INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

居場所に悩んでいるなら、海外に出てみるって選択肢もあるよ【後編】

居場所に悩んでいるなら、海外に出てみるって選択肢もあるよ【前編】はこちら

2025/04/13/Sun
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
小友 活 / Ikuru Otomo

1988年、埼玉県生まれ。牧師を務める両親の一人息子として、小学生の大半をドイツで過ごす。北海道大学の大学院在学中に、フランスでインターンシップを経験したのち、ドイツで社会人生活をスタート。2024年からノンバイナリー(Xジェンダー)であることをオープンにして働くかたわら、ホルモン療法を開始した。

USERS LOVED LOVE IT! 5
INDEX
01 常に牧師でありつづける父親
02 まったく話せないドイツ語
03 日本に戻ってきて
04 説明できない不安
05 自由な高校
==================(後編)========================
06 充実した大学生活
07 インターンに行ってよかった
08 ドイツでのキャリア
09 Xジェンダーの私は、ホルモン療法を受けるしかなかった
10 鈴木信平さんの本『男であれず、女になれない』に救われた

06充実した大学生活

この大学に行きたい

高校卒業後は、趣味の延長にある情報系の分野を学びたいということと、もうひとつ希望があった。

「東京を出たい、親から離れたいって思ってました」

レディースの服を着たいと思っても、両親と一緒に生活をしていたら、両親に見つかってしまい、自室に服を置けないからだ。

父親の希望であった国公立大学のなかで、自分のレベルで合格できそうな北海道大学を候補にした。

高3の夏にオープンキャンパスに参加する。

「札幌駅から徒歩10分くらいの好立地なんですけど、芝生が広がる広大なキャンパスなんです。小川が流れていて、農学部の牛さんが横たわっていて・・・・・・。一目ぼれしました!」

苦手だった数学を、ドイツ語受験を選択することでカバーし、一浪の末、北海道大学工学部情報エレクトロニクス学科に進学する。

夏は旅行、冬はカーリング

大学では、カーリングサークルと旅行サークルを掛け持ちした。

「カーリングサークルは、新入生勧誘のビラをもらったときに、勝手なイメージですけど『スポーツが苦手でもできそうだな』って思って(笑)」

だが、そのイメージによらず、試合は長時間におよび、なかなかハードだ。

「1ターンで1チーム8回ずつストーンを投げるんです。1ゲームで8ターンずつあるから、1ゲーム当たり2時間くらいかかります。そのなかで、20キロくらいあるストーンを、4人で交代しながら投げ続けるんです」

カーリングのシーズンオフである夏場は、旅行サークルの活動に勤しんだ。

「毎週、『今週末に○○に行きませんか』ってメールが回ってくるので、サークルメンバーのうち4、5人が集まって、レンタカーで旅行に行く感じでした」

「道内はあちこち行きましたね。2泊3日くらいなら函館。網走で流氷を見たり、離島に行ったり、稚内、帯広・・・・・・」

ただ楽しければOK、ではなく、旅行・観光に熱心だったところもよかった。

「夜は飲みましたけど、翌朝にはちゃんと起きて予定通り観光地を回ってました(笑)」

07インターンに行ってよかった

精神的に不安定

大学生活は楽しかったが、その裏ではストレスが肥大していた。

「高校生のときに第二次性徴がより進んで、濃くなった体毛を剃ったりしても、結局もやもやが完全に消えるわけじゃないから、違和感を見て見ないふりをしてたんですけど・・・・・・」

大学生になってから性別違和を含む不安が増したことにより、精神的に不安定な状態が続く。

「1年生のときは食事の出る民間の寮、2年生からは一人暮らしをしてたんですけど、なんとなく家に一人でいるのに落ち着かなくて、だれかにずっと監視されてるような感覚があったんです」

このときも、性別違和のもやもやも、なにに対して不安を感じているのかも、うまく言語化できなかった。

「大学の診療所に行って、検査後に抗うつ剤をもらいました。大学生の間はその薬をずっと飲んでましたね」

診断名は伝えられなかったが、おそらく、うつ病かなにかだったのではないかと思う。

「でもその薬も、本当に効いてるのか、わからなくて。大学生の間はずっと不安な気持ちを抱えてましたね・・・・・・」

大学院進学しかない

大学3年生になると、周囲は就活の準備を始め出す。

「私の場合、就活ができないって思ってたんです」

メンズのリクルートスーツを着て、企業や社会の求める男性像に自分を寄せることは耐え難い。

かといって、自分が女かはわからないので、女性として就活する勇気もない。

「結局、今まで一度も就活をしたことがないので、勝手なイメージかもしれないですけど、私を受け入れてくれる日本企業って、本当に一握りしかないんじゃないかって思っていて」

「心配があったので、大学院進学しか選択肢がなかったんですよね。まあ、たしかに勉強は好きでしたけど・・・・・・」

将来像を描けない不安、一人で卒論や研究に向き合うストレスで精神的に限界を感じながらも、大学院修士課程に進学する。

どうにかしないと

とりあえず残っている選択肢を選び取ったが、このままではいけない、とは感じていた。

「そんな気持ちだったので、この環境には、日本にはこれ以上いられないって思ったんです。環境を変えなきゃ、っていろいろと探したときに、経済産業省の『ヴルカヌス・イン・ヨーロッパプログラム』を見つけたんです」

奨学金をもらいながら、ヨーロッパの語学学校に4か月間通ったあと、8カ月間地元の企業で働くインターンシッププログラムだ。

見事選考に合格し、フランスに向かう。

「ドイツはもう見知ってるし、大学でフランス語を学んでたので、フランスに行こうと」

語学研修後、パリの会社で働き始めた。

「日本企業と違って服装も自由で、なにをしてもすごくよろこんでもらえる職場でした」

大学で、一人黙々と研究に向き合うのとは対照的に、仕事はチームワークだと実感する。

「研究のときは、なにか困ったことがあっても、最終的には自分で解決しないといけない。でも仕事は相談に乗ってもらって、先に進めることができる」

日本よりも自由な環境で周囲と協働することが、自分に合っていた。

「週末はスペインやポルトガルに旅行したり、冬はアイスランドでオーロラを見たりして、楽しかったですね」

海外で仕事ができるんだ! という経験を得られたことは、人生の大きな転換点となる。

08ドイツでのキャリア

日本に戻ってきたけれど

1年間のインターンシッププログラムを無事終えて帰国すると、まわりの大学院生はすでに卒業、就職していた。

「取り残されたような孤独感もあったし、就活ができるようになったわけでもないし、またメンタル不調になってしまって・・・・・・」

就活ができないので、気が進まないままに仕方なく博士課程に進んだ。でも、研究に向き合うこともいばらの道だった。

「博士では、3年間の研究プランを立てて研究成果を出さないといけないんですけど、研究計画を立てられなくて・・・・・・。3年後の自分がどうなってるのか、ビジョンが全然見えませんでした」

でも、インターンシッププログラムの経験から「海外であれば、30歳くらいまではなんとか生き延びられるかもしれない」と感じていた。

「当時26歳だったので、ワーキングホリデーを使って海外に出るしかない、と思って」

行き先は、慣れているところのほうがチャンスは広いだろう、とドイツに決定。

両親には事後報告的に伝えたが、反対された。

「父親はいわばキリスト教の研究者なので、博士課程を修了してほしかったみたいです。でも『もう飛行機のチケットも取っちゃったから』って押し通しました」

トランクとバックパック1つずつの小さな荷物だけを携えて、ドイツに出発した。

ソフトウェアエンジニアとして

ドイツに着くと、小学校時代の友人とそのパートナーの家に転がり込んだ。

「居候させてもらってる間に部屋を借りました」

一人暮らしの家の近所にあった小さなソフトウェアの会社で、知人のつてで働けることになった。

「その流れで就労ビザを取得して、ドイツでの仕事がスタートしました」

2度の転職を経て、現在もドイツで仕事を続けている。

09 Xジェンダーの私は、ホルモン療法を受けるしかなかった

身体的嫌悪を和らげる唯一の選択肢

ドイツで働き始めて4、5年は、穏やかで充実した生活を送れていた。だが、30歳を迎えるころに再び不安が押し寄せてくる。

「ひげが濃くなったり、体臭が強くなったりしてきたんです」

ひとまずいまできることからと、レーザー脱毛を受けた。

「でも、脱毛だけではこの違和感はどうしようもないんだな、って気づいたんです」

これから10年先、20年先の未来で、自分が男性として生活している姿が想像できなかった。

「ホルモン療法を受けるしかないな、って」

ホルモン療法による健康的なリスクを承知の上で、この選択肢しかない、と決断する。

ドイツの医療事情に翻弄されて

ホルモン療法を受ける決断をしたものの、実際に治療を開始するまでには、実に5年ほどの歳月を要した。

それには、ドイツの医療を取り巻く社会問題が関係している。

「ドイツは皆保険制度で医療費が無料なんですけど、その分、性別移行治療だけじゃなくて、どの病院もいつも満員なんです」

「対応できる患者数の枠は埋まってるから、新規受付停止中、半年待ち、なんてことは当たり前で」

片っ端からカウンセラーを探し、ようやく、性別移行の専門ではないけれど、高齢の心理カウンセラーを見つけたのだが・・・・・・。

「いざ、私がガイドラインをプリントアウトした、50ページくらいの紙束を持っていって『診断書を書いてください』ってお願いしたら、『この歳でこの量をいちから勉強するのは無理』って言われてしまって・・・・・・」

「最初に、『なんなら一緒にガイドラインを読んで勉強しましょう!』って言ったはずなんですけどね(苦笑)」

最初に見つけたカウンセラーに断られたあと、ちょうど新型コロナウイルスが蔓延し、余計にカウンセラーを見つけづらい状況になってしまう。

「転職で2024年にベルリンに引っ越してきたあとに、リモートで診断書を書いてくれるカウンセラーを見つけられて、ホルモン療法を開始することができました」

「本当に、やっとか、って気持ちです」

10鈴木信平さんの本『男であれず、女になれない』に救われた

ノンバイナリーの社員として

2024年、いろいろな事情が重なって、世界的に有名なドイツの自動車メーカーに転職した。

「前の職場に、私に妙に興味を持った人がいて、その人からずけずけとセクシュアリティのことを聞かれたんです(苦笑)」

そのことを不快に感じ、その人のことを避けていたところ・・・・・・。

「だんだん相手の機嫌が悪くなって、周りにほかの人もいる社内で、強引にカミングアウトさせられたんです。ちょうど大企業に勤めてみたいと思ってたところだったので、転職することにしました」

それまで、就職時には会社にセクシュアリティを伝えていなかった。でも、前職でアウティング被害を受けたので、転職先ではカミングアウトしようと決意する。

「海外ではXジェンダーと言っても伝わらないので、面接の際にはノンバイナリーのトランスジェンダーです、と伝えました。特に問題視されることはなかったですね」

人事部にはセクシュアリティを伝えていたが、配属先に行くと、男性の三人称であるドイツ語の “er” を使われた。

「はじめは一緒に働く同僚には、セクシュアリティを伝えてなかったんです」

英語だと、ノンバイナリーの三人称の代名詞として “they/them” が使われることがある。

でも、ドイツ語には “they” に対応するものがなく、男性を表す “er” か、女性の “sie” のどちらかしかないのだ。

「社内チャットのプロフィール欄に、代名詞は “sie” でお願いします、って書いたらみんなそっちを使ってくれるようになりました。今の職場では、こんなにもあっさりと受け入れてもらえるんだ、って感じです」

「また同じことになるよ」

転職と同じころにホルモン療法を開始したが、再び精神的なバランスを崩してしまった。

「将来のためには治療せざるを得ないんですけど、リスクもあるわけで。本当に続けていいのか? って不安になって・・・・・・」

新しい職場ではプレッシャーのある仕事を任せられたこともあり、ある日のミーティング中、涙があふれてしまった。

「同僚のなかにすごく優しい先輩がいて、就業後、家に呼んでもらったんです」

どうしたの? と聞かれても、うまく説明できずにただ泣いていると、先輩から「どうにかしないと、また同じことになるよ」と諭された。

「自分で回復する手立て(レジリエンス)が必要だ、って言われたんです」

自分の想いが言語化されている

先輩の言う通りだな、なんとかしなきゃ・・・・・・と思いながら、9月末、バルト三国を旅行していたときのこと。

「ラトビアの首都・リガのホテルで、昔、鈴木信平さんの『男であれず、女になれない』を買ったことをふと思い出して、電子書籍を開いてみたんです」

ちょうど、自分の現在の年齢は、鈴木信平さんが手術を受けた年齢と同じ、36歳。

「著書で書かれてることが、自分の経験と重なる部分がすごくあったんです」

鈴木信平さんは、自分のセクシュアリティを著書のなかではっきりとカテゴライズしているわけではない。でも、男でもなければ女でもない自分の感覚、それによる不安な感情が、本のなかで代弁されているように感じた。

「これまでの焦燥感、疎外感、孤独感が言語化されていて、本を読んで安心したんです」

「あまりにも号泣しすぎて、ホテルの枕をめっちゃ濡らしちゃいました(苦笑)」

本を読んで私が前を向けるようになったように、私の経験がだれかの役に立てるなら、と思ってLGBTERに応募した。

「海外で生活してる私を見て、行き詰まったら1回外に出てみるっていう選択肢もあるんだ、って思ってもらえたらいいなって思います」

 

あとがき
ドイツからのご応募〜帰国までに行き交ったメールにも、活さんの物腰のやわらかさを感じていた。取材中もずっと穏やかな空気に包まれた■生活していると、その世界がすべてと感じてしまうけど、勇気を出して超えた垣根の先に、活さんの新しい日常ができた■いまの環境に違和感を感じているなら、居場所を変えてみる。ガラリと変えるというより、増やすこともできる。オンラインも、オフラインもある。動いてみると、出会う人も変わるから。(編集部)

関連記事

array(3) { [0]=> int(31) [1]=> int(87) [2]=> int(42) }