01ミステリアスでクールな子
空気のような存在
小学校からカトリックの女子校に通った。
中学、高校も系列校、学校で会う男性といえば、先生くらいだ。あとは父と、5歳下の弟。小さな頃から、常に女子に囲まれて育った。
「地元の公立小学校には通わなかったけれど、近所には仲のいい友達がたくさんいて、放課後に遊ぶこともありました。けれどそれも、なぜか女の子ばかりで」
「だから中学校に上がってもなお、初恋すら経験していなかったんです。同い年くらいの男の子と話したことって、本当に記憶にもないくらい」
男女の恋愛は、少女マンガやテレビドラマの中の出来事だった。
けれど中学生になってから「これって恋?」と、恋愛に似た感情を抱くことがあった。
相手は地元の友達、親友だった。
「幼い頃から仲のよかった子です。私、中学は部活でダンスに打ち込んでいたんですけど、練習が終わったあと、帰りの電車に乗って地元の駅で降りると、いつもその子が待っていてくれて。そのままマックに行ったり、お互いのうちに遊びに行ったりしました」
「何も会話がなくても、一緒にいられる。まるで空気のように、自然と寄り添ってくれる存在」
「この人に感じる、安心感と親愛の情はなんなのだろう」
「『もしかして、恋?』と思うこともあったんです。そのころはまだ、その子のことを女性だと思っていたから、そんなはずはない、とも感じながら」
分からないから知りたい
親友には、自分の学校の同級生とは明らかに違う一面があった。
「小学生の頃はなんとも思いませんでした。でも中学校に上がってその子がセーラー服を着るようになってから、明らかな変化に気づきました。スカートの下に体操着の短パンを履いていたからです」
今思えば、小学校の頃、その友達はズボンばかり履いていた。中学校に入学するまで、スカート姿を見たことがなかったかもしれない。
「当時は短いスカートが流行っていたんですけど、その子だけ明らかに丈が長かったし。それにYシャツの下に必ず黒のTシャツを着ていて、極端に胸も平らだったんです。『あれ?晒しでも巻いているのかな』と思っていました」
自分のことを「俺」と言うようにもなった。
先生や両親の前では「私」と使い分けているようで、表立っては問題にならなかったが、それでも地元の友達の間で、その子の変化について語られることは多かった。
「ちょうどみんな生理が始まる頃で、学校でも『今月、辛いよね』なんて話が飛び交っていました。女子校だから気安いんです」
「でもあるとき生理の話題が出たら、その子が嫌がって逃げ出したらしいんです。地元の友達から、又聞きしました」
その後、友達が「なんで生理の話を嫌がったの?」と問いただしても、その子から返事はなかったという。
そんな変わった面のある友達だったが、なぜか一緒にいると落ち着いた。
見た目はボーイッシュな子だったけれど、性格は明るく溌剌というのではなく、クールでミステリアス。
その佇まいに憧れもあった。
ちょっと普通の子とは違うなと思われる言動も、なんとなく突っ込んじゃいけないと思ってはいたけれど、でも真相を知りたかった。
気づいたら、その友達のことばかり考えている日もあった。
02ちゃんと向き合えれば良かった
好きなのかな?
「いつも一緒にいたから、いつしか、あのふたり付き合っているんじゃない?と地元で噂されるようになりました」
全然、嫌な気持ちがしなかった。
いや、むしろ嬉しいくらいだった。
その子は勉強なら数学とか理科、部活はバスケットボールに熱中していて、色なら青とか紺が好きだった。
今思えば、男の子が好きなものばかり身の周りに置いていた気がする。
地元でも「あの子、変わっているよね」と言われていたが、寡黙でミステリアスなぶん、隠れファンも多かった。
「そんなモテモテの親友と付き合っていると噂されて『逆に私って、スペシャルかも?』と舞い上がってしまいました」
しかし、その友達に疑問をぶつけることはできなかった。
もっと知りたいけど、聞けない。
友達も何も言わないから、その陰のある感じが、ますます魅力的に映った。
「まだ男子を好きになったことがなかったから、周りの友達にも持て囃されるし、ひょっとしたら本当にその子のことが好きなのかも、という疑念はいつまでも晴れませんでした」
LGBTや性同一性障害という言葉も、まだ自分の中に持ち合わせていなかった。
この感情の高揚は、大学生になって男性と恋に落ちるまで、およそ6年間、ゆるゆると続くことになる。
カミングアウト
しかしお互いの関係性が変わる、転機が訪れた。
ある日、友達が携帯のメールでカミングアウトしてきたのだ。
「『俺、性同一性障害かもしれない』。直球の告白でした」
「言われていることの意味がわからなくて、すぐに電子辞書やインターネットで情報収集しました。それでGIDの意味がようやく分かったんです」
カミングアウトされたときの感想は、“なるほど” というものだった。
友達に対する疑問が少しずつ解けていく感じもした。
驚きも嫌も、負の感情は何もなかった。
「けれども、なんて返事すればいいか迷いました。『あーそっか』『ふーん、そうなんだ』みたいな、そっけない返事をしたと記憶しています」
きっとその子は、話したかっただけなのだ。
親友に告白することで、スッキリしたかったのだろう。
でもそんな友達に何をしてあげればよかったのだろうか。性同一性障害への理解が深まった今ならできることもあっただろう。
しかし中学生の自分に、その選択肢は思い浮かばなかった。
「それからは一緒に映画を観に行った帰りに、その子のためにメンズ服売り場に立ち寄ることもありました」
「似合うかどうか聞かれたら、うんいいね、って答えたり。けれどもメールでのカミングアウト以降、GIDの話を面と向かって話すことはなかったんです」
一度、友達からメールで「俺って、パス度は高いかな?」と聞かれたことがある。
「パス度が高い」とは、自ら自認している性別が、他者から認識されているという意味だ。
その友達にカミングアウトされてから、性同一性障害について、自分なりに勉強した。
パス度の意味も、すでに理解していた。
「友達にしたら、うん男の子に見えるよ、って私に言って欲しかったのかもしれません」
「でも私がそう答えることで自信を持って、GIDの治療を始めたいと言いだしたらどうしよう。その子の人生を左右するような気がして、怖くなってしまったんです」
「かといって、パス度が低いと言っても傷つけてしまう。そして何より明確な回答を出すことで、それが証拠としてメールのかたちで残ってしまうのが恐ろしかった」
悩んだ末に返信したメールの文面は「パス度ってなに?」というものだった。
「調べてよ、携帯あるんだから」と返信があったが、もうそれには答えられなかった。
「以降、二人の間で、その話をすることはありませんでした。今思えば、ちゃんと友達の問題に向き合ってあげれば良かった」
「でも、そう簡単にはいかなかったんです。決してノリで答えてはいけないと思いました」
「あのときの自分の冷静さを思い出すと、今でも罪悪感はあります」
月日が流れ、互いに高校を卒業する頃には、その友達が両親の仕事の都合で引っ越してしまった。
以降は自分の昔を知っている子とはつるみたくないのか、同窓会、成人式などの集まりにも来はしない。
その子は理系科目が得意だったので、1年の浪人の末、医療系の大学へ進学した。
大学2年生の頃まではメールのやり取りもあったが、そのうち連絡が途絶え、今はもう、ほとんど音信はない。
03自分の夢が見つかった!
ある決意
実は高校3年生のとき、親友が抱える性同一性障害の問題とどう向き合えばいいか知りたくて、プライドパレード「Save the Pride!」に参加したことがある。
「インターネットでイベントの存在を知りました。もちろん親友のことを知りたいというのもあったけれど、それと同じくらい、自分のセクシュアリティについて知りたかった」
「高校3年生になっても、まだ男の子を好きになったことはなかったし、彼女のことが好きなんじゃないか、レズビアンなんじゃないかと思っていました」
実際にリアルなLGBT会うことで、自身のセクシュアリティの問題とも向き合いたかった。
「GIDの親友も一緒に」と思ったが、気軽に誘えなかった。
まだ自分も参加したことのない、実態もわからないイベントに連れていくのは無責任に思えたし、逆にその友達を苦しめることになるかもしれないと考えたからだ。
「未成年だったので、参加するには親の同意書が必要でした。LGBTなんてまだ知らないであろう両親に、なんて切り出そうか悩みました」
「『世の中にセクシュアルマイノリティと呼ばれる人たちがたくさんいて、生きることさえ大変な人も存在すると知ってしまった』と、素直に興味を持った理由を伝えました」
両親は「社会に興味を持つのはいいことだ」と背中を押してくれた。
「熱中症には気をつけて、あと変な人には付いて行かないように」とも。加えて受験勉強に励むように、と釘も刺されたけれど。
志を高く
パレード前日の準備から参加した。
高校生は自分ひとりだったけれど、様々なセクシュアリティの人たちが温かく迎えてくれた。
「『佑未ちゃん、お腹は空いてない? おにぎりあるよ!』って優しくしてくれたときは、嬉しかったです。やっぱり少し緊張して参加していたから。一気に気持ちが解れました」
パレード当日は感動の連続だった。
まず代々木公園に集まった人の数に驚いた。パーフォマーのキレキレのダンスに感嘆した。
「何より楽しかった。みんな優しかった。テレビのオネエタレントくらいだったLGBTへの認識が、ぐっとリアルになった瞬間でした」
セクシュアルマイノリティの社会問題に対する意識の高さも魅力的に映った。
日本という国が、LGBTもそうでない人も住みやすい場所になるために、どうすればいいか。
討論する人々の輪に、自分も加わってみたいと思った。
「それまでは大学で学びたいこと、将来の夢もなかったけど、プライド・パレードに参加することで、見つかりました」
「私は自分の親友も、いま目の前にいるLGBTの方も含めて、全ての人が自分らしく生きられる世の中を作るために役に立ちたい。そう感じたんです」
04アライは必要ない?
男の子が好き?
高校を卒業し、青山学院大学国際政治経済学部に進学した。
政治学を専攻しながら、LGBTの問題にも取り組もうと思った。
そして初めて「共学」を体験した。
「新歓コンパに行ったら、男の子はみんなお猿さんみたいな赤い顔をして、お酒を飲んでいるように見えたんです(笑)」
「すごく大きなギャップを感じましたね。まだセクシュアリティの迷いがあったから、やっぱり女子との距離感の方が心地いいと思いました」
しかし構内でラグビーやアメフトに打ち込んでいる、逞しい学生を目にすると心惹かれることも。
「ラグビーの五郎丸歩選手の存在を知ったときも、『五郎丸、やばい!』と興奮して友達に話していました(笑)」
男性と交際するようになり、ああとりあえず、今の私はヘテロセクシュアルなんだな、と思うようにもなった。
予期せぬ中傷
一方で、LGBT向けサービスなどを展開する会社でインターンを経験した。セクシュアルマイノリティ向けのメディアサイトを始めることになり、記事を投稿することになった。
当事者の視点の記事が多かったから、自分の目で、アライのことを書きたいと思った。
「君の興味のあることを突き詰めていいよ、と言われました。LGBTについてヘテロセクシュアルが持つ誤ったイメージ、たとえば「オネエ=ゲイ」みたいな誤解を取り除いていこうと思って」
ネットで発信するだけでなく、アライを増やしていこうと啓発イベントも主催した。
しかし思わぬ事態に心が傷つく。
「主催者がアライなんだって?」
「アライにLGBTのことが語れるの?」という書き込みがSNSに散見されたのだ。
「私が担当になって、本当はいいイベントなのに、私のせいで台無しになってごめんなさい。ストレートなのに出過ぎたマネをしたのかもと、自分を責めて落ち込みました」
05未来のために、私が叶えたいこと
アライの視点
自分を中傷したセクシュアルマイノリティに怒りは感じない。
後ろめたい思いで「自分の伝え方が悪かったのかな?」と思い、同時に「そういう人もいるんだな」とやり切れないな気持ちになっただけだ。
しかし時が経った今だから思う。
やはりアライだからこそできる、LGBTの啓発活動があるのではないか、と。
「ゲイの子から『(女の子に)ゲイの友達が欲しいと言われて、嫌な気持ちになった』と言われたことがあって」
「確かに私も『マツコ・デラックスみたいな人と友達になりたいから、新宿二丁目に連れてって』と言われ、戸惑うことがあります。そう感じたのは、言い方とか、前後の話しのニュアンスもあったのだと思いますが」
「でも、それが誤解からくるものであれば、その誤解を当事者が正すのって、すごく大変なことだと思うんです。だからアライの私が偏見をなくしていきたい。両者の架け橋になりたいんです」
「あと私も、今はヘテロだと思っているけれど、これから先、どうセクシュアリティが揺らぐか分からない」
「そういう視点を私が話すことで、より当事者と社会の距離が近づいていくとも考えています」
世界は優しい
自分が地道に活動を積み上げることで叶えたいのは、全ての人が自分らしく生きられる社会だ。
「長い道のりになるかもしれないけれど。たとえば私が子どもを産んだとして、その子がゲイだったときに『ゲイだからこそ、こう生きるしかない』ではなくて、『ゲイだからこそ、こんな生き方もできる』と前向きな社会であればいいなと思います」
「ヘテロセクシュアルとして生まれたなら、自然にLGBTと寄り添って暮らせる世の中であって欲しい」
今春からPR会社で社会人としてのスタートを切るが、仕事のなかでセクシュアルマイノリティに関する活動にも関わっていきたいと考える。
「LGBTの人と仲良くなることで、私の社会への関心はぐっと深まりました」
「世の中にはさまざまな偏見や差別に溢れているけれど、ひとつひとつ、しっかり向き合うことで、すべての人が自らのミッションを生きられる、輝ける社会になっていくと思うんです」
世の中の矛盾を直視することには、苦しさが伴う。しかしだからこそ、その疑問を受け流さない、真摯に考え続けようとする森谷さんの姿勢に見習うべき点は多い。社会の偏見や差別に胸を痛めながら、なおも笑顔で前に進もうとするのは、それでも世界は美しく優しい、そんな思いがあるからではないだろうか。