない」と書いていたことに対しては「私は友だちだと思ってるよ」「仲良くしてくれたらうれしいな」と、あたたかい言葉ももらった。
「もしかしたら私のことを快く思ってない人もいるかもしれないけど、少なくとも私に否定的な言葉を投げてくる人はいませんでした」
「そっとしておいてくれるのもやさしさですからね。人には恵まれてると思います」
LGBTQ当事者は “ふつう” の人
誤解を恐れずに言うと、自分のことを積極的に「MTX当事者」とは言いたくないし「LGBTQ」という言葉もあまり好きではない。
「『私はLGBTQ当事者です』ってカテゴライズすると、本来セクシュアリティって抽象的なもののはずなのに、そうであるものとないものとで分断が生まれると思うんです」
本来、人の個性は千差万別。
「安全のためにトイレや公衆浴場の線引きは必要だとは思いますけど、そうでない場面、たとえば就活のエントリーシートなんかでは、性別の情報は必ずしも必要ではないと思うんです」
「性別を、特別じゃないものにしていきたいです」
10目指すは敏腕プロデューサー!

面白い企画を立ち上げたい
現在、プロデューサーを目指してテレビ番組制作会社の業界で就職活動中。
「1分間で自己PR動画を作ってください、っていう課題も多いですね。昨日の夜も動画を編集してました」
プロデューサーに注目したきっかけは、テレビ東京のプロデューサーを務める大森時生さんが企画・演出した、お笑いコンビ・Aマッソのライブイベント『滑稽』を観に行ったこと。
「一見ただのお笑いライブのように見えて、実は観客を巻き込んだホラーなイベントだった、っていうのが徐々にわかる仕掛けになってる、新しいタイプのイベントでした」
こんな面白いイベントをだれが企画したのだろう? と調べてたどり着いたのが、プロデューサーという職種だった。
「制作会社に入ったらまずはAD(アシスタントディレクター)から始まって、将来的にはディレクターかプロデューサーにキャリアが分かれていきます」
いつか、観客をアッと驚かせるような、それまでにない新しいイベントを「プロデューサー・東濵正純」として企画して世に送り出すことが夢だ。
“ふつう” に生きる大切さ
現在、両親にはカミングアウトしておらず、これからも面と向かって伝える予定はない。
「髪型については、実家に帰ると1日に2回は『早く切りなさい!』って言われてます(苦笑)」
「大学を卒業して、社会人として仕事に励む過程で、自分が成長した姿を、テレビを通じて知ってもらう、っていうかたちが理想です」
仕事で活躍する様子が伝われば、周囲からも受け入れられているのだろうと、両親もおのずと感じられるはずだ。
いま、性別を「特別ではないもの」にする一番の近道は、それぞれが ”ふつう” に日常を生きることだと考えている。
「みんながみんな、いわゆる活動家みたいな、特別な活動をする必要はないと思ってます」
日常生活のなかで自分のような人が当たり前のように過ごしていれば、いつかそれが本当に当たり前の光景になっていく。
ぼくはそう信じている。