02 幼い頃からあった「FTM」の意識
03 抑えきれなかったエネルギー
04 17歳で始めた夜の仕事
05 大切な人との別れと新天地への出発
==================(後編)========================
06 家族それぞれの受け止め方
07 セクシュアリティも仕事も違う面白さ
08 戸籍変更と心のリセット
09 地元でLGBTQの理解を深めたい
10 僕が“あなた”に伝えたいこと
06家族それぞれの受け止め方
ホルモン療法の始まり
本格的な治療を開始するという目標を持って、上京を決めた。
その思いが強くなったのは、釧路でホルモン注射を打ち始めていたから。
「18歳で産婦人科に行って、先生に相談しながら、ホルモン注射を始めたんです」
「未成年だったので、お母さんについてきてもらって、同意を得たうえでスタートしました」
自分が男の子のように振る舞っていることを、母は反抗期の延長のように感じていたかもしれない。
しかし、ホルモン注射の話をすると、真剣に受け止めてくれた。
「じっくり深い話をしたわけではないけど、お母さんは『後悔しないんだったらいいよ』って、言ってくれました」
父との再会
母が亡くなって少し経った頃、父から連絡があり、会うことになった。
ずっと離れて暮らしていたため、約15年ぶりの再会。
「その頃はホルモン注射も打って、外見も変わってきてたので、最初は兄貴と勘違いされました(笑)」
「自分のことを話したら、お父さんには大反対されましたね。『いくらお金をかけてもいいから、女子に戻ってくれ』って」
「今思えば、3歳だった娘が男になって現れて、お父さんも受け止めきれなかったんだと思います」
その時はショックで、「育ててくれてもいないのに、そんな風に言われたくない」と反発してしまった。
それでも再会した父にはわかってほしい、という思いもあり、手紙で自分の気持ちを伝えた。
「セクシュアリティのこととか女の子が好きなこととかを書いて、何回か送りました」
再会してから5~6年が経ち、父から「読んでほしい本があります」という手紙が届いた。
「性同一性障害に関する本でした。お父さんは、理解しようとしてる、ってことを伝えたかったのかもしれません」
その手紙がきっかけで、父との関係は修復された。
「今では、僕より父のほうがトランスジェンダーやLGBTQに詳しくなってます。そのくらい知る努力をしてくれて、ありがたいですね」
心が広い兄の言葉
兄は、学生の頃から寛容だった。
「龍也って名前は、中学1年生の頃に自分で思いついて、当時から『龍也って呼んで』って言ってたんです」
「その頃から、兄貴も『龍也』って呼んでくれてたんですよね」
「僕の体が男性になっていく過程も見ながら、『好きにしな』って言ってくれました」
現在、兄はシングルファーザーで、近所に住んでいる。
「姪っ子が小さい頃から僕のことも話してるんですけど、まだ完全には理解できてなさそうですね」
「兄貴は『娘はやんちゃで、ちっちゃい頃の龍也みたいだ』って言いながら、育てています(笑)」
07セクシュアリティも仕事も違う面白さ
東京で見つけた働き方
上京してすぐ、目標にしていたおなべバーで働くことができた。
「でも、その頃にはお店が傾きかけていて、入って2カ月くらいで閉店しちゃったんです」
「寮もなくなって給料ももらえないから、1回釧路に戻って、出直しました(苦笑)」
再び東京に進出し、ミックスバーで働き始める。
「いろんなセクシュアリティのスタッフがいる店で、お客さんは男性も多いんですよ」
「中には、『おなべちゃんなら、おっぱいあるの?』って触ってきたり、『俺とやったら変わるよ』って言ってきたりする人もいましたね」
男性客の言動に嫌気がさすこともあったが、それがかえってモチベーションになった。
「その店は指名制で、当時は指名されたスタッフのヘルプについていたので、自分のことをよく知らないお客さんにからかわれるんだと感じたんです」
「だったら、自分でお客さんをつかんで指名をもらえばいい、って考えて営業しました」
ほかの飲み屋で自分の名前を売る、顧客になってくれそうな人にマメに連絡するといった営業活動を継続した。
「その結果、トップを2年間キープしました」
「疲れるなって時期もあったけど、イヤなことがあるならもっといい環境に変えよう、って気持ちのほうが強かったですね」
「あと、我慢しませんでした。お客さんに対しても、イヤなことはイヤって言う。そうしないとお店のルールを守れないことがあるし、仲間の協力を得づらいんですよね」
セクシュアリティに限らず境遇が異なる人
夜の仕事を続けつつも、高校に入り直したほうがいいかな、と思うこともあった。
「勉強したいな、って思うこともありました。でも、それ以上に人と接することが楽しかったんです」
上京してから、同じセクシュアリティのコミュニティに入ったことがある。
「そこに行ったからこそ、同じ感覚の人よりも、違う境遇の人と接するほうが面白いと感じたんです。セクシュアリティに限らず、仕事とかも含めて」
「地元の釧路で働いてる頃は、お客さんのほとんどが漁師や同業者だったけど、東京では学歴も職業も違うお客さんがたくさんいて、いろんな人の声を聞けるのが面白いなって」
その中で浮かんだのは、「俺とやったら変わるよ」と言う男性客の考えを変えることはできるのか、という疑問。
「セクシュアリティも仕事も思考も違う人と接したからこそ、考えるようになったことでしたね」
「理解してもらえたかはわからないけど、たくさんコミュニケーションを取ったことで、今ではそのお客さんと仲良しです(笑)」
1カ所に留まらないことで、考え方や視野が広がることを知った。
08戸籍変更と心のリセット
30代での戸籍変更
20代は仕事にまい進し、気づくとSRSや戸籍の性別変更は後回しにしていた。
「全部やったのは30代に入ってからです。当時つき合っていた子もいたし、いろいろ考えて戸籍変更しなきゃなって」
「年を取るにつれて、手術のリスクも大きくなるので、そのタイミングで決断しました」
その後、彼女と結婚したが、生活も心境も特別な変化はなかった。
地元初の戸籍の性別変更
釧路市の出身者で戸籍の性別を変更したのは、自分が初めてではないだろうか。
「地元に帰ると『何をすると戸籍を変更できるの?』とか聞かれるのが、ちょっとうれしいんです」
「昔は『女の子』ってワードが出るだけで反発してたのに、今は『女の子に見えない』って言われた時に『見えるじゃん』って茶化せるようになりました(笑)」
戸籍変更したことをオープンにしていると、地元にもセクシュアリティで悩んでいる人がいることが見えてきた。
「『娘の友だちに同じような子がいる』『こういう時はどうしたらいい?』って話を聞く機会が増えて、想像してたよりも当事者はいるんだなって」
地元でも何かできることがあるのではないか、と考え始めた。
自分を労わる時間
コロナ禍に入って少し経った頃、離婚した。
「離婚とは関係ないんですけど、ちょっとメンタルをやられてしまった時期でもあって、自分ではわからなかったんですけど、周りの仲間が気づいてくれて、病院に行きました」
自分は、精神的な病気にはならないタイプだと思っていた。
「先生からは、『子宮を摘出するとホルモンバランスが崩れるから、精神的に落ち込むことが多い』って、言われました」
「ここまで突っ走ってきたこともあって、自分のために時間を使うのもいいのかな、と思ったんです」
その頃から、月に一度、旅行に出かけるようになった。
友だちと海外に行って遊んだり、1人で宮古島でゆっくりしたり。
「旅行が好きになりましたね。海のほうに行くと、浄化される感覚もあったりして」
「旅先で知らない人に出会うのも楽しいし、今は必要不可欠な時間です」
09地元でL G B T Qの理解を深めたい
パートナーシップ宣誓制度
2022年、釧路市を拠点に活動する団体「Rainbow 946」を立ち上げた。
「地元から上京してた女友だちが、FTMと結婚したんです」
友だちは釧路にいる頃から男性不信だったが、地元では誰にも言えなかったという。
「同じように苦しんでる人やセクシュアリティで悩んでる人がいるかもしれないから、何かしたいと思ったんです」
「その第一歩として、釧路市にパートナーシップ宣誓制度を導入するために、友だちと一緒に団体を作りました」
地元で市議会議員になった先輩に話しにいくと、すぐに市や議会に働きかけてくれた。
「その先輩のネットワークのおかげで、2024年4月にパートナーシップ宣誓制度が導入されました」
「今はまだ10組にも達してないようですが、制度ができたことで理解が深まるのではないかと思ってます」
子どもたちへの支援
「Rainbow 946」を立ち上げてから、中学時代のお世話になった先生とも連絡を取り合っている。
「『学校で講演をしてほしい』って話をいただいたんですが、立ち上げた当初はコロナ禍で、実現できなかったんです」
「でも、地方で理解を深めるには、イベントが大切だと思うので、今も試行錯誤してます」
講演やパレードなどを開催することで、関心の薄かった人の目に留まる可能性がある。
「人って、急に『LGBT関連の本を読んで』って、誰かに言われても見向きもしないけど、学校や街中で不意に見聞きしたものには、興味を持つかもしれないですよね」
「だから、まずは学校での講演を実現させたいです」
学校によっては、「子どもに余計な情報を入れないで」と、拒否されてしまうこともある。
「いろいろな学校の先生方と話して、難しいと感じる部分もあるけど、できるところから始めたいです」
「誰にも言えない悩みを抱えた子が、講演を聞いて相談してくれるようなつながりを作りたい、という思いもあります」
LGBTQの認知
活動を始めて、改めて気づかされたことがある。
「地方に行くほど、セクシュアルマイノリティといわれる方々への圧が強いんですよね」
団体に多く寄せられるのは、「後継ぎ問題があるから、家族には言えない」という相談。
「釧路市も含めて、地方だとまだまだ血のつながりが重視されます」
「それによって、性自認や性的指向を隠している人がいる。『ゲイだけど、親の意向を汲んで結婚する』って話も聞いたことがあります」
悩んでいる人たちのためにも、パートナーシップ宣誓制度などを導入することで、LGBTQの認知を広げていきたい。
「LGBTQの人が身近にいるという認識が広がることで、生き方や家族との関係も多様化していくんじゃないか、って期待してます」
10僕が “あなた” に伝えたいこと
生きやすい選択
自分はカミングアウトらしいカミングアウトをせず、自然体で生きることができた。
「こうやって生きてこられたのは、周りの人たちの力だと感じてます」
学生時代の同級生や先生、家族が気持ちを察し、受け止めてくれたから。
「あと、僕自身も生きやすい選択をしてこられたのかな、って思ってます」
自分自身を隠さないことが、自分にとっては生きやすさにつながった。
「FTMの中には、戸籍変更を機に『もうFTMってことは人に言わない』って、決める人もいます」
「選択は人それぞれだけど、僕はそれがかえって生きにくそうだと思ってしまうんですよね」
「悪いことをしてるわけじゃないのに、隠し事するのはイヤだから、僕はFTMであることも全部話してます」
一歩踏み出すこと
自分のようにアクションに移せる人ばかりではないことも、わかっている。
「治療して戸籍変更したからFTMってわけではないし、治療しない選択もあると思います」
「自分のセクシュアリティを人に話さない選択もあるし、何が正解ってことはないですよね」
「ただ、悩みや不安を抱えているなら、誰かに話してみてほしい、とも思います」
話す相手は、家族や友だちではなくてもいい。相談窓口の誰かでも、初対面の人でもいい。
「そのためには、普段生きている世界から、一歩だけ外に出るのもいいのかなって」
新しいお店に行ってみる。
あまり話したことがない同級生と話してみる。
些細なことで輪が広がり、生きやすい世界が見つかるかもしれない。
「その中で話したい人に出会えたら話せばいいし、無理に話さなくてもいいと思います」
「ただ、多くの人に生きやすい世界を見つけてほしいな、って思うんです」
「ありがとう」
かつては夢がなかったが、今は夢を抱いている。
「お母さんがお店をやっていた場所に、お店を開くことです」
「この夢が実現したら、お母さんも喜んでくれるんじゃないかな・・・・・・なんて思ったりしますね」
母が亡くなって20年。今、伝えたいのは「ありがとう」のひと言。
「こういう風に産んでくれて、こういう風に育ててくれてありがとう。ただ、それだけです」
「『恵』という名前の通り、出会う人にめちゃくちゃ恵まれて、感謝しかありません」
母が僕に望んでいたことはわからないが、きっと今も見守ってくれているはず。
「いや、今頃は天国でパチンコ打ってるんじゃないかな(笑)」