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レズビアンでも人見知りでも、生きていれば何かを成し遂げられる。【後編】

レズビアンでも人見知りでも、生きていれば何かを成し遂げられる。【前編】はこちら

2022/02/19/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
長屋 友美 / Yumi Nagaya

1987年、長野県生まれ。5人きょうだいの4番目に産まれ、幼い頃に両親の地元である愛知県に引っ越す。小学生の頃にバスケットボールにのめり込み、中学、高校と続け、大学進学とともに社会人クラブチームに入る。28歳の頃、1年間のオーストラリア留学に赴き、帰国後に上京。2021年1月にLGBT当事者支援を行う会社Suns upを立ち上げ、代表取締役として事業を推進している。

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INDEX
01 私が会社を立ち上げた理由
02 いつでも自由にさせてくれた家族
03 幼い頃に灯った心の火
04 ないかもしれない “好き” の感情
05 受け入れられないレズビアンの自分
==================(後編)========================
06 バスケが導いてくれた出会い
07 誰も知らない土地で学んだ “心の解放”
08 ようやく受け入れられた自分自身
09 家族にカミングアウトをしたワケ
10 私の目標は “全力で生き抜くこと”

06バスケが導いてくれた出会い

心から好きだと思えるもの

恋愛においては苦しい日々が続いたが、心休まる場所もあった。

「高校生の時もバスケが拠り所で、部活が安心できる場所でした」

「将来は人の役に立つ仕事がしたかったので、福祉系の大学に進んだんです」

大学に入学してからも、バスケットボールは続けた。

2年生に進級した頃、あるスポーツ系の専門学校にバスケットボールコースができたことを知る。

実技だけでなく、トレーニングやテーピング、審判など、バスケットボールに関するあらゆることを学べるカリキュラムが組まれていた。

「ここに行きたい! ってなっちゃって、すぐお母さんに話しましたね(笑)」

「お母さんは、私が決めたら絶対曲げないことをわかってるので、認めてくれました」

大学に2年間通った後、専門学校に入り直した。

変わるきっかけ

「専門学校はめちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃ幸せでした!」

朝練から始まり、夜までひたすらバスケットボール漬けの日々。

「選手として実業団に入るのは難しいとわかっていたので、違う形でバスケに関わる仕事をしたい、って考えてました」

「マネージャーはバスケしたくなっちゃいそうだし、トレーナーは狭き門なので、最終的にはスポーツショップに就職したんです」

バスケットボールに特化したショップ。その選択は正しかったといえる。

「ずっと人見知りは継続していたので、いろんな人と話す仕事は自分を変えるいいきっかけになったと思います」

お客さんと話すことで、会話の始め方はうまくなった気がする。

「大学進学の時点で社会人バスケチームにも入ったんですが、学生の間はチーム内の人と全然しゃべってなかったんです(苦笑)」

極度の人見知りを発揮し、プレイに関すること以外はほとんど話さなかった。

「でも、接客業を始めてから、メンバーに心を開いて話せるようになりました」

チームメンバーも、「ひと言もしゃべらないくらいだったのに、めっちゃ変わったよね」と、言ってくれた。

あたたかいチーム

社会人クラブチームは、高校卒業したばかりの自分から40歳くらいまで、幅広い年代のメンバーが集まっていた。

思いやりの心を持つ人ばかりで、話さなくても、若さ故に自分勝手になっても、やさしく見守ってくれた。

「社会人になってもバスケを続けられたのは、このチームと出会えたからだと思います」

「バスケを通じて最高な人たちと出会えて、自分の人生に欠かせないものになったんです」

結束力の強いチームだからこそ、チームプレイが成立する喜びが大きかった。

全員が全力で取り組むからこそ、勝利につながるチームだと感じられた。

「楽しみながら勝つことができたチームで、そのなかに入れたことがありがたいな、って常に思ってましたね」

「休みの日は必ず練習や試合に参加して、相変わらずバスケ中心の生活を続けてました」

「チームのみんながいたから、社会人としても人間としても成長するきっかけがつかめたんだと思います」

07誰も知らない土地で学んだ “心の解放”

自分を変えるための決断

人見知りをしてしまう自分を変えたい、という思いはずっとあった。

「人とうまくコミュニケーションが取れないことで、自分にとってのプラスは何もないってわかってたんです」

「常に笑顔で、すぐ輪に入っていける人が羨ましかったし、憧れでした。でも、自分を変えられなくて、すごく歯がゆかったんです」

自分を知らない人しかいない場所に行けば、1からやり直せる気がした。

「それで、留学に行こう! って思ったんです」

「海外で1人になったら人見知りなんて言ってられないし、自分を築き直せるんじゃないかって」

28歳での1年間のオーストラリアでのワーキングホリデー。周りからは「30歳手前で帰ってきて、どうするの?」と、言われた。

「私にとっては、今のままで日本にいるより、根本的な問題を解決するために海外に行く方が重要だったんです」

「それに、誰かに納得してもらってすることでもない、と思ったんですよね」

人の目を気にしない生き方

オーストラリアに渡った初日、すぐに試練が降りかかった。

「ホームステイする家の前まで送ってもらったんですけど、似たような家ばかりで、どこかわからなかったんです(苦笑)」

「めっちゃ不安だったけど、誰かに聞くしかないから、歩いてる人に教えてもらって無事にたどり着けました」

ステイ先は、バイロンベイという海沿いの小さな街。そこに住む人たちは果物を食べながら、裸足で歩くのが当たり前。

現地で勤めた職場の同僚は、昼休みに海に潜り、濡れたまま午後の仕事をしていた。

「最初は、髪の毛濡れてるし、化粧も落ちたままでいいの!? って気になりましたよ(苦笑)」

「でも、目の前にキレイな海が広がってたら飛び込みたくなるよね、って私も真似するようになりました」

「オーストラリアの人って自分が楽しむことを大事にしてて、周りの目とか気にしないんですよ」

「その環境にいると、なんで自分は人の目ばっかり気にして生きてるんだろう、って疑問に感じました」

徐々に、人と接することに戸惑いを感じなくなっていく。

「ボーイフレンドはいるの?」

理想の姿に近い人たちに囲まれ、自分自身に素直になれるように変化していく。

「現地の人が『何も気にしなくていいよ』って、言ってくれたのもありがたかったですね」

「ボーイフレンドはいるの?」と聞かれることもあったが、気にならなかった。

「中学英語くらいしかしゃべれなかったので、『YES』か『NO』でしか答えられなかったんですよ」

「いろいろ考えて言い訳することができなかったのが、逆に良かったんだと思います」

「そもそも毎日刺激的なことばかりで、セクシュアリティについて考えるヒマもなかったんですよね」

オーストラリアで、誰かと恋に落ちるようなことなかったが、それでも心が解放的になった。

自分のセクシュアリティも受け入れられるように思えた。

08ようやく受け入れられた自分自身

前進するための上京

1年の留学を終えて日本に戻ったら、地元の愛知、または一度働いた経験のある大阪で職探しをする予定だった。

「でも、慣れ親しんだ街にいると、過去の自分に戻る予感がしたんです」

「せっかく解放的になれたのに人見知りに戻るのはイヤだから、新たな土地に行こう、と思いました」

向かう先は、多様な人が集まり、さまざまな経験ができるであろう大都市・東京。

帰国してからすぐに東京のマンスリーマンションを1週間借り、職探しを始めた。

「最初に採用面接を受けて、合格をもらえたのがコールセンターの仕事だったんです」

「すぐ地元に戻って、引っ越しの手続きをして、その月の終わりには働き始めてました」

「1人でスキー教室に行った頃と同じで、やりたいと思ったことをやらないと気がすまないところは、変わってないんですよね(笑)」

東京に知り合いは1人もいなかった。それでも、これからの生活が楽しみだった。

「今のままでいいじゃん」

オーストラリアで自由な人たちと出会い、常識に捉われない日々を送った。
そのおかげで、自分自身を受け入れるようになった。

「好きになった人が好きなんだから、性別がどうであろうといいんだ、って思えるようになったんです」

それまでは、男性を好きになれた方がラクじゃないか、という迷いがあった。

女性が好きならそれでいいじゃん、と自分に言い聞かせながらも、受け入れられなかった。

「だけど、文化の違うオーストラリアに行って、今のままでいいじゃん、って腑に落ちたんです」

東京に来てからは、女性との出会いを積極的に求めるようになる。

「その時に初めて女性同士が出会うアプリがあることを知って、やってみようって」

初めての女性との交際

アプリで出会った女性と、交際に発展することもあった。

「アプリで出会っている以上、同じ性的指向の人なので、安心感がありましたね」

「中学生の頃のように、『恋愛感情じゃない』って理由でフラれることはほぼないじゃないですか」

だから、好き、という思いを口に出すこともできた。

「告白して、初めて『いいよ』って言われた時は、めっちゃうれしかったです」

「男性とのおつき合いとは180度違いました。手をつなぎたいし、ずっとそばにいたかった」

男性のパートナーに対する嫌悪感を、女性のパートナーに対しては一切抱かなかった。

「オーストラリアに行ったことで、ようやく自分を解放できたんだと思います」

「自分を否定し続けるって、ツラいんですよね。その感覚がなくなって、一気に気持ちが軽くなりました」

09家族にカミングアウトをしたワケ

親友がかけてくれた言葉

初めて女性のパートナーができた時、誰かに伝えたくなった。

「うれしいとか寂しいとか、恋愛に関して話せる相手が欲しくなったんですよね」

ふと浮かんだのが、オーストラリアで出会った親友。同い年の気の合う女の子。

「その子に電話して、『つき合うことになった人が同性で』って、話しました」

「最初は驚いてましたけど、『幸せだったらいいと思うし、違和感もないよ』って受け入れてくれました」

電話の最後には、「今度会わせてね」と言ってくれた。

「伝える前はめちゃくちゃドキドキしたので、カミングアウトした1人目がその反応で安心しましたね」

「そっか、わかった」

現在のパートナーとの交際を始めてから、母にも伝えた。

「離れて暮らしているので、お母さんにも電話で伝えたんです」

自分のセクシュアリティについて話すと、母の返事は「そっか、わかった」のひと言だけ。

「否定されるパターンとか質問されるパターンとかシミュレーションしてたので、あっけなかったです」

「逆に焦ってしまって、『結婚式はしたい』とか『子どもも考えてる』とか、聞かれてないことも一方的にバーッと伝えちゃいました(笑)」

「でも、お母さんはいつも応援してくれたので、カミングアウトしても否定はされないだろうな、って思いはありました」

その後、実家に帰った時に、母から「薄々そうじゃないかな、とは思ってた」という話を聞いた。

「お母さんは『5人子育てして、思い通りに育たないことを経験してきたから、友美が幸せならそれでいいって思えたんだと思う』って、話してくれました」

そして、「ずっとツラかったの? 気づいてあげられなくてごめんね」と、言ってくれた。

「お母さんはなんでわかってくれないの、なんて一度も思ったことないから、大丈夫だよ」と、伝えた。

カミングアウトは必要な選択

カミングアウトは絶対ではない、と思っている。

「波風立てずに、パートナーと2人で暮らしていきたかったら、カミングアウトしない選択肢もあったと思います」

「パートナーと出会うことなく1人で生きていたら、考えもしなかったでしょうね」

「ただ、私が想像した理想の未来を実現するには、必要な選択でした」

パートナーと出会い、将来を考えた時に見えたのは、家族や友だちも含めた全員が笑顔でいる未来だったから。

「パートナーや自分以外に大切な人たちにも笑顔でいてもらうって、伝えないことには成し得ないと思ったんです」

「もし受け入れてもらえなかったとしても、何年もかけて自分が幸せなことを伝え続けて、いつの日かみんなで笑える日が来てほしい、って思っちゃったんですよね」

「私やパートナーが考える幸せには、カミングアウトが必要だった。そういうことです」

10私の目標は “全力で生き抜くこと”

生きていれば立ち上がれる

「私の目標は、自分が亡くなった時に集まってくれた人たちに『友美っていつも全力で生きてたよね』って、思ってもらえる人生を歩むことです」

「悲しさではなく、パワーを残せるような最期を迎えたいな、って思います」

そのためにも、自分の気持ちに正直に、常に学び、挑戦し続ける日々を送りたい。

そう考えるようになったのは、大切な人の死を経験したから。

「家族ぐるみで仲が良かった友だちが白血病を患って、20代半ばで亡くなったんです」

彼の闘病生活を、間近で見ていた。

「ツラいはずなのに、いつもやさしい表情で周りを気遣っていて、生き様がすごいな、って思ったんですよね」

「彼が亡くなった後も、みんなが口を揃えて『最後まで周りを思いながら生きてたよね』って、話してました」

「その姿を見たら、自分がやらないわけにいかない、って思わされますよね」

「失敗したって、命があればまた立ち上がれるし、やれることってたくさんあるんです」

留学した時も、会社を立ち上げた時も、大変な時期がなかったわけではない。

しかし、彼のおかげで、自分は生きているのだからどうとでもしていける、と思えた。

「私が彼から影響を受けたように、私の思いを感じ取ってくれる人がいて、影響が連鎖していったらいいな、って思います」

みんなでできる何か

「だから、できることは全部やりたいんです」

会社を立ち上げた今、考えていることは、自分が大成することではない。
みんなで力を合わせて、大きな何かを成し遂げることだ。

「大きな一歩は踏み出せないけど何かをしたい、と思ってるLGBT当事者の方っていっぱいいると思うんです」

「そういう人が集まったら、きっと大きな力になりますよね」

「だから、個々にサービスを提供したり商品を作ったりしてる人たちが、1つになれるシステムやイベントを作っていきたい、って考えてます」

「そういう動き方をしていけば、世の中にアプローチしやすくなると思うんです」

過去の自分と同じように踏み止まっている人も、参加できるような場所を作りたい。

今はその目標に突き動かされ、ひたむきに取り組んでいるところ。

あとがき
活力にあふれた人と言ったら、どんな人物を思い浮かべるだろう? 友美さんはその人。全力で生きている。なのに力みがない。取材を終えるまでずっと、おおらかな空気に包まれた■中国からアスリートの熱戦が報じられる毎日。練習の成果を発揮できる選手ほど[チカラが抜けている]とわかった。これだ! 友美さんはチカラを抜くのが上手な人。家族、友だち、パートナー、バスケ、オーストラリア・・・ほぐしてくれた人たちが見えるようだった。(編集部)

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