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セクシュアリティは、バイセクシュアル8:ゲイ2かな?【後編】

セクシュアリティは、バイセクシュアル8:ゲイ2かな?【前編】はこちら

2023/02/25/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Shintaro Makino
関田 充 / Mitsuru Sekita

1988年、東京都生まれ。両親と6歳年上の姉の4人家族。中学では勉強にまったく興味が持てず、ヒエラルキーは真ん中から下に落下した。大学のときに所属した同じ団体の男性に恋心を抱き、バイセクシュアルと自認。大学院を卒業して3年目に日本語教師として渡った台湾で現在の恋人と出会い、遠距離恋愛を継続中。

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INDEX
01 古いタイプの父とやさしい母
02 ヒエラルキーの真ん中
03 勉強にまったく興味が持てなかった中学時代
04 ドラえもんのキャラクターからが始まった男性への恋心?
05 遊びの水泳部で楽しい毎日
==================(後編)========================
06 バイセクシュアルだと自認
07 ホテルの婚礼会場で10年間アルバイト
08 初体験の相手は台湾人のカメラマン
09 将来も考えた3人目の恋人
10 ゲイとバイセクシュアルの間

06バイセクシュアルだと自認

おいしそうな人に告白

大学はエスカレーター式に上がり、国際コミュニケーション専攻に進学。大学くらいは出ておきたい、という気持ちがあった。

「バイトの先輩に誘われて、『むさし100キロ徒歩の旅』という団体に入りました。小学4、5、6年生の子どもたち100人を連れて、4泊5日の旅を企画する団体でした」

狭山、秩父、飯能を歩き、子どもたちの自立する力を育てることが目的だった。

「1年に1回、子どもたちの夏休みに開催されるイベントで、付き添いは16人、私は誘導班に入りました。みんないい人たちで、居心地はよかったですね」

主催者からは、事故があると大変なことになる。チャラチャラした気持ちでやらないように、と注意があった。

「子どもたちの命を預かっているという緊張感もありました」

泊まりがけでの打ち合わせもあり、苦手だったチームワークも学ぶことができた。

「その団体のなかで、好きな男性ができました。ほかの大学の同期生で、彼を見て、『おいしそうな人』だなって思いました(笑)」

冷静に物事を分析できる人で、司会進行役の補佐をする仕事を担当していた。

「お前のこと、好きなんだよって告白しました。『そうなんだ。無理だけど、いいよ』っていうのが、彼の答えでした」

「オレはお前が好きなんだ」「そう、でも無理だよ」と、何度も同じ会話が繰り返された。単純に、この人に自分の思いを伝えたいという気持ちだった。

バイセクシュアルとカミングアウト

その人に実らぬ恋心を抱くうちに、自分はバイセクシュアルだと自認する。

「バイセクシュアルという言葉はインターネットで知ったんだと思います。実は団体のなかに、もうひとり気になる女性がいて、自分は男女どっちもいけるんじゃないか、と気がつきました」

セクシュアリティを自認してすぐ、団体のメンバーにカミングアウトをした。「あ、そうなんだ」というのが、平均的な反応だった。

「カミングアウトした人から変な目で見られることもなかったし、自分でもそれが悩みにはなりませんでしたね」

「水泳部だった仲間とは、相変わらずカラオケに行ったりして遊んでましたけど、彼らにはカミングアウトしませんでした。いわなくてもいいというか、そういうことすら考えなかったですね」

07ホテルの婚礼会場で10年間アルバイト

ダイビングで奄美に通う

大学生のときに夢中になったのがダイビングだった。

「始めたのは高校のときでした。母親が奄美大島に旅行に行くというので、一緒に行って、そこで体験ダイビングのチラシを見たんです」

母親とのふたり旅。ある程度は自分で出したが、金銭的な助けも大きかった。

「ダイビングか。面白そうだなと思って」

もともと水泳は得意。見たこともない海の中の世界に興味を惹かれる。

「深いところまで潜って上を見上げると、さっと光が差し込んでいてすごくきれいなんです。神々しさを感じました」

ナイトダイビングでは、海の中で発光する大量の海ほたるに遭遇することもあった。

「バイトをしてお金が貯まると、ひとりで奄美に行くようになりました。当時はLCCがなくてJALなんですよ。1回行くと10万円くらいかかってましたね」

やりがいに溢れたアルバイト

ダイビング資金を稼ぐためのアルバイトに選んだのは、帝国ホテル。婚礼会場のウエイターだった。

「きっちりしたホテルのサービスに憧れていて、求人誌で見つけました。大学1年から10年間、ずっとそのバイトを続けました」

ウエイターといっても、準備から後片づけまでが仕事だ。大きな婚礼になると、朝9時から夜10時までかかることもあった。

「会場だけじゃなくて、裏で料理の準備も手伝うんです。ムッシュ(シェフ)から『スープが温まってないだろう!』ってよく怒鳴られましたね」

銀器など重いものを運ぶことも多く、ぎっくり腰になったこともあった。

「大変なこともありましたけど、料理も会場もおしゃれだし、楽しかったですね。ワインや料理のサーブも、全部できるようになりました」

格式あるバンケット。やりがいはたくさん、学んだことも多かった。

08初体験の相手は台湾人のカメラマン

大学院の論文テーマはアイヌの山岳信仰

大学の国際コミュニケーション専攻で学ぶうちに、外国人に日本語を教える日本語教師を目指すようになる。

「きっかけは、『ハケンの品格』っていうドラマでした。あれを見て、何か資格を取っておいたほうがいいなって思いました」

そこで、思い浮かんだのが日本語教師だった。

「教授に相談したら、男が日本語教師になるには大学院に行かなきゃダメだっていわれたんです」

そこで大学院に進むことにしたが、先生になるための単位は大学で取り終えていた。

「選んだ論文のテーマは『大和民族とアイヌの山岳信仰について』でした」

実は、ゴスペルで知り合った牧師さんの知り合いを訪ねて、北海道に旅行をしたことがあった。

「そのときに白老町のアイヌ文化村、今のウポポイに連れていってもらったんです。そこでアイヌが迫害された歴史を知って、日本でもこんなことがあったのかって衝撃を受けました」

自分たちの文化を取り上げられ、山に追われたアイヌ。教科書では1行で終わっている負の歴史を知って、つらい気持ちになった。

「アイヌは独特な死生観を持っているんです。それに神様を叱ることもできる。普段は敬っているんですけど、悪いことをすると、お前は低級の神だって怒るんです。そんな文化が面白いな、と思いました」

幸せな日々と突然の別れ

大学院を卒業した後、1年間はフリーターをして暮らした。そのときにフェイスブックで出会ったのが、最初の恋人だ。

「3歳年上の台湾人のカメラマンでした。つき合うこと自体が初めてでしたから、いろいろと戸惑いましたね」

彼は経験者だったので、こうしてああしてと指南され、彼の部屋で遅い初体験を迎えた。

「ピザを買って、その人の部屋で一緒に食べているだけで楽しかったですね。人とつき合う喜びを感じました」

同じベッドにいながら、彼はゲームをして自分は携帯をいじっている。そんなひとときでさえ、幸せと感じることができた。

「ファッション関係の写真を撮っている人だったんですけど、とにかく仕事が忙しくて、相手がいいというときにしか会えない関係でした」

そうこうして、つき合い始めて3カ月が経ったときだった。

「私が新宿御苑にいて、夕日がきれいだよって写真とメッセージを送ったんです。そうしたら、突然、もうメッセージをしないで、ってバッサリ切られちゃったんです」

まったく何が起こったのか分からなかった。しかし、相手のペースでしか成立しない関係だけに、どうしようもない。

「考えてみれば、ドライなところがある人でした。その後もメッセージを送りましたけど、私からの一方通行でしたね」

09将来も考えた3人目の恋人

なぜか相手は外国人ばかり

次に出会ったのは、2歳年上のアメリカ人。日本に住む英語教師だった。

「フェイスブックで知り合って、その人の部屋にいってピザを食べて・・・・・・(笑)」

しかし、彼とのつき合いでは、前の人ほどの喜びは感じられなかった。

「なんだか、早くエッチをしたいっていうか、急いでいる感じでしたね」

つき合いは3週間で終わってしまう。

「3人目の恋人は中東系のイタリア人でした。登場人物がみんな外国人なんで、ガイセンなのって聞かれるんですけど、そんなことはありません」

本来なら日本人同士のほうが分かり合えると思っているが、なぜか知り合う相手が偶然にも外国人ばかりなのだった。

「彼とは1年くらいつき合いました。イスラムの人で、豚肉は食べないけどお酒はよく飲みましたね」

つき合いが深まり始めた頃、母親に「オレ、男の恋人がいるから」とカミングアウトした。母親の返事は、「あ、そう」。

後日、「なんとなく感じていたよ」といわれた。ちなみに母親から話を聞いた姉の感想も「ふ〜ん、そうだと思ってた」だったそうだ。

「母にも彼を紹介して、この人とずっと一緒にいるのかな、と思い始めていました」

父親がフィアンセを連れて来日!

ところが、ある日、とんでもないことが起こった。

「彼のおじさんが日本に来るというので、彼が会いにいったんです。そうしたら、お父さんともうひとり女の人が一緒で、『お前はこの人と結婚するんだ』って、突然、引き合わされたんです」

なんと、親が決めたフィアンセを日本に連れてきたのだった。

「慌てた電話がかかってきて、ふたりで笑っちゃいました。それしかなかったですね(笑)」

イスラムの世界は日本とは違う文化や習慣があるのだと理解していた。新宿の屋上庭園で会って、「残念だけど別れよう」という話にまとまってしまった。

「ケンカ別れをしたわけじゃないんで、今でも友だちとして一緒にお酒を飲んだりしてます」

10ゲイとバイセクシュアルの間

台湾人の恋人と婚約中

1年間、アルバイトで食い繋いだあと、日本語学校の非常勤講師の職を得た。

「しばらく、2校かけ持ちで仕事をしていました。それから台湾で教師の募集があったので自分で申し込んで就職しました」

台湾に行く3カ月前、フェイスブックを見ていたら、浴衣を着た写真をアップしている台湾人を見つけた。

「着ていた浴衣が左前の死装束だったんですよ。それはダメだよって教えてあげたんです」

それがきっかけでメッセージを交換するようになり、現地で会うようになった。もう何度も日本に遊びに来ている、ひとまわり年上の親日家だった

「最初は彼に対して何も響かなかったんです。でも、ある日、私が風邪をひいて寝込んでいたら、看病しにきてくれて・・・・・・」

ただの友だちとして遊んでいるときとは違うやさしさを感じ、この人ならいいかな、と思うようになった。

「もう、つき合い始めて5年になります。最初は5までしか数えられなかった私の中国語も、ブロークンですけど、通じるようになりました」

ふたりだけの口約束だが、現在、彼と婚約中だ。

「日本に法律がないから日本でも台湾でも正式な結婚はできませんけどね。今後、どっちの国で住むかも決めていません」

彼は長男なので、家族を支えなくてはいけないという問題もある。そんな進行形の状態で日本に戻ってきたら、コロナの直撃を受けた。

「オンラインではやりとりしてますけど、もう3年も会えてないんです。やっぱり寂しいですね」

バイセクシュアル8:ゲイ2?

セクシュアリティはゲイかと聞かれれば、はっきり、違うと答える。大学生のときに、中学の同級生だった女の子と、短期間だがつき合ったこともある。

「じゃあ、バイセクシュアルかというと、それも少し違うような気もするんです。ゲイよりもバイセクシュアルに近いという微妙な立ち位置です」

そういう場合は、クエスチョニングなのだろうか。大科目に分ければ、L・G・B・Tなんだろうが、その隙間に小科目が立ってもいいと思っている。

「微妙なところを説明するのが難しくて、ちゃんとした言葉があればいいのにって思います。私の場合は、8:2か7:3のバイセクシュアルですかね(笑)」

この歳になって、自分のセクシュアリティや居場所が分からないことがもどかしいと感じる。

「ゲイの人たちと一緒にいて、女の子ともつき合えるとか、あの子はかわいいという話をすると、急に相手のテンションが下がるんです。ショックではないけど、ポカンとしちゃいますね」

バイセクシュアルだというと、「どうせ、そっちにいっちゃうんでしょ」と冷たくされるという話もよく聞く。

「少数派だから仕方がないのかもしれませんが、もっと知って欲しいと思います。そのためには教育が大切なのかもしれませんね」

大学生の頃に好きだった相手に、最近、アセクシュアルだとカミングアウトされ、アセクシュアルって何? と、自分も勉強不足を実感した。

どこかにはっきりとあてはめられないことは、幸い今の恋人には理解してもらっている。

「今までの人生、山も谷もなくつまらないと思われるかもしれませんし、セクシュアリティのことで深く悩んだわけじゃないです。でもこれからも、自分の立ち位置を確認しながら生きていくことになりそうです」

あとがき
関田さんのメールには、いつも気づかいがあふれてる。相手の気持ちを想像する言葉は優しい。「山も谷もなく・・・」というが、なだらかなお話しには関田さんの生き方のコツが随所に感じられた。固定観念にとらわれない思考だ■出来事そのものに悩みの原因はないし、事実と感情は変えられない。変えられるのはその間にある〔固定観念〕だ。誰かがつくった「◯◯すべき/◯◯であるべき」の物差しを減らしたら、今よりもずっと生きやすくなる。(編集部)

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