02 あっけらかんとその場を楽しむ少年
03 人には言えなかった教師への好意
04 全力ですべてに向き合った思春期
05 やりがいを見出せた2つの仕事
==================(後編)========================
06 男性との交際とゲイを受け入れる時
07 未来を拓くためのカミングアウト
08 同性婚が認められた国での生活
09 全国に思いを発信していくツール
10 LGBT当事者のためにしたいこと
06男性との交際とゲイを受け入れる時
ゲイである自分
20歳の時、なんとなくインターネット上のゲイ専用掲示板にアクセス。
そこには、自分と同じように福井に住んでいる人がいた。
「周りにも同じ人がいっぱいいるって知れて、自分の世界が広がりました」
掲示板を通じて福井在住の年上の男性と知り合い、2人で食事やドライブに行った。
「好きというか、また会いたいな、一緒にいたいな、って気持ちになったんです」
「何度目かのデートで、その人から『つき合ってください』って言われたの」
「告白はすごくうれしかったけど、その瞬間、男性とはつき合いたくないって思ってしまって・・・・・・」
男性と交際し、自分自身をゲイだと認めることが怖かったのだと思う。
ただ、同じだけ、その男性が好きだという気持ちも強くなっていたことに気づく。
「一度つき合ってみようと、恐る恐る告白を受け入れました」
「いざつき合ったら、女の子には感じたことがなかった愛おしさに気づいたんです」
「仕事をしてても、彼が何をしてるか考えたり、早く会いたくて仕方なかったり」
「結局2カ月でフラれちゃったけど、彼は男性とつき合うことの幸せを教えてくれた人でした」
自分がゲイであることを認めるきっかけになった、初めての交際だった。
23歳の大恋愛
新たな出会いと自分を認めるきっかけをくれた掲示板は、その後も覗いていた。
23歳の頃、少し年上の男性と出会う。
「福井に住んでいる方で、初対面ですごく好きになったの」
「僕も彼も洋服が好きで、話が合ったし、互いに好きなタイプの顔だったし(笑)」
「彼とつき合う時には、男性との交際に対するわだかまりはすっかりなかったです」
一緒にいると楽しく、自然体でラクに過ごせる相手。
理屈ではなく、感覚の部分で合うものを感じていた。
「僕にとっての大恋愛です」
2人でカフェに入ったり、ご飯を食べに行ったり、何気ない日常がうれしかった。
「クリスマスディナーとかは、男性同士だと珍しがられるから、行きづらかったけどね(苦笑)」
大切に思っている彼を、家族にも紹介したいと思うようになっていく。
「家族仲が良くて、妹が彼氏を連れてきて、一緒にご飯を食べるような家庭だったんです」
「だから、僕も妹と同じように、彼を家に連れてきたかったんですよね」
友だちとして紹介することもできたが、家族に嘘はつきたくなかった。
07未来を拓くためのカミングアウト
静かに受け止めてくれた母
彼を紹介するということは、自分のセクシュアリティも打ち明けるということ。
「ずっと親には言えないって思っていたし、言おうとも考えてなかったんです」
「でも、彼の存在を隠したくなかったから、カミングアウトしようって決めましたね」
決意をしたのは、寒さが厳しくなってきた年末。
「自分勝手だけど、すっきりして年を越したいって思ったの(笑)」
最初は、母と4歳下の妹に伝えた。
「つき合ってる人がいるんだけど、実は男の人で・・・・・・」
話ながら顔色をうかがうと、母も妹も驚いていた。
「だけど、取り乱すことも泣くこともなく、『うん、そうなんだ』って聞いてくれました」
母と妹は否定することもなく、受け入れてくれた気がした。
「恥じないで精一杯生きればいい」
同じ日の夜、父にも伝えた。
夕食を終え、母と3人でいる時に。
「お父さんに話した時は、たしか『孫を作れなくてごめんなさい』って謝ったと思います」
「誰に言われたわけでもないけど、自分の中で『長男たるもの家を継ぎ、孫を見せるもの』って思っていたから」
「お父さんも『そうか』って、静かに聞いてくれました」
そして、話し合えた時、寡黙な父が口を開けた。
「孫もいたら幸せだし、うれしいかもしれない」
「でも、子どもはお前で、お前が幸せなことが一番だから、恥じないで精一杯生きればいい」
父の言葉に、涙が止まらなかった。
「伝える時は、心のどこかで、両親ならわかってくれる、って思いがあったの」
「怒って『出てけ!』って言われることはないだろうって」
「でも、いざ話す時は怖かった(苦笑)」
家族は一番近いからこそ、伝えるのが一番怖い存在だった。
「そんな人たちが『そのままでいい』って受け入れてくれた気がして、ホッとしたから、泣いちゃったのかな」
「家族がこう言ってくれるなら、もう何も怖くないって思えたな」
あえて伝えなかった相手
10歳離れた下の妹は中学生だったため、あえて伝えなかった。
「年齢的にまだ早いし、困惑させちゃうかなって思って」
父に伝える時には、上の妹に家から連れ出してもらった。
同じように、祖父母にもカミングアウトはしていない。
「小さい頃に面倒見てもらっていたから、余計な心配させちゃうかもしれないでしょ」
「『自分たちの育て方が悪かったんじゃないか』って思わせちゃうのは、嫌だったから」
「カミングアウトしてもしなくても、僕であることは変わらないしね」
2016年、祖父母は同じ時期にこの世を去った。
「おばあちゃんが亡くなった5日後に、おじいちゃんも亡くなったの」
「きっと今は天国で、僕のセクシュアリティも知ってくれてると思います」
08同性婚が認められた国での生活
憧れの海外生活
保険会社に勤めている間の趣味は、1人で海外を旅すること。
さまざまな国を訪れるたびに、もっと英語が話せるようになりたいと思った。
「ワーキングホリデーの制度を知っていたし、行けたらいいなぐらいに思ってました」
ワーホリの申請は30歳まで、その期限が迫っていた。
好きだった保険の仕事を辞めてまで、海外に行く必要があるか、迷う日々が続く。
「その時も、お母さんに相談したんです」
「お母さんは『保険の仕事は何歳でもできるんだから、行きなさい』って言ってくれたの」
母のひと押しで、仕事を辞め、海外に行くことを決めた。
セクシュアリティを隠す理由
30歳で、カナダ・バンクーバーに渡った。
「初めて行く国だし、知り合いもいないから、ゲイであることを隠さずに生きようと決めたんです」
「オープンにしても一緒にいてくれる友だちとだけ、人間関係を作ろうって」
カナダは同性婚が認められていて、街中では同性のカップルが手をつないで歩いていた。
そんな環境で過ごすうちに、海外でも日本でもゲイであることを隠す理由はないように思えた。
「好きな気持ちが同性に向くか異性に向くかの違いだけで、恥じることじゃないんですよね」
カナダにいる間、10月11日カミングアウトデーに、SNS上でカミングアウト。
「日本の友だちにも伝えたいと思ったけど、1人ずつ会うわけにいかないから、SNSで一気に伝えました」
「カナダでの生活で、すごく大きな影響を受けましたね」
最後のカミングアウト
下の妹が、カナダに遊びに来ることが決まる。
その頃、現地で出会った彼氏と一緒に住んでいた。
「下の妹にはカミングアウトしてなかったから、お母さんに『あの子は僕がゲイって知ってるの?』って聞いたんです」
「お母さんは『私たちは言ってないけど、カナダに行く前に話しておく』って言ってくれました」
母に頼んだものの、下の妹がショックを受けてしまわないか、心配だった。
しかし、バンクーバーに到着した妹は「彼氏と住んでるらしいね」とあっさりしていた。
「下の妹はダンスをしていて、ゲイの友だちも多かったみたいなんです」
「だから、抵抗がなかったみたいで、彼氏のことも普通に紹介できたの(笑)」
下の妹へのカミングアウトがきっかけで、母や上の妹からも「彼とはどうやって知り合ったの?」とLINEが届くようになった。
「それまでは僕も家族も、セクシュアリティに関する話題を避けてる感じがあったんです」
下の妹にだけ話していないことが、知らず知らずのうちに遠慮を生んでいたのかもしれない。
「でも、全員が知ったことで、いろんな話ができるようになりましたね」
ざっくばらんに話せるようになり、家族も自分のことをさらに理解してくれたと思う。
たった一度、一方的に伝えただけでは、相手も完璧には受け止めきれないだろう。
家族であっても、時間をかけて少しずつ理解し合っていくものなのだと知った。
「家族で話す機会を大事にして、カミングアウトの点を線にしていくことが重要なのかなって思いますね」
09全国に思いを発信していくツール
日本全国を巡る期間
33歳でカナダを離れ、日本に帰る時、サラリーマンになる未来はほとんど考えていなかった。
「サラリーマンが嫌なわけじゃなくて、日本国内を旅したかったんです」
カナダには、日本好きな人がたくさんいた。
彼らは日本の地名を出し、「カズは行ったことある?」「ここって知ってる?」と聞いてきた。
「僕はほとんど答えられなくて、日本人なのに日本のことを全然知らないことに気づかされたんです」
「東京や大阪は行ったことがあっても、九州や四国はまったくなかったんですよ」
帰国し、半年間に及ぶ日本縦断の旅をスタート。
熊本地震が起きた年だったこともあり、1カ月間、現地でボランティアに励んだ。
各地で、アプリで知り合ったゲイの人と会い、LGBTの現状を聞いた。
「『家族に言ってない』って人が、いっぱいいるんですよ」
「地方にはゲイバーとか、LGBTの人が集まれる場所がないことも実感しましたね」
カミングアウトして、万が一家族や友だちに否定された時に、逃げ場がない。
だから、カミングアウトできず、隠して生きていくしかない。
「LGBTについて、地方にも届くように発信していきたい気持ちが芽生えました」
YouTubeとの出会い
「最初は、ブログを始めようかなって思ったんです」
福井の友だち・えりちゃんに相談すると、思いがけない提案が返ってきた。
「えりちゃんの旦那さんのカズちゃんは、有名なYouTuberなんですよ」
「僕の話を聞いたカズちゃんが『今はYouTubeやった方がいいよ』って教えてくれたんです」
「YouTubeは音楽を聞くものと思っていたし、機械音痴だから、自分じゃまったく思いつかなかった」
カメラやパソコンの操作を教えてもらい、2016年7月に1本目の動画をアップした。
「続けるかわからないから、お金をかけたくないでしょ」
「だから、最初は安いデジカメを買って、iMovieって無料の編集ソフトで作ってたの」
「福井の実家で、完全自撮りで(笑)」
最初はスムージー作りなどの動画をアップしていたが、徐々にLGBT関連の動画の頻度も上げていく。
当時、セクシュアルマイノリティを公言しているYouTuberは、国内にはほとんどいなかった。
「LGBTに関することを広めるなら、人がいっぱいいる東京の方が適してるかな、って思ったんです」
2017年1月に上京。
YouTuber・かずえちゃんとしての生活が日常になっていく。
10 LGBT当事者のためにしたいこと
楽しく生きるための選択
自分の将来については、いまだに無頓着。
「正直、将来こうなりたい、ってものはないんですよね」
「過去を振り返ると、自分の選択の基準は “楽しさ” しかなかったです」
カナダへの留学も、YouTubeでの発信も、ワクワクするため、楽しく生きていくための選択だった。
「結果的に、今は楽しいです」
「『楽しくない』なんて言ったら、贅沢なくらいすごく楽しい(笑)」
いろいろな局面で進む道を選択し、現在にたどり着いた人生。
「今はYouTubeを使っているけど、5年後は違う何かがあるかもしれないじゃない」
「その時に自分に合うもの、やりたいことを選択する人生でもいいのかなと思って」
「でも、社会的なことでは、やりたいこともあるんです」
LGBT肯定につながる同性婚
日本で進めていきたいことは、2つある。
「1つは、国内で同性婚を法制化したいです」
23歳でつき合った彼との関係は、6年間続いた。
結婚できない彼との将来は見えず、リアルに思い描くことができなかった。
「同性婚が認められているカナダで彼氏ができた時は、すごくあったかい気持ちになれたの」
「結婚という選択肢があることが、精神的な安定につながったんですよ」
「同性婚は、LGBTを肯定する材料になるんですよね」
幼い頃、自分が男の子に好意を抱くことは、誰にも言えなかった。
周りに打ち明けなかったから、否定されることもなかった。
しかし、同性愛者であることを、肯定してもらうこともなかった。
「否定は絶対的にあってはならないし、ちゃんと肯定してあげることも重要だと思うんです」
肯定することで、当事者も自分自身を受け入れられるかもしれない。
「だから、日本でも同性婚を法制化したいんです」
違和感を抱かせないための教育
もう1つは、LGBTに関する教育を、若い世代に対して行っていくこと。
カナダでは男性同士、女性同士のカップルが手をつないでいる光景が、当たり前の景色だった。
「その光景を見て育った子どもは、教育されなくても同性のカップルに違和感を抱かないですよね」
「でも、日本で手をつないで歩くのは、まだまだ難しいと思います」
「だからこそ、小学生や中学生のうちから、教育として伝えることが大事じゃないかなって」
年に数回でもいいから、LGBTのことを知る機会を作ってあげたい。
今はYouTuberとして活動する一方で、学校での講演も行っている。
「LGBT教育の必要性を、YouTubeをベースにしながら、伝えていきたいな」
地域も世代も、幅広く伝えていくことで、未来を拓いていきたい。
そして、若い世代がさまざまな事象を肯定できるように、手を貸すこと。
もしかしたら、それが僕の将来の夢なのかもしれない。