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「陰茎形成 (男性器をつくる)」という経験を、誰かの判断材料にしてもらえたら【後編】

「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験を、誰かの判断材料にしてもらえたら【前編】はこちら

2021/09/18/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
明石 和也 / Kazuya Akashi

1965年、東京都生まれ。幼少期は、母に連れられて各地を転々とする日々を送る。社会人になってから自身の性別に違和感を抱き始め、45歳で性別適合手術、48歳で陰茎形成の手術を受け、現在は男性として生活している。物流の仕事をしながら、若い世代や悩みを抱えるFTMに向けて、自身の経験を伝える活動も行う。

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INDEX
01 経験してきた僕だから話せること
02 各地を転々とした幼少期
03 バスケットボールにつぎ込んだ青春
04 自分について悩み始めた時期
05 しっくりきた “彼女” の存在
==================(後編)========================
06 FTMが女性と結婚するための術
07 「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験
08 大切な人たちの理解と支え
09 経験を伝えること、価値観を知ること
10 これまでの縁とこれからの縁

06 FTMが女性と結婚するための術

きっかけの特例法

「ずっと性別適合手術(SRS)のことは、頭になかったんです」

2004年、当時働いていたすし屋の奥さんに「明石ちゃん、テレビ見て!」と呼ばれる。

テレビでは、「性同一性障害特例法が施行される」というニュースが流れていた。

性同一性障害特例法とは、SRSを受けること、未婚であることなどの条件を満たすことで、戸籍上の性別を変えられる法律のこと。

「職場の人たちには、カミングアウトらしいことはしてなかったんです」

「でも、奥さんは『明石ちゃんはこの法律、関係するでしょ?』って、勘づいてたんでしょうね」

特例法ができたことで、SRSを考えるようになる。

「手術して、性別を変えたら、女性と結婚できるじゃん! みたいな、単純な理由です(笑)」

コンプレックスを解消する方法

「本当はカウンセリングしてからホルモン治療が最善ですが、僕はフライングしてホルモン治療を始めてしまいました」

特例法が施行された2004年、38歳の時にホルモン治療を開始する。

「早く男になりたい、生理を止めたい、というよりは、声を低くしたかったんです」

当時つき合っていた彼女と、街を歩いていた時のこと。

通りすがりに自分の話し声を聞いた男性が、「なんだ、女かよ」と言っていたのが聞こえた。

「そのひと言に、すごくショックを受けたんです」

「もともと高い声がコンプレックスだったし、その頃には男性に見られたい、って気持ちも出てきていたんでしょうね」

ホルモン治療を始めてから、カウンセリングもスタートした。

FTMが手術を受ける重み

ホルモン治療開始から6年が経ち、ようやくSRSを受ける。

「ニューハーフの友だちがタイの病院をアテンドしてくれたんですが、45歳での手術だから、不安もありましたよ」

「ただ、それ以上にワクワクが大きかったんです」

タイの病院での手術は無事に終わり、術後の回復も順調に進んだ。

「僕は特に後遺症もなく、タイ観光も楽しめるくらいでした。ただ、一緒に行った若い子の中には、麻酔が切れたと同時に具合が悪くなる子もいたんです」

共にタイに赴いた友だちが観光する間、ホテルで休んでいる子が不憫に思えた。

「手術で子宮や卵巣を取るということは、そこから更年期が始まるのと同じことなんですよね」

「もちろん人によって症状の差はあるけど、一生を決める大きな手術なんだ、って改めて認識しましたね」

「だから、SRSを考えてる若い子には、自分の体について知ってから受けてほしいです」

知識がないまま手術を受けて、後悔してほしくないから。

「僕は、SRSをして、戸籍を変えて、良かったって思ってます。だって、女性と結婚できるから」

「だけど、手術を受けた翌年に当時の彼女と別れて以来、縁がないので、いつ結婚できるんだろうな・・・・・・って(笑)」

07 「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験

心に決めた「陰茎形成」

陰茎形成に向けて動き出したのは、SRSの3年後。
2013年1月、陰茎形成の準備のため、再びタイに赴いた。

「準備としては、膣を塞いだり、疑似の陰茎を作るために左腕の肘から下にカテーテルを通したり」

タイでの処置よりも、その後の日々のメンテナンスが大変だった。

「カテーテルを抜いて煮沸消毒をして、腕に戻してガーゼを貼るってルーティンを、手術までの1年間、毎日朝晩するんです」

「夏場に汗をかくと、傷口にかゆみが出ちゃうから、薬を塗ったりもして」

「カテーテルを洗うための精製水とか、腕に通すための潤滑ジェルが必要だから、お金もかかりました」

手間もお金もかけて準備を進め、1年後の2014年1月、陰茎形成の手術を受ける。

「手術が終わってからの8日間は、動いちゃいけないんですよ」

「それでも食事はするから、トイレはベッドの上。看護師さんに対して、申し訳ない気持ちになりましたね」

自分が情報源になりたい、という気持ちで決意した陰茎形成。
いざ手術が終わると、深い感慨のようなものは湧かなかった。

経験して知ったデメリット

2019年、YouTuberのかずえちゃんの動画に出演し、陰茎形成について話した。

「その動画のコメントで、『デメリットが多くて、メリットがないように感じた』って書かれてたんです」

「それは仕方ないかなって。僕にとっては、ほとんどメリットがなかったから(苦笑)」

陰茎形成の話をすると、「セックスってどうですか?」と聞かれることがある。

「僕の男性器にはシリコンが入っていないから、エッチできないんですよ」

「そもそもエッチがしたいから、陰茎形成をしたわけでもないし、答えようがないんです」

当初、手術時はシリコンは入れていたが、帰国の前日に一部がうっ血し、やむを得ずシリコンを抜いた。

「男性器があれば銭湯に入りやすいって思うかもしれないけど、タオルで隠せば大丈夫だし、周りの人もほとんど見てないからね」

「立ちションはできるけど、お手洗いを汚したくないから、座ってしちゃうし(笑)」

手術をしたことに後悔はないけれど、積極的に人に勧めようとは思わない。

「手術前の1年間や術後のベッドの上でのトイレ、腕の傷痕とかを考えると、そこまでしなくてもいいんじゃない? っていうのが、今の素直な気持ちかな」

08大切な人たちの理解と支え

母に内緒の改名

ホルモン治療を開始してしばらく経った2006年、名前を変えた。
もともとの「和枝」から、現在の「和也」に。

「母にはバレないだろう、と思って、変えちゃったんです。そしたら、すぐにバレました(笑)」

母が年金の手続きのために戸籍謄本を取り寄せたことで、気づかれてしまった。

母から電話で、「お前、ちょっと帰ってこい!」と、呼び出される。

「母が『この前、市役所で戸籍謄本を』って話し始めたので、かぶせるように『すみませんでした!』って、言いました(笑)」

その流れで、自分がFTMであろうことを話した。

「母は『転校続きだったせいで、そうなったんじゃないか』って、子どもの頃のことを気にしてました」

「お母さんのせいじゃない。気づいたらこうなってたから、気にしないで」と、素直な気持ちを告げた。

「それからしばらくして、母から手紙が届いたんです」

「その封筒には、『明石和也様』って書いてありました。すんげぇうれしかったな」

母は、自分が手術を受ける前に他界してしまった。

「SRSをする時に、母の写真を持っていったんです」

「手術が終わって何日目だったかな。不意に母の顔が浮かんで、涙が出てきちゃって」

なぜ涙があふれてきたのかは、今でもわからない。

「母は『自分で責任が取れるならやってもいい』って人だったから、きっと『手術を受けたい』って言ったら、『いいんじゃない』って言ってくれたんじゃないかな」

受け入れてくれた人たち

母の告別式で、伯父から「名前変わったんだって?」と、声をかけられた。

「『和也に変えた』って話したら、『そうか』って、受け入れてくれました」

「明石の親戚は高齢の人が多いけど、否定されるようなことは一度もなかったです」

中には、性別や名前が変わったことをわかっていても、つい昔のように自分のことを「和枝ちゃん」と呼んでしまう人もいる。

「そういう親戚に対して、『和也って呼んでくれ』とは言いません」

「ちゃんと理解してくれてる人に『和枝ちゃん』って呼ばれるなら、それでいいかなって」

改名してから、小学生の頃にお世話になった神戸の家族にも、カミングアウトした。

「その時におばちゃんも『あんたはあんたやねんから』って、認めてくれました」

「そして、『あんたをよその子やなくて、自分とこの子と同じように育ててきた』って、あの頃の話も聞かせてくれたんです」

過去を振り返ると、悪いことをすれば叱られ、いいことをすれば褒められた記憶がある。

「母も親戚も育ての親も、僕は人に恵まれてるな、って思いますね」

先輩たちの言葉

大人になってから、高校時代のバスケで憧れていた先輩にカミングアウトした。

「ある日、その先輩から電話が来たんです。『今、バスケ部のメンバーで忘年会してんねん』って」

「どうやら、先輩がその場で『明石な、性同一性障害やねんて』って、話しをしたらしんです」

「先輩たちが電話で、代わる代わる『元気にしとん?』とか『大変やったな』とか『あの頃ツラかったやろ』って、声をかけてくれました」

先輩たちの声を聞いていたら、涙が止まらなくなった。

「高校時代に特別悩んでいたわけではないけど、性別のこととか感じないようにしてたのかなって思いました」

後々、バスケ部の同期に話を聞くと、「あの頃から男っぽい感じやったし、分かっとったよ」と言われた。

「先輩のしたことは、アウティングって言われちゃうかもしれないけど、僕にとってはしてもらえて良かったです」

「先輩も善意で伝えてくれたことだし、そのおかげで、先輩たちにも僕を知ってもらえたから」

深く悩んだ時期がなかったのは、きっと周りのみんなが受け入れてくれていたからだと思う。

09経験を伝えること、価値観を知ること

経験者の使命

「数年前に、79歳でSRSを受けたMTFの方と知り合ったんです」

MTFの女性は、2011年に手術を受けたと話していた。

「いつだったか、その方が『自分の経験を若い人に伝えていくことが、私たちの使命だ』って、言ったんです」

「『経験して知ったいいことも悪いことも、ちゃんと伝えられるように頑張りましょう』って言葉に、背中を押されました」

もともと手術の経験を発信するために、陰茎形成を決意した。

同じように考えている人との出会いによって、その思いがさらに強くなった。

「悩んでる人から相談を受けたら応えるし、答えられる範囲で手術の話もします。架け橋みたいな役割になれてるんじゃないかな、と思います」

世代を超えたコミュニケーション

FTM当事者とコミュニケーションを取る中で、感じたことがある。

「若い人同士でつるむんじゃなくて、年齢に関係なく年上の人とも情報交換した方がいいな、って感じてます」

違う世代の考えや経験を知ることで、見える世界が変わるから。

「かつて女性として結婚、出産を経験し、今は男性として第二の人生を歩んでるFTMの友だちがいるんです」

「その友だちに対して、若いFTMの子がSNSでひどいことを書いてたんです」

書かれていた言葉は、「FTMのくせに結婚して子ども産んで、気持ち悪い」と。

「正直、カチンときましたね」

生き方は人それぞれということだけでなく、性別変更が許されない時代があったことを、若い世代も知っておいた方がいいと感じた。

「僕も含めて下の世代は、上の世代の方々から恩恵を受けてると思うんです」

「上の世代の方々が頑張ってきたから、LGBTって言葉が認知されて、性別変更もできるようになったんです」

さまざまな体験をしてきた人がいるからこそ、マイノリティが生きやすい世界が近づきつつある。

「『自分たちが築いた』みたいに思ってしまわないためにも、違う世代との交流は大事だと思います」

「僕自身、若い子たちと話したり、遊んだりすることが多いですよ」

SNSを通じて知り合った20代の子たちと、ラウンドワンに行ったこともある。

「若い子たちと一緒にいると、気持ち的に若くなれますよね(笑)」

「あと、それぞれの考えを共有すると、より一層わかり合えるんだな、って実感してます」

異なる価値観や考えが発見であり、刺激になる。

10これまでの縁とこれからの縁

「死にたい」とは言わないで

情報があふれている現代でも、1人きりで悩んでいるLGBT当事者は多いだろう。

「『親が理解してくれない』って、嘆いている若い子の話もよく聞きます」

「僕が伝えたいことは、一時の感情で『死にたい』とは言わないでほしい、ということです」

自分は、母と一緒に生活をした時間がごくわずかだった。

その時間の短さを振り返り、親不孝だったのではないか、と感じることがあった。

「その話をした時に、友だちが『最大の親不孝は、親より先に亡くなることだよ』って、言ってくれたんです」

「そのひと言で、すんごく気持ちがラクになりました」

「だから、若い子たちも、諦める前にもうちょっと踏ん張って、誰かに胸の内を明かしてほしい」

「全員に理解してもらうことは難しくても、自分の味方になってくれる人は必ずいるから」

「心の拠り所になってくれる人と出会えるまで、焦らずに、自分の言葉を発信してほしいです」

自分はうまく発信できず、黙ってしまうタイプだった。だからこそ、自ら発信することの大切さを痛感している。

みんなで成し遂げたい “何か”

うまく発信できない自分にも、これまでの人生でたくさんの縁ができた。

各地の家族や友だち、学生時代の教師やかつての職場の同僚たち。

「つながってきた縁はこれからも大切にしていきたいし、新たな縁も育んでいきたいです」

「僕はたまにおせっかい焼きなところが出ちゃうけど、いい距離感でコミュニケーションしたいですね」

「そして、出会えたみんなで一緒にできるような “何か” を、いつか見つけたいです」

「まだ具体的なことは全然決まってないので、乞うご期待って感じですね(笑)」

あとがき
性別適合手術もLGBTERのインタビューも「緊張なんてぜんぜんないですよ、ワクワクしてました」と話した和也さん。どんな話題でも、何度やり取りしてもにじむ和也さんのおおらかさ。負け惜しみやいつわりはゼロ。[挑む]なんて言葉が出ないから、一緒にいる人が安心するんだ■次世代のちからになりたい。それは、[おとなが子どもに教える]ではなく、ともに学んで未来を作ること。正否に関わらず、知っていることやおもいを共有し、一緒に考えることかな。(編集部)

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