02 男でも女でもない
03 抑えきれない同性への恋心
04 いい子でいたいから、苦しい
05 やっぱり女の子が好き
==================(後編)========================
06 バスケットボールが紡いだ恋
07 カミングアウトの代償
08 性同一性障害だと気づいて
09 性別適合手術を後押ししたもの
10 広い世界が人を変えてくれる
01どうして男性器がないんだろう
いい子にしてれば
「小さな頃の記憶が全くない、っていう人がよくいますよね。でも僕はなぜか鮮明に覚えているんです。とても活発な子どもでした」
「男の子とでも、女の子とでも。とにかく友達とそこらじゅうを駆け回って遊んでいました」
両親も子供がやりたい、と言えば、なんでもやらせてくれるタイプだった。
「ラジコンやミニカー」のような、あまり女の子が欲しがらないものをねだっても、いとわず買ってくれた。
「手のかからないタイプだったから、この子なら大丈夫だ、と安心していたのかもしれません。活発でありながら、聞き分けのいい子どもでもあったんです」
「『静香(改名前の名前)はいい子だね〜』って両親に言ってもらえるのが、なにより嬉しくて。たくさん褒めてほしいから、できるだけいい子でいようと思っていました」
保育園に入って、女性の先生に好意を抱いたときも、いい子、優しい子だと思われたい、と感じた。
「そうしていると、僕を可愛がってくれるんじゃないかと思ったんです。よしよし、って褒めながら、自分に触れてほしかったんです」
ある日。その先生から『大きくなったら何になりたい?』と笑顔で聞かれた。
「迷いもせずに『男の子』って答えたんです。先生は『他に何かないかな?』と口にしながら、困惑していたと記憶しています」
「その問いかけには『野球選手』って返しました」
年長クラスの女の子を好きになったこともある。けれども恥ずかしくて、その子を遊びに誘うことはできなかった。
そうしているうち、保育園の帰宅後は、女の子で固まって遊ぶことが多くなった。
「男の子と遊びたいって強く感じるわけでもなかったけれど、女の子遊びはあんまり楽しくなくて。男の子とゲームして遊びたいなと、いつも思っていました」
自分にはない
それでもたまに男の子と遊ぶと、彼らにあって自分にはないものの存在が、気になり始めた。
「外で遊んでいるときに、立ち小便する子を見て感じました。あとは保育園のプールの時間にも。男子には当然のようについているもの、なぜ自分にはないのか、理解に苦しみ始めたんです」
お風呂に入った時に、何度も自分の股間を見た。
でもやっぱり、付いてはいない。
「幼少期だったので、まだ自分の性別に関する揺らぎを感じるには至っていなかったけれど、自分が男の子にはなれないということは、だんだんと分かってきました」
「ならばそのうち、しっかり女の子になれるんだろうなって思うようになりました」
性指向は女性だけど、性自認はきっと女性で固まるはず。
幼い自分がここまで気持ちを整理できていたかどうかはわからないが、そう考えながら、小学校に上がったはずだ。
02男でも女でもない
褒めて欲しい
習字にスイミング、ピアノ、学習塾。引き続き、親が自分の希望を聞いてくれたので、たくさんの習い事を始め、塾にも通うようになった。
「小学校の授業でも、習い事でも、塾でも。とにかく一番になりたかったんです。トップでいさえすれば、両親は喜んでくれるし、先生も褒めてくれる。同級生は『すごいね』と言ってくれるし。快感だったんです」
「いい子、お手本になる子であり続けることが、自分の中では大切なことでした」
身体を動かすことはもともと好きだったけど、加えて勉強も頑張ろうと思えたのは、塾で順位が発表されるからだった。
いい順位を取って、両親に褒めてもらいたいから、自ずと身が入った。
学級委員にも積極的に立候補し、当選することもあった。
小学3年生からミニバスケットボールを始めた。この出会いがきっかけとなり、大学まで、部活やサークルでバスケットボールに関わることになる。
長く伸ばした髪の毛をばっさり切って、毎日ボールを追いかけた。
沈む気持ち
周囲からは「いい子」、親からは「手のかからない子」と思われるなかで、何一つ悩みのない小学生時代を過ごしていたかといえば、そうではなかった。
「2年生の時に、好きな女の子ができました。目が大きくて、本当に可愛い子だった。でも『同性を好きになっちゃダメなんだ』ということは、もうなんとなく分かっていて。そのことを口にすることはありませんでした」
「女が女を好きになるのはおかしい」という確信があったわけではないが、それを言うと両親や先生、同級生を困惑させる、絶対に「いい子」とは思われなくなってしまうことは、子供ながらに察していた。
「当時はまだ自分が女であることに、そこまで違和感はなくて。もっと小さな頃は、父親とお風呂に入った後に、自分の股間を覗いて『どうして付いてないんだろう』と疑問に思ったこともあったけど、その感情も薄らいできていたんです」
「とにかくいい子でいなきゃ、女子とうまく混ざらなきゃと考えるうちに、そのへんの感覚が鈍くなっていたのかもしれません」
男子を好きになったことが一度もなかったが、そのことを周りに言ってはいけないとも思っていた。
「高学年のとき男の子を好きになれるかなと思って、バレンタインデーにチョコレートをあげたこともありました」
それでも結局、彼を好きになることはなかった。
「授業や休み時間にドッジボールをしているとき、自分が速い球を投げても、無反応。でも男子が同じくらいの速さのボールを投げると、女子は “◯◯君っていいよね” って言うんです」
「自分は女子の恋愛対象じゃないんだなと痛感し、心のどこかで寂しく思っていました」
「いい子」の仮面の裏で、いつも鬱々とした思いを抱えて生きていた。
03抑えきれない同性への思い
男じゃない
中学に入学すると、悩みは深くなっていった。
「自分が男じゃない」という事実を嫌というほど、突きつけられたからだ。
「小学生の頃は自分が男か女かということを、それほど強烈に気にしてはいなかったんですけど。中学生になると、女子と付き合っている男子もいて、それができない自分は男じゃないんだと思わないわけにはいきませんでした。男子は身体も大きく、たくましくなっていくのに、自分は一向にそうはならないし」
「だから男子とは小学校のときのように仲良くなれず、自分から避けていました。男性とは違う、頑張っても男の人のようにはなれない、その差を強く意識していました」
「とにかく羨ましかったから。朝起きて自分が男の子になっていたら、どんなにいいかって、いつも思っていました。同じ土俵に立ちたかったんです」
一方の女子の同級生も、校則で禁止されているはずの茶髪にしていたり、男子と交際している人もいたり。
こちらもぐっと大人びて、友達として混ざるのに気後れした。
「自分が男じゃないことに悩んではいたけれど、当時はまだ女子の自分が絶対に嫌、というわけでもなかった。制服のスカートは好きじゃなかったけれど『友達も同じものを着てるから』くらいにしか思っていませんでした」
「だから女友達ともうまくやっていけるはずだったんです。だけど、ませた感じの彼女たちとは混ざれなくて。最終的におとなしい女子のグループに落ち着きました」
部活は引きつづき、バスケットボール部に。
そこで女の先輩のことを好きになり、さらなる苦悩の日々が始まる。
同性が好きだ
「体育の時間に女子からも『結城さんってカッコいいよね』って言われることがありました。それはそれで嬉しかったんですけど、レズビアンだと疑われることが怖くて、騒がれても気づかないふりをしていました。」
「これ以上変な目でみられないよう、女子っぽく振舞うことにしたんです」
しかしバスケ部の女の先輩に惹かれる気持ちを抑えることはできなかった。
「初めは恥ずかしくて話しかけられなかったんですけど、話せるようになったら、今度は一日中、嬉しい気持ちが続きました」
「でも、その先輩はやっぱり男性が好きだったんですよね。直接、聞いたわけではなく『好きな人がいるらしいよ』と伝え知らされました」
自分が好きになる女性は男性が好き。
自分は端から恋愛相手と思われていないのだ。この事実が悔しくて、いつも男子に嫉妬していた。
「いっそ女の自分の身体も恨むことができれば、もっと楽だったのかもしれません」
「けれどそうでもなかった。男に生まれればよかったとは思ったけれど、女の自分の身体が、それほど嫌なわけでもなかったんです」
その証拠が、中2のときの初潮。
「やっと来た」「周りの子と一緒で良かった」と安心した。
「なかなか来ないのは、男性ホルモンが強いから?と思っていました。初潮がないと自分が女でないとバレちゃう、と本気で考えていたし。両親を困らせたらどうしよう、と不安でした」
「でも初潮が来た。それならこのまま普通の女の子として生きたい、と思いました。男の子を好きになれるかも、とも感じていました」
「けれど現実は。女の身体と男の心の間で、気持ちを掻き乱されるような中学時代でした」
04いい子でいたいから、苦しい
心のきしみ
初潮を経験しても、事態は何ひとつ好転しなかった。気になるのは女の子ばかりだ。
「女の子を好きだなんて、こんな感情を抱くのは、この世に僕一人だと思いました。孤独でした」
「初潮を経験しても何も変わらないから、周りの女子と違うことが確定してしまったと感じました。レズビアンなのか?とも考えましたが、それはキモいと思って、到底、受け容れられませんでした」
ずっと「いい子」「できる子」だった自分が、どんどん内気な性格になっていった。
女の身体でありながら、女しか好きになれないのがもどかしくて、リストカットを試みたこともあった。
「もちろん死のうなんて深刻なものではないんですけど、自分を傷つけることで、悩みから解放される気がしたんです」
「腕に傷があるのを見て、すぐ両親が気づきました。本当の原因は言えず、部活のことで悩んで切ってしまった、と言い訳したんですが。心配をかけるのが申し訳なくて、リストカットはやめました」
自傷行為を試みたところで、生きる意志がある以上、何も問題は解決しないのだ。
「来る日も来る日も、決して本心はさらけ出せない毎日です。好きな人がいることは、親友にも言えない」
「友達が好きな芸能人の話をすれば『嵐の二宮くんいいよね!』って笑顔で言っていました。嘘をついているから、それも辛かったんですけど」
悶々とする日々。
そんな中、勉強もスポーツもできたので、担任の先生に学級委員を薦められた。
高校進学の内申点のために引き受けるたが、元来の「いい子ちゃん気質」も、その背中を押したのかもしれない。中学3年生のときの話だ。
良心が仇に
しかし自分が学級委員だったときに、ある事件が勃発した。
「クラスの女子が担任だった英語の先生に不満をつのらせ、授業をボイコットしようと企んでいたんです。学級委員としてそれはマズイと思って、先生へ状況を報告しました」
「その様子を見られて、クラスの女子ほぼ全員からシカトされました。体育で球技をしても、僕が投げたボールを受けてくれないんです」
クラスで無視される日々が続いた。
もう学校には行きたくない、と思ったこともあったが、不登校になって両親を心配させることは何よりも避けたかった。
「部活が心の支えになりました。バスケ部のみんながいなかったら、心が折れていたかもしれません」
その後、クラスのボス的な女の子と2人で話し、和解した。
実は悩みを抱えきれずに、両親にも漏らしていた。
仲直りの報を聞いて誰よりも安心していたのは、母親だった。
05やっぱり女の子がいい
君が好き
中3のときに、記憶に残る片思いがあった。
「相手はやはり女の子でした。黒髪がきれいな、おしとやかなクラスメイトで。本当に好きでしたね」
もうその気持ちが、紛れもない恋だとは分かっていた。でも認めるのが怖かった。
彼女に思いが伝わらないことが分かっていたからだ。
「彼女には好きな男の子がいたんです。でも恋する気持ちだけは、もう止めようがないんです。せめて誕生日に何か贈りたい、と人生初のプレゼントをしました」
彼女とは同じ委員会で、放課後に残って学級新聞を制作する機会が多かった。
特別な理由を作ることもなく、一緒に居られる時間。
この上ない至福の瞬間だったが、あるとき、その平穏が壊れそうになる。
「放課後2人で教室にいたら、彼女が男子に呼び出されて。告白を受けたんです」
「僕は冷静さを失いました。けれど戻ってきて、断ったと聞いて、安心しました」
しかし、だからといって自分と付き合えるわけではない。
逆に「結城も好きな人いないの?」と聞いてくる。仕方がないから、適当な男子の名前を挙げる。
「卒業式でも、その適当に名前を挙げた男子の第二ボタンをもらわないのか、一緒に写真を撮らないのか、と彼女は僕に熱心に聞いてきました。最後の最後まで本心を言えなかったことが、本当に苦しかった」
「僕が好きなのは君だよ、って」
高校は、それぞれ別の学校に進むことになっていた。
女になりたい
県内で1、2位を争うバスケットボールの強豪校に進学した。
「実は高校に入ったら “女の子らしくしてみよう” と思っていたんです。女子高生になりきるために、バスケ部に入るべきかどうか迷いました。でも強く勧誘されて、入部したんです」
身体は女のままでもいい。
このときもそう思っていた。
「短いスカートにルーズソックス、まゆ毛も整えていました。髪の毛も伸ばして。女子高生デビューしたら、恋愛対象とか、何か変わるかな?と考えていたからです」
「共学だったので、男の同級生にもモテればいいなと思いました。男子と付き合えれば、普通の女の子として生きられると考えていました」
自分が周りと違うということは受け入れ難いことだった。
注目されるのは好きだけど、好奇の目にさらされるのは嫌。
「良い子」であることが、何よりも自分のアイデンティティだからだ。
決意をもって迎えた高校生活だった。
<<<後編 2016/10/30/Sun>>>
INDEX
06 バスケットボールが紡いだ恋
07 カミングアウトの代償
08 性同一性障害だと気づいて
09 性別適合手術を後押ししたもの
10 広い世界が人を変えてくれる