INTERVIEW

MTFの子どもたちに勇気を持って生きてほしい【前編】

はっきりとした顔立ちにスーツ姿がピシッと似合う、凛とした佇まいの安友さん。意外にも、「小学校高学年から20代くらいまでの記憶はほとんどない」のだという。GIDの悩み以外にも発達障害の傾向があったことで、幼い頃から生きづらさを抱えていたためだ。だが、30歳になってようやく自分がMTFだという診断を受け、世界が一変した。ずっと「死にたい気持ち」を抱えていた安友さんは、どのようにして第2の人生を歩み始めたのだろうか。

2017/02/27/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mana Kono
安友 貴美 / Takami Yasutomo

1983年、愛知県生まれ。幼い頃から自身の性に違和感を覚えつつも、自らの意思で中高一貫の男子校に入学。その後、上京して中央大学商学部へと進学。就活で内定を辞退したため、大学卒業後はフリーターとして生計を立てる。29歳で自身がMTFであると確信し、多様な人が集うレストラン「irodori」でのアルバイト経験などを経て、タイで性別適合手術を受ける。

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INDEX
01 男の子らしくあろう
02 性の悩みを抑圧して
03 男子校に行けば男の子になれるかも
04 上京前のカミングアウト
05 父とのわだかまり
==================(後編)========================
06 悩みから解放される一人旅
07 発達障害かもしれない
08 性別適合手術を受けよう
09 いい意味で開き直れた
10 これまでとは密度の違う、新しい人生

01男の子らしくあろう

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いじめられないための処世術

覚えている一番古い記憶は、3歳の時のこと。

妹が生まれた記憶だ。

「その時はもちろん嬉しかったんですけど、妹のおむつを替える時に、『あれ、自分とは体の作りが違うぞ?』と感じたのを覚えています」

ほかにも、性について小さい頃からぼんやりと違和感を抱えていた。

「幼稚園でも、今とは違って名簿が男女でわかれていたり、男の子は青色が好きじゃないといけないというようなムードがあったんです」

「自分はうまく周囲に混ざれないなと感じていました」

「本当は赤が好きだったんですけど、青じゃない色が好きと言ったらいじめの対象になるような空気があったんです。だから、いじめられないように空気を読んで過ごしていました」

当時は、周囲に合わせて孤立しないように、自ら “男の子らしさ” を演出していたように思う。

「男の子と外で遊んだりするのは好きでしたが、女の子とおままごとをするのも好きでした」

でも、おままごとをしていても、自然とお父さん役やお兄さん役にされてしまう。

「そういうことに対して、なんとなく自分の意に反しているような感覚はあったんですけど、小さくてよくわからなかったし、しょうがないのかなと思っていました」

「それが女性性や男性性、GIDがどうこうというのではなくて、何か自分はまわりの子とは違うなという感覚でした」

昔気質の父と母

昔気質の大和男児的な父と、専業主婦の母。

保守的で、厳しい家庭に育った。

「父は理系でエンジニアだったので、小さい頃に自転車の修理の仕方を習ったりもしました」

「自分は男の子として育てられたし、すごく期待をされていたと思います」

ただ、父に対しては、今でもなんとなく心に引っかかっていることがある。

「昔はMTFとかGIDとかいう言葉もなくて、そういう当事者の方がテレビに出たりすると、もれなく『オカマ』って言われていた時代だったんです」

テレビだからということもあるだろうが、バラエティで率先してピエロを演じる当事者たち。

彼らが出演している番組を見ると、父は「こんな番組くだらない」、「なんだこいつら、気持ち悪い」と言い、怒って部屋を出ていってしまうこともあった。

「そこまで蔑んだ言い方をされると、自分のことは何も言えなくなってしまいますよね・・・・・・」

妹とは仲が良かったけれど、自分の中のモヤモヤを相談するようなことはなかった。

02性の悩みを抑圧して

勉強も運動もできる優等生

小学校に入学した頃は、家の近所にあまり女の子が住んでいなかったこともあって、男の子に混じって遊ぶことが多かった。

「昔から、親の期待に応えなきゃいけないと思って勉強も頑張っていたので、真面目で勉強も運動もできるタイプでした」

違和感を確信したのは、小学校3年生の頃。

「クラスの学級委員に選ばれたんですけど、どうして委員は男の子と女の子から選ばれて、なんで自分は男の子なのかなっていうことが腑に落ちなかったんです」

モヤモヤを抱えながらも「男の子にならなくちゃいけない」と思う感情から、部活は自ら野球を選んだ。

周囲からいじめられないために、父の期待に応えるために。

「小さい頃から背は高かったし、運動はできちゃうので、野球自体は楽しかったです。でも、男の子の中に混じって、ちょっと頑張りすぎたところはあったかもしれません」

そうやって男の子らしくつとめていたから、周囲から「女っぽい」と言われることは、ほとんどなかった。

「一度だけ、写生の授業の時にとったポーズが女っぽかったのか、『本当に男なの?』って女の子グループから言われたことがあるんです。でも、それが最初で最後でした」

唐突に聞かれたものだからびっくりしてしまって、特に否定も肯定もできなかったのを覚えている。

保健体育の授業にも、苦い記憶がある。

「男の子と女の子の発達の違いについて、先生が『女の子は子どもを産めるけど、男の子はそうじゃない』と話をしたとき、やっぱりつらかったです」

保健の先生からは「性に対しての悩みがある人は保健室に相談にきてね」とアナウンスがあったが、自分は相談に行けなかった。

「性の悩みと言っても、自分のようなGIDやLGBTの人間を想定していたわけではなくて、『誰かを好きなっちゃった』とか、そういう悩みだと思ったんですよね」

テレビで知った性別適合手術

小学校5年生の時に、テレビで男性から女性へと性別適合手術を受けた人の番組を見たことも、鮮明に覚えている。

「その時は、ものすごい衝撃を受けました」

「でも、その人が自分と同じなんだって確信するための情報を、その頃は得られませんでした」。

エンジニアだった父の影響で、自宅にはかなり早い段階でパソコンが導入されていた。

「それでちょっと調べたりもしたんですけど、父にパソコンの履歴を見られたら困るので、それほど検索することはできませんでした」

「一人で、誰にも相談せずに悩んでいましたね」

得体の知れない悩みを、闇の中でずっと抱き続けていた。

「だから、小学校高学年頃から大学卒業後の20代後半くらいまで、記憶がスポッて抜けていて、あんまりはっきりと覚えていないんです」

03男子校に行けば男の子になれるかも

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男子と会話が噛み合わない

中学と高校は、私立一貫の男子校に進学した。

「私以外にも、MTFで自分から男子校を選ぶ人って、案外多いように思うんですよね」

意外なことかもしれない。でも、野球部に続いて「男子校に行けば男の子になれるかもしれない」と思っていたのだ。

入学してしばらくは、同級生からサッカーなどの遊びに誘われることもあった。

「だけど、自分はみんなとは違うと思ったら、輪にも混れなくなってしまいました」

一番困ったのは、男の子との会話が噛み合わないこと。

「自分はYESかNOかはっきり言わないから、怒られるんです」

例えば、男の子相手に「これ美味しいよね」と言われた時に、「うん、この味すごい好き」と返すのはNGだ。

「美味しい」か「美味しくない」のどちらかで答えないといけない。

「だから会話にならなくて、昼休みとかも一人でいることが多かったです」

話題についていけないことも多く、困惑する日々だった。

「中学の時は、隣に座っていた子の名前とかもほとんど覚えていないんです。喋るのは数人で、部活も帰宅部の主将を名乗っていました(笑)」

今でもたまに、「男が好きなら、男子校はパラダイスだったでしょ?」と言われることがある。

「でも、私はまわりに混れなかったので、パラダイスどころかすごくつらかったです。割と孤立していたかもしれないですね」

死んだらどれほど楽だろう

「考え疲れちゃって、高校くらいからはちょっと鬱っぽくなって、沈んでました。自分が何なのかわからなくて疲れちゃって」

体が重くて動けなかった時も多かった。でも、厳しい両親には「いつまで寝てるの?」と言われて、気づいてもらえなかった。

「その時は、精神科が今ほどメジャーな存在ではなかったんです。保険証も家族と一緒だったので、それを持って精神科に行くことはかなりのハードルでした」

だけど、学校には休まずちゃんと行っていた。

「そこのところだけは真面目で、皆勤だったりしたんです。けど、出席するためだけに行っていたので、成績は悪かったんですよ(笑)」

悩みの根っこにあるのは、学校ではなく、あくまでも性別に関すること。だから、学校に行くのはそれほど苦ではなかったんだと思う。

「いつ死のうか、いつ死のうか、みたいなことをずっと考えていました」

「ある意味、中高から自分をずっと否定し続けてきたわけじゃないですか。自己肯定感なんてもちろんないし、死んだらどんだけ楽だろうって考えてたんです」

行動に移すことはなかった。

でも、タイミング次第では死んでたかもしれない。

04上京前のカミングアウト

強迫性障害

高校卒業後は、東京の大学に通うことになった。

「自分で上京したいと思ったっていうよりも、父に『東京を見てこい』って言われていたんです」

父には、中学生くらいの頃からずっと、「名古屋や地方の大学に進むと井の中の蛙になるから、東京に行け」と言われ続けていた。

「教育熱心な父だったので、『大学は出ろ』とも言われていましたね」

「でも、東京に出てくる3週間くらい前に、親に連れられて名古屋の精神科に行ったんです」

その頃、いよいよ親が心配するまでに体調が悪くなっていたのだ。

東京に引っ越してからも、現在に至るまで病院に通い続けている。

精神科での診断は、「強迫性障害」。

診断されたのは20歳のころだった。

「当時は、病院の先生にすら性の悩みを正直に相談することができませんでした。そうして、ひとまずついた診断名が『強迫性障害』だったんです」

「それで、薬を処方されました。カウンセリングも何回かしたんですけど、あんまり合わなかったです」

両親へのカミングアウト

「上京前に、実は、お母さんにカミングアウトしたんです」

ちょうどその頃、椿姫彩菜さんのようなMTFのタレントがテレビを賑わせていた時期だった。

胸がはちきれそうになりながらも、母に「自分も、椿姫彩菜さんのような存在かもしれない」と伝えた。

「でも、全力で否定されました」

「『野球をやっていたじゃない? 男子校に行っていたじゃない? あれはなんだったの?』って色々と言われて・・・・・・」

言い返すこともできなかった。

仕方ない、と思った。

「中学の時に、父以外の家族3人で、タイ旅行に行ったんです。その時に、みんなでニューハーフショーも見に行ったんです。けど、やっぱり自分の子どもってなると違うってなってしまうのかな・・・・・・」

過去にMTFのタレントを見て「気持ち悪い」と言った父には、直接カミングアウトをする勇気が出ず、メールを送ることにした。

メールの冒頭には、「お父さんがこれを読んだら、自分は勘当されるかもしれない。それでもいいなら読んでください」と書いた。

その後の父からの返信には「大丈夫だよ」と書いてあったものの、どうしても父に対する後ろめたさは払拭できなかった。

しばらく経ってから、母親に「お父さんはあなたのことを一生理解できないと思うよ」と言われたことも大きいかもしれない。

「でも、今は両親ともに理解しようとはしてくれています」

「今では母とは打ち解けているんですけど、父とはもうちょっと時間がかかるかな・・・・・・」

05父とのわだかまり

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退屈な大学生活

6年間の男子校生活を経て、大学では久々の共学生活がスタートした。

「男女比は半々でしたけど、友達は女の子しかできなかったですね。でも、その時はまわりの友達にはカミングアウトできませんでした」

学部は、商学部の会計学科。

「そもそもやりたいことがわからなかったから、とりあえず受かった大学に行ったんです。だから、その大学に行きたかったというわけでもないし、勉強も合いませんでした」

「中高時代と似たり寄ったりで、授業に行って帰るだけっていう感じでした」

サークルにも入らず、友達も多くは作らなかった。

「ノートの貸し借りとかもできないので、なんとか自力で単位を取っていました」

父に心を開けない

学生時代は、一人暮らしをしていた。

「でも悪いことに、父が東京に週2回くらい出張していて、うちに泊まっていたんですよ。だから、その頃は好きな服を着ることもまだできなかったんです」

「それで、途中でもう、父に『ごめん来ないで』って言ったんです(笑)。それからは自由にできました」

その後、初めてお正月に実家に帰った時には、思い切って女性の格好をして行ってみた。

「そしたら、母に『家に帰ったらすぐにメイク落としなさい!』って言われて・・・・・・」

母は、父に対して気を遣ったんだと思う。

「だから、未だに父の前ではすっぴんです」

自分も母も、父のことをひどく気にしている。

だけど、カミングアウト以降、父から直接理解のないような言葉をかけられたり、態度を取られたことはない。

「昔、父がテレビに出ているLGBTの人たちを貶めるような発言をしていたことに対して、今でもトラウマが大きすぎるんです・・・・・・」

確かに、父も当時はLGBTの人間に対して理解がなかったのだろう。

しかし、時代も大きく変わったことで、今では正しい認識を持ってくれているかもしれない。

もしかしたら・・・・・・わだかわりを抱えているのは、父ではなく、自分の方なのかもしれない。

家族が本当の意味で歩み寄るには、もう少し時間がかかりそうだ。


<<<後編 2017/03/01/Wed>>>
INDEX

06 悩みから解放される一人旅
07 発達障害かもしれない
08 性別適合手術を受けよう
09 いい意味で開き直れた
10 これまでとは密度の違う、新しい人生