INTERVIEW
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居場所に悩んでいるなら、海外に出てみるって選択肢もあるよ【前編】

現在ドイツ・ベルリン州在住。長期休暇を兼ねた帰国中に、取材に応じてくれた小友活さん。日本滞在中は、北海道から宮古島まで国内各地を訪れた。そのフットワークの軽さからや穏やかな話しぶりからは、性自認を含めた精神的な不調が長らく続いていたとは想像できない。

2025/04/06/Sun
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
小友 活 / Ikuru Otomo

1988年、埼玉県生まれ。牧師を務める両親の一人息子として、小学生の大半をドイツで過ごす。北海道大学の大学院在学中に、フランスでインターンシップを経験したのち、ドイツで社会人生活をスタート。2024年からノンバイナリー(Xジェンダー)であることをオープンにして働くかたわら、ホルモン療法を開始した。

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INDEX
01 常に牧師でありつづける父親
02 まったく話せないドイツ語
03 日本に戻ってきて
04 説明できない不安
05 自由な高校
==================(後編)========================
06 充実した大学生活
07 インターンに行ってよかった
08 ドイツでのキャリア
09 Xジェンダーの私は、ホルモン療法を受けるしかなかった
10 鈴木信平さんの本『男であれず、女になれない』に救われた

01常に牧師でありつづける父親

聖職者として

埼玉県にあるプロテスタントの教会で、牧師として働く両親のもとに生まれる。

「活(いくる)という名前は、イエス・キリストの復活が由来です。気に入っているので改名したいとは思ってません」

父親は常に仕事に熱心で、ストイックな人だ。

「深夜に信者さんから相談の電話があっても、何時間も付き合うような人でした。私と母親は、そこまでしなくてもいいんじゃない? って思うときもありましたね」

母親も牧師だったが、家庭のことは母親の担当だった。

「母親が夕飯を作り終えたら私と父親を呼んで、お祈りしたあとに一緒に夕食を食べてました」

夕食は毎日家族で囲んでいたが、家族団らんを過ごした記憶はあまりない。

「食後30分くらいは家族で一緒にテレビを見るときもありましたけど、そのあとまた父親は仕事に戻ってましたね」

信者や地域の人たちの前だけでなく、家族の前でも清く正しくあり続けた父親は、素晴らしいと思う。

「でも、日常会話でも本音で話せた感覚がないというか、牧師のフィルターがかかってるような感じはありましたね・・・・・・」

「かっこいい」と言われたくない

生後2、3ヶ月たったころ、両親の仕事の都合で秋田に引っ越す。

「お寺と違って、教会の牧師は転勤があるんです」

秋田で通っていた幼稚園では、周囲の大人から「かっこいい」と言われることを嫌っていた。

「どちらかと言うと、かわいいって言われたいな、って思ってました」

「遊ぶときも、女の子と遊ぶほうが楽しかったですね」

でも、なぜ「かっこいい」とほめられることが嫌なのか、このときはまだ分からなかった。

「嫌だってことが言葉にできなくて、母親のうしろに隠れてました(笑)」

02まったく話せないドイツ語

心機一転、ドイツへ

小学校進学とともに、父親の実家のある青森に引っ越す。でも、小1の冬からドイツで暮らすことになった。

「父親が大学で聖書の研究をしたいということで、ドイツに行くことになりました」

「親からドイツに行きます、って説明を受けたことは覚えてないんです(苦笑)。なにか考えがあったんだと思います」

気づいたら飛行機に乗ってドイツへ。旅行かと思ったら、地元の小学校に入学することに・・・・・・。

「日本人学校じゃなくて、地元の小学校のなかにある、ドイツ語が話せない移民や難民のクラスに入りました」

1990年代当時はヨーロッパでユーゴスラビア内戦が勃発しており、旧ユーゴスラビア地域から避難してきた子が多かった。

「ロシア系やトルコ系の子もいましたけど、東アジア系は私だけでした」

だれにも相談できず

言語がまったく分からない環境に突然放り込まれ、最初の2年ほどは毎日泣きながら登校した。

「あまりのストレスで、登校途中で朝食を戻しながら学校に通ってました・・・・・・。言葉が分からないから周囲とコミュニケーションが取れなくて、授業もなにを言ってるのかさっぱり分からなくて、孤独感でいっぱいでした」

「東アジア系が珍しかったので、からかわれることもありましたね」

両親に、学校に行きたくないと訴えても「学校に行きなさい」と言われ、仕方なく通い続けた。

「両親もドイツ語が分かるわけじゃなかったので、相談しても解決しないな、ってあきらめてるところもありましたね・・・・・・」

でも、あとになって、自分が体調を崩しながらも学校に通っていたことを両親が気づいていた、と知った。

「私が18、19歳くらいのときに、父親が、私が嘔吐しながら学校に通っていたことを引き合いに出して、日曜日の礼拝で信者さんに話したんです(笑)」

生きることはつらいけれど、神様が見守ってくれているから乗り越えられる、と父親は信者たちに話していた。

「・・・・・・私の状況を知ってたなら、当時助けてほしかったですね(苦笑)」

厳しい母親

父親がドイツで聖書の研究に勤しむ間、専業主婦として家族を支えていた母親は、ときに私に厳しく接することもあった。

たとえば、ドイツで2月にハロウィーンのような仮装イベントがあった際には、母親は絶対に仮装して登校しなさい、とゆずらなかった。

「仮装をして授業に出てもいいですよ、って学校から案内が来たんです。私は興味がなかったので、いつも通り登校したかったんですけど・・・・・・」

母親に海賊の衣装を半ば無理やり着せられて、顔には傷跡のメイクを施した。

だが、いざ登校してみると、仮装している生徒は一人もいなかった。

「恥ずかしくて悲しくて、廊下のすみで泣いてました(苦笑)」

03日本に戻ってきて

日本に帰国

最初は不安だらけだったドイツ生活も、3年目からはドイツ人の普通学級に入り、子どもの順応性で次第に慣れていった。

「ドイツ語は、日常会話なら問題なくなりました。両親の通訳をすることもありましたね」

「住んでたのはドイツ北西部の地域で、当時はよく雪が降ってたので、冬はそり遊びをしたりして遊んでました。ニンテンドー64で遊ぶこともありましたね」

小学校6年生の途中、いよいよ日本に戻ることに。

「ドイツ人の友だちもできてましたし、ドイツを離れるのはさみしかったですね・・・・・・」

ドイツ帰りの、牧師の子

日本に戻ったあと、東京の小学校に9月から通い始める。

「教会の隣に家があって、そこに住んでました」

ドイツでは自分以外にも牧師一家の友人がおり、仕事としてキリスト教に関わる家庭は珍しくなかった。でも、日本で同じ境遇の同級生は、そうそう見かけない。

しかも、小6の途中で転入してきた、ドイツからの帰国子女。どうしても目立つ存在になる。

「中学校では、陰湿ないじめがありましたね。華奢でスポーツも全然できなくて、男の子っぽくなかったってこともあると思います」

料理を楽しむ

地元の中学校に進学すると、ほかにひかれる部活動がなかったこともあり、家庭科部に入った。

「活動は料理部のようなもので、クッキーとかお菓子を作ってました」

女子部員がやや多かったが、男子の部員は私以外にも友人2人がいた。

「友だちは少なかったけど、いないわけでもなかったので、仲のよかった男の子の同級生2人を巻き込んで入部したんです」

「男子なのに家庭科部に入るの? みたいな偏見もあったと思うんですけど、周りの目を気にせずに自分のやりたいことをやるっていう姿勢が、ドイツで鍛えられたんだと思います(笑)」

部活動で料理を作っていると、運動部の男の子たちがグラウンドからこちらのようすをのぞきに来た。

「よっぽどお腹が空いてたのか、小麦粉でもいいからくれ! って言われることもありました(笑)」

04説明できない不安

もやもやの正体

学校に通うようになってからも、性別違和は続いていた。

「小学校5年生のときに、サンタさんへの手紙で『女の子になりたい』って書いたんです。でも、子どもながらにそれは難しいだろうって思って、テレビゲームに書き換えました」

「そのころから、自分は男じゃない、って思ってましたね」

中学校の制服だった学ランも性別違和を助長させる。

「女の子の制服だったセーラー服がうらやましかったです」

髪も本当は伸ばしたかったが、それも叶わなかった。

「そもそも天然パーマだから伸ばしてもアフロみたいになるだけなんですけど、それでも床屋に行くのは苦痛でしたね・・・・・・」

言語化できない不安

性別違和の不安を両親に相談しようとは思わなかった。

「自分のことを男じゃないとは思ってるけど、女なのかはわからない。どう説明すればいいのか、分からなかったんですよね」

両親に相談しようと思わなかったのには、もうひとつ理由がある。

「いつも牧師としてのフィルターがかかってるような感じだから、性別違和に関係なく、ささいなことでも『相談したら、きっとこういう返事が来るんだろうな』って想像がついちゃうんですよね・・・・・・」

「両親に話しても無駄、って思ってました」

性別違和に対して、自分のなかで明確な「答え」を出せないまま、もやもやを一人で抱え続ける日々が続く。

05自由な高校

帰国子女のなかで

国際基督教大学高等学校に進学する。

「生徒の7~8割が帰国子女の高校で、居心地はよかったですね」

「みんな帰国子女だからいじめられることもないし、サバサバしてる子が多かったです」

自由な校風で、制服がないところもその高校を選んだ理由のひとつだった。

「ジーパンにTシャツみたいな、ごく普通の服装で通ってました」

「でも女子は、自分で選んだブレザーにスカート姿、いわゆる『なんちゃって制服』を着てる子もいて、うらやましいな、ってちょっと思うこともありましたね」

趣味を楽しむ

部活動は茶道部に所属した一方、空き時間には趣味を楽しんだ。

「中高生のときに、親に自分のパソコンを買ってもらったんです」

パソコンで写真加工などをすることが好きになった。

「当時ポケモンがすごく好きだったので、ポケモンのファンサイトを作って、ポケモン好きの人たちと交流してました。当時オフ会で出会った何人かとは、いまでもつながってます」

「そこから、パソコンでできる『モノづくり』に興味をもつようになりました」

一方、帰国子女たちのなかで高校生活を送っているなかで、将来像をぼんやりとイメージすることもあった。

「みんなも海外で育ってきてるし、私も将来は海外に行くのかな、ってなんとなく考えたりしてましたね」

 

<<<後編 2025/04/13/Sun>>>

INDEX
06 充実した大学生活
07 インターンに行ってよかった
08 ドイツでのキャリア
09 Xジェンダーの私は、ホルモン療法を受けるしかなかった
10 鈴木信平さんの本『男であれず、女になれない』に救われた

 

 

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