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認知度の低いアロマンティック・アロセクシュアル。知ってもらうことが第一歩【後編】

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2024/05/08/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
多田 香澄 / Kasumi Tada

1982年、埼玉県生まれ。小学校高学年のころから原因不明のめまいに見舞われる。同時期から頭痛に悩まされ、のちに体位性頻脈症候群(起立性調節障害)と判明した。30代半ばのときに自分のセクシュアリティが「アロマンティック・アロセクシュアル」であることを知り、東京レインボープライドパレードにボランティアとして参加。2023年からは運営スタッフとして携わっている。

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INDEX
01 自分がしたいことをしたいだけ
02 私は悪い子
03 症状はすべて仮病扱い
04 自分の進む道は福祉
05 手のひらの自傷行為
==================(後編)========================
06 うつ病がばれて
07 アロマンティック・アロセクシュアルにとって、恋愛はファンタジー
08 私、必要とされているんだ
09 とりあえずTRPボランティアに応募
10 あなた、カウンセラーに向いてるよ

06うつ病がばれて

自分の症状と向き合って

親元を離れての田舎での一人暮らしは、楽しかった。

「やりたかった勉強ができて、同じ分野に興味のある友だちがいて、っていう環境が楽しかったです」

専門学校の授業のなかには、精神科分野に関わるものもあった。そこで、これまでの自分が患ってきた症状と同じものを目にする。

「自分のことを言われてるように感じて、授業中にパニック発作を起こしてしまって・・・・・・」

ただ、そこは医療系の学校。学校の先生は、知識はもちろんのこと、病院や医師のつても豊富だった。

「ちゃんと治療したほうがいいね、って言われて・・・・・・」

かつて、頭痛や体調の悪さを仮病扱いされた経験から男性医師にトラウマを持っていたので、女性医師を紹介してもらう。

高校卒業を機にやめていた、精神科への通院が再開した。

緊急搬送

専門学校2年生。調子の悪いことの多い、5、6月の時期にそれは起こった。

不安な気持ちが心身を支配して、精神科で処方された薬を服用。でも、まだ収まらないので、薬をまた飲んで・・・・・・を繰り返して、家で休んでいるときだった。

「私の状況を知らない友人から『今日の授業に出席しないと、まずいかもよ』って連絡が来て、行かなきゃ、って」

外は土砂降りの雨。

頭がもうろうとするなか外出したが、もはや正常な判断力は残っていなかった。

「部屋着のワンピース1枚だけ着て、はだしで歩いてるところを通りがかった人に保護されて、病院に運ばれました・・・・・・。そのときの記憶はないんですけどね」

埼玉から飛んできた母親に、島根で精神科に通っていること、うつ病であることが知られる。

「高校卒業でいったん精神科に通うのをやめてたので、母親はもう大丈夫なんだと思ってたんですが、治ってなかったんだ・・・・・・って、言われました」

島根が適していた

専門学校2年の前期で休学し、治療に専念することに。
とは言っても、このときはまだ埼玉に完全に引き上げたわけではなかった。

「島根の病院に通い続けてたこともあって、1年のうち7割は島根で過ごしてました。主治医の先生やカウンセラーの先生と相性がよかったんです」

「山奥の学校だったこともあって、島根の環境が自分には合ってました」

毎日調子が悪いわけではなかったので、適度に外出もした。

「学校に遊びに行ったり、友だちと遊びに行ったりもしてました」

しばらく島根と実家・埼玉を行き来する生活を送っていたが、同級生が4年生に進級するタイミングで、自主退学を選択。埼玉に帰ることとなった。

07アロマンティック・アロセクシュアルにとって、恋愛はファンタジー

恋愛≒魔法

読書好きで物知りなためか、それともしっかり者だと思われているためか、小学生のころから恋愛相談を受けることが多かった。

「口が達者だったのかな。それこそ、詐欺師や占い師みたいに(笑)」

でも、恋愛感情とはどういうものなのか、感覚としては分からなかった。

「小学生のうちは、自分はまだ恋愛に興味がないんだなと思ってました」

ただ、恋愛の話を毛嫌いしているわけでもなかった。

「友だちが恋愛のことで一喜一憂してるのを見るのは楽しかったです」

それは、読書においても同様だった。

「たとえば、私たちって魔法は使えないけど、魔法ファンタジーの本を読んで楽しいなって思いますよね。私にとって、恋愛はそんな感覚です」

恋愛感情がないことによるすれ違い

高校生になってからは、恋愛へのあこがれも少なからず抱いていたことから、告白された男性と付き合ってみたこともあった。

「一緒に過ごすことは楽しいんですけど、友人のときと感情が変わらないな? って思ってました」

でも、相手は恋愛感情をもって私を好きだと思っている。

「『今何してる?』みたいな、特に用のない連絡の意味が分からなくて(苦笑)。それが伝わってしまったのか、『オレにあまり興味ない?』って聞かれたり・・・・・・」

「20代後半のときに、西野カナさんの歌『会いたくて 会いたくて』が流行ったんですけど、会いたくて震えるってことは、私はないな! って(笑)」

お互いの気持ちがすれ違ってしまい、結局お別れ・・・・・・ということが続いた。

アロマンティック・アロセクシュアルにとっての理想の関係

何度かお付き合いにチャレンジした理由の一つに、恋愛感情はないけれど他者に対して性欲はあるということが挙げられる。

「性行為そのものが気持ち悪いってことはないですね」

「食欲や睡眠欲と同様に性欲がある、ってだけのことだと思ってます」

青年マンガ『こういうのがいい』の主人公は、恋愛感情と性欲をイコールにしていないところが自分の感覚に近いと感じている。

主人公の2人は、恋愛関係にあるパートナーから束縛されることに疲れた矢先に出会った者同士。
恋愛関係として付き合っているわけでもなければ、かといって身体だけの関係でもない。お互いを『フリーダムフレンド』、略して『フリフレ』と呼んでいる。

LGBTQやアロマンティック・アロセクシュアルにフォーカスしたマンガではないが、恋愛ではない絆は共感できる。

「以前、恋愛的にはお互いに好きではないけど、旅行に行ったり体の関係をもつ人がいました。そういう意味ではマンガ『こういうのがいい』と近いかもしれません」

でも、最終的には相手が私のことを恋愛的に好きになったため、当初その人とかわした約束「恋愛対象として好きになったら別れる」の通り、お別れした。

それ以来、恋愛対象として見られた相手から告白されても付き合うことはしていない。

08私、必要とされているんだ

念願の猫

埼玉の実家に戻ってから、引きこもりがちになる。

日中は両親が仕事で外出して、家で自分一人になってしまうこともあり、猫を飼うことに。

「私と母親は以前から猫を飼いたかったんですけど、父親と祖母が反対してたんです。でも、病人の私の願いならってことで許してもらえました」

「飼い始めて1カ月後には、反対してた父親は猫にすっかり魅了されてましたけどね(笑)」

まだ精神的に不安定だったので、夜な夜なリストカットに走ることも。すると、どこからともなく猫がやって来た。

「私に寄り添ってくれたんです。なにか雰囲気を感じ取ったんでしょうね」

猫の存在が、安心感につながった。

支援先の子どもとの文通

猫のおかげで精神的に安定してきたので、単発のアルバイトをするなど、外界との接点を徐々に持ち始める。

「バイト代を、チャイルド・スポンサーシップという、途上国にいる貧困層の子ども支援に充てました」

支援先の子どもから「多田さんの支援のおかげで、今こういう勉強をしています」と手紙をもらうと、自分は必要とされているんだ、と実感することができた。

「猫とチャイルド・スポンサーシップを通して、自分って存在してもいいんだ! ってだんだんと思えるようになりました」

自分の病状を包み隠さず伝える

介護の資格を取得するなどの努力も重ね、25歳ころから障害者介護のアルバイトを始めた。

職場には、自分の現状をありのまま伝えた。

「病気のこと、月1で島根に通院してること、腕にリストカットの跡があるので夏場はリストバンドで隠すことなどなど、いろいろと話しました」

自分のことを伝えることで、同僚に不安を感じさせたくなかったし、私自身も不安を抱いたまま働きたくなかったからだ。

「ワーク “シック” バランスの取れた職場でしたね」

私の抱えている病気を理解してもらったうえで、正社員にキャリアアップすることもできた。

少しずつ、中学生のときから志していた福祉の道を歩み始めた。

09とりあえずTRPボランティアに応募

社会福祉の勉強に手を伸ばせるように

障害者福祉の仕事のあと、葬儀社のスタッフ、高齢者福祉の仕事を経験する。

葬儀では人の死を目の当たりにし、高齢者福祉では人が死に向かっていく姿を見送ってきた。

「自分が死ぬとき、両親が死ぬときのことを考えるきっかけになりました」

仕事を通して、自分や大切な人が亡くなるとき、必ず後悔は残るものだと感じた。

「どうせ後悔するものなんだ、って覚悟ができたんです」

そこで自分のやりたかったことに挑戦しようと、社会福祉の勉強へ踏み出した。

「社会福祉を勉強すると、自分のつらい過去にも触れることになるから、最初はためらってたんです」

そのころ、自分の苦い経験にも折り合いをつけ、自己肯定感を持てるようになった。そのきっかけが、「アロマンティック・アロセクシュアル」との出会いだった。

自分以外にもいるんだ!

アロマンティック・アロセクシュアルを知る大きなきっかけがあったわけではない。

「もともと調べものやネットサーフィンが好きで、そのなかでたまた見つけました」

自分のセクシュアリティに気づくヒントになった概念は、「アセクシュアル」や「アロマンティック」だ。

「他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かないアロマンティック・アセクシュアルっていうのがあるんだ。でも、私は性的欲求はあるからな・・・・・・ってさらに調べていったら、『アロマンティック・アロセクシュアル』っていうのもあるんだ! って」

それまで、自分には恋愛感情が “欠如” しているものだと思い込んでいた。病気も関係あるのかもしれないと考えたこともあった。

「私の人間性の問題じゃないんだ! 自分だけじゃないんだ! って安心感を得ました」

自分のセクシュアリティを知ったことで、思いがけない心境の変化もあった。

「徐々に、自己肯定感がはぐくまれていったんです」

「マンガ・アニメオタクなこととか、隠してるつもりはなかったんですけど、好きなものは好き、って素直に言えるようになりました」

自分のセクシュアリティがはっきりすることによる安心感の大切さは、現在の仕事でも実感している。

「今、LGBTQフレンドリーな就労移行支援事業所に勤めてます」

「利用者さんのなかには、自分のセクシュアリティがまだよく分からないっていう方もいらっしゃって。その不安や、定まることでの安心感を求める気持ちは共感できます」

TRP、面白そう

アロマンティック・アロセクシュアルを知った季節は、秋だった。

「ちょうど、TRP(東京レインボープライド)のボランティア説明会が始まってたころだったので、参加しました」

「LGBTQってどういう世界なんだろう? 文字情報だけじゃなくて、実際にこの目で見たいって思って」

説明会のあとに行われた懇親会での体験は新鮮だった。

「変に気を使わなくていい空間で。とてもリラックスできて、楽しかったんです」

さまざまなセクシュアリティの人が集まる場なので、もちろん恋バナも起こる。

「『多田さんは?』って話を振られても、『私、アロマンティックなんです』と答えれば、『そうなんだね』で済むんですよね」

多様なのは、なにもセクシュアリティだけではない。

左腕の肘下のない人を見かけたとき、アルコールを摂取していたこともあり、思わず「久しぶりに欠損見た!」と声をかけた。

「相手の方は、『久しぶりに、初対面の人から欠損のことを率直に言われた!』って言ってました(笑)」

マイノリティという “腫れ物” に触るような雰囲気のなさが気に入り、2017年からボランティアスタッフとして参加。

2023年からは運営スタッフとして携わっている。

10あなた、カウンセラーに向いてるよ

今の仕事をあと押ししてくれたひと言

島根でカウンセリングを受けている際、カウンセラーから「あなた、カウンセラーに向いてるよ」と言われたことがあった。

「今カウンセリングを受けているような身の私が、カウンセラーに向いてるのか? ってそのときは不思議に思いました」

でもそのあと、介護や社会福祉のキャリアを歩むなかで、相談支援の業務に面白さややりがいを感じるようになる。

「そのとき、『そういえば昔、カウンセラーに向いてる、って言われたな』って思い出しました」

「相談支援もカウンセリングも、相手の話を聴くなどの共通点があるので、今の仕事に就く決意ができたんです」

さまざまな経験を経て今の職業に就いていることは、役に立つこともある。

「『これまでの経験があるから、今の多田さんがあるんだね』と言われたことがあるんですけど、つらかった過去の経験は、なければないほうがいいって思うんです」

つらかったとき、自分一人がのたうち回っていたわけではない。家族や友人も傷つけてきてしまった。それを「よかった」とは言えない。

でも、過去は変えられない。

「あるものはなんでも使ってやるって思ってます!(笑)」

許せなくてもいい

かつて、両親にネガティブな感情を抱いた自分を責めていた。
でも、これまでのキャリアを通して、その心持にも変化があった。

「昔は両親のことを許して全面的に愛さなきゃいけない、って思ってたんですけど、許せなくてもいいやって思えるようになりました」

この先、順当に行けば、私より両親のほうが先に天国に招かれるだろう。

「許せないと、両親を見送るときに後悔するって思ってたんですけど、後悔してもいいや、って。悲観的な諦めじゃなくて、覚悟ができたんです」

「そう思えたときに『私、回復した!』って思えました」

過去の自分を振り返ると、今つらい思いをしている人にはポジティブな言葉はとても掛けられないと痛感する。

「まず掛けられる言葉は『しんどいよね』ですね」

「つらいときには、希望のある言葉や応援って受け止められないんじゃないかなって。私がそうだったから」

「カウンセラーに向いてる」と言われて、私は今、相談支援の仕事をしている。

それと同じように、出会った人へ掛ける私の言葉が、いつかその人のなにかを変えるきっかけになるかもしれない。

あとがき
出会った香澄さんは、嵐が去ったようなとても澄んだ空気をまとっていた。取材後のメールの言葉には、香澄さんの意志と私たちへの心遣いが込められていて、一日に人を思いやる時間がどれだけ多いのかと■笑顔で語るなかに飛びだした、苦しかった時代のこと。のたうち回る嵐の目。ときどきを静かに、激しく、そこにいてくれた人の顔も見えるようだった■自分が何者かは揺れるけど、自分らしくあることをやめなければ、ほかの何をやめても生きられる。(編集部)

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