02 活動テーマは、地方創生×LGBTQに決定
03 LGBTQにやさしい町、横須賀でファッションショーを企画
04 レズビアン、トランスジェンダーが集まり、LGBTファッションショーは成功
05 小学2年生のときに地域の野球チームに入る
==================(後編)========================
06 大失敗の連続告白と尊敬する先生との出会い
07 一貫していじられキャラ
08 LGBTの存在をまずは知ってもらうこと
09 若いLGBT当事者の声を社会に届けたい
01持て余した時間を利用して学生団体「ReCrope(リクロップ)」設立
身近な問題を扱う民法に興味
現在、慶應大学法学部政治学科の2年生。
「高校生のときは、正直、将来の目標が見つからなくて、とりあえずいい大学に行って、それから考えようと思ってました」
大学に行けば、何かが見つかる。そんなふうに気楽に考えていた。
「数学が苦手だったんで、国公立はすぐに諦めました。私立に行くなら、やっぱり早慶がブランドですから、それに負けたって感じですかね(笑)」
「親は、大学に関してはどこでもいいんじゃないって、いってました」
法学部を選んだのは、あえて「難しいから」。クイズを解く感覚で、難関の学部に挑戦した。
「政治学科なんですけど、政治より法律、特に民法に興味があるので、3年生になったら民法のゼミを取るつもりです」
たとえば、ある人が他人のものを盗んだとする。その後、盗まれた人が盗んだ人から自分のものを黙って取り返すと、その人も窃盗罪になってしまう。
「自己救済は許されないという原則があって、何事も法的機関が裁かないといけないんです。それを知ったときは衝撃的でしたね。常識でこうだと思っていることが覆された感じでした」
それから興味を持って、民法に関わる事例を勉強するようになり、民法がより身近に感じられるようになった。
学生団体「ReCrope(リクロップ)」立ち上げ
大学に入学した途端にコロナ禍が広がり、1年間、ほとんどがオンライン授業となってしまった。キャンパスに通えるようになったのは、2年生になった2021年4月からだ。
「大学に通えないつらい時間ではありましたけど、いい意味で人間関係が整理されたともいえますね」
「もともと関係が浅い人や、会わなくてもいい人とは、まったく会わなくなりました。本当に会いたい人が誰なんだか、よく分かりました」
そんな状況のなかで、2020年8月、学生団体「ReCrope(リクロップ)」を立ち上げることになった。
「1年の春学期は、本当に退屈だったんですよ。多分、ほかの学生も同じだったと思いますけどね。それで、せっかく時間があるんだから、何かできることを探そう、ということになったんです」
地方創生を考えてみたい
同じ慶應法学部の友人と相談し、地方創生がテーマとして浮上する。
「彼が愛知県の出身で、地方が衰退していくことに危機感を感じていたんです。ぼくも自分の両親の田舎を見て育ったんで、そのテーマに共感しました」
父親の故郷は岡山県浅口市。倉敷市の西隣に位置する町で、幕末三大新宗教のひとつ、金光教発祥の地として知られる。
「ぼくは岡山で生まれたんです。すぐに東京に移りましたけど、子どもの頃は、よく遊びに行ってました」
「瀬戸内海に面していて、自然が豊かでいいところです。産業といえば、水島コンビナートの一部があります。あとは漁業ですかね」
しかし、近年、目に見えて町に活気がなくなった。
「お年寄りが多い分、人口が減っていて、年々、空き地が増えてきているんです。空き家がポツンと建っているようなところも多くなってます。いわゆる過疎です」
生きている息吹を感じない。それをなんとかしたいという気持ちが、次第に膨らんでいった。
02活動テーマは、地方創生×LGBTQに決定
地方の衰退を止めたい
母親の故郷である栃木県那須塩原市も似たような状況にある。
「母の実家は農家なんですが、以前は収穫の時期にお互いに助け合うとか、地域のつながりが深かったんです。ところが高齢化が進んで農業をやめる人が増えて、そんな伝統的な社会が崩れつつあるんです」
耕作放棄地には外国資本が入り込んで、太陽光パネルが設置されるようになった。銀行法改正によって、力をなくした地銀が買収されることも拍車をかけた。
「景観が変わってしまうし、伝統が失われていくんじゃないか、っていう不安が大きくなっていきました。空気がきれいで住みやすいところだったのに、もったいないな、と」
こうした問題意識のなかから、最初に取り組みたいと思ったのは農業だった。「リクロップリクロップ」のクロップは穀物の意。団体名には、農業を再生させたいという願いを込めた。
「でも、農業は学生が扱うテーマとしては難しいかったですね。専門家の人にもいろいろとお話をうかがいましたが、結局、成果には至りませんでした」
SDGs「ジェンダーの平等」でLGBTQをテーマに
次に考えたのは、地方創生と注目度が高いSDGsを結びつけて考えることだった。
「SDGsは17項目あって、テーマとしては幅広いんです。何かにフォーカスしないといけない。そこで『ジェンダーの平等』に焦点を当てることにしました」
17項目のなかでも、「ジェンダーの平等」は実行率が9.8%ともっとも低い。やりがいがあるテーマではないか、と意見がまとまった。
「ぼく自身の経験としては、小学生のときに、同級生のお母さんが性転換して授業参観に来ていた、ということがありました。そのときは分かりませんでしたけど、今にして思えば、トランスジェンダーFTMですね」
「こういうふうに生きる人もいるんだなあ、と子ども心に思ったのを覚えてます。嫌な感情は持ちませんでした」
テーマをLGBTQにしようと話し合っているタイミングで、友人からセクシュアリティに関するカミングアウトを受けた。
「そういう経験があったことで、テーマのLGBTQがより身近に感じられました」
03 LGBTQにやさしい町、横須賀でファッションショーを企画
LGBTQを、まず知ってもらう
LGBTQの問題について活動するにあたり、LGBTQ当事者(マイノリティ)とLGBTQ非当事者(マジョリティ)の共通項を見つけることが大切だと感じていた。
「何をしようか考えてたとき、偶然、あるニュースを見たんです」
「長年カミングアウトできなかった90歳のゲイのおじいちゃんが、女性の格好をして人前に現れたことがニュースになってたんです。メチャ、素敵な話だなと思って感動しました」
当事者がマイノリティのままでいる原因は、自己表現の場が少ないからではないか、と思い至る。
エンタメでの「おねえタレント」の登場は、打ち出し方などの問題はあるが、LGBTQを知ってもらうという意味では、いい点もあったのかもしれない。
「あのおじいちゃんがしたことを、規模を大きくしてやりたいと思ったんです。それで考えついたのが、LGBTQのファッションショーでした」
「LGBTQを、まず知ってもらう」という理念とも合致するアイデアだ。
開催地には横須賀市が浮上した。
「朝日新聞の記事で、LGBT関連の施策が一番多いのは、全国の自治体のなかで横須賀市だということを知ったんです」
「前市長の吉田雄人さんの尽力が大きかったということも知りました。横須賀はLGBTQにやさしい町なんです」
さっそく横須賀市にコンタクトを取ると、いい反応を得ることができた。
「後援を依頼して、市の広報誌にも掲載してもらう段取りになりました。でも、コロナ禍での開催ということで、後援は残念ながらなくなってしまいましたが・・・・・・」
LGBTファッションショーに向けて1500社に営業メール
2021年4月以来、着々と準備を進めた。
イベント名は「横須賀LGBTファッションショー」。会場は、かつて進駐軍が持っていたEMクラブの跡地にできた横須賀芸術劇場・ヨコスカベイサイド・ポケットに決定する。
「開催日は8月31日に決まり、メディアの取材も受けるようになりました。ポスターやチラシを作って、いろいろなところに配布しました」
それと同時にクラウドファウンディングを通じて資金集めも始めた。しかし、クラウドファウンディングだけでは運営費用が足りなかった。
「協賛企業を募る営業活動をすることにしました。1500社のリストを作って、電話では形に残らないので、ひたすら営業メールを送り続けました。いや、あれは大変でした。もうやりたくありませんね(笑)」
その努力の甲斐があって、20社の協賛を得ることができた。
04レズビアン、トランスジェンダーが集まり、LGBTファッションショーは成功
配慮が足りなかった言葉を反省
LGBTファッションショー開催に向けて順調に進めていた準備だが、ある問題が発生する。
きっかけは、クラウドファウンディングを募るために掲載した文章だった。そこには「日本には10%のセクシュアルマイノリティがいます。それは決して悩むことではありません」と記載したことだ。
「問題は『決して悩むことはありません』という一文でした。確かに、自分のセクシュアリティを公言している人もいますけど、いえなくて悩んでる人もいるわけです。その人たちへの配慮が欠けているとお叱りを受けて、大いに反省しました」
表に出て目立っている人にばかり目がいっていたが、いじめや孤独・・・・人知れず悩んでいる人こそ大切にしなければならない。
「何ごとも表に発信するときは、細心の配慮が必要だと痛感しました。いい勉強になりました」
さらに、「イベントを手伝ってくれる学生は活動をSNSに出してもいい」と書いたら、「LGBTを利用するんじゃない」というクレームが横須賀市に寄せられた。
「・・・・・・いろいろなことがあり、デリケートな問題だということを改めて感じましたね」
出演者も一人一人アプローチ
ファッションショーへの出演者は、SNSでセクシュアリティを公表している人に一人一人アプローチして交渉した。
「そのときは、つてもありませんから、地道に開拓するしかありませんでした。結果、14人のLGBT当事者を招待して舞台に立ってもらいました」
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど、さまざまなセクシュアリティの人たちが参加してくれた。
「職業もいろいろでしたね。会社を経営している方、YouTuberや歌舞伎町の現役ホストの方などが協力してくれました」
第一部はモデルが、自分のお気に入りの服で登場。第二部はLGBTフレンドリー企業から協賛を受けた衣装を着てもらった。
「自己表現がテーマですから、ただ歩くだけじゃなくて、自分自身をアピールしてもらう時間も作りました。演出や照明をイベント会社に勤めている人に手伝ってもらったのもよかったと思います」
観客は80人。メディア、開催関係者を入れると120人がイベントを盛り上げた。
「楽しかった、という前向きなフィードバックをたくさんいただきました。年に1度、継続して開催していけたらと考えてます」
05小学2年生のときに地域の野球チームに入る
両親は建築系の会社を経営
生まれた家には両親と8歳年上の姉、そして、ネコがいた。
「ネコにしてみれば、ぼくよりも先輩という意識があったんでしょうね。ぼくは末っ子で両親にかわいがられていたんで、よく嫉妬したネコにパンチを受けてました(笑)」
両親は、東京都大田区で建築系の会社を経営している。
「父は職人でもあり、建築デザイナーで、事務所も借りているんですけど、自宅にも仕事をするスペースがあります。一般家庭や飲食店のビル工事や内装が主な業務です」
父親は慎重な性格で、仕事を受注するときも取引先の信用情報を入念に調べるタイプ。赤字になりそうな仕事は、「やめよう」と断る決断もできる人だ。
「経営者としては、優秀だと思いますよ。大人は信用するな、とか、他人の言ったことを真に受けないで自分で必ず調べろ、とか、子どもの頃、よくいわれてました」
一方の母親は、人とのつながりを大切にする、義理人情に厚い性格だ。
「工事のときに、関係のない近所の家の前まで掃除をしたり、周りの人にていねいに挨拶したり。ときどき、荷物を運ぶのを手伝うのを見ていると、よくタダでやるな、と思ったものです(笑)」
そんな両親は、進路に関してもうるさく口も出さずに、何でも自由にさせてくれた。
「人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい、という方針でした。でも、なぜかゲームとクレヨンしんちゃんだけは認めてもらえませんでした(笑)」
おいしかった合宿の食事
太っていて運動もどちらかというと苦手だったが、小学校2年生のときに、母親の友人の紹介で地域の野球チームに入ることになった。
「言われるがまま、という感じでしたね。足だけは速かったんで、盗塁をするのが得意でした。ポジションは外野でした」
チームは30から40人くらいいたが、練習は緩かった。
「コーチといっても部員のお父さんたちでしたから、あまりやる気もなかったんじゃないかな。地元のリーグに所属してましたけど、弱かったですよ(笑)」
記憶に残っているのは、栃木や茨城に泊まりがけでいく合宿だ。
「ホテルに泊まるのもあまりない経験でしたし、ご飯がおいしかったのをよく覚えてます(笑)」
最初は興味がなかった野球だが、やっているうちにだんだん好きになっていった。
「そのチームで知り合った友だちと、今でもときどき草野球をしてます」
<<<後編 2022/02/12/Sat>>>
INDEX
06 大失敗の連続告白と尊敬する先生との出会い
07 一貫していじられキャラ
08 LGBTの存在をまずは知ってもらうこと
09 若いLGBT当事者の声を社会に届けたい