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MTFの子どもたちに勇気を持って生きてほしい【後編】

MTFの子どもたちに勇気を持って生きてほしい【前編】はこちら

2017/03/01/Wed
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Mana Kono
安友 貴美 / Takami Yasutomo

1983年、愛知県生まれ。幼い頃から自身の性に違和感を覚えつつも、自らの意思で中高一貫の男子校に入学。その後、上京して中央大学商学部へと進学。就活で内定を辞退したため、大学卒業後はフリーターとして生計を立てる。29歳で自身がMTFであると確信し、多様な人が集うレストラン「irodori」でのアルバイト経験などを経て、タイで性別適合手術を受ける。

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INDEX
01 男の子らしくあろう
02 性の悩みを抑圧して
03 男子校に行けば男の子になれるかも
04 上京前のカミングアウト
05 父とのわだかまり
==================(後編)========================
06 悩みから解放される一人旅
07 発達障害かもしれない
08 性別適合手術を受けよう
09 いい意味で開き直れた
10 これまでとは密度の違う、新しい人生

06悩みから解放される一人旅

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大好きな海外旅行

大学生活自体はつまらなかったものの、長期休みの間は旅行に出ることが多かった。

「試験が終わったらそのまま成田空港に直行して、一人でバックパック旅行をしていました。東南アジアも行ったし、南米とかも行きましたね。1泊300円程度の宿に泊まったりもしました」

もともと、語学や地理の勉強が好きだった。

「地球儀や地図を見ているだけで楽しくて、空想で旅行ができるんですよ」

「昔から、地図や資料集を見ながら、『飛行機に乗って、パリでここから電車に乗って・・・・・・』って、頭の中で考えながら旅行気分に浸っていました」

これまでに実際に旅行したなかで一番のお気に入りは、南米にあるイグアスの滝だ。ほかにも、中国の世界で一番大きい三峡ダムを見学したこともある。

大学在学中も精神科には通っていたが、こうした旅行がいいストレス発散になっていた。

ストレスフリーな海外

これまでに様々な国に行って、スタンプをたくさん押してもらったパスポートは、大切な宝物だ。

「旅をしていると、唯一自分の悩みを考えないですむんです」

旅行中は、やるべきことがたくさんある。

初めて行く街だったら、泊まる場所やレストラン、アクセスまで、全部計画して決めないといけない。

「そうすると、ジェンダーについて考えている暇がなくなるんです」

旅行中は、海外の人も泊まるようなゲストハウスに好んで宿泊していた。

「むしろ、ゲストハウスでは外国の人としか交流しなかったですね」

日本では自分一人だけ浮いているように感じることも多かったが、外国人バックパッカーに囲まれている時は、自然と周囲に馴染めているように感じた。

日本人といると、なんか気を遣って疲れるというか・・・・・・」

「気を遣ったり遣われたりっていうことが、すごく苦手なんです」

例えば、外国の人と英語で話していると、一人称は全部「I」になる。でも、日本語は同じ一人称にも「私」「僕」「俺」と色々な言葉があって、とてもデリケートだ。

だから、シンプルな英語に長く触れていると、なんだか段々と日本語を使うことにへきえきしてきてしまうのだ。

「成田に帰ってきて、空港に日本語が書いてあるとすごくガッカリします。税関では、なぜか自分も片言の日本語になったり(笑)」

07性別適合手術を受けよう

内定を蹴ってフリーターに

在学中は旅行を繰り返していたものの、自分が将来何をやりたいかはよくわからないまま、就職活動が始まった。

「文系だったので、最初はメーカーとかにも出していたんですけど、最後はどうでもよくなっちゃって、地元の地銀から内定をもらいました」

だけど、せっかくの内定を自分から蹴ってしまった。

スーツも着たくなかったし、入社してもその先どうなるかわからなかった。

そうして、結局就職先を見つけないまま、大学を卒業した。

「卒業してからはアルバイトとかもやったんですけど、それもなかなかうまくいきませんでした」

「もちろんジェンダーに関する悩みもあったけど、自分にどんな仕事が向いているのか、わからなかったんです」

人としゃべることは好きだけど、接客業は苦手だった。逆に、あまり興味がなかったデータ入力の仕事は、意外と向いていたように感じる。

「やりたいこととできることって違うんだなと思いました。データ入力だったら、仕事さえできれば何を着ていても許されますけど、接客だとそうはいかないですしね」

自分は女なんだ

上京してから通い続けていた精神科の先生とは、長い時間をかけて信頼関係を築き、24歳の時にようやく「性別のことで悩んでいる」という相談を打ち明けられた。

でも、MTFの存在を知っているだけで、自分がそうであることは相変わらず否定していた。

当時の情報の少なさと、父への葛藤が理由だ。

「それまでは、テレビで情報が出てきても深く掘り下げようとはしていなかったんです。だから、ジェンダーについてモヤモヤしているだけで、自分が何なのかはわかっていませんでした」

「椿姫彩菜さんやはるな愛さんも、自分と似てはいるけど丸きり同じだとは思いませんでした」

LGBTについてようやくしっかりと知識を得たのは、今から数年前。30歳くらいの時だった。

精神科で診断を受けたのも、その頃だ。

「GIDの診断をもらうには、鬱のようなほかの精神疾患があってはいけないんです。だから、本当の意味でのGIDのガイドラインには、自分は沿っていないかもしれないんですよね」

かかりつけ医はGID専門ではなかったので、ほかの病院に相談に行ったりもしていた。

そんなある日、先生に「女の人になりたいの? 女なの?」と聞かれ、ようやく自分が何者なのか、ハッと気付いた。

自分は、女の人になりたいわけではない。

女の人なんだ。

「自分にとって、女性は同性で、男性は異性だったんですよね」

「そこでようやく、自分のアイデンティティがわかったんです。安心とも違うんですけど、なんだかすっきりした感じがしました」

そこから決断に至るまでに、時間はそれほどかからなかった。

「その頃は、もう死んじゃってもいいと思っていたんです」

「でも、このまま死んじゃうのもなんか悔しいし、この際何をやってもいいやって思って、もう手術しちゃおうって思ったんです」

08ようやく自分を取り戻せた

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MTF仲間との出会い

それからはGIDについて色々と調べはじめたものの、自分と同じ仲間を見つけることはなかなか難しかった。

「GIDの場合、新宿二丁目のように集まれる場所はあまりないんです。二丁目はゲイバー、ニューハーフバー、オカマバーは多いですけど、アミューズメント的なものが目立つので、当時地方出身だった私には立ち寄りがたい場所でした」

そんな中、たまたまFacebookで見かけた、LGBTの人々が集うレストラン「irodori」。そのアルバイトに応募し、採用が決まった。

「椿姫彩菜さんの本を読んでも、あくまで本の中でのことでしかないと思ってたんです。だから、irodoriでようやく自分と同じ境遇の人に出会えました」

タイの病院で性別適合手術を受けたという、MTFのお客さんとの出会いもあった。

「その病院のことは前から知ってたんですけど、海外の病院となると、自分からすればもはや異次元の話だったんです」

「でも、その人に会ってわからないことも聞けたので、勇気をもらえました」

彼女との出会いから手術を受けるまでは、1年もかからなかった。

「不安はなかったです。最初のきっかけが『死んでもいい』だったので」

「仮に手術に失敗して死んじゃったとしても、やらないで死んじゃうよりはいいし、どん底を経験した以上、失うものはもうないなって思ったんです」

そうして、タイへと飛んだ。

性別適合手術を受けて

「手術を受けて3か月くらいは動けなくて大変でした。だけど今は経過も良くて、普通に生活できるし、逆になんだか図々しくなったかもしれません(笑)」

手術を受けるまでは、自分はかなりこだわりがある方だったと思う。

「でも、術後は自分を取り戻せて安心したからか、かなり適当になったかなって思います。女性に戻ったので、今では昔ほど性別に対してこだわりがなくなったという感じですね」

「昔はすごくスカートを履きたいと思ってたんですけど、今はどっちでもいっかって思うんですよね。これも、ようやくひとつ乗り越えられたからなのかもしれないです」

09発達障害かもしれない

発達障害の傾向

そんな折に、ふと気になって病院で発達障害のテストを受けてみたら、発達障害の可能性が高いという結果が出た。

「ちゃんと診断を受けたというよりも、テストを受けて可能性が高いねって言われただけなんですけどね」

それまでは、発達障害についてほとんど知識がなかった。

「たまたま、発達障害の当事者団体と知り合う機会があったんです。それで、もしかしたら自分も当てはまるかもしれないと思ってテストを受けました」

ザワザワしたところで会話が聞き取りにくい、突発的な事態を処理することが苦手、人の空気を読むのが苦手、など。発達障害の症状は、自分に当てはまることも多い。

中高時代からの鬱傾向や強迫性障害と診断されたことも、発達障害が原因だったのかもしれないとわかった。

自分の中で、パズルのピースがはまったような気持ちになった。

「ちゃんと診断されたわけではないし、みんな何かしらの発達障害のような部分はあるかもしれないとは言われています」

「それでも、自分が発達障害かもしれないとわかって、ようやくすっきりしたんです」

やっと自分が何者かが整理できて、説明書を書けるようになった感じがした。

「今でもたまに不安定になっちゃうことはあります。けど、最近は減ってきているし、いい方向に向かっているかなと思います」

社会へ向けたカミングアウト

「LGBTの状況が変化してきたのは、ここ5年・・・・・・いや、3年くらいのことだと思います」

世間の認知度が徐々に上がり、社会制度に変革の兆しも見えてきた。

「今回インタビューに出ようと思ったのは、自分が話をすることで読者に『こういう人もいるんだ』と感じてほしかったからなんです」

ネット上に当事者の色々な事例があれば、情報の取捨選択だってしやすいだろう。

自分を公にさらけ出すことに、抵抗はなかった。

「世間に対して、色々隠すのが疲れてきちゃったんですよね。家族に隠してきたことでも疲れたし、もういいやと思って、なんだか吹っ切れたんです」

カミングアウトの輪を広げたことで、離れていく友達もいなかった。

10これまでとは密度の違う、新しい人生

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ようやく正しい道に立って

現在は、アルバイトをしながら正社員を目指して求職中の身だ。

「普通の会社で、普通に事務をしながら働けたらいいなと思っています。色々経験してきた中で、事務が一番合っていたと思うんです」

今年で34歳になる。

これまで正社員として働いたこともないし、親も心配しているから、そろそろ安定した職に身を落ち着けたい。

「中高の同級生がいい仕事に就いていたりする中で、自分が出遅れちゃったっていうか、やりたいことを職にできなかったことはもちろん悔やまれます」

「でも、それはしょうがないし、自分は結果的に正しい道を進んでいると思うんです」

ようやく、自分がいるべき場所に立つことができた。

「だから、30歳までとそれからの人生では、全然密度が違いますよ」

MTFは恥ずかしいことじゃない

これまでの人生を振り返ると、「もっと早い段階でLGBTの情報を知ることができたらよかった」と思うことは多い。

「そうしたら、わざわざ男子校に行ったり、親へのカミングアウトを迷ったりもしなかったかもしれないですね」

今更悔やんでも仕方のないことだ。

だけど、そうした後悔を未来へつなげることはできるかもしれない。

「ジェンダーについて、小さい頃から悩んでる子もいっぱいいると思うんです。そういう子が早い段階でLGBTの存在を知れるように、小学生の教科書とかにも書いてあればいいなと思いますね」

そうすれば、子どもたちが過去の自分のように何十年も悩むことなく、新しい一歩を踏み出せるかもしれない。

「もし、今MTFで悩んでいる子がいたとしても、それは恥ずかしいことではないし、勇気を持って生きてほしいんです」

カミングアウトしても周囲に受け入れてもらえないかもしれないと恐れているのなら、特に地方在住者であれば、一度東京に来てみればいいと思う。

「東京には、自分が働いていたirodoriのような場所もたくさんあるので、そういうところで当事者と実際に話してみるといいんじゃないかなと思います」

「自分自身、20代の頃は焦りもすごくありましたけど、今となっては色々と割り切れるようになったかもしれないですね」

カミングアウトをすることで、すべての人が幸せになれるかはわからない。だけど、自分は行動に移してよかった。それだけは断言することができる。

あとがき
貴美さんの実感の一言「行動に移してよかった」は、立ち姿勢にも表れているように思えた。遠慮がちに話しをする中で、その言葉はハッキリと強く■行動には、ある確率で緊張も怖さも、ほんの少しの痛みもともなうけれど、たとえ、おもうようにいかなくても「決めて」「動いたこと」は、誰よりも自分に残る■見開いた大きくて美しい貴美さんの瞳のスケッチと共に「自分が決めたことならば、その結果も引き受ける(ぞ)」と、小さな文字で手帳に書いた。(編集部)

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