02 ずっと死にたいと思っていた
03 性同一性障害だと思い込んで楽になりたかった
04 “ふつう” じゃない母子関係
05 八丈島というコミュニティに生まれ育って
==================(後編)========================
06 勉強と恋愛相談で大人気の「吉田塾」
07 島からも家庭からも離れ、変化していく自分
08 パートナーと出逢えてガラリと世界が変わった
09 社会でのカミングアウトの微妙さ
10 LGBTについて考えることは、十人十色でいい
06勉強と恋愛相談で大人気の「吉田塾」
優秀な成績が、結果として自分の居場所を作ってくれた
高校までは「すごく暗かった」とふり返る。
太っていたことのコンプレックス、セクシュアリティへの違和感、家族との確執……悩みも苦しみも尽きなかったが、小学生の頃から勉強だけはできる子だった。
ずっと「吉田家への負い目」を感じて生きてきた。
祖父は島で唯一の新聞社を始めた人。
また、観光客向けのレストランや土産物店が入った大型商業施設を経営するなど、島の観光の核となる部分を担ってきた。
その吉田家に自分のような変な娘がいることで、周りから何か言われて、親に迷惑をかけるのは嫌だった。
「せめて成績だけはよい子でいて、『吉田さんちの美幸ちゃん、私生活では好き勝手やっているけど、勉強はものすごくできるよね』と言われるよう体面は保って、誰にもつけ入るスキを与えないようにしようと思った」
おかげで、周囲からネクラだと思われていた高校時代は、試験前だけは人気者になった。
テストのヤマ勘が天才的だと評判になり、いつしか家には毎日のようにかわるがわる10人以上の生徒が押し掛け、勉強会を開くようになった。
「テストに出るところとか、最初から教えてほしいとか、分からないところを教えてほしいとか、そもそも分からないところが分からない、そういった人たちのために一生懸命、練習問題や予想問題を作ってコピーして配ってたんですよ、塾みたいに。勉強会のおかげで学校での自分の役割ができて、居場所もできていった」
まさに「吉田塾」である。
自分も人に教えることで勉強になり、さらに成績は上がっていった。
傾聴と的確なアドバイスによる恋愛相談
自分の人生で、ギャルと友だちになることなどないと思っていた。
ところが、吉田塾にはテストで赤点を避けたいギャルや不良も集まった。
まったく仲よくなかったヤンキーっぽい女の子たちも、「暗いと思って話しかけてこなかったけど、意外と面白いじゃん」と思ってくれて、少しずつ喋ったり、グループに入れてくれるようになった。
すると、次第に恋愛の相談もされるようになる。
「そんなね、女の子として可愛く生まれたうえに男の子が好きなんて、そもそも勝ち組じゃないですか(笑)。いいじゃん~って、うらやましいよね。それで、ものすごく親身になって聞いてあげていたの。うんうん、そうだよね、つらいよね、分かる分かる、でもさ、こういう考え方もあるじゃない? こういう考え方はどう……って」
「自分のセクシュアリティをすごく研究していたから、いろんな角度から考えたり、アドバイスができたのかも。もう、いろんな人の恋愛情報を聞いてましたよ。吉田塾には、恋愛系のカウンセリングも心のケアもついてくるんです(笑)」
絶対に他人に口外しないのも信頼を得る理由だった。
彼氏と彼女、両方から相談を受けることもあったというから、恋人もいないネクラな吉田塾の恋愛相談が、いかに的を得ていたかがうかがえる。
07島からも家庭からも離れ、変化していく自分
才能のある友人との出逢い
高校では、親友と一緒に美術部に入部した。
部には変わり者だが偏見もない人ばかりが集まっていた。
そこで、自分とは明らかに異なる、才能あふれる絵を描く同級生に出会う。
「私や親友はマンガ好きの、いわゆるオタクだったので、描く絵もマンガっぽかったんですけど、彼女が描くのはそもそも対象を自分流に解釈して独特のタッチで描く、コンテンポラリーアートのような絵で」
「そういうのは美術館の世界だと思っていたので驚いたし、しかも本人もかわいくて明るくて、ネクラな私にとってまぶし過ぎる存在でした(笑)」
まぶし過ぎて部活内でも喋ることはなく、初めて話したのは高校2年生になってから。
しかもきっかけが、互いに「かっこいいオジサンが好き」という共通点だった。
おすすめのオジサン映画についてマニアックな会話を交わすうちに、趣味が合うことが分かり、一気に距離が縮まった。
尊敬できて憧れる存在の彼女から認められたのは何よりうれしかったし、彼女からたくさんの刺激も受けた。
高校生活が一気に楽しいものになった。
そして、高校卒業の時がくる。
大学は、かねてから進みたいと思っていた出版を学べる学科のあるところを選んだ。
家庭からも島からも出て、念願のひとり暮らしである。
大学では自然とカミングアウト。「驚かれない」喜びを感じる
大学は表現したい人たちが集まる学部だったため、オタクや自称芸術家など、個性的な人が多く、「自分の個性を出さないとつぶされる」そんな感覚さえ覚える集団だった。
ちょうどこの頃、初めての恋人ができる。相手は女性だった。
「私が大学に入った頃はLGBTが世間で話題になり始めていた頃でもあって、『彼氏いるの?』という質問に、『彼女なんだよね』って自然と答えることができていた。自分の個性として、彼氏じゃなくて彼女がいるっていうのはちょっと面白いと思ったし、周りもみんな変人で(笑)、誰からも否定されず自然体でいられたので大学はすごく楽でした」
可愛らしい恋人と釣り合う自分になろうとダイエットし、おしゃれにも気を使うようになった。
ギャルっぽいファッションを装う日が増えるなど、この頃から男子っぽいかっこう、女子っぽいかっこうを使い分けるようになる。
自身のセクシュアリティは、すでにトランスジェンダーというよりバイセクシュアルの方に寄っていっていた。
「自分の身体を作り変えてまで女の子と付き合いたいか考えたら、ちょっと違うんじゃないかなと。大学の4年間で、徐々に『あれ? 男の子も女の子も好きなだけじゃないの?』と思うようになっていました」
08パートナーと出逢えてガラリと世界が変わった
モノトーンで暗かった世界に、鮮やかな色がついた
初めての恋人とは、付き合って4年以上になる。
彼女は元々ストレートの女性で、恋愛対象はおそらくいまも男性だ。
だが、吉田さんだけは「例外」だという。
彼女とは友人であった頃から、自身の気持ちを隠しながらもたくさんの話をしてきた。
いざ、気持ちを伝えようと思った時にはなかなか言い出せなかったが、彼女は勘づいていた。
クリエイティブなアーティストとして生計を立てている彼女は言った。
「あなたと一緒にいることで、私のアーティストとしての世界観が広がった。世の中にはいろんな愛の形があることを知ることで、男性だけを好きだと思っていた時より世界がもっと鮮やかに見えた」
「それは、あなたのおかげ。だから、男だとか女だとか関係なく、吉田美幸という人間が好きなので付き合います」
ボロボロと、みっともないぐらい泣いた。
自信がなく、いつも死にたいと思っていた自分。
そんな自分の存在自体が尊いものだと、価値のあるものだと言われたのは初めてだったから。
やっと人間になれた気がした。
世界は、こんなにも色鮮やかだったのだ。
バイセクシュアルの肩身の狭さ
しかし4年経ったいまでもまだ、自分たちが性のカテゴリーの中で「ふわふわしている」感じはぬぐえない。
LGBTコミュニティに属していると言い切るには中途半端な気もして、違和感がある。
「いまの私たちって、自分の性自認もよく分からないまま、たぶんどっちも大丈夫です、みたない感じでお互いに付き合っているから、LGBTの中に入れてもらっていいのかな・・・・・・って。性自認のはっきりしている人たちに対して、なんだか申し訳ない気持ちがある」
「特にバイセクシュアルはLGBTの中でも批判されることがあって、『だって男の人と付き合ってるときは普通に見える』と、仲間として見てもらえないというか。確かに、ゲイやレズの人はもっとつらい思いをしているだろうし・・・・・・そう思うと余計に、生きててごめんなさいって思っちゃう」
“LGBTの中でもバイセクシュアルは肩身が狭い”、とは耳にしたことがある。
ストレートの人だけでなく、レズビアンやゲイからも様々な偏見を持たれやすいのだという。
しかし、当たり前だが、バイセクシュアルの人も千差万別。
バイセクシュアルというだけで、人格を否定されたり、決めつけられるべきではない。
それはLGBTであってもなくても、言えることだ。
「だけど、名前があることで概念も生まれ、説明できるようになるから、私も『レズビアンじゃなくて、どっちでも大丈夫なんです』ではなくて、『バイセクシュアルなんです』ってはっきり言えることも大切なんだと思っています」
09 社会でのカミングアウトの微妙さ
相手に気を使わせてしまって悪いな、という思い
会社の上司には、最初から恋人の存在を伝えている。
上司とは一番接することが多いし、もし、彼女に事故など万が一のことがあった場合に、カミングアウトしていないと、飛んで行くことも休むこともできないからだ。
また、仲のよかった大学の同級生が同じ職場で働いているのだが、彼女が周囲に「気をつけてくださいね、この人、女性を見る目がいやらしいんで」と触れ回っているせいで、じんわりと情報が漏れ出している。
だが、まだ会社でも自分のセクシュアリティを知っている人と知らない人がいる状況で、恋愛話や世間話になると困ることもある。
「彼氏とどうなの? と聞かれると、彼氏は・・・・・・ボチボチっすね、みたいな(笑)」
女性と付き合っているの? と聞かれれば、「はい」と答えるが、自分から積極的に話すことはしない。
知られることは別に気にならないのだが、逆に、カミングアウトされて相手も困るだろうと、思うから。
相手に気を使わせてしまうのが悪くて、大学の時のように自然にカミングアウト、というわけにはいかないのだ。
身近にひとりでもLGBTがいれば
それでも、身近に1人でも当事者がいれば、一気に理解は進むと信じている。
「LGBTだけでなく、子育ても障がいも同じことが言えると思うんですけど。小学生の頃、同じクラスにダウン症の子がいて、とてもかわいがられていたんです。おかげでダウン症に対して大人になっても何の偏見も持たずに済んだ」
「だけどそんな体験をしている人はごくわずかでしょうし、身近にそういう人がまったくいない人は、いろんな感情を覚えるかもしれない。だからベースとなる経験が大切なんです」
経験できない人にとって、特に教育は大事だ。
男らしく、女らしくという教育を受ければ、偏見を生むのは当たり前だと思う。
「異性が好きな人も、同性が好きな人も、恋愛を何とも思わない人もいるなど、いろいろな人がいて世界は成り立っているということが、子どもの頃から知識としてあるだけで相当違う。その上でどうしてもLGBTは受け入れられないのなら、それは仕方がない」
「普通に日々を過ごしていても、ウマが合わない人もいるでしょ。同じことだと思うんです、LGBTも。でもいろいろな人がいることを知るのは面白いし、知らないのはもったいないと思うんですけどね」
いつか、会社のデスクに家族の写真を飾っているストレートの人と、パートナーの写真を飾っているLGBTの人が、お互いに家族やパートナーの話を当たり前のように交わせる日が来たらうれしい。
実はあなたが知らないだけで、あなたの隣にもいるかもしれない。
自分のように息を潜めて生きている人間はたくさんいるから。
だから、まずはいろんな人がいることを知ってほしい。
知ってから、どんどん議論すればいい。
10LGBTについて考えることは、十人十色でいい
自分のセクシュアリティにとらわれ過ぎていないか
LGBT当事者は、自分がLGBTだから相手に嫌われたのではないかと考えがちだが、実は「なんとなく合わない、好きじゃない」という理由も、当然ながらあるのだ。
「昔は私も、自分がバイセクシュアルだから上手くいかないのでは……と考えることもあったのだけど、バイセクシュアル同士でも話が合わない人もいる。でも、『LGBTだから嫌われる』としか思えずに、自分のセクシュアリティで自分自身を縛ってしまうと、本人もつらいままだと思う」
誰もわざわざ「この人が異性愛者だから仲良くしよう」なんて思わないように、「LGBTだから仲良くしてやろう」という人も、そういない。
同様に、「LGBTだからウマが合わない」などということも、あまりない。
「ウマが合う、合わない」はそもそも性格や価値観、雰囲気などを含めた人間同士のコミュニケーションの中で起こる話で、LGBTであるとかセクシュアリティには関係がないのだ。
これまで、生きていることに、そもそも自信がなかったから、毎日を過ごす中で一般的に言う「ふつうのセクシュアルの人」をうらやましく思うこともあった。
でも本当は、「LGBTだから」なんて関係ないのだ。
一人の人間として、魅力的であればそれでいい。
一緒にいると面白い、楽しい、居心地がいい・・・・・・そう誰かに思ってもらえるようになれば、人として最高に幸せだということに気がついた。
いまになって思う。
いつだって「ふつう」でいる必要なんてなかった。
むしろ、「ふつう」を目指していたから、息苦しかったのだ。
「ふつう」であることに意味なんてない。
ただ、人間として認めあえる人、つまりウマが合う人に出会ったら、全力でその人と一緒にいる時間を大切にすればいいだけだ。
「ふつう」がゴールではない。目指すべきところは別にあったのだ。
そんな単純なことに気づいた瞬間、肩が軽くなったような気がした。
精神的なバリアフリーを目指すなら
最近では、当事者たちが声を上げ活発にアクションを起こすことで、LGBTの社会的認知がどんどん向上している。
それ自体とても喜ばしく、渋谷区の同性パートナーシップ条例や同性の結婚式がメディアで取り上げられると、日本が少しずつ変わっているように感じる。
ただ、時に、そういう動きと反対の意見を持つことが、非寛容、不平等、偏見であるなどと批判されることがある。
けれど、自分と異なる意見があることも認めながら、その上で互いに議論できる社会の方が、ずっと健全ではないだろうか。
「違う意見同士、もっと議論してもいいと思うんです。LGBTがタブー視されている世の中では当事者に対して口に出せないことも多くて、ストレートの人たちと同じ土俵にすら立てていない」
「よく、かわいそうとか、慰めてくれる人がいますけど、私はそんなに暗い気持ちでバイセクシュアルをやってるわけじゃないし、もし本当に精神的なバリアフリーにするなら、LGBT当事者にもズケズケとつっこめるくらいの方がいい。たとえば私が恋人とのことを話したら、のろけてんじゃねーよ!と、異性愛者と同じように言われたい。そんな世の中になれば、精神的にももっとみんな楽になるんじゃないかな」
これまでの苦しい人生、何度も立ち往生してきた吉田さん。
しかし、自分の存在を丸ごと肯定してもらったあの日から、世界は美しく色づき、新たな自分を生き始めることができた。あの暗くつらい経験があったからこそ、いまの幸せをより一層感じられているに違いない。だからきっと、人生に無駄なことなんてないのだ。もしも現在の吉田塾に、過去の吉田さんが相談したなら、きっと清々しい笑顔でそう、教えてくれることだろう。