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ホームレス、レズビアン、シングルマザー。どんな状況も、楽しんだもん勝ちでしょ【後編】

ホームレス、レズビアン、シングルマザー。どんな状況も、楽しんだもん勝ちでしょ【前編】はこちら

2019/05/16/Thu
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
三浦 宏美 / Hiromi Miura

1982年、山形県生まれ。父・母・兄との4人家族で育ち、中学卒業後すぐに家出をして、単身大阪へ。約3年間ホームレス生活を送り、18歳の時にアルバイトを開始。20代前半で出会った男性と結婚し、25歳で出産すると同時に山形に戻る。後に離婚し、シングルマザーとして2人の子を育てながら、バーを経営。そのかたわら、フリースペースも運営している。

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INDEX
01 私のもとに来てくれた愛しい2つの命
02 壊れないように支え合う家族
03 答えが出ない悩みに翻弄される日々
04 15歳で飛び込んだ知らない街
05 もう一つの故郷ともう一つの家族
==================(後編)========================
06 守ってあげたくなった大切な人
07 ようやく動き出した家族の関係
08 レズビアンの自分に気づく時
09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ
10 自分を隠さなくていい場所作り

06守ってあげたくなった大切な人

男性からの電話

ファミレスとキャバクラの仕事を続けているうちに、20歳を過ぎていた。

「22歳の時に、一度だけ山形に帰ったんです」

山形で後輩と遊んでいた時、後輩が男性グループにナンパされ、流れで一緒に飲みに行った。

大阪に戻ると、男性グループの中の1人から電話がかかってくる。

「それまで生きることに精一杯だったから、恋愛を一切してこなかったんです」

「恋愛に興味がないし、感覚もわからないから、電話をもらっても『なんで?』みたいな(笑)」

「電話越しに『好きだよ』って言われたんですけど、『え? 何それ?』って言っちゃって(笑)」

「友だちとして好きなんだよね?」と、何度も確認した。

「最初は彼を男性として意識していなくて、女友だちと同じように見てたんですよね」

支えてあげたい人

大阪と山形で離ればなれのまま、恋人とも友だちともいえない関係が続いていた。

「ある時、彼が精神的にまいってしまったんです」

「元気がなくてずっとベッドから出てこないし、『気持ち悪い』って吐くことも多くて」

連絡すると「ストレスが原因だ」と、話していた。

「私はあんまりストレスを感じない人なので、『そんな理由?』って疑いましたね(笑)」

「でも、彼の状態を見ていたら、このままじゃ病気になりそうだし私が守らなきゃ、って思ったんです」

自分にとって彼は大切な人なんだ、と自覚した。

「好きというより、この人を支えていこう、って感じでしたね。この人も家族にしちゃえば支え合える、って思いました」

気づくと彼に「子ども作ろう」と、自分から言っていた。

彼は乗り気で「やった! 作ろう!」と、返してくれた。

「逆プロポーズというか、『結婚しよう』より先に『子ども作ろう』ですからね(笑)」

23歳の時に、彼と結婚。

2人での生活が始まるとともに、子作りもスタートした。

07ようやく動き出した家族の関係

忘れていなかった愛

25歳の頃、出産するタイミングで、山形に戻る。

「お父さんが血を吐いて、倒れたんです」

脳梗塞と診断され、認知症も始まっていた父は、精神病院に入ることになった。

「お母さんとお兄ちゃんから電話がかかってきて、初めて『帰ってきてくれないか』って、言われたんです」

「お父さんのことが心配だったから、大好きな大阪を離れて、帰ることを決めました」

「お父さんは手がつけられない人だったけど、私を愛してくれていたんです」

幼い頃、授業参観や運動会には、必ず来てくれた。

友だちの間では “陽気なお父さん” として知られていた。

「子どもながらに、お父さんは私のことが好きなんだな、って感じてましたね」

認知症になった父が、唯一最後まで忘れなかったものが、自分の名前だった。

「いろんなことをされたけど、やっぱり嫌いにはなれなかった・・・・・・」

息子が1歳になる頃、父はこの世を去った。

「お父さんが火葬される時、私が『燃やさないで!』って大暴れしちゃったんです」

「何日か後、お兄ちゃんに『今度はお母さんを支えていかなきゃいけないから、頑張ろう』って、説得されました」

本当の父

父が亡くなってから、母と2人で話したことがある。

離婚しなかった理由を聞くと、「好きだから別れなかった」と、返ってきた。

母は「お父さんは、本当は家族のことを心配してくれる人だった」と、教えてくれた。

「『ストレスに負けて荒れてしまったお父さんを、私は支えきれなかった』って、言ってましたね」

「『でも、結婚の誓いを交わしたら、悪い時でも一緒に戦わなきゃいけないんだよ』って」

初めて母の想いを聞いた。

「お父さんのこと、嫌いになったことないから」と話す母を見て、申し訳ない気持ちになった。

「15歳の私が家出をした理由は、お父さんではなくて、お母さんだったんです」

「でも、お母さんの本心を聞いたら、わかってあげられなくてごめんね、って思いましたね」

怒られない寂しさ

中学3年生の頃、自分に対して、母の当たりが強いと感じていた。

「どうして私にそんなに冷たいんだろう、って寂しかったんです」

「今思えば、お父さんのことで大変だったんだろうな、ってわかるんですけど」

母が大阪に来てくれた時も、お金だけを渡されたことに傷ついた。

「あまりにもそっけなく渡されたから、お金だけなの? ってムカつきましたね」

「その時は、怒ってほしかったです。大阪のおじいちゃんや店長みたいに、構ってほしかった・・・・・・」

「怒られない寂しさが、辛かったかな」

大人になり、お金だけ渡して自分を置き去りにした理由を聞いた。

「やりたいことをやらないと気が済まない子だから、連れて帰ったら後悔すると思った」と、母は話してくれた。

あの時の20万円は、当時の母が用意できる精一杯だったことも知った。

「お母さんに『あれが最低限できることだった。申し訳なかった』って、謝られました」

「私も『あの20万円で、相当助かったよ』って、ようやく感謝を伝えられましたね」

「今だったら、お母さんの行動も仕方なかったのかな、って思えます」

08レズビアンの自分に気づく時

夫以外の好きな人

山形に戻ってからは、キャバクラを経営し始めた。

その店にキャストとして来てくれた女性に、ひと目惚れしてしまう。

「息子が10カ月の頃だったので、結婚して4年目くらいかな」

「旦那さんに『好きな人ができました』って、言いました」

「誰?」と聞かれたため、正直に「お店の○○ちゃん」と伝えた。

夫は「勘違いだって」と、戸惑っていた気がする。

しかし、うすうす気づいてもいたようだ。

「私が水着姿の女性の写真集ばっかり買ってたんで、変だとは思ってたみたいです(笑)」

レズビアンという自覚

「女の子のことは、ずっと好きだったと思います」

「小学生の頃とか、『好きな子は?』って聞かれると、『○○ちゃん』って女の子の名前を挙げてましたね」

女の子に好意を向けることを、おかしいとは思わなかった。

「でも、女の子とも男の子とも、つき合ったことはなかったです。旦那さんが初めて」

結婚してから、気づいたことがある。
かわいい女性を見ていると、ドキドキするのだ。

「好みの女性とは目が合わせられなくて、恥ずかしいから見ないで、って思ったんです」

「旦那さんには、抱いたことのない感情でした」

シングルマザーになる選択

「旦那さんに打ち明けた翌日に、好きな子に『私のことどう思ってる?』って聞いたら、『多分同じ気持ち』って言ってくれたんです」

キャストの女性と、両想いだったのだ。

しかし、つき合う前に離婚しなければならないと思い、夫を説得した。

「ある日、旦那さんが『しょうがない』って、折れてくれたんです」

「俺は助けられた部分がたくさんあるから、理解はできないけど、どうぞ」と、受け入れてくれた。

「旦那さんのお母さんは、『無責任すぎる』って激怒してましたけどね(苦笑)」

夫婦の間で波風が立つことはなく、離婚は円満に成立した。

そこから、まだ幼い息子との2人暮らしがスタートする。

「実家には戻らず、友だちが貸してくれた家賃3万円の一軒家で暮らし始めました」

「シングルマザーとして生きていくことに、不安はなかったです。彼女もいたから、息子は2人で育てた感じでしたね」

週末、息子が夫と過ごしている間に、がむしゃらに働いた。

「『シングルマザーって大変でしょ』って言われるけど、気の持ちようだと思うんですよね」

「何するにも『しんどい』って言うより、『楽しいね』って言った方が、気持ちが上がるじゃないですか」

09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ

「兄弟が欲しい」

2年前、娘を出産したが、二度目の結婚をしたわけではない。

「男友だちに協力してもらって、子どもを作りました」

「私がレズビアンだって知ってる友だちだから、最初は『大丈夫?』って言われましたね(笑)」

そこまでして子どもを望んだのは、息子に「兄弟が欲しい」と言われたから。

「私も兄弟を作ってあげたかったけど、すっごく悩んだんです」

「生活を回していけるかとか、また親に迷惑をかけるんじゃないかとか」

「でも、迷うくらいだったら、やってしまえ! って思って(笑)」

お兄ちゃんという意識

娘を妊娠した時、9歳だった息子から「なんで子どもができたの?」と、聞かれた。

「ドキッとしたけど、『妹欲しいって言ったでしょ。2人の夢が叶うんだよ』って、説明しました」

「『2人で大事に育てよう』って言ったら、息子は『やったー!!』って無邪気に喜んでくれましたね」

お兄ちゃんらしく、おなかの中の妹に「早く出ておいで」と、呼びかけていた。

「息子は、出産にも立ち会ったんです」

「私の顔の隣に立たせてたんだけど、『どうなの? 痛い?』って気遣ってくれて」

「ちょっとうるさかったんですけど(笑)」

息子は、9歳離れた妹を、母親の自分以上にかわいがっている。

新しい家族を作りたい、と思った自分の選択は間違っていなかった。

まだ言えていないこと

「仕事で外に出る時は、お母さんに預かってもらってます」

「お父さんが亡くなってからいろいろ話して、今は何のわだかまりもないですね」

ただひと言だけ、「セクシュアリティのことは、子どもが理解できる年齢になってから打ち明けなさい」と言われている。

「私の彼女のことも、子どもたちには『友だちだよ』って、話してます」

「でも、息子がフリースクールで、LGBTのことを勉強してるんです」

「『好きな人を好きになればいいんじゃない』みたいに言うんですよ」

自分は何も話していないが、セクシュアルマイノリティに関して理解しているのかもしれない。

「『女の子と男の子、どっちが好き?』って聞くと、『俺は女が好き』って言ってますね(笑)」

10自分を隠さなくていい場所作り

安心できる空間

3~4年前、実家の2階を改装して、フリースペースを作った。

「最初は、息子の居場所を作ってあげたかったんですよ」

同級生とうまく関われない息子のため、学校以外に人と関わりを持てる場所を探した。

見つからないならば、自分で作ってしまえばいいと、フリースペースをオープンした。

「不登校の子も何人か知ってたので、その子たちも安心できる居場所にしよう、と思って始めました」

「家に1人でいるより、誰かと話して、つながりを持つ方が、プラスになるんじゃないかなって」

毎週火・水・日、200円のお茶代だけで自由に出入りできるようにした。

「話題になったかはわからないけど、いつしか不登校の子だけじゃなくて、近所のおじさんも来るようになって(笑)」

気づくと、地域の憩いの場のようになっていく。

実家に住んでいる母は、フリースペースを作ることにいい顔をしなかった。

「いろんな人が出入りするから、最初は『1階は立ち入り禁止』って、頑なでしたね」

「フリースペースで、月1回のごはん会を開くようになったんです」

性別も年齢も関係なく、集まった人でたこ焼きや焼肉を楽しむ会。

「気ままにワイワイ楽しんで、自由に食べたり飲んだりしているうちに、お母さんも混ざってたんです(笑)」

今では、母もフリースペースの運営に協力してくれている。

垣根を作らない社会

いつしかフリースペースには、セクシュアルマイノリティの人も来るようになった。

自分がレズビアンであることを、まったく隠していなかったからかもしれない。

「2018年から、LGBTに関する活動も始めたんです」

セクシュアルマイノリティをテーマにした映画の上映会など、イベントを主催している。

「月に2回ぐらい、フリースペースでおしゃべり会も開いてます」

「いつもテーマは決めないで、当事者の子の悩みを聞いたり、ストレートの人の質問に答えたり」

大事にしていることは、LGBT当事者だけの集まりにしないこと。

「一つに括っちゃうと何も始まらないから、ストレートの方もウェルカム!」

「A型、B型、O型、AB型の人がいるのと同じように、いろんなセクシュアリティの人がいて当たり前ですよね」

「理解が少なくて、偏見や差別があるなら、いろんな人の理解を深めていきたいです」

同性愛者も性同一性障害も、みんないて当たり前なんだ、と言える社会にしたい。

第3の場所

「フリースペースを大きくしようとか、NPOを目指そうとかは、全然考えてないんです」

「ただ、みんなが安心して楽しくいられる場所を、提供したいんですよね」

そのためには、続けていくことが大事。

「家でも学校でもない第3の場所って、必要だと思うんです」

そう考えるのは、自分自身も不登校だった時代があるから。

「私みたいに、学校に行きたくない、って思ってる子に来てほしいです」

「『学校には行かなくても、勉強だけはしといた方がいいぞ』とか、私の経験も教えられるし(笑)」

「1人でモヤモヤしてるんだったら、誰かに吐き出してしまった方がいいですよね」

「そして、自分を隠さずに何でも言い合える仲間ができたら、すごく楽しいじゃないですか」

あとがき
宏美さんの明るさに救われて、胸が痛む場面があっても、楽しいインタビューになった。家庭のこと、ホームレス生活、セクシュアリティのこと・・・ 壮絶な人生劇場とも言えるけど、登場人物はみんな命があふれていて輝く■宏美さんが求めた第三の場所は、確かに学校でも家庭でもなかった。飛び込んだ先で出会えた人たちが支えてくれた少女時代。今でも大阪の家族(恩人)に会いに行くという。関心をよせてくれる誰かがいれば、目の前の世界は色づくんだ。 (編集部)

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