02 活動テーマは、地方創生×LGBTQに決定
03 LGBTQにやさしい町、横須賀でファッションショーを企画
04 レズビアン、トランスジェンダーが集まり、LGBTファッションショーは成功
05 小学2年生のときに地域の野球チームに入る
==================(後編)========================
06 大失敗の連続告白と尊敬する先生との出会い
07 一貫していじられキャラ
08 LGBTの存在をまずは知ってもらうこと
09 若いLGBT当事者の声を社会に届けたい
06大失敗の連続告白と尊敬する先生との出会い
女子の連絡網を甘くみた苦い経験
中学でも野球部に入部、ピッチャーを任される。
「野球以外には何もできなかったですからね。でも、練習は厳しいけどチームは弱くて、部活はあまり楽しくなかったですね。坊主頭も嫌でした」
中3で野球部を引退すると、弾けるように異性との出会いを求めた。
「どうしても彼女が欲しい、と思っちゃったんです(笑)」
それまで女子とつき合った経験といえば、小学5年生のときに近所の女の子の家に遊びにいった程度。好きという感情はあったが、つき合ったといえるほどの関係ではなかった。
「クラスにはかわいい女の子が3人いたんです。その3人に、1番、2番、3番と順序をつけて、順番に告白しました。野球のドラフト会議みたいでしたね」
最初の子に断られると、次というようにLINE電話とメッセージで告白を繰り返す。
「結果、1週間で3人にふられてしまいました。それがクラスで話題になっちゃって。リスク管理がまるでできてなかったですね(苦笑)」
女の子とつき合いたい、という10代の熱い気持ちがさせた行動だったが、女子の連絡網を甘くみた結果の苦い経験となった。
多角的な視点を教えてくれた先生
中3のときに、ひとりの尊敬できる先生との出会いがあった。
「社会の先生でした。教科書にはこう書いてあるけど、本当はこういうこともある。こういう見方もある、というふうに話を広げてくれて、授業に興味が持てました」
多角的に物事を考えることの大切さに気づかせてくれた先生だった。
「その先生に憧れて、将来は教員になりたいと思うようになったんです。今は、その気持ちはみじんもありませんけどね(笑)」
高校に入ってからも連絡を取り、尊敬する先生との交流はしばらく続いた。
「その先生に出会ったこともあって、勉強は絶対に必要だなと思って、大切にしました」
実は、通っていた中学は大田区のなかでも指折りのレベルの低い学校だった。
「あまり尊敬できる人物もいなくて、卒業してから誰ともつき合っていないんです。いろんな人がいて、社会の縮図を見たような気はしましたけど」
その環境もまた、勉強の大切さを真剣にとらえるきっかけとなった。
07 一貫していじられキャラ
やり投げで活躍。都で16位の記録を残す
都立高校に進学、陸上部に入部した。
「長い練習も嫌だったし、坊主にもしたくなかったんで、野球はもういいや、って気持ちでした」
自信があった走力を生かして短距離走に取り組んだが、高校1年の冬に腰椎分離症という疲労骨折を発症してしまう。
「それで半年間、まったく運動ができなくなって。陸上部に戻ったときは、ほかの部員との実力差が開いてしまってました」
そこで決断したのが、やり投げへの転向だった。競技人口も少なく、周囲にも専攻種目にしている人がいなかった。
「助走のステップに入ってから、どれくらいのスピードで投擲(とうてき)のモーションに移るかがポイントになります。左手の使い方も重要で、とにかく考えることが多いスポーツです」
体全体を躍動させてやりを投げる。どうしたら遠くへ投げることができるのか、競技の奥深さにハマっていった。
「指導してくれる先生はいたんですけど、教え方に納得がいかなくて、理解できなかったんです。それで動画媒体を使ってひたすら独学しました」
練習の成果が記録となって現れたのは、高3のとき。51メートルという優秀な記録で、都大会で13位に入った。
「その後、大学生や社会人も参加する東京都選手権にも出場しました。東京都のやり投げでは、そこそこ強い選手でした。でも、最後まで納得のいく投擲はできませんでしたね」
思い出の青空教室
クラスのなかでの存在は、小学校から一貫して “いじられキャラ”。
いじられキャラといえば、古典的なのは一発芸。誰かに「やってこい!」と命じられると、みんなの前で “一発” を披露した。
「いじめられているという意識はなかったですね。いじられても苦にならないし、むしろ、自分も楽しんでやっている感じでした。よくいえば、ノリがいい人気者ですかね(笑)」
中学2年のときの “青空教室” が印象に残っている。
「昼休みに机と椅子を教室のベランダに持ち出されて、ここで授業を受けろ、といわれるんです」
もちろん、先生が入ってくれば元に戻るのだが、みんなが大笑いになるインパクトのある場面だった。
「高校に進んでも、いじられキャラは加速しました(笑)」
昼ご飯を食べていると、他のクラスから誰かがやってきて、「一発芸やろうか」と、よくけしかけられた。
「修学旅行で沖縄に行ったときには、突然、胴上げされて、町の真ん中でエイサーを踊らされました。それも、楽しい思い出です(笑)」
08 LGBTの存在をまずは知ってもらうこと
高校までLGBT当事者との接点はなし?
現在はLGBTの支援を行っているが、高校まではLGBTの話題を意識したことはほとんどなかった。
「子どもの頃に、お笑いタレントの楽しんごさんがゲイだと周りがいっていて、ゲイって何だ? と思ったことはありましたけど」
高校ではLGBTに関する授業があったが・・・・・・。
「お恥ずかしい話ですけど、まったく興味がなかったので、どんな授業だったかも覚えていません」
10人にひとりは性的マイノリティといわれるが、同級生にLGBTの人がいたという記憶もない。
「中学のときに、男子と一切話をしなくて、女子とばかりベタベタしている女の子がいましたけど、彼女がLGBTだったのか、単に恥ずかしがりやだったのか、分かりませんね」
中学では、突然、後ろから抱きしめてくる男子もいたが、彼もはっきりとゲイだったわけではない。
「でも、横須賀のファッションショーが終わってから、自分のなかにもグラデーションがあるような気がしているんです。どこか中間にいるような。これから、自分のこともしっかりと考えます」
必要以上に寄り添わない
リクロップのLGBTQ支援は、「まずは存在を知ってもらうこと」に重点を置いている。
「理解してあげよう、助けてあげようという人もいますが、どちらかというとそういう考えには否定的です。理解するって、何だかおこがましい気がするんです」
必要以上に寄り添い過ぎると、特別扱いしていることになる。それでは、いつまでも社会は変わっていかないと思う。
「過敏に反応するんじゃなくて、フラットに接することが大切だと思うんです。たとえば、男性同士で結婚するというと、今は『えっ!?』って驚かれますよね。それが、『ふ〜ん、そうなんだ』っていう反応になるのが理想です」
マジョリティの人たちと同じように接する。それがぼくの考える「フラット」ということだ。
「兵庫県明石市で公園に設置する公衆トイレの色を、男性が青、女性が赤、と決めつけるのは性的少数者への配慮が足りない、とクレームをいった人がいました。結局、トイレ全体を茶色一色にしたんです。これもどうかなって思います」
過剰に反応しすぎると、かえってチグハグになる一例のように感じる。気を使いすぎて相手を傷つけることは意外と多い。
「オリンピックでもトランスジェンダーの選手が問題になりましたよね。何でも平等になればいい、という話ではないと思います」
言葉や概念にとらわれ過ぎている人は意外と多い。
「LGBT当事者のなかにも、レズビアンだから女性とつき合わなくちゃいけない、と考える人もいるんです。言葉に当てはめようとする傾向はよくないと思います」
自分に懐疑的になる
自分で考えて、仮説を立てて、実験して、実行する。誰かに答えを教えてもらうのではなく、与えられた情報をヒントにして、自分らしい活動をすることを基本としている。
「そのためには、自分の発言に対して懐疑的になることも必要だと思います」
常に自分の思考を懐疑的にとらえて、新しい情報を得ながらアップデートしていく。
「本当にこれが正しいのか、と振り返りながら活動していきたいですね」
理想は、たとえば「彼女いるの?」と聞くのではなく、「パートナーいるの?」という会話がスタンダードになること。
「同性婚も普通になるといいですね。そのために、今はそういう人たちがいることを、一人でも多くの人に知ってもらうことが重要な段階だと思っています」
09若いLGBT当事者の声を社会に届けたい
法人化して活動を広げる
横須賀LGBTファッションショーをきっかけに、学生団体だったリクロップを合同会社にした。次の段階へ進むための発展的解散だ。
「ファッションショーを通じて、表舞台に出ると影響力が増すことを実感しました。一方で、企業と対等にわたりあうためには、法人にしたほうが動きやすいことも学びました」
やはり、法人同士の交渉は学生団体だったときと対応が違う。また、合同会社にしたことで、活動の場も広がった。
「今後、タレントを集めて、雑誌、テレビ、ラジオなどのメディアに出すプロダクション事業を計画してます。将来的には、You TubeやTik Tokに自社のチャンネルを作って活動したいですね」
学生という立場もポジティブに生かしたい。
「高校生、大学生など若者の声が社会に届きづらいと考えてます。特に若年層のLGBT当事者の声を社会に届けることができたら、それは価値があると思ってます」
ひとりひとりでは、できることに限りがある。小さな力をまとめて、大きな矢にすることも使命だ。
「イベントが一番、分かりやすいですね。東京レインボーパレードに近いことを別の町でできたらいいな、と」
究極の目標は自給自足
個人的には、リクロップを立ち上げたときの最初のテーマだった農業に興味を持ち続けている。
「食べ物は自分の体を作るものです。自分で作ったものを食べて生きていく、自給自足が人生の最終目標です」
コロナ禍によって、田舎でもどこでも仕事ができることが分かった。地方創生に関わった経験も生きる人生設計だ。
「逆に、都会のビルの中で農業ができるテクノロジーも進化してます。ゲノム編集された作物も認可されるようになりました。水と食糧の未来を見つめていきたいですね」
いま、21歳。目の前の課題として取り組んでいるLGBT支援と、遠い将来の目標である農業。視野を広げながら、前向きに進んでいく。