02 幼いいじめと1人ぼっちの時間
03 熱中できる「趣味」のチカラ
04 ようやく見つけた自分の居場所
05 社会に出て見えてきた理想像
==================(後編)========================
06 「男」として出会った恋人
07 トランスジェンダーとしての決心
08 家族に認めてもらうタイミング
09 いくつもの涙を超えて手に入れた今
10 私の夢は “人の役に立つ人生”
06 「男」として出会った恋人
ダンサーという仕事
クラブで出会った友だちの影響で、ダンスを始める。
「ヴォーギングダンスをしていた2人組と出会って、教えてもらって、その子たちと一緒にパフォーマンスするようになりました」
22歳でホテルの仕事を退職し、アルバイトをしながら、ダンサー業を続ける。
クラブで踊ることが主だったが、札幌を拠点に活動するビジュアル系バンドと出会う。
「一方的に『私たちがPVに出るから』って連絡したら、そのバンドが認めてくれたんです」
「ライブにもパフォーマーとして出演するようになって、バンドがメジャーデビューした後は、仕事をいただくたびに東京に行ってました」
バンドが紹介される音楽雑誌に、ちらりと写真が掲載されたことがある。
「両親はその雑誌を見て、『こんなに活躍するなら』って、活動を認めてくれました」
惹かれ合った2人
クラブでダンサーをしていた22歳の頃、ある男性と知り合う。
「私が主催側で出ていたイベントで、モデルの活動をしている男の人と出会ったんです」
「ステキな人だったし、『メンズノンノ』が好きだった私としては、モデルの男性って憧れだったんですよ」
「ただ、その時は既に彼氏がいたし、その男性にも彼女がいたから、特に発展しませんでした」
その出会いからしばらくして、2人は再会。その時には、互いに恋人と別れていた。
「意気投合して遊ぶようになって、彼がすごくアプローチしてくれたんですよ。約束してないのに、迎えに来てくれたり」
「後になって聞いた話だけど、彼は出会った時から私に興味が湧いたんですって」
彼から「一緒にいたい」と告げられ、自然な流れで交際が始める。
つき合ってすぐに、同棲生活がスタート。
「キスをしたり、手をつないだり、誰もが想像するような恋人関係でした」
「ただ、一緒に寝ても、何も起きないんです(苦笑)」
彼から触れてもらえないことに、ショックを覚える夜もあった。
「後々聞いたら、彼は『大奈に惹かれてたけど、いざ裸になると、自分と同じものがついてたから・・・・・・』って、言ってました」
「彼はもともと女性が好きなので、男である私に惹かれていることに、悩んだみたいです」
それでも彼は、恋人として一緒にいる道を選んでくれた。
新たな地での挑戦
24歳の頃、バンドの活動も活発化してきたため、東京に行くことを決意する。
「その時に、彼もいっしょに上京してくれたんです」
「彼はバイト感覚でモデル業をしていたので、東京に来てからは堅実に働いてくれました」
自分自身は、パフォーマー業を続けながら、アルバイトを掛け持ち。
「東京は厳しいですね(苦笑)。でも、バンドのツアーに参加するとギャラも良かったので、なんとかやっていけました」
バンドが解散する30歳まで、その生活は続いていった。
07トランスジェンダーとしての決心
“トランスジェンダー” という気づき
30歳を超えた頃、彼から思いがけない一言を告げられる。
「大奈との未来が見えない」
これからも一緒にいるのだろうと思っていた彼から、別れを切り出されたのだ。
「その時に、『男同士でどうやって生きていくか、悩んでるんだ』って、言われたんです」
職場の同僚が結婚し、子どもを育てる姿を見て、彼は思うところがあったのだろう。
男性のパートナーと生活をともにし、今後どのように未来を築いていくのだろう、と。
「だから、男同士のカップルはどうしたら一緒にいられるのか、調べたんです」
その過程で、トランスジェンダーや性別適合手術(SRS)の存在を知る。
「昔から『女っぽい』って言われてきたし、バービー人形が好きだったし、自分はゲイじゃなくてトランスジェンダーだったのかも、って感じました」
「トランスジェンダーの方の体験談なども読んで、ニューハーフの方の見方も変わりました」
「私が見ていたのは一部だけで、実際は悩みを抱えながら、自分で道を選んできた方々だったんだって知りましたね」
そして、彼に告げた。
「僕が女になる」
反対された性別移行
「最初、彼は『やめろ』って、言ってました」
SRSが成功するのか、世の中に認められるような女性になれるのか。
さまざまな問題や不安を理由に、「取り返しがつかなくなる」と、反対された。
「それでも、私は彼と別れたくなかったから、泣いてすがりました。私が全然諦めないから、彼も少しずつ受け入れて、見守ってくれるようになったんです」
日本で治療を開始し、タイでSRSを受けることを決める。
タイでの手術には、彼も連れ添ってくれた。
「一度やると決めてからは、トントン拍子で進んでいきましたね。治療を始めて、名前を変えて、豊胸して、SRSを受けて、戸籍変更まで」
“女性” になる努力
「性別移行している最中は、彼に否定されることもありましたよ(苦笑)」
外見に男性特有のたくましさが残っていたため、スカートをはいても女装に見えてしまう時期があった。
その間、彼から「スカートをはくなら、一緒に外出できない」と言われた。
「その言葉が悲しかったし、私自身も女性に見てもらえるか不安だったから、努力したんです」
「髪を伸ばして、メイクを工夫して、美容整形で目を大きくしました。まつエクすると、格段に女性らしくなることも知りましたね」
ヘアメイクの仕事をしている友だちに、アドバイスをもらいながら、美しさを追求する。
毎日のように、彼に「私、女の子に見える?」と、チェックした。
「ホルモン注射の影響で雰囲気も丸くなってくるし、努力の甲斐もあって、変わっていったんですよ」
「スカートをはいても違和感のない姿になって、彼も喜んでくれました」
「今は、会社の人がいるパーティーに私を連れていって、『キレイな奥さんだね』って言われるのがうれしいみたい(笑)」
08家族に認めてもらうタイミング
結婚の報告
手術を終え、戸籍変更も済み、あとは彼と結婚するだけ。
「そこまで来ても、彼は『親になんて言おう』って、抵抗したんですよ(苦笑)」
「私はすぐ結婚したかったから、彼がグズグズしてる間にストレスが溜まって、蕁麻疹が出るようになってしまって」
恋人の体調を心配した彼は、「親に報告する」と、約束してくれた。
彼はかつて母を病気で亡くしていたため、報告したのは父と現在の妻、そして姉。
「その時に、結婚することも私がトランスジェンダーであることも、全部話しました」
「彼のお父さんは『自分も好きなように生きてるし、何も言えないから』って、承諾してくれたんです」
「彼のお姉さんも、『受け入れるよ』って、言ってくれました」
つながらない電話
自分の家族には、治療を始める前に一度電話をした。
「30歳の時かな。『彼と一緒にいたいから、女になることにした』って、電話で伝えたんです」
「その時に、母から『何バカなこと言ってるの、やめなさい!』って、言われました」
何度も何度も電話をかけ、説得を試みたが、両親の態度は変わらない。
時に、「お母さんがこんな風に育てたんでしょ」「私の育て方が悪かったって言うのかい」と、ケンカのようになってしまうことも。
いつしか、両親も妹も、電話に出てくれなくなってしまう。
「最後に父が出てくれた時に、『好きなように生きていけ。その代わり、帰ってくるな』って、言われました」
「・・・・・・家族に見捨てられた、と思いましたね」
その電話以降、家族とは音信不通。彼から何度も「連絡した方がいい」と言われたが、自分から連絡することはできなかった。
十数年ぶりの再会
2年前のある日、十数年ぶりに母から電話がかかってくる。
「父が事故に遭って、危篤状態なんだ、という連絡でした」
父が亡くなる瞬間に立ち会うことはできなかったが、彼と2人で急いで地元に帰った。
「初めて女性の姿で会った瞬間、母は泣き崩れました」
「その涙の理由はわからないけど、きっと母は彼女自身を責めていた時期があったと思います」
過去に自分が「お母さんがこんな風に育てたんでしょ」と、言ってしまったから。
「母が落ち着いてから、今の私が葬儀に出たら親戚が驚くから出ない、って家族で決めました」
「葬儀の場で、母が親戚から『息子は帰ってこないのか?』って、聞かれたんですって」
ウソをつけなかった母は、「実は、女性になって帰ってきてる」と、話したという。
「親戚から呼ばれて、葬儀の場に向かいました」
「想像していた反応とは違って、親戚は割とすんなり受け入れてくれました」
「その場で、いとこの男性が『お前をバカにするやつがいたら、俺が守ってやる』って、言ってくれたんです」
「彼は私の父にすごくかわいがられていたので、もし父が生きていたら、彼と同じように言ってくれたのかな」
現在は、母と妹と連絡を取り合い、たまに実家にも帰っている。
「たまに母から、『ちゃんと夕飯作りなさいよ』『旦那さんの洗濯、ちゃんとしてるの』って、LINEが来ます(笑)」
「父には今の姿を見せられなかったけど、きっと父が家族を元に戻してくれたんだろうな、って思ってます」
09いくつもの涙を超えて手に入れた今
変えられるもの
「父が亡くなった年に、18年間飼っていたネコも亡くなって、その時期は精神的にどん底でした」
その姿を見た友だちが、「自分と向き合って、前向きになれるような学校があるよ」と、心理学の学校を勧めてくれた。
「そこで2年間、心理カウンセラーの資格を取る勉強をして、精神的に変化していきました」
「ネガティブでどんどん落ちてしまう性格だったんだけど、気の持ちようで世界は変わることを知ったんです」
心理学を通じて、変えられるものは “自分” と “未来” だけなのだと知る。
「それまでは過去を変えたかったし、自分をバカにする相手を変えようとしてたんですよね」
「でも、今は、私が人とどう接していくかが大事、って思えるようになりました」
「人にどう思われるかよりも、私がどう思うかが大切なんですよね」
考え方が変わったことで、精神的な負担が減り、前向きになれた。
女性としての生活
戸籍変更を終えてからは、女性として就職し、女性として生活してきた。
「夫もいるから、これまであえてカミングアウトはしてきませんでした」
「40歳手前くらいかな。もっと世に出たい、って欲が出てきたんです(笑)」
もともとダンサーをしていたこともあり、表舞台に立つことは好きだった。
「トランスジェンダーのミスコンに出ようかと思ったけど、年齢的に遅かったんです(笑)」
「だから、女性が出場するミセス向けのコンテストに出場しました。そこから輪が広がっていって、今の仕事につながるんです」
現在はインスタグラマーとして、日々の生活や美容情報を発信している。
「かつて男性だったことは明かさずに、コンテストに出たり生活を発信したりすることで、当事者の方に勇気を与えられるかな、って気持ちもありました」
それでも、隠したままでは届かない。打ち明けるタイミングが来た。
10私の夢は “人の役に立つ人生”
ようやくできたカミングアウト
「友だちや同僚にカミングアウトしたい、という気持ちは、前からあったんです」
「ただ、 “妻” という立場もあったので、ずっとしてきませんでした」
2020年、新型コロナウイルスの影響で自宅で過ごすことが多くなり、自分と向き合う時間が増えた。
ブラック・ライヴズ・マターが起こり、世界的にも人権を見直す動きが出てきている。
「その中でLGBTに関する声も上がっていて、私も何かに携わりたい、って気持ちが強くなったんです」
そのタイミングで、心理学のオンラインセミナーに参加。
一緒に学んできた100人の前で、思い切ってカミングアウトした。
「心理学を学んできた仲間たちは、みんな受け入れてくれたんです」
「そして、『大奈の生き方を発信することで、救われる人はいっぱいいると思うよ』って、背中を押してくれました」
「いままでは自分が良ければいい、って判断軸で生きてきたけど、人のために生きたい、と思うようになってきたんですよね」
10代の頃のように、着飾れば自分の価値が上がる、と思える時期は過ぎていた。
人の役に立ちたい。
自分が存在する価値を、そこに見出したくなった。
「彼は私がカミングアウトすることに躊躇してたので、周囲に伝える時期や今後の目標を、プレゼンしたんです」
「その話を聞いて、『大奈が人の役に立ちながら、2人の生活を維持できるなら』って、考え直してくれました」
そして、2020年末から2021年の春にかけて、身近な人にカミングアウトをしてきた。
「でもね、私が『トランスジェンダーなんだ』って話しても、ピンとこないみたい」
「『大奈さんって女が好きなの?』って、男になりたいんだと思われるんですよ(笑)」
「それって、私の性別移行が成功してることの証明だから、うれしいんですけどね」
「今のあなたでいいよ」
幼い頃のいじめは、ツラい思い出であると同時に、バネにもなっている。
「その経験があったから弱者の気持ちがわかるので、『ありがとう』って、伝えたいですね」
「そして、今まさに苦しんでいる人がいるなら、『今のあなたでいいよ』って、言いたいです」
「苦しい時って、自分自身を否定してしまうこともあるけど、否定し続けるのはツラいでしょ」
「きっとあなたは1人じゃないし、味方になってくれる人はいるから」
髙橋大奈には、ずっと隣で見守ってくれた夫がいるように。
「理解者を見つけて、その人に話を聞いてもらうことが、苦しみから抜け出す1つの方法だと思います」
「ツラいことがあるなら、1人で抱え込まずに、誰かに話してほしい」
「もし誰も見つからないなら、私に聞かせてほしいです」
「答えは探し求めなくてもいい。ただ、『ツラい』って言うだけでも、心は軽くなるから」
私の経験が、あなたの救いになることを願って――。