02 親を困らせる面倒な子
03 「内藤ってレズなの?」
04 いじめられる生徒会長
05 1回目のカミングアウト
==================(後編)========================
06 埋もれていた大学時代
07 笑いがとれない芸人生活
08 自分にしかできないことで人を幸せに
09 2回目のカミングアウト
10 私は欲張りなレズビアン
06埋もれていた大学時代
井の中の蛙、挫折する
大学進学を志すが、受験に失敗して浪人生活へ。
慶応大学のキャンパス見学で一目惚れして、「ここに入りたい!」と決意。
右も左も分からない状態から、AO入試で慶応大学・SFCに合格した。
憧れて入った大学でキャンパスライフをスタートして、軽い衝撃を受けた。
「大学は本当にすごい人ばかりだった。頭が良くて、博学で、素敵な人ばかり」
小中高と生徒会の活動に精を出し、演説が得意だと自負していた。
だが、自らのスピーチへの自信はあっさりと崩れ落ちた。
「私のスピーチなんて、しょぼいもんだなって。まさに『井の中の蛙、大海を知らず』でした」
物心ついたときからのスーパースターは、生まれてはじめて挫折を経験する。
ただ、根っからの目立ちたがり屋は変わらない。
「大学時代は芝居をやっていました。ベースにあったのは、やっぱり目立ちたい気持ちですね」
「あと、塾講師のアルバイトに熱中しました」
高校のときから、「大学に入ったら絶対、塾講師のアルバイトをする」と決めていた。
教えていたのは中学生で、大学4年間続けた。
「塾講師も注目されるから好きでした。教壇に立ちますからね」
「『先生』って呼ばれることには何とも思わなかったけど、『授業がおもしろかった』って言われるのは嬉しかったです」
生徒に「おもしろい」と言われるのが嬉しくて、もっとおもしろい授業にする工夫をした。
この精神は、小学生のときから変わらない。
普通になろうとしていた自分
小さい頃から、どこか突出していて、一目置かれる存在だった。
大学に入るまではイケイケGOGOで、毎日が戦いのような生活を送っていた。
しかし、大学に入って気付いたら、戦っていない自分がいる。
「まわりにすごい人がいっぱいいたから、だいぶ埋もれていましたね」
そんな “埋もれていた” 大学生は、卒業後、芸人の道を志す。
きっかけは、母からの問いかけだった。
「あんた最近、普通になろうとしてない?」
「小学校4年のときの夢、覚えてる?」
小4のときの夢は、今もまったく思い出せない。
でも、「普通になろうとしていた自分」には、大いに思い当たるフシがある。
「あんたの4年生のときの夢、山田邦子だよ」
幼い頃、憧れていた山田邦子の姿を、そして4年生の自分が描いていた未来をもう一度、思い起こしてみる。
「芸人っていう道もあるんじゃない?」と母に勧められ、迷うことなくよしもとの養成所に入った。
芸名は「VITA」。
イタリア語で「生きる」という意味で、大学時代に自分で自分に名付けた名前だ。
07笑いがとれない芸人生活
入ってすぐ「ここじゃない」
昔から「人を笑わせたい」という気持ちは強かった。
大人になってからも、ある程度は笑いをとる自信があった。
だから、よしもとの養成所の門を叩いた。
「でも、入ってすぐに後悔しました。ここじゃない、って」
ネタも書けなかったし、笑いをとることもできない。
「人を笑わせたいけど、お笑いでは実現できないって思っちゃったんです」
お笑いに対するモチベーションは湧いてこなかった。
だが、それまでの人生と変わらず一生懸命、お笑いに取り組んだ。
「何でか分からないんですけど、昔から、モチベーションが高くなかったとしても、すごく一生懸命やるんです」
「今までの全部がそうでした。何をやっても『これじゃない』って思ってたけど、なぜか頑張るみたいな(笑)」
とにかく、目の前にあることは一生懸命やる性格。
「だから、ひたすらお笑いのDVDを観たり、他の芸人さんを研究してマネしたりしてました」
自分のことしか考えていなかった25年
一生懸命やっても、何もかもうまくいかないという経験は人生初だった。
大学時代の塾講師のアルバイトでは、何も考えなくても笑いがとれた。
でも、芸人になったらそれができない。
「意図して笑いを起こすのって、こんなに難しいことなのかって痛感しましたね」
芸人として生活できず、バイト三昧の日々。
「金ない、寝てない、才能ない」で、心が折れそうになったのは一度や二度ではない。
そんな気持ちとは裏腹に、周囲はとてもあたたかかった。
バイト仲間が、お笑いライブのチケットを買ってくれた。
パートさんが、代わる代わるお弁当をつくってくれた。
バイトに寝坊しても「大丈夫だよ、みんな応援してるから」と言ってくれた。
「どうして私のこと、こんなに応援してくれるんだろうっていうくらい、応援してもらってました」
しかし状況は変わらず、芸人をやめることを考えはじめる。
当時、バイトをしていたカレー屋さんの先輩、りえさんに「芸人やめようと思ってます」と相談した。
りえさんに叱られた。
「VITAの夢は、ここにいるみんなの夢なんだよ」
「みんな、VITAがテレビに出るの楽しみにしてるんだよ」
「自分のことばっか考えてんじゃねーよ」
りえさんの言葉にハッとした。
「本当に、自分のことしか考えていない25年だった・・・・・・」と。
「人がいるから自分がいるってことに気付いて、そこから価値観が180度変わりました」
それまでは、自分に才能があるから人前に立てると思っていた。
「でも、自分が人前に立てるのは、見てくれる人がいるからだって」
バイト仲間だけでなく、すべてがありがたいと思った。
そして、「テレビに出るまで芸人はやめない」と心に誓った。
大好きだった相方と頑張って、3年目にブレイクを果たす。
「テレビに出る」という目標を叶えた。
そして、スパッと芸人をやめた。
08自分にしかできないことで人を幸せに
営業経験を糧にして
芸人をやめた後は、会社員としての人生を歩みはじめた。
いろいろな仕事を経験したが、なかでも自分の糧になったのは、ある営業コンサルティング会社だった。
「テレアポの仕事もしました。ひたすら電話をかけまくってアポをとる仕事ですね」
「営業に対してモチベーションが高いわけではなかったけど、あいかわらず一生懸命やってました(笑)」
そこで頑張れたのは、社長が大事にしている営業観に共感できたから。
「徹底して自己都合を消す。売りたいんじゃなくて、相手が買いたいって思うことを追求する。そんな営業観を持った社長でした」
「これって、りえさんに言われた『自分のことばっか考えてんじゃねーよ』っていうのに、つながるんですよね」
等身大株式会社の誕生
営業コンサルティング会社で働いている頃、お世話になった予備校の先生から相談され、代わりに講演会で話す仕事を引き受けた。
AO入試で大学合格を目指す女子高生に、自分をアピールする方法について話した。
「そしたら、私の話を聞いて女子高生が笑ってたんですよ!」
講演会で話して、「ここが私のステージだ」と思った。
巡り合わせも良く、それから約2年、講師として経験を積むことに。
「やり方」から「あり方」にフォーカスする方向で、自分なりに講演会をアレンジしていった。
そして、たどり着いたのが「等身大力」という講座。
これが好評を博し、2016年6月、自ら「等身大株式会社」を設立する。
「芸人時代、ノンスタイルの石田さんに『VITAの笑いはVITAにしかできへんねん』って言ってもらったことがあるんです」
この言葉は、「あなたには、あなたにしかできないことがある」という、会社のメッセージにつながっている。
「『自分にしかできないことで人を幸せにする』っていう、私のコンセプトがつくられたのは、そのときは『ここじゃない!』と思っていた芸人時代や営業時代があったからなんですよね」
いつも懸命に頑張ってきた。
それが今のベースになっている。
092回目のカミングアウト
もう一度、セクシュアリティと向き合おう
一年前、別れたばかりの彼女がアップしたSNSを見た。
「その子は男の子が好きだったんですが、新しい彼とのことをSNSに上げていて、『私との恋愛は公開できなかったのに』っていう気持ちが吹き出しちゃって・・・・・・」
「自分の恋愛は祝福されないもの」だという気持ちが、彼女への執着に変わり、泥々の別れになった。
ちょうどそんなとき、『千と千尋の神隠し』を観ていたら、カオナシの姿が自分と重なった。
「その子に対する自分の態度とカオナシが千尋に対して迫るシーンが重なって『うわー、私ってエゴの塊だ!』って思ったんです」
そのとき、リンクしたのが16年前、母にカミングアウトしたときに言われた言葉だった。
「母の『気持ちわるい』って言葉はやっぱりショックだったんだなあ、って」
自分にとって、やはりセクシュアリティのことは大きなこと。
だから、どうしてももう一回、向き合わないといけないと思った。
時計の針を16年前に戻すため、あらためて、親子3人で家族会議の場を設けた。
「あのとき、ママに『気持ちわるい』って言われたことが、ずっと私のなかで引っかかってるんだ」
母は、自分が「気持ちわるい」と口にしたことは覚えていなかったが、続けてこう言った。
「紗弥花のセクシュアリティがどうであれ、私は何も動じないよ」
「それって、どういうこと?」
「紗弥花を愛しているという気持ちに、今もあのときも変わりはないから」
「気持ちわるい」は、ただの言葉の綾だった。
母から、深い愛を分かりやすく伝えてもらった。
それを受け取って、癒された。
執着とかエゴとか、こびりついていたものが浄化されていくのを感じた瞬間だった。
さやちゃんのままでいいんだよ
以前にも、似たようなことがある。
結婚もしていて、安定した職につき、気配りもできる同級生をうらやみ、自虐的に「私は彼女と比べて社会不適合者だから・・・・・・」と漏らしたとき、当時のパートナーに言われた。
「さやちゃんは、あの子みたいになりたいの?」
「さやちゃんは、さやちゃんのままでいいんだよ」
「私はずっと、承認されたかったんだと思います」
「セクシュアリティのことに限らず、昔から承認されることを求めてたのかなって」
小さい頃から、自分を分かってもらえないことへの、何かストレスがあったのかもしれない。
20代で、当時のパートナーの言葉に救われた。
2回目のカミングアウトで、母の言葉に癒された。
昔みたいに「分かってほしい」という気持ちはなくなった。
「今、公私ともに充実していて、32年生きてきたなかでいちばん穏やかだと思います」
そして誰からの承認よりも、自分がやっと自分自身を受け入れられた。
セクシュアリティも受け入れた。
10私は欲張りなレズビアン
2018、カミングアウト
これまで、自分のセクシュアリティについて、近い人には明かしていた。
今年は、公にしていきたいという気持ちでいる。
「2018年はカミングアウトしようって、自分のなかで決めてたんです」
「直感ですけど!(笑)」
レズビアンなのかどうかは、今も分からなくなるときがある。
でも、女性を愛する気持ちには確信がある。
今、最愛の女性パートナーと、幸せな日々を過ごしている。
一方で、男性から「女性として見られたい」気持ちがないわけではない。
「男性から『レズビアンなの?』って聞かれて、『そうだよ』って答えたら、その男性と人としてつながる可能性もなくなっちゃうんじゃないかって」
「それが嫌だなって思ってる自分は、今もいるんです(笑)」
自分が女性であることに違和感はなく、性指向も間違いなく女性。
「99%レズです。でも、男性にもちょっとはモテたいっていう欲張りなレズ?(笑)」
今までは、自分でも分からなくなるときがあるから、カテゴリー名として、はっきり言い切れなかった。
「でも、それでもカミングアウトはカミングアウト。これが今の私だから」
「今後、男性を愛する可能性もゼロじゃないですよ。みんなにモテたいからそう言っておきます!(笑)」
「ありだと思うよ」は好きじゃない
友だちに恋愛話しを打ち明けることがある。
「『私、女の人が好きなんだよね』って言うと、『ありだと思うよ』っていう反応が多いんです」
異性愛者だったら、「おめでとう!」とか、「相手はどんな人?」とたずねてくるように思う。
でも、同性愛だと分かると違うのだ。
「別に、『すごいね』とか『おめでとう』とか、言ってほしいわけじゃないんですけど、一歩引いた位置からの『ありだと思うよ』は、少し悲しいんですよね」
「『レズビアンもありだと思うよ』じゃなくて、私のことを見て、普通に感じたことをそのまま言ってほしいです」
「今すごく楽しいし幸せだから、「楽しそう」「幸せそう」って思ってもらえたら嬉しいな」
どこを切り取っても私らしく
政治家や芸人を目指していたが、別にそれそのものになりたかったわけではなかったと、今思う。
「子どもの頃からずっと、『ここじゃない』『これじゃない』って思ってたけど、たぶん承認される場所や、承認してくれる人を探してたんだと思います」
「今は生まれてはじめて『ここだ』『これだ』っていう感触があって、収まるところに収まったかなと(笑)」
「『等身大』って私のキーワードなんですけど、私と触れ合った人がピュアな自分に出会えるような、そんな存在でありたいなって。そのために私は学んでいくし、学びの場を提供していきたいと思っています」
今までのすべてのことは、今のためにあったんだと思う。
「この先ずっと、『どこを切り取ってもVITAだね』っていう生き方をしていきたいんです」