02 壊れないように支え合う家族
03 答えが出ない悩みに翻弄される日々
04 15歳で飛び込んだ知らない街
05 もう一つの故郷ともう一つの家族
==================(後編)========================
06 守ってあげたくなった大切な人
07 ようやく動き出した家族の関係
08 レズビアンの自分に気づく時
09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ
10 自分を隠さなくていい場所作り
06守ってあげたくなった大切な人
男性からの電話
ファミレスとキャバクラの仕事を続けているうちに、20歳を過ぎていた。
「22歳の時に、一度だけ山形に帰ったんです」
山形で後輩と遊んでいた時、後輩が男性グループにナンパされ、流れで一緒に飲みに行った。
大阪に戻ると、男性グループの中の1人から電話がかかってくる。
「それまで生きることに精一杯だったから、恋愛を一切してこなかったんです」
「恋愛に興味がないし、感覚もわからないから、電話をもらっても『なんで?』みたいな(笑)」
「電話越しに『好きだよ』って言われたんですけど、『え? 何それ?』って言っちゃって(笑)」
「友だちとして好きなんだよね?」と、何度も確認した。
「最初は彼を男性として意識していなくて、女友だちと同じように見てたんですよね」
支えてあげたい人
大阪と山形で離ればなれのまま、恋人とも友だちともいえない関係が続いていた。
「ある時、彼が精神的にまいってしまったんです」
「元気がなくてずっとベッドから出てこないし、『気持ち悪い』って吐くことも多くて」
連絡すると「ストレスが原因だ」と、話していた。
「私はあんまりストレスを感じない人なので、『そんな理由?』って疑いましたね(笑)」
「でも、彼の状態を見ていたら、このままじゃ病気になりそうだし私が守らなきゃ、って思ったんです」
自分にとって彼は大切な人なんだ、と自覚した。
「好きというより、この人を支えていこう、って感じでしたね。この人も家族にしちゃえば支え合える、って思いました」
気づくと彼に「子ども作ろう」と、自分から言っていた。
彼は乗り気で「やった! 作ろう!」と、返してくれた。
「逆プロポーズというか、『結婚しよう』より先に『子ども作ろう』ですからね(笑)」
23歳の時に、彼と結婚。
2人での生活が始まるとともに、子作りもスタートした。
07ようやく動き出した家族の関係
忘れていなかった愛
25歳の頃、出産するタイミングで、山形に戻る。
「お父さんが血を吐いて、倒れたんです」
脳梗塞と診断され、認知症も始まっていた父は、精神病院に入ることになった。
「お母さんとお兄ちゃんから電話がかかってきて、初めて『帰ってきてくれないか』って、言われたんです」
「お父さんのことが心配だったから、大好きな大阪を離れて、帰ることを決めました」
「お父さんは手がつけられない人だったけど、私を愛してくれていたんです」
幼い頃、授業参観や運動会には、必ず来てくれた。
友だちの間では “陽気なお父さん” として知られていた。
「子どもながらに、お父さんは私のことが好きなんだな、って感じてましたね」
認知症になった父が、唯一最後まで忘れなかったものが、自分の名前だった。
「いろんなことをされたけど、やっぱり嫌いにはなれなかった・・・・・・」
息子が1歳になる頃、父はこの世を去った。
「お父さんが火葬される時、私が『燃やさないで!』って大暴れしちゃったんです」
「何日か後、お兄ちゃんに『今度はお母さんを支えていかなきゃいけないから、頑張ろう』って、説得されました」
本当の父
父が亡くなってから、母と2人で話したことがある。
離婚しなかった理由を聞くと、「好きだから別れなかった」と、返ってきた。
母は「お父さんは、本当は家族のことを心配してくれる人だった」と、教えてくれた。
「『ストレスに負けて荒れてしまったお父さんを、私は支えきれなかった』って、言ってましたね」
「『でも、結婚の誓いを交わしたら、悪い時でも一緒に戦わなきゃいけないんだよ』って」
初めて母の想いを聞いた。
「お父さんのこと、嫌いになったことないから」と話す母を見て、申し訳ない気持ちになった。
「15歳の私が家出をした理由は、お父さんではなくて、お母さんだったんです」
「でも、お母さんの本心を聞いたら、わかってあげられなくてごめんね、って思いましたね」
怒られない寂しさ
中学3年生の頃、自分に対して、母の当たりが強いと感じていた。
「どうして私にそんなに冷たいんだろう、って寂しかったんです」
「今思えば、お父さんのことで大変だったんだろうな、ってわかるんですけど」
母が大阪に来てくれた時も、お金だけを渡されたことに傷ついた。
「あまりにもそっけなく渡されたから、お金だけなの? ってムカつきましたね」
「その時は、怒ってほしかったです。大阪のおじいちゃんや店長みたいに、構ってほしかった・・・・・・」
「怒られない寂しさが、辛かったかな」
大人になり、お金だけ渡して自分を置き去りにした理由を聞いた。
「やりたいことをやらないと気が済まない子だから、連れて帰ったら後悔すると思った」と、母は話してくれた。
あの時の20万円は、当時の母が用意できる精一杯だったことも知った。
「お母さんに『あれが最低限できることだった。申し訳なかった』って、謝られました」
「私も『あの20万円で、相当助かったよ』って、ようやく感謝を伝えられましたね」
「今だったら、お母さんの行動も仕方なかったのかな、って思えます」
08レズビアンの自分に気づく時
夫以外の好きな人
山形に戻ってからは、キャバクラを経営し始めた。
その店にキャストとして来てくれた女性に、ひと目惚れしてしまう。
「息子が10カ月の頃だったので、結婚して4年目くらいかな」
「旦那さんに『好きな人ができました』って、言いました」
「誰?」と聞かれたため、正直に「お店の○○ちゃん」と伝えた。
夫は「勘違いだって」と、戸惑っていた気がする。
しかし、うすうす気づいてもいたようだ。
「私が水着姿の女性の写真集ばっかり買ってたんで、変だとは思ってたみたいです(笑)」
レズビアンという自覚
「女の子のことは、ずっと好きだったと思います」
「小学生の頃とか、『好きな子は?』って聞かれると、『○○ちゃん』って女の子の名前を挙げてましたね」
女の子に好意を向けることを、おかしいとは思わなかった。
「でも、女の子とも男の子とも、つき合ったことはなかったです。旦那さんが初めて」
結婚してから、気づいたことがある。
かわいい女性を見ていると、ドキドキするのだ。
「好みの女性とは目が合わせられなくて、恥ずかしいから見ないで、って思ったんです」
「旦那さんには、抱いたことのない感情でした」
シングルマザーになる選択
「旦那さんに打ち明けた翌日に、好きな子に『私のことどう思ってる?』って聞いたら、『多分同じ気持ち』って言ってくれたんです」
キャストの女性と、両想いだったのだ。
しかし、つき合う前に離婚しなければならないと思い、夫を説得した。
「ある日、旦那さんが『しょうがない』って、折れてくれたんです」
「俺は助けられた部分がたくさんあるから、理解はできないけど、どうぞ」と、受け入れてくれた。
「旦那さんのお母さんは、『無責任すぎる』って激怒してましたけどね(苦笑)」
夫婦の間で波風が立つことはなく、離婚は円満に成立した。
そこから、まだ幼い息子との2人暮らしがスタートする。
「実家には戻らず、友だちが貸してくれた家賃3万円の一軒家で暮らし始めました」
「シングルマザーとして生きていくことに、不安はなかったです。彼女もいたから、息子は2人で育てた感じでしたね」
週末、息子が夫と過ごしている間に、がむしゃらに働いた。
「『シングルマザーって大変でしょ』って言われるけど、気の持ちようだと思うんですよね」
「何するにも『しんどい』って言うより、『楽しいね』って言った方が、気持ちが上がるじゃないですか」
09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ
「兄弟が欲しい」
2年前、娘を出産したが、二度目の結婚をしたわけではない。
「男友だちに協力してもらって、子どもを作りました」
「私がレズビアンだって知ってる友だちだから、最初は『大丈夫?』って言われましたね(笑)」
そこまでして子どもを望んだのは、息子に「兄弟が欲しい」と言われたから。
「私も兄弟を作ってあげたかったけど、すっごく悩んだんです」
「生活を回していけるかとか、また親に迷惑をかけるんじゃないかとか」
「でも、迷うくらいだったら、やってしまえ! って思って(笑)」
お兄ちゃんという意識
娘を妊娠した時、9歳だった息子から「なんで子どもができたの?」と、聞かれた。
「ドキッとしたけど、『妹欲しいって言ったでしょ。2人の夢が叶うんだよ』って、説明しました」
「『2人で大事に育てよう』って言ったら、息子は『やったー!!』って無邪気に喜んでくれましたね」
お兄ちゃんらしく、おなかの中の妹に「早く出ておいで」と、呼びかけていた。
「息子は、出産にも立ち会ったんです」
「私の顔の隣に立たせてたんだけど、『どうなの? 痛い?』って気遣ってくれて」
「ちょっとうるさかったんですけど(笑)」
息子は、9歳離れた妹を、母親の自分以上にかわいがっている。
新しい家族を作りたい、と思った自分の選択は間違っていなかった。
まだ言えていないこと
「仕事で外に出る時は、お母さんに預かってもらってます」
「お父さんが亡くなってからいろいろ話して、今は何のわだかまりもないですね」
ただひと言だけ、「セクシュアリティのことは、子どもが理解できる年齢になってから打ち明けなさい」と言われている。
「私の彼女のことも、子どもたちには『友だちだよ』って、話してます」
「でも、息子がフリースクールで、LGBTのことを勉強してるんです」
「『好きな人を好きになればいいんじゃない』みたいに言うんですよ」
自分は何も話していないが、セクシュアルマイノリティに関して理解しているのかもしれない。
「『女の子と男の子、どっちが好き?』って聞くと、『俺は女が好き』って言ってますね(笑)」
10自分を隠さなくていい場所作り
安心できる空間
3~4年前、実家の2階を改装して、フリースペースを作った。
「最初は、息子の居場所を作ってあげたかったんですよ」
同級生とうまく関われない息子のため、学校以外に人と関わりを持てる場所を探した。
見つからないならば、自分で作ってしまえばいいと、フリースペースをオープンした。
「不登校の子も何人か知ってたので、その子たちも安心できる居場所にしよう、と思って始めました」
「家に1人でいるより、誰かと話して、つながりを持つ方が、プラスになるんじゃないかなって」
毎週火・水・日、200円のお茶代だけで自由に出入りできるようにした。
「話題になったかはわからないけど、いつしか不登校の子だけじゃなくて、近所のおじさんも来るようになって(笑)」
気づくと、地域の憩いの場のようになっていく。
実家に住んでいる母は、フリースペースを作ることにいい顔をしなかった。
「いろんな人が出入りするから、最初は『1階は立ち入り禁止』って、頑なでしたね」
「フリースペースで、月1回のごはん会を開くようになったんです」
性別も年齢も関係なく、集まった人でたこ焼きや焼肉を楽しむ会。
「気ままにワイワイ楽しんで、自由に食べたり飲んだりしているうちに、お母さんも混ざってたんです(笑)」
今では、母もフリースペースの運営に協力してくれている。
垣根を作らない社会
いつしかフリースペースには、セクシュアルマイノリティの人も来るようになった。
自分がレズビアンであることを、まったく隠していなかったからかもしれない。
「2018年から、LGBTに関する活動も始めたんです」
セクシュアルマイノリティをテーマにした映画の上映会など、イベントを主催している。
「月に2回ぐらい、フリースペースでおしゃべり会も開いてます」
「いつもテーマは決めないで、当事者の子の悩みを聞いたり、ストレートの人の質問に答えたり」
大事にしていることは、LGBT当事者だけの集まりにしないこと。
「一つに括っちゃうと何も始まらないから、ストレートの方もウェルカム!」
「A型、B型、O型、AB型の人がいるのと同じように、いろんなセクシュアリティの人がいて当たり前ですよね」
「理解が少なくて、偏見や差別があるなら、いろんな人の理解を深めていきたいです」
同性愛者も性同一性障害も、みんないて当たり前なんだ、と言える社会にしたい。
第3の場所
「フリースペースを大きくしようとか、NPOを目指そうとかは、全然考えてないんです」
「ただ、みんなが安心して楽しくいられる場所を、提供したいんですよね」
そのためには、続けていくことが大事。
「家でも学校でもない第3の場所って、必要だと思うんです」
そう考えるのは、自分自身も不登校だった時代があるから。
「私みたいに、学校に行きたくない、って思ってる子に来てほしいです」
「『学校には行かなくても、勉強だけはしといた方がいいぞ』とか、私の経験も教えられるし(笑)」
「1人でモヤモヤしてるんだったら、誰かに吐き出してしまった方がいいですよね」
「そして、自分を隠さずに何でも言い合える仲間ができたら、すごく楽しいじゃないですか」