02 女の子と遊ぶほうがラク
03 初恋と登校拒否
04 不意に訪れた自立のとき
05 頭を切り替え、ゲイとして生きる
==================(後編)========================
06 付き合うって、よく分からない
07 東京へ、旅立ちのとき
08 パートナーシップを宣誓
09 引き出されたカミングアウト
10 やっとできた、自分の家族
06付き合うって、よく分からない
こんなにかっこいいゲイが・・・
「アプリを通じて最初に会ったのは、1つ年上の人でした」
「自分はゲイの人と会うのさえも初めてだったんですが、その人は男性同士で付き合ったこともある人で。実際に、そういうのあるんだーって(笑)」
男性同士での付き合いが実際にある。その事実に安心したり興奮したり。
自分も、そんな相手と出会いたいと、何人かと会ってみた。
「こんなにかっこいいゲイの人も、いっぱいいるんだーって。なんか楽しくなっちゃいましたね(笑)」
出会いを重ねていくうちに、自分はゲイであると納得した。
女性に振られたことがきっかけで、一気に足を踏み入れた世界だったが、思っていた以上にしっくりきたのだ。
でも、恋愛は思っていた以上に難しかった。
なんでも許されると勘違いして
「なんせ、男性とも女性とも、誰かと付き合ったことなんて、一度もなかったですから。付き合うこと自体が、よく分からなくて」
初めて付き合った相手は、ひと回り年上だった。自分は学生で、相手は社会人。
生活のリズムも違えば、お互いに対する依存度も違った。
「どこまでワガママを言っていいのかも分からなくて、僕がすごい甘えちゃって・・・・・・」
「付き合ってるからなんでも許される、とか勘違いしてたんだと思います。数ヶ月しか続かなかったですね」
その後も、何人かと付き合ってはみたが、長く続くことはなかった。
「自然に一緒にいたいと思えるような付き合いをしたかったんですが、あの頃はなかなかうまくいかなかったですね」
「相手の気持ちとかも、ちゃんと理解してあげられていなかったと思う」
そうして男性同士の付き合いを経験した。
相手との向き合い方も変わっていくなかで、自分自身の生活も変わっていく。
調理師学校を卒業して就職し、恋愛どころではない時期が訪れた。
07東京へ、旅立ちのとき
仕事も恋愛もリセットして
調理師免許を取得してから、地元企業の保養所の厨房で働きだし、会社の寮で暮らし始める。
初めての就職誌先は、目指していた “料理をつくる仕事” ではあったが、とにかく忙しい。
働き始めて数ヶ月で、ずっと続けていくのは難しいと感じた。
しかも、当時付き合っていた相手との関係もうまくいっておらず、仕事も恋愛も、どちらも同じようなタイミングで終わらせることになってしまった。
「仕事を辞めてしまったら、ひとりで生活していくのは難しい。覚悟を決めて家を出たのに、戻らなきゃいけないかも、とも思いました」
「でも、それは絶対に嫌で。じゃ、東京へ行こう、と」
東京に仕事のあてなどなかった。でも、行ったらなんとかなると思った。
「もともと、いつかは東京に行ってみたいという気持ちはありました」
「そのとき僕は19歳。怖いもの知らずだったんでしょうね(笑)。なんでもできる、どうにかできると本気で思ってました」
「貯金は5万円しかなかったし、本当になんにも持っていなかったのに(笑)」
「それでも、母を頼りたくはなかったんです」
運命的な出会いはツイッターで
東京での生活が始まった。
地元から東京に進学していた友だちの家に居候させてもらうことになる。
「いつまでもお世話になるのは申し訳ないので、早く仕事を決めて、住むところを見つけなきゃ、って必死でした」
上京して4日目でアルバイト先を見つけ、半年でとりあえずシェアハウスに引っ越し、働いて資金を貯めてからアパートに引っ越した。
「東京の生活には、すぐに馴染めました」
「居候させてくれた友だちから交友関係も広がったし、あとはアプリからも出会いがありました。でも、なかなか付き合うまではいきませんでしたけど(笑)」
しかし、あるとき運命的な出会いがあった。きっかけはツイッター。
初めは、お互いに飲食店で働いているという共通点でつながった。
そしてツイートを通して人柄が見えてくるにつれ、12歳上の彼に、徐々に惹かれていった。
「彼には自分からアプローチしました(笑)」
「アプリで知り合って会う場合よりも、ツイッターのほうが、つぶやきから人柄が見えてから実際に会うことになるので安心感もありましたね」
「飲みに行ったりとか、遊びに行ったりとかして、一緒にいてとにかく楽しかったんですよ。それで、少しずつ意識し始めて・・・・・・」
ふたりの付き合いは自然に始まった。
08パートナーシップを宣誓
2年の交際から夫夫へ
「彼はどんな人か? うーん、あんまり好き嫌いしない人。誰にでもフェアでオープンな人」
「今まで出会ったことのない感じの人。ちゃんとした人だな〜って思いました(笑)」
付き合うときも、彼から気持ちを言葉で示してくれた。
でも、今まで恋愛が長続きした経験がなかったせいか、またすぐに別れることになってしまうかも、という思いもあった。
ところが、付き合って数週間、数ヶ月、いつの間にか時間は過ぎ、関係は続いた。
「彼が僕をちゃんと想ってくれてるのが分かるんです。絶対、浮気しないだろうなって」
「それに、周りにもオープンな人だから彼の友だちにも僕を紹介してくれて。そういうのって、なんかうれしいですよね」
ふたりとも飲食店に勤めていることも、関係が長く続いた理由のひとつ。
今までは、土日休みの一般企業に勤める人と付き合っても、平日休みの飲食店の自分と予定が合わず、そのせいで会う時間が減って喧嘩になることもあった。
「飲食店同士だと、お互いの状況が想像できるし、理解できる。もしも休みが合わせられなくても、大丈夫。まぁ、喧嘩はしますけどね(笑)」
付き合ってから2年が経とうとする頃、中野区でパートナーシップを宣誓。
夫夫としてのふたり暮らしが始まった。
ユーチューブで日常を発信
同時に、ゲイカップルの日常を映し出すユーチューブチャンネルをスタート。
パートナーシップ宣誓に到るまでの経緯を話したり、視聴者の質問に答えたり、毎回試行錯誤しながら動画をアップしている。
「ユーチューブをやろうって言い出したのは僕なんです」
「周りにパートナーシップを組んでいる人がいなくて、もっとたくさんの人に知ってほしいと思って。で、そう言ったら彼も賛成してくれました」
初めは、見てくれる人がいるのかと心配だったが、回を重ねるうちにどんどんチャンネル登録者数は増えていき、反響も多くなっていった。
「僕らと同じくゲイの人から『パートナーシップって、すごくいいですね』って言われたり、『初めは同性愛者の人に偏見があったけど、ふたりを見ていて共感できました』ってコメントをもらったりするのがうれしくて」
もちろん、共感してくれるコメントだけではないが、それでも、自分たちがやっていることは間違ってはいない、と思うことができた。
「最近では、僕らもだんだんプロっぽくなってきて、撮り方とかで言い合いになることもあります。『こう撮ったほうがいいよ』『いや、そうじゃないと思う』とか言って(笑)」
「初めは、周りにやっている人がいなかったから始めた感じで、あんまり深くは考えていなかったんですが、反響をいただくなかで、もっとLGBT関連の活動をしていきたい、と思うようになりました」
これからも、パートナーシップ宣誓をしたゲイカップルとして、多くの人にリアルな生活を発信していくつもりだ。
09引き出されたカミングアウト
「お前、男が好きなんだろ」
今でこそ、ユーチューブを通じて全世界にゲイカップルの日常を発信しているが、実は、以前は積極的にカミングアウトをしてはいなかった。
人生で最初のカミングアウトは、職場の上司。
それも、自分から打ち明けたのではなく、“バレた” 感じだった。
「職場のみんなとは仲が良かったので、自分は実はゲイなんだと言いたい気持ちもあったんです。でも、言えないままでいました」
「そしたらある日、上司から『お前、男が好きなんだろ』って聞かれて」
「そんな風に直球に聞かれたので、言っていいんだと思って、言いました(笑)。そしたら、『やっぱりそうか』って受け入れてくれて」
聞かれなければ、言わなかったかもしれない。
でも、こんなに受け入れてもらえるなら、早く言っておけばよかったとも思った。
「僕がゲイだということは、職場でじわじわと広がっていきました(笑)。たまにからかわれることもありますが、嫌な想いをすることはないです」
職場の一人ひとりにカミングアウトするのは、なかなか大変だ。
じわじわと広がっていったのも、それはそれで良かったんだと思える。
母は気づいていたのかも
「母にカミングアウトしたのは、そのあとです。パートナーシップを組むことが決まったタイミングで言いました」
「ほんと、母にはいつも事後報告ですね(笑)。家を出て行くときも、調理師学校に進学するときも、東京へ行くときも」
息子が男性とパートナーシップを宣誓する。
そう聞いた母は「あ、そうなんだ」と言った。
テレビでオネエタレントを見るたびに眉をひそめ、「こんな風にならないほしい」と言っていた母にしては、あっけない反応だった。
「家を出てから、電話やラインでやりとりするたびに、将来の話になったら『俺は結婚しないと思うよ』って伝えていたんです。だから、そういうことか、と納得したのかも」
「母親も、自分が離婚したこともあって、僕が結婚することにこだわっているわけでもなかったし」
「あと、小さい頃から僕は女の子とばかり遊んでいたし・・・・・・。気づいてたんじゃないかな、とも思います」
意外なほど、あっさりと受け入れてくれた母だが、彼のことは電話で紹介しただけ。
まだ実際には顔を合わせてはいない。
披露宴は、友だちや仕事関係など、親しい人だけで行った。
10やっとできた、自分の家族
「今思い出しても泣きそう」
2018年11月、都内のカフェで開いた披露宴。
親しい人たちに見守られた入場の段階から、もうすでに涙が流れていた。
ケーキカット、ファーストバイト、友だちによる余興、ゲーム・・・・・・。笑顔で過ごした披露宴の最後、ふたりで抱き合って号泣した。
「友だちに囲まれて、みんなに受け入れてもらって、ああ、やっと自分の家族ができたって思って、すごい感動して」
「あ、今思い出しても泣きそうになる(笑)」
「結婚指輪も、前の職場の先輩が働いている店で買ったんですけど、そのときから、やっと家族になれる人に出会えたって実感してて」
「披露宴を挙げた会場の方たちも皆さん協力的でした。やっぱ、すんごいうれしかったですね」
見ている人の反響が自分の自信に
新婚旅行は彼の実家がある熊本県へ行った。義母との関係も良好だ。
「お母さんは、僕が彼よりだいぶ年下だからか、すごい心配してくれてますね。保険のこととか(笑)」
「でも、うちの母はまだ何も言ってきません」
「いつかは、母にも彼を会わせたいとは思っているので、近いうちに」
母と離れるのが嫌で泣いていた甘えん坊が、自分の意思で自立し、やりたい仕事に就き、一生を共にしたいと思える相手を見つけた。
きっと、言葉にはしなくても、母は息子の成長を喜んでいてくれるはずだ。
「LGBTERのインタビューを受けたいと思ったのは、ここに出ている人たちがみんな輝いて見えたから。僕もそうなりたいと思ったんです」
「LGBTに関する活動は、まだユーチューブしかしてないけど、これからもっとやっていきたい」
「ネットだけでなく、講演会とか、いろんな方法で、自分の体験を話していきたいです」
「元気をもらいました」
「見ていて幸せになります」
「パートナーシップについて教えてくれてありがとうございます」
そんな反響が自信につながる。
「自分の活動が、誰かの力になれるといいなと思っています。おこがましいんですけどね(笑)」