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FTMであることをさらけ出した方が、悩まずに生きていける。【後編】

FTMであることをさらけ出した方が、悩まずに生きていける。【前編】はこちら

2018/08/05/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
松﨑 志麻 / Shima Matsuzaki

1993年、熊本県生まれ。女性の体で生まれたが、幼少期から自分の性別を意識したことはなく、女の子に好意を抱いていた。高校卒業後は、陸上自衛隊に入隊。同僚のFTMの話を聞き、自身のセクシュアリティを自覚。4年の任期を終えて自衛隊を離れてから、SRS(性別適合手術)を行い、戸籍を男性に変更。現在は「くまにじ」のメンバーとして活動中。

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INDEX
01 性別を感じなかった幼少期
02 黄色いランドセルの小学生
03 少しずつ生じ始める歪み
04 人を好きになるということ
05 笑顔の裏に隠した寂しさ
==================(後編)========================
06 初めて受け入れてくれた人
07 女性自衛官として生きる道
08 同期の言葉で知った「FTM」
09 変化していく自分と環境
10 自分を偽らない人生

06初めて受け入れてくれた人

ごつごつした手

高校に進み、生徒会役員に立候補した。

「みんなやりたがらないから、立候補すれば受かっちゃう感じだったんです」

同じ生徒会役員だった1歳上の男性の先輩から、告白された。

当時、女性に好意を抱くが、同性愛者というカテゴリとは思えない自分が、何者かわからなくなっていた。

「男の人とつき合ってみたら、何かわかるかもしれない、と思ってOKしたんです」

交際が始まり、一緒に帰るようになった。

不意に彼が手をつないできた。

「その瞬間に、気持ち悪い、って思ってしまったんです」

「頑張って手をつないだまま帰ったけど、なんで僕が守られる側なん? って思いました」

「あと、なんで僕の手は、この人みたいにごつごつしてないんだろうって」

理由は告げず、彼氏とすぐに別れた。

自分は、男性として女性のことが好きなのではないか、と考えるようになった。

憧れの先輩

文化祭の看板の絵を描く係を引き受けた。

22時近くまで作業が続く日もあり、別の作業で残っていた先輩と帰り道が一緒になることが多かった。

「先輩は1歳上の女性だったんですけど、すごくかわいかったんです」

「僕は原付バイクで通っていたんですけど、夜道は危険だから、徒歩通学の先輩と一緒に歩いて、家まで送ってました」

学校のマドンナ的存在な先輩に、好意を抱くようになっていった。

「好きな人と一緒にいられて、毎日ルンルンでしたね」

「家まで送ると、先輩のお母さんが『ご飯食べてく?』って招いてくれました」

「自分の気持ちは秘密にしてたので、仲のいい後輩って扱いだったんですけど」

気さくに声をかけてくれる先輩の母親の言葉に甘えた。

幸せな日々だった。

「高校は実家から通ってたんですけど、家族とは相変わらず顔を合わせたくなかったんです」

「先輩の家で過ごすことで、家族と距離が生まれて、精神的にも安定しました」

癒しの存在であること

先輩が、自分のことをどんな存在として見ているのかは、最後まで聞けなかった。

「先輩は難関大学の受験のために、勉強で忙しかったんです」

「だから、深い話を聞けるような余裕がなかったです」

「友だちとして、先輩の癒しの存在になれればいいって感じでしたね」

先輩が大学に進んでからも交流は続いたが、自分が高校を卒業する直前に、関係が途絶えた。

「先輩が精神的に疲弊してしまったことがあって、連絡が取りづらくなってしまったんです」

07女性自衛官として生きる道

思いつかなかった夢

高校卒業後は、就職しようと考えていた。

「ただ、夢がなかったんですよ。小さい頃はピカチュウしか頭になくて(笑)」

母親に「自衛隊、受けてみたら?」と言われた。

「ひいじいちゃんが元軍人だったり、伯父さんが元自衛官だったり、親戚に多いんですよ」

「『入ろうかな』って話をしたら、伯父さんが喜んでくれたこともあって、受験したんです」

「自衛隊に入れば自立できるから、家族からも離れられるかなって」

見事、入隊試験に受かり、陸上自衛隊に進むことが決まった。

女性自衛官の同期は、96人。

「女性の入隊は難しくて、僕たちの年は倍率60倍くらいあったんですよ」

「男性と一緒の訓練メニューをこなすから、基準が高いんです」

同期の女性たちは、柔道経験者など、一般的な男性よりも体力に優れた人材が揃っていた。

「女性として扱われないから、 “女性自衛官” って呼び名も嫌じゃなかったです」

モテ期到来!

入隊式で、新入隊員の代表に選ばれた。

「代表は、入隊式の時に『宣誓!』『敬礼!』って号令を出すんです」

新入隊員を担当していた班長が、推薦してくれたのだ。

その理由を聞くと、「お前が一番いい声をしてたから」と言われた。

「代表になると、同期の子たちが『頑張ってね』って声をかけてくれるんですよ」

「その時に『○○ちゃん、ありがとう』って、名前を加えてお礼が言えたら仲が深まると思って、入隊前に同期の顔と名前を覚えました」

「みんなは僕のことを知ってるし、僕もみんなを知ってて、人間関係がスムーズにいきましたね」

その甲斐あってか、同期から握手や写真を求められ、告白されることもあった。

女性寮の廊下を歩いていて、突然キスされることもあった。

「初めてのモテ期到来でうれしかったけど、恋愛をする余裕はなかったですね」

「3カ月間の教育期間は、分単位でスケジュールが決まっていて、お風呂も10分くらい」

「座学や靴磨きの時間もあるから、自分のことをしている暇はなかったです」

理想の活躍と現実の業務

3カ月の教育期間が終わると、それぞれ別の部隊に配属される。

「最初、僕は宮崎県の都城に配属されたんですけど、通信の仕事だったんです」

「電話をつなぐような業務が中心で、野外での活動はほぼありませんでしたね」

「体を使うような業務がしたかったです」

転属願を出し、熊本の駐屯地に移動することが決まった。

「熊本は自衛隊内のバレーボール大会で優勝するチームで、当時の班長が引っ張ってくれたんです」

過去のバレーボール経験が功を奏した。

08同期の言葉で知った「FTM」

FTMの仲間

自衛隊の同期96人の中には、自分と同じ思いを抱いている人がいた。

「女の子が好きって気持ちとか、性別に対する感覚とか、『一緒やん!』って仲間が見つかったんです」

その同期たちと話していると、「胸オペはする?」「ホルモンはどうするの?」など、聞き慣れないワードが出てきた。

「それから『性同一性障害』や『FTM』って言葉を知って、調べ始めました」

「同期の中にはセクシュアリティを自覚している人もいて、FTMは僕を含めて10人くらいいたんです」

「ずっと同性愛者なのかって思ってたけど、やっと本当の自分がわかった感じでしたね」

同期の中には、バイセクシュアルの人がいることも知った。

「『志麻は同じ感じがするから、言うけど』って、僕にだけ打ち明けてくれた同期もいました」

隠さない選択

自分がFTMだと自覚してからは、自衛隊の中では隠さなかった。

「上司も後輩も関係なく、みんなに言ってましたね」

「僕はいろんな人と仲良くなりたかったから、男女問わず話して、幅を広げていきました」

「理解してくれる先輩は、『お前は男だけん』って言ってくれたり」

そして、初めて目標ができた。

「手術をしないと戸籍の性別を変えられないってわかったので、手術代を貯めようって」

自分の居場所がわかったことで、新たな悩みが生まれるということはなかった。

無下にされた真剣な気持ち

陸上自衛隊の任期は2年。

「3任期勤めたら、辞めようと思っていたんです」

そろそろ2任期を満了しようというタイミングで、上司に治療や手術に関して相談した。

「『ホルモン注射を打って、体を変えたい』って話したんです」

資料を用意し、貯金の計画や病院の設備なども説明した。

「『誰にも迷惑をかけないから、手術を受けさせてください』って言いました」

上司から「そんだけ金があるから、俺に原付を買ってくれ」という言葉が返ってきた。

冗談で言っているようには聞こえなかった。

「この人、僕の話の何聞いてたんだ・・・・・・って思いました」

再度説明しても、「勤務を休んで、周りに迷惑をかけるのか」と取り合ってもらえなかった。

「『長期休暇の時に手術するから、迷惑かけません』って言っても、ダメでした」

「腹が立って、そのまま『失礼します』って部屋を出たんです」

「先輩に『あの人の下であと2年働くのは無理です』って話して、2任期で辞めました」

在籍中に治療や手術を行う人がいなかったため、「前例がないからダメ」ということだったのだと思う。

「体力錬成に支障が出るなら、やめろ」と言われたら、納得できたかもしれない。

自衛隊を辞める直前の1カ月は有給消化に充て、ホルモン治療を始めた。

09変化していく自分と環境

明かされた事実

自衛隊を辞めて、地元のカー用品店に就職した。

「この時点で注射を打っていたから声が低くなってて、乳房切除術も終えていたんです」

「外見だけだと、女性だと気づかれなくなっていました」

「だから、最初に店長にだけFTMであることを話して、『伏せておいてください』って伝えたんです」

働き始め、気の合う同僚と出会えた。

「信頼できる人だったから、彼にだけは自分のことを全部話したんです」

ある日、その同僚から「○○さんから『志麻はすごいけん』って言われたんだよね」と聞かされた。

「店長が、他の店員に僕のことを話したらしいんです」

「アウティングですよね」

「なんであいつらが知っとるとや!」と、店長に掴みかかった。

店長は「そいつ(気の合う同僚)が言ったんじゃないの」としらばっくれた。

その態度が許せず、たった2カ月で辞めてしまった。

「ちゃんと勤めて、自動車整備士の資格を取りたかったんですけどね(苦笑)」

変化によって生じる負担

新たに勤め始めた冷凍食品の製造工場には、履歴書の性別を「男」と書いて提出した。

「SRS(性別適合手術)の予約をしている時でした」

「1年くらい働いてから『盲腸で』って言って仕事を休んで、手術を受けました」

「ただ、手術を終えてから体調が優れなくて、工場も辞めることになったんです」

重い生理痛のような痛みが続き、1カ月の間、思うように動けなかった。

ホルモンの影響か、更年期障害のような症状も出るようになった。

「ある程度症状が治まってから、派遣会社に登録して、3社くらい回りました」

「戸籍も変えた後だったので、どの職場でも自分がFTMだということは話しませんでした」

「術後は辛かったけど、体が変わったことによる解放感はすごかったですね」

ずっと背負ってきた重荷が、一気に消え去った気がした。

祖母の言葉と母親の許

母親には、ホルモン治療前のカウンセリングの診断書を見せ、FTMであることを伝えた。

「お母さんは、断固拒否でしたね」

「『おばあちゃんを納得させたらいい』って言われたんです」

親族の長である祖母の許可が下りたら、反対する理由はない、ということだと思った。

場を設け、祖母にカミングアウトした。

祖母は「 “しまこ” が “しまお” になるんだね」と、すんなり受け入れてくれた。

「営んでいる旅館で、いろんな人と出会ってきたから、考えが柔軟なのかなって思います」

母親に報告すると「おばあちゃんがいいなら、あなたの好きにしなさい」と言ってくれた。

ただ、10歳離れた弟に話そうとすると、「あの子には早い」と止められた。

「弟が『兄弟いるの?』って聞かれた時に、何て答えるんだろう、って不安だったんです」

最近、高校生になり携帯電話を持った弟に、LINEでこっそり質問してみた。

「俺のこと、姉ちゃんと兄ちゃん、どっちだと思ってる?」

その返事は「何とも思ってない」。

「『これからは兄ちゃんと思え』って送ったら、『わかった』って返ってきました」

「家族との関係は、やっと良くなってきたのかな」

10自分を偽らない人生

自分をさらけ出す意味

自衛隊を辞めてからは、FTMであることを職場に隠し続けてきた。

これまでの職場で、男性上司なりのコミュニケーションとして、ふざけて股間を触られることがあった。

「バレるんじゃないかって冷や汗をかいたし、素直に嫌だったんです」

「こうやって悩むなら、自衛隊の時みたいに自分をさらけ出した方が、効率がいいですよね・・・・・・」

「悩んでいる時間を仕事に費やせるし、全身全霊で働けるじゃないですか」

2017年10月、夜勤明けのまま、東京に行くことを決めた。

「LGBTフレンドリーの会社に入りたくて、企業が集まるイベントに行くことにしました」

キャリアイベント「RAINBOW CROSSING TOKYO 2017」に向かった。

地方で働くことをテーマにしたブースを見つけ、その場にいたスタッフに「熊本から来ました」と伝えた。

「そこから一気に人の輪が広がって、いろんなセクシュアリティの知り合いも増えていきました」

ロールモデルの必要性

イベントを通じて、熊本にもLGBT関連の活動をしている団体があることを知った。

「今は『くまにじ』という団体に所属しています」

熊本は、まだLGBTに関する情報が少なく、ロールモデルとなる存在もいない。

「東京や福岡みたいに、そこかしこにレインボーフラッグが立っているわけではありません」

「イベントを開催しても『他の県から来た人が盛り上げてる』と思われてしまいやすいです」

確かに、メディアでLGBTが取り上げられることは増えた。

しかし、身近にはいないと思っている人の口からは「気持ち悪くない?」という言葉が聞こえてくる。

「そう言われてしまうと、『俺がそうなんだよ』って言いにくいですよね」

「だから情報を発信したいし、できれば役所から発信してもらえると、街の人の耳にも入りやすい」

「ロールモデル的な人がいたら、悩まなくてすむ人がいるのにな、って思うんです」

「自分のことを話すことで、僕自身がロールモデルになれたらなって」

あとがき
東京レインボープライドの日、待ち合わせ場所にすごく早く到着してくれた志麻さん。少しの緊張と興奮が手に取るように感じられた◼どこか、今も飲み込めてはいない気持ちが滲む場面も。感傷的な気持ちをおさえて、寂しかった気持ちも紛らわせて努めて明るく話す志麻さん。ひたすらお聴きした◼これからに手をのばす姿は、応援せずにはいられない。取材後、パレードに参加した志麻さんを見つけて沿道から飛びついた。日差しより眩しい笑顔だった。 (編集部)

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