INTERVIEW
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ゲイの自分にプライドを持てたのは、受け入れてくれる場所に出会えたから。【前編】

カラフルなシャツに黒いロングスカート、アイデンティティを確立したファッションに身を包む津村雅稔さん。やわらかく穏やかでサービス精神旺盛。今でこそ同性愛者である自分の生き方に誇りを持っているが、そこに至るまで揺れ動いた時間は長かった。「自分が何者かわからなかった」と表現した過去は、他者に対するやさしさと愛情深さが生み出したものだった。

2018/08/07/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
津村 雅稔 / Masatoshi Tsumura

1985年、和歌山県生まれ。3歳頃から、男性へ好意を向けることを意識し始め、小学5年生で初恋を経験。大学・大学院で社会福祉学を専攻。卒業後、障害福祉サービス事業所に勤務。現在は「チーム紀伊水道」「レインボーカフェ3710(みなと)」などの団体に在籍し、活動中。

USERS LOVED LOVE IT! 11
INDEX
01 当てはまれない自分が辿りついたファッション
02 秘めていた「男の子が好き」という気持ち
03 本能のときめきと理性の愛情
04 あふれ出しそうな思いと建前の交際
05 自分自身を誤魔化し偽るという苦しみ
==================(後編)========================
06 漠然と思い描いていた支援する仕事
07 自分を理解できず混沌としていた内側
08 ゲイである自分を受け入れてくれた場所
09 カミングアウトが導いてくれた今
10 立ち止まってこれまでを振り返る時期

01当てはまれない自分が辿りついたファッション

セクシュアリティは関係ないもの

私服では、カラフルなアイテムが好き。

レギンスにスカートを合わせるコーディネートも、気に入っている。

自由にファッションを楽しむようになったのは、ここ5~6年のこと。

「前から、スカートをはいたら、すごくオシャレやと思ってはいたんです」

「自分のなかでは、服装にセクシュアリティは関係ないと思っています」

「着るアイテムが増えれば表現の幅が広がるし、似合っていればいいかな」

“スカート=女性” という方程式を、壊すことが目的ではない。

自然とそこに行き着いただけ。

「一般的に服装を男女で見分ける尺度にすることが多いけど、自分はそこに当てはまれないんですよ」

今は自分の核をしっかりと認識できているため、性別を意識せずに、着たいものが着られる。

今でも「オカマやろ」「気持ち悪い」と、陰で言われることがある。

「う~ん・・・・・・と思うことはあるけど、これが自分のあり方です」

もっと柔軟でいい枠組

個人としては、 “男らしさ” “女らしさ” “中性的” という表現が好きではない。

しかし、社会的には必要なものだと思う。

「今は何でもジェンダーレスにしたらいいって流れもあるけど、ちょっと違うと思います」

「男性と女性がいる以上、大事にしていかないといけない部分もあるやろなって」

「ただ、無理に押しつけないでほしいんですよね」

たまたま男性枠に入ったら男性、女性枠に入ったら女性。

そこにはまりたくない人、はまれない人は、はまらなくてもいい。

「自分のセクシュアリティに迷う人のために、LGBTって枠も必要やと思うんです」

「自分はここなんだ、って気づかせあげられる場所だから」

「ただ、明確に分けすぎる必要はないんじゃないかな」

「やはり異性愛者かもしれない」、「自分は男だと思ったけど女じゃないか」と揺れ動く人もいる。

「医学的な分野や制度の問題で分ける必要はあっても、個人の面ではもっと柔軟でいいかなと思います」

したくてもできなかったこと

「スカートがはきたいというより、女性が身につけているアイテムを身につけたい、って思いはずっとありました」

妹から借りた女性ファッション誌を見た時に、ショックを受けたこともある。

「男性ファッション誌と違って、色味が明るくて小物もかわいくて、多様性を感じたんです」

「なんで男性ものは、かっこいいだけなの? って思ったんですよね」

一方で、「男性はズボン。女性はスカートもOK」という考え方にも縛られていた。

「誰に何を言われたわけではなくて、生きていく中で自然と刷り込まれたものでした」

20代後半で周囲にカミングアウトしてから、ようやくファッションを楽しめるようになる。

「原宿や大阪のアメリカ村に行って、買い物をするようになりました」

「ずっと踏み出せなかったけど、実際に買いに行くようになって、楽しめるようになりましたね」

02秘めていた「男の子が好き」という気持ち

家族愛とは違う「好き」

自分が同性愛者であるという自覚は、自我の目覚めとともにやって来た。

「3~4歳ぐらいでしたね」

「保育園の同級生の男の子や、近所の男友だちが好きでした」

「最初は、家族が好き、って感情と一緒なんかなと思っていたんです」

「でも、違うことに気づいてしまったんですよね」

物心がついた時には、布団に股間をこすりつけ、自慰行為のようなことをしていた。

最初は、両親や祖父母を思い浮かべてみた。

しかし、家族ではまったくドキドキしなかった。

「そこで、気になっていた男の子を思い浮かべたら、ムラムラしたんです」

「次は○○君にしよう、って他に気になる子を思い浮かべてもムラムラしたから、確信に近くなりました」

恋愛感情はわからなかったが、少なくとも家族愛とは違う「好き」だと気づいた。

「親に気づかれないように、その男の子にアタックしたりしてました(笑)」

本音を出せなかった子ども

幼いながら、男の子を好きなことには罪悪感があった。

両親の願いに背いていることも実感していた。

「自分は3人兄弟の一番上なので、『津村家を継ぐのはあんた』って思われていました」

名言されたわけではないが、両親も近所の人もそう考えていると、察していた。

「実家は、昔から住んでいる人たちが協力し合っている地域だから、そういう見られ方をしていましたね」

「結婚しないといけないんやろうなとは思うけど、10年も20年も先のことやから、気にしていなかったです」

しかし、同性愛者やトランスジェンダーに対する両親の考え方を知ってしまい、本音を出せなくなった。

「自分が小さい頃、関西のテレビに、はるな愛さんが出るようになっていたんです」

「『ニューハーフ100人集めました』みたいな番組も、よくやってました」

その番組を見た時、両親はニューハーフを受け入れないようなリアクションを示していた。

「ニューハーフの方々を嫌うまでいかないけど、ちょっと否定的でした」

「だから、男の子が好きな感情は言ったらあかんことなんや、って思ったんです」

当時は自分の部屋がなく、1人になれる時間もなかった。

「布団に入ったら、ようやく自分の時間が始まるみたいな感覚でした(苦笑)」

本音が出せなかったため、人と接するための建前の人格が自然とできあがっていった。

03本能のときめきと理性の愛情

初めての「LOVE」

男の子が好き、という気持ちは持ち続けていたが、ずっと隠していた。

布団の中で、こっそりと思いを発散するだけ。

「自分を素直に出せないのは辛いな、って思いはずっとありました」

「自慰行為だけをして、誤魔化してました」

その頃の「好き」は、恋愛感情と呼べるものではなかったかもしれない。

「LIKEとLOVEが一緒になったような感じだったと思います」

「はっきりとLOVEを意識したのは、小学5年生の時でしたね」

同じクラスの男友だちが、家に遊びに来ることになった。

一緒に遊んでいると、胸のときめきが止まらなくなった。

「面と向かったことで、この人のことが好きなんやな、って感じたんです」

「いままでとは違う感覚で、これからどう接したらいいやろ、って戸惑いもありました」

自分の気持ちに気づいて少し経った頃、その男友だちとケンカしてしまった。

「その子が悪いことをしていて、ちょっと注意したら、『なんでそんなこと言うねん』って怒らせちゃったんです」

「そのまま仲が悪くなってしまって、友だちにも戻れませんでした」

「仲悪くなったらしゃあない、って諦めました(苦笑)」

大事だった女友だち

男の子に好意を抱く半面、親の願いに従い、女性と結婚する未来も想像していた。

「小さい頃から仲が良かった、幼なじみの女の子がいたんです」

「その子のことは嫌いじゃないというか、むしろ好き寄りでしたね」

「その子に一生懸命になれば、女の子を好きになれるのかな、って思ったんです」

小学校高学年頃から、恋愛の対象として見るようになっていった。

ほぼ毎日一緒に登校し、帰り道も一緒だった。

社会の基準に合わせることで、自分の気持ちを他の人と同じものにできるんじゃないか、と期待した。

「今の言葉で言えば、性指向が変わるかもしれない、って考えでしたね」

「でも、なかなか関係が進みませんでした」

「“友だち以上恋人未満” までしかいけないんです」

女の子と一緒にいても、男の子に抱いたときめきはない。

どこか無理をしているような感覚があった。

「自分の本質的な部分ではなくて、別人格の “津村さん” が彼女を好きになっている感覚でした」

幼なじみの女の子は私立中学に進み、自分は公立中学に進んだ。

離れ離れになり、彼女との関係は終わる。

「恋愛とは違ったけど、大事な人やったから、中学3年間引きずりましたね」

04あふれ出しそうな思いと建前の交際

色とりどりな恋心

中学生になり、恋愛対象の年齢が上がった。

「小学生の頃はクラスメートだったのが、先生を好きになるようになったんです」

「中学1年の担任の先生が、自分の中ですごくタイプやったんやと思います」

担任は社会科の男性教師だった。

他の授業のノートはシャーペンと赤いボールペンしか使わなかったが、社会だけ色鉛筆でカラフルだった。

「もともと社会は好きやったんですけど、先生の授業だから楽しかったんでしょうね」

「5教科の中でも、社会の成績が一番良かったです(笑)」

先生を近くで見たくて、席替えで「目が悪いから」とウソをつき、一番前の席を選んだ。

家に帰ると、自慰行為で思いを発散した。

「気づいたら、好きになっていた感じでしたね」

「自分でも、なんで社会のノートだけこんなに色鉛筆使ってんの? って感じでした(笑)」

踏みとどまった思い

2年に上がり、部活動の顧問に恋をした。

「柔道部の顧問を兼任している男の先生で、最初はまったく気にならなかったんです」

「不意に気になり始めたら、気持ちが止められなくなりましたね」

「1回行動に移したらどうなるんだろう、って思ったこともありました」

「好き」という気持ちがあふれ出しそうで、自分がどうにかなってしまいそうだった。

「好きです」と伝えたかったが、顔を合わせると言えなかった。

「アプローチしたいけど、あかんことやからどうしよう、って悩みましたね」

「前代未聞のことやから、先生に伝えたら絶対に問題になると思いました」

学校だけの問題ではなく、家族や自分の人生にも降りかかるのではないか。

結果を想像すると、とても伝えられなかった。

「カミングアウトしたらあかん、と思っていた時期だから、我慢しました」

“友だち以上恋人未満” の関係

高校に上がると、男女交際がステータスという雰囲気が漂っていた。

同級生が色気づき、女の子からアタックされることもあった。

「相手のことが嫌いじゃないから断れなくて、告白されたら受けてました」

「建前上、つき合ってる感も出せるから、いいかなって」

「小学生の時と同じように、セクシュアリティが変わるかも、って期待もありました」

しかし、高校生になっても “友だち以上恋人未満” の関係にしかなれなかった。

「大抵、彼女から別れを切り出されてました」

「自分が、一歩踏み出せないからでしょうね」

「何人かとつき合ったけど、全員から『恋人にしてくれない』みたいに言われました」

「でも、もしこの時につき合った彼女と結婚していたら、今悩んでいたやろうなと思います」

「きっと大人になってから、やっぱり男の人が好きだ、って思っていたやろうから」

そう考えると、無理して女の子との関係を長く続けないで、良かったのかもしれない。

05自分自身を誤魔化し偽るという苦しみ

どこにもさらけ出せない本音

小学校低学年までは、自分のセクシュアリティに関して悩むことはなかった。

「みんなにはバレてないはずやからいいや、って感じで放っておけたんです」

「でも、小学5年生でLOVEのときめきを知ってからは、放っておけませんでした」

「誤魔化せば誤魔化すほど、自分を追い詰めていくようでした」

学校でも打ち明けられず、家族にも話せない。

本当の気持ちを、さらけ出せる場所がなかった。

しんどさが募り、周囲の人が自分のウワサ話をしているように感じることもあった。

「学校の先生に、遠回しに『しんどいです』って言ったことがあるんです」

「でも、その時は『あっそう』って流されてしまいました」

「学校にいる間は、勉強することで誤魔化してましたね」

ウソをつきながら生きる日々

本当の自分はしんどくてたまらなかったが、建前の自分は崩さなかった。

「本質の自分は隠しているから、抱えていた思いは、周りに伝わっていなかったと思います」

学校では、大人しく落ち着いた生徒に見られていたと思う。

「内面が大人びていて、ワーキャー言わなかったから、よく学級委員とかを任せられました」

「嫌って言えなかったし、特に損もなかったから、引き受けてましたね」

「内心では、真面目なわけじゃないのに、って思うけど、そんな自分も出せなかったです」

自分を誤魔化す日々が続くと、ウソをつきながら生きている罪悪感にさいなまれた。

「不登校ってほどやないけど、高校3年ぐらいには遅刻することも増えました」

「友だちとしゃべっていても、本音でしゃべれていない気がして・・・・・・」

愛したかった最後の女性

大学では社会福祉学を学んだ。

大学生活も後半に入り、海外の人との関わりを持ちたいと思うようになった。

「福祉以外の活動もして、視野を広げていきたかったんです」

外国でボランティアを行ったり、国内で外国人をアテンドしたり、積極的に取り組んでいった。

大学院に進んでもボランティアを続け、その中で大学時代に知り合った外国人女性と仲良くなった。

中国に住む女性で、2~3カ月に一度、飛行機に乗って会いに行った。

「自分が異性愛者やったら、このタイミングで中国に渡っていたと思います」

「でも、その時もあと一歩が踏み出せなかったんです」

自分は、女性とつき合っても幸せにならないと感じてしまった。

「自分が幸せにならないということは、相手も幸せにできないってことですよね」

外国人女性との関係も、続かなかった。


<<<後編 2018/08/09/Thu>>>
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06 漠然と思い描いていた支援する仕事
07 自分を理解できず混沌としていた内側
08 ゲイである自分を受け入れてくれた場所
09 カミングアウトが導いてくれた今
10 立ち止まってこれまでを振り返る時期

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