02 夢に近づくための自動車の仕事
03 20年間続けてきた国際協力
04 トランスジェンダーの弟から受けた影響
==================(後編)========================
05 セクシュアルマイノリティのサポート
06 家族が互いを受け入れ合えた時
07 活動の進め方、思いの伝え方
08 “100人の1歩” で世界は変わる
05セクシュアルマイノリティのサポート
諦めなければいけない夢
カミングアウトを受けてから数年後。
「弟から『男として働きたいし、生きたいと思うんだけど』って相談されたんです」
「弟は埼玉の学校で教師をしてたので、『校長先生に聞いてみたら?』って返しました」
校長に相談した結果、「埼玉県は理解が遅れているから、東京で働いたらどうか」と、遠回しに退職を促されたという。
そう言われた弟は、「面倒なことにしたくないから辞める」と、退職してしまった。
「弟が教師になったのは、同じようにセクシュアリティで悩んでいる子の力になりたい、という夢があったからだと言ってました」
「何も悪いことをしていないのに夢を諦めなければいけない弟を見て、何かしなきゃ、って思ったんですよね」
湧きあがった思いに突き動かされ、「レインボーさいたまの会」を立ち上げた。
制度を導入する理由
「レインボーさいたまの会」は、立ち上げ当初、埼玉県の各自治体でのパートナーシップ制度導入をのみを目指し、活動を行っていた。
活動のきっかけは、弟の「校長先生が悪いわけじゃない。悪いのは、理解のない社会だ」というひと言。
「そのひと言で気づかされたんです。国や自治体が同性カップルを認めていないから、理解しようにもできない人がいるんだと」
「住んでいる街にパートナーシップ制度があれば、『街が認めてるんだからいいんじゃない』って、堂々と言えると思ったんです」
制度や法律を変えることで、セクシュアルマイノリティの生き方も尊重する社会を作れるのではないか、という思いで活動を始めた。
「社会が変わるのを待っても、簡単には変わらないから、誰かが動いて変えていかないといけないなって」
現在「レインボーさいたまの会」では、パートナーシップ制度導入だけではなく、差別禁止を含めた性的マイノリティの諸施策導入や学校現場の性の多様性教育、居場所づくりなど幅広く活動している。
“生きづらさ” という共通点
活動をしていると、「なぜ加藤さんは非当事者なのに、頑張るの?」と聞かれる。
「その答えはいまだに見つけられてなくて、うまく答えられないんですよね」
「でも、過去を振り返って思うのは、自分も学生時代に “生きづらさ” を感じていたからかもしれないなと」
“普通” というレールから外れた生き方は、日本では受け入れられにくい。
「その頃の経験が、現在の活動の原点にあって、 “生きづらさ” を抱える人の力になりたいと思うのかもしれません」
06家族が互いを受け入れ合えた時
積み重ねた機会
セクシュアルマイノリティ支援の活動を続ける中で、思うことがある。
弟を受け入れられなかった母が悪いわけではなく、社会がそうさせてしまったのではないか。
「弟は実家を出禁になった時期がありましたが、その間も母に手紙を書いていたそうです」
「ある程度の年月が経ち、僕が実行委員として埼玉でLGBTQ成人式を開催した時には、両親にも来てもらいました」
弟が成人の言葉を述べる姿を、両親に見てもらいたかった。
「弟も当事者の親を集めた会を開催していて、両親を招いたことがあるそうです」
「そういうことの積み重ねで、お母さんの考えも変化していったように思います」
母は「今でも娘は娘だから」と言いつつ、「本人が幸せだったらいいんじゃない」と言うようになった。
「お母さんを含め、多くの人がセクシュアルマイノリティを受け入れられるように、秋田や母方の実家である山形でもパートナーシップ制度導入に動けたら、と考えてます」
家族みんなで話す時間
現在は、母も「レインボーさいたまの会」の活動を応援してくれている。
「秋田で講演する時は両親も呼んで、親としての経験を話してもらうことがありました」
「秋田のLGBTQ当事者団体を紹介したら、いつの間にか両親の講演会が決まりそうになったり(笑)」
かつては会話の少ない家族だったが、今はコミュニケーションが増え、結束力も増したように感じる。
「多くの家庭では、家族の誰かが死ぬとか生きるとか、将来の子どもの話とか、あまりしないじゃないですか」
「我が家は弟のおかげで、そういう深い話をせざるを得なかった。それが良かったんだと思います」
今、弟はパートナーと一緒に子どもを育てている。その子を授かる方法も、家族で話し合った。
「両親もきょうだいも一緒になって、これからの人生をどうしていくか、話す時間を持てたことで、理解し合えた気がします」
07活動の進め方、思いの伝え方
会を退くワケ
2023年、今月6月をもって、「レインボーさいたまの会」の代表を降りる予定だ。
「NPO法人にすることが決まったので、そのタイミングで降任する予定です」
「いままではボランティアでやってきたのですが、NPOになると副業扱いになってしまうので、本業との兼ね合いで難しくなってしまうんです」
1人で立ち上げた会だが、今は頼もしい仲間がたくさんいる。
苦渋の決断ではあったが、現役員に埼玉県の活動は委ねることにした。
「これまでも埼玉で活動しつつ、秋田や山形、徳島などに出向いて、団体を作る手伝いなどをしてきました。今後は制度づくりを必要としているそっちの活動に力を入れていけたら、と考えてます」
これまで培ってきたノウハウを、全国各地に伝えていきたい。
広がっていく制度
自分はLGBTQ当事者ではない。だからこそ、できることがあると考えてきた。
「LGBTQの問題の多くは、マジョリティと呼ばれる大多数の人の無理解が生じさせていると思うんです。その大多数の人たちをどう巻き込んでいくかが、重要だと考えてます」
当事者が思いを伝えることも大切だが、そうではない立場で現状を説明することも同じくらい大切。
「非当事者と思われる市長や職員、議員には、同じく非当事者の僕が話すことで、信頼してもらいやすくなるケースもあります」
「当事者でない人たちは知らないことが多いから、まずは社会保障に雲泥の差があることを話したりするんです」
同性婚が認められていない同性カップルは、パートナーが入院した際に面会できず、手術の同意書にもサインができない。
「僕も活動を始めるまで、こんなにも保障されていないとは知りませんでした。平常時は問題がないことも、緊急時に困ってしまうんですよね」
各自治体に出向き、このような話を粘り強く伝えてきたことで、埼玉県は変わってきた。
会を発足した2018年は県内のパートナーシップ制度導入率は0%だったが、2023年4月時点で54の自治体が導入している。
「動けば動くほど制度はできるし、社会は変わっていくんですよ」
僕がやりたいこと
活動を続ける中で、「仕事もしながらすごいね」「ボランティアなのにすごいね」と、言われてきた。
「周りからはそう見えるかもしれないけど、自分ではそう思ったことはないんですよね」
「やらされているわけじゃないし、やりたいことだから続けてこられました」
LGBTQに対する理解が深まっていないところ、制度が導入されていないところは、まだまだある。
「LGBTQ当事者が、堂々とカミングアウトできない街もたくさんあります。でも、制度導入の進め方がわからない」
「そういう街に行って、これまでの経験を提供したい、という気持ちがあります」
08 “100人の1歩” で世界は変わる
今の日本に足りないもの
LGBTQに関する課題は、2つあると考えている。1つは制度や法律の導入、もう1つは教育の整備。
「制度があることで、社会の理解が深まり、いろいろな人が受け入れられる社会になっていくと考えています」
「だから、まずは各自治体のパートナーシップ制度導入を進めているところです」
「そして、教育の場でセクシュアリティやLGBTQ、性のことを避けてはいけない、と思っています」
かつての日本は、教育の場で性の話をするのはタブーとされていた。
だから、LGBTQやセクシュアリティの話を受け入れられない人がいるのだと感じている。
「性自認、性的指向にはさまざまなタイプがあっていいんだと、子どもの頃から教えたら、それが当たり前になるはずです」
「同性婚がいち早く導入されたオランダでも、当初は反対の声があったそうです。しかし、制度ができてから生まれた子たちは、それが当たり前でなんとも思わないんですよ」
「日本も徐々に変わってきていますが、もっと進めていきたいです」
この活動は1人でやっても意味がない。多くの人を巻き込むことが重要だ。
「活動を始めた頃から “1人の100歩” ではなく “100人の1歩” を意識して、ここまでやってきました。これからもこの意識を大切にして、活動していこうと思います」
家族と向き合うこと
当事者の家族に願うのは、家族との対話を大切にすること。
「セクシュアリティに限らず、家族が悩みごとを抱えているようだったら、向き合うことがカギになると思ってます」
「『悩んでるの?』という声かけから、きっかけが生まれるんじゃないかなって」
そして、ただ話を聴くこと。それだけで家族の心は解放されるのではないか。
「『こうしたら?』とか『こうらしいよ』とか、ヘタなアドバイスはいらないと思います。話を聞くだけで、大きな支えになるはずです」
どうしても家族の思いを受け止めきれないなら、時間をかけてもいい。
「うちのお母さんは受け入れられないと思ってましたが、今は良き理解者です。対話を続けるのは大変だけど、時間がかかっても向き合い続けたら、きっと何かが変わるんです」
「今思えば、僕自身も若い頃は家族と向き合ってこなかった。弟がきっかけで家族と話せるようになったのは、僕にとっても意味のあることだったんだと思います」
家族と向き合ってこなかったから、 “生きづらさ” を感じたのかもしれない。
そう気づかせてくれたのが、家族の存在だった。