02 無邪気な母親と、無口な父親と
03 女なんだから、男を好きにならないと
04 初潮の訪れで暗澹たる思いに
05 性同一性障害という言葉を知って
==================(後編)========================
06 二度の借金、人生のドン底を見つめて
07 性別適合手術と戸籍変更にかけた思い
08 生まれ変わって、新たな自分を生きる
09 初めての結婚、そして父になる
10 死ぬまでたくさん笑えるように
01赤いランドセルなんて壊せばいい
淡い記憶
小さい頃の自分が、どんな子どもだったのか。
今まであまり思い返したことすらなかった。言われて思い出そうとしても、なかなか記憶が形を成してくれない。
「ひょっとしたら、まだ女だった頃の自分が嫌で、無意識のうち、昔を振り返ることを避けてきたのかもしれません」
それでも記憶をたどれば、家の周りにはたくさんの昆虫やツバメの巣があった。
電車に乗ろうと向かった駅の改札口には、切符にハサミを入れる職員の姿も。
今ではメディアの「東京で住みたい街ランキング」で上位に入る品川区武蔵小山が、生まれ育った場所だ。
自分が幼少の頃は、まだまだ長閑な田舎の風景が広がっていた。
「今、思い返してみると、小さな時から男の子とばかり遊んでいましたね。外では昆虫採集をしたり、あとは家ならレゴのブロックで遊んだり。髪はベリーショートで、いつもメンズの服を好んで着ていました」
「幼稚園の制服はスカートで、本当は嫌で仕方がなかったけれど、それは決められたことであらがえないから、仕方なくはいて通っていました」
昔から、社会に「女性」を強いられることは苦痛でしかなかったけれど、波風を立ててまで、逆らうタイプでもなかった。
幼稚園の制服のスカートも小学校の体育のブルマも、決められたことだから従った。
そんな自分が唯一、抵抗したのが、小学校のランドセルだ。
「赤いランドセルがどうしても嫌で、放り投げて破壊したんです(笑)。その後はずっと小学校を卒業するまで、リュックで通っていました。ランドセルは高価だから、先生も強く買い替えるようには言えなかったみたいでした」
あとは自分の呼び方だ。
「ワタシ」と言うのが嫌で、周りの反応などお構い無しに「オレ」という言葉をかたくなに使い続けた。
そこだけは譲れなかったのだ。
淡い初恋
初恋の相手も、今、思えば女性だった。しかも幼稚園の先生だ。
「僕って昔から小動物系、リスのような子を好きになる傾向があるんです。その先生も、そんな感じで。もちろん今だから振り返れるだけで、当時それが恋だなんて思ってもみなかったです」
小学生のときにも、たくさんの恋をした。相手は全て女性の同級生や上級生だ。
「僕って、恋愛体質なんですよね。惚れっぽいんです。それは昔から変わらないみたいで(笑)。だけど小学生ながらにも、”やっぱり女なのに女を好きになるなんておかしい”、そういう自覚はどこかに持っていました」
恋をすることは本来、楽しいことだ。
それは小学生といえど同じ。
もちろん、そのときめきを周囲の友達にも伝えたかったが、そうする勇気はなかった。
「当時、性同一性障害という言葉は知らなかったけれど、自分の感覚が周りとはズレている、という認識はありました。だからなんとなく、自分の恋心を周囲の友達に話すのはタブー、きっとハブられたり、イジメられたりするだろう、と考えていたんです」
自らの性指向に疑問を持ちながら、小学校でもどちらかというと男の子と連みながら、日々を過ごしていた。
02無邪気な母親と、無口な父親と
無関心な両親
ランドセルを壊したり、自称が「オレ」だったり。
女の子として、あまり褒められることのできない行動を、両親はどう見ていたのだろうか。
「母親は、週の半分は家にいなくて。学校から帰ったら、テーブルの上に、作り置きの夕飯がラップに包まって置いてあるんです。『これで何か食べなさい』と言わんばかりに、机の上にお金が置いてあることもありました」
帰りが遅くなるとき、母は小学生の自分に「ビル掃除の仕事で帰りが夜中になるから」と告げた。
しかし大人になって振り返ると、そうではなかったのではないか、とも思う。
「朝になっても母が帰ってこない日が幾度もあって。心配に思いながら登校して、家に帰ってくると、居間でニコニコ楽しそうに、母が座っているんです。近くによると、お酒臭くて。ひょっとしたらあの頃、母は夜の世界で働いていたのかもしれません」
ときに借金取りが家に来ることもあった。
母親はパチンコが趣味で、どうやらサラ金にまで手を出していたようだった。
自分は取り立て屋が怖くて震えているのに、しかし母はケロリとしている。
昔から子どものように無邪気、だからこそ自らの欲望に正直で、あまり悩みもしない人。
それが母だった。
「9歳までは風呂なしのアパート住まいでした。あと本当にお金がなくて、水道や電気を止められたことも何度かありました。夕食のメインディッシュがもやし、なんてことも。『もやしって栄養があるんだよ〜』と母は私の頭を撫でながら、笑顔で言うんです」
「どうしてでしょうね、母の散財癖で苦労しましたけれど、どこか憎めない性格なんです。よく僕のことを強く抱きしめてくれたし、子どもへの愛は深い人だった、と今でも思うんです」
父は生真面目人だった。
サラリーマンで、定時で仕事が終わると一目散に家に帰ってきた。
「毎日、夕食を一緒に食べるんですけど、会話は全然ありませんでした。でも週末にはよく、釣りに連れて行ってくれました。感情表現が下手なだけで僕のことを愛してはくれていた、と今になっては思います」
しかしそんな真面目な父が、なぜ母の散財癖を止めることができなかったのか。
「父が母の言うことに逆らえなかったんです。ぼくとつな父も母から『パチンコ一緒に行こう』と笑みでねだられると、つい従ってしまうんです」
「はっきりと2人の馴れ初めを聞いたわけではないんですが、僕という子どもを抱えて、一人親の身で、夜の世界で働いていた母に、当時お客だった父が惚れ込んだみたいで。それで一緒に住むようになったんです」
「父とは血が繋がっておらず、二人が『事実婚』だったことを、戸籍変更の手続きの際、謄本を見て初めて知りました」
周りの同級生たちとは違う、特殊な家庭環境。その原因である母親に、幾度となく反抗しようとした。
しかし母親は子どものような無邪気さと同時に、大人の女性としての貫禄も兼ね備えていて、どうしても口答えできなかった。
そして自分と同じように母親にあらがえない父親にも苛立ちを覚えもした。
「学校が終わっても、ほとんど家に帰らないようになりました。中学校に上がったら、もっとその傾向が顕著になって。あまり品行方正ではない人たち(笑)、いわゆる不良と連んで遊ぶようになりました」
”女” を意識しなくていい
小学校のクラブ活動で始めたバスケットボール。中学校の部活もバスケを選んだ。
勉強はそこそこに、とにかく身体を動かすことが好きだった。
そして部活動とヤンチャな仲間。対極に思える2つには、実は共通することがあった。
「スポーツをしていれば、髪が短くてもメンズの服を着ていても、浮いた存在にはならない。同じことが、ヤンチャなグループにも言えて。たまたま自分が女であることを意識せずにいられるなぁ、と思って遊んでいた人たちが、不良だったんです」
「別に悪いことがしたい、と思ったわけではないんですよ(笑)」
03女なんだから、男を好きにならないと
焦る思い
放課後、自分の中学の仲間と一緒にいると、他の学校のメンバーも合流してくることが多かった。
「学校で女子と混じっていると、興味のない男女の恋愛の話に無理やりでも同調しないといけないので、あんまりそういうのに関心がない女友達や男友達といる方が、ずっと居心地が良かったんだと思います」
それでも仲間の中には、恋愛に興味津々という人たちもいる。
彼女たちの話を聞いていると、昔から女性のことばかり恋愛対象にしている自分がおかしいように思えてきた。
「自分の性指向がバレたら、絶対にイジメられると、また怖くなったんです。なんとか ”普通の女の子” にならなければ、というか、戻りたい。男の子と付き合えば、女性の感覚を取り戻せるかなと思って、無理矢理に彼氏を作ることにしたんです」
仲間にいた、顔立ちが綺麗で中性的な男の子を標的にした。
自分から告白して付き合うことになったが、ワルな仲間と連んでいるわりに奥手な男子で、お互いの意思疎通がうまくいかず、長続きすることはなかった。
初めての彼女
異性との初めての恋の直後、隣の学校のある女の子に恋をする。
相手は、もちろん小動物系の可愛い子だ。
「部活の交流試合の時に知り合いました。ちょうど彼氏とうまくいかず、別れた直後だったので、やっぱり自分は女子しか好きになれないのかも知れない、と思って、勇気を出して告白してみたんです」
「女が女に告白だなんて、向こうに ”その気” がなかったら、気持ち悪いと思われるだけなので、全く脈がないなら行動に移しませんよ。でも、短髪でボーイッシュな雰囲気だったからか、バスケットしている自分を見て、『かっこいい』とキャーキャー言ってくれる女子が結構いたんです」
「彼女もそんな雰囲気だったから、ひょっとしたら思いが通じるかもしれない、と思い切って気持ちを打ち明けてみたんです」
彼女の答えはオーケーだった。とはいえ、女同士の恋、周りに知られるわけにはいかない。
塾の帰りにこっそり神社で落ち合って、石段に座りながらお互いの手を握り合う。
それで精一杯だった。
「彼女はストレートだと言っていました。でも僕のことを、見た目は短髪で男っぽいし、それに優しくて爽やかだから、そのへんの普通の男よりずっと好きだと言ってくれました。当時はまだ子供で、手をつなぐくらいだったけど、本当に幸せな時間でした」
04初潮の訪れで、暗澹たる思いに
人生が終わった
喜びと幸せに満ちた、初めての女性との交際。
ただお互いを触れ合うだけの淡い恋は、半年ほどで終わりを告げた。
まだ幼すぎたし、どのように道ならぬ関係を進展させればいいかも、わからなかったのだ。
「失恋の傷も癒えぬうちに、さらなる悲劇が襲ってきました。中学3年生に上がった頃に、初潮が訪れたのです」
「なかなか自分には来ないので、もうこのまま生理のない人生で!と思っていたんです。でも来てしまった。ああ人生が終わったと暗い気持ちになりました」
胸も年頃の女性らしく膨らみ初めてはいたけれど、ブラジャーを買うことは自分を女性だと認めることになる。
だからかたくなに拒んでいた。
生理用品を買うのも嫌で、ティッシュで済まそうとしたが、そうもいかない。
仕方がないので母親に初潮が来たことを告げ、ナプキンを買ってもらおうと思った。
「母は大喜びで、赤飯を炊いてお祝いをしてくれました。僕はそれを頬張りながら、ああもう、自分は女として生きていくしかないのか、と胸が塞がるような思いでいっぱいでした」
抑えられない胸騒ぎ
「女性の身体になっていく自分を嫌だと思いながら、でもどこかで、このまま好きになる相手も ”普通の女の子” に戻ってくれないか、と思っていたんです」
「当時、レズビアンという言葉をもう知っていて、自分がそれだと思われ、嫌われたらどうしよう。そんな心配も抱えながら、毎日を過ごしていたんです」
しかし頭ではそう考えていても、心は正直だった。
ある時、昔、無理して付き合っていた男の子の家の前を自転車で通りすぎた。
何の感情も湧き起こらなかった。
しかし少し前に付き合っていた、隣の中学校の女の子の家の前を通過した時。ペダルを漕ぐ足を止めて、彼女のいる部屋の明かりを見上げる自分がいた。
「起きているのかな、だったら電話しようかな、と、もう彼女の顔や声が聞きたくて仕方がありませんでした。胸のドキドキも止まらなくて。ああやっぱり自分は男より女が好きなんだ、と痛感せざるを得ませんでした」
05性同一性障害という言葉を知って
同志の存在
実は中学3年生の時の同じクラスに、自分と同じように女の子を好きだという女子がいた。
どちらから声をかけたかは忘れたけれど、好きになる対象を互いに知り、交換日記を始めたのだ。
「同じバスケットボール部の同級生でもありました。ノートに『クラスで可愛い女子ランキング』なんかを書いて、交換していました(笑)」
「自分がそうであることを認めたくなかったのか、決してレズビアンという言葉は話題に上がりませんでした。ただお互いに、好きな女子のことを日記に書き綴るだけで。思えば中学の時は、好きな人のことを語れる友達の存在に救われていたような気がします。現在はその友達も、僕と同じように男性として生きています」
GIDだと認めたくない
そんな時、クラスの担任の先生が、ホームルーム活動で突然、性同一性障害(GID)をテーマに取り上げた。
ちょうど上戸彩が性同一性障害の生徒役を演じた「3年B組金八先生」が世間で話題になった頃の出来事だ。
「自分はリアルタイムで家では観ていなかったので、学校の授業で初めて観ました。上戸彩さん演じる鶴本直(なお)を観て、性自認より性指向の方、彼女が「女性が好き」であるというところにばかり目が行ってしまったんです」
普通は「先生、私の気持ちを解ってくれてありがとう」と思えるところだが、そうはならなかった。
「自分と、自分が交換日記をしている友達がレズビアンだって思われちゃう。そして嫌われちゃう。だから、お願い、先生やめて、という気持ちでいっぱいでした」
「先生はきっと僕たち二人に関連があるかもしれないと思って、性同一性障害をテーマにしたんだと思うんです。クラスのみんなで理解してあげようという気持ちも、あったのかもしれません」
「けれどバレて、イジメに合う恐怖ばかりが先行して。感想文が宿題で出されたんですが、『性同一性障害の人がいてもいいと思います』と書くのが精一杯でした」
自分は女性でないかもしれない、好きになる相手も男性ではないかもしれない。
そう薄々は気づいていながらも、叶うことなら ”普通の女子” でありたかった。
そして、きっと戻れる、そうなれる、とこの頃はまだ思っていた。
<<<後編 2016/07/27/Wed>>>
INDEX
06 二度の借金、人生のドン底を見つめて
07 性別適合手術と戸籍変更にかけた思い
08 生まれ変わって、新たな自分を生きる
09 初めての結婚、そして父になる
10 死ぬまでたくさん笑えるように