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MTFの私の人生には、かけがえない妻がいる。【後編】

MTFの私の人生には、かけがえない妻がいる。【前編】はこちら

2019/05/03/Fri
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
金 興起 / Heungki Kim

1980年、韓国・釜山生まれ。4人家族の長男として育ち、小学生の頃から性別に違和感を覚える。高校卒業後、ゲーム会社に就職。東京ゲームショウに参加したことをきっかけに日本に興味を持ち、22歳の頃から日本語を学び始める。その後、すぐに日本人女性と出会い、日本に移住して結婚。30歳を超えてから妻にカミングアウトし、ホルモン治療を開始。現在は、フリーランスの翻訳家として活動中。

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INDEX
01 女として生きることを認めてくれた人
02 グッと歯を食いしばった幼少期
03 うっすら気づき始めた本当の性別
04 理想とかけ離れていく自分
05 トランスジェンダーになれない苦しみ
==================(後編)========================
06 第二の故郷のように感じた国
07 初めて愛したかけがえのない人
08 本当の気持ちと失いたくない関係
09 「女性として生きたい」と告げる時
10 それぞれの生き方を受容できる世界

06第二の故郷のように感じた国

回避したかった兵役

社会人としての最初の職場は、ゲーム会社。

「韓国は徴兵制度があるので、男性は軍隊に行かないといけないんです」

できることならば、兵役を避けたかった。

そんな時に目に入ったのが、兵役特例制度。

「指定企業でIT関連の仕事をすると、2年半も軍隊で服務せずに、1カ月の基礎軍事訓練だけで済む制度があるんです」

「IT系に就職した理由の一つは、そのシステムを利用したかったからです」

自分の故郷

日本語に興味を持ち始めたのは、21歳の頃。

当時勤めていたゲーム会社が、東京ゲームショウを視察することになった。

「社内で視察団のメンバーを募集していて、入れてもらえたんです」

「その時に、初めて日本に行きました」

いざ東京の地を踏むと、初めて訪れたとは思えない感覚に襲われた。

「ひょっとしたらここが私の故郷なんじゃないかな、って思ったんです」

「日本語もしゃべれないし、特別な出来事があったわけでもないけど、すごく印象が良かったです」

イベント中の数日の滞在だったが、いずれまた来ようと心に決めた。

念願の日本語学習

韓国に帰ってきてから、日本語を学ぼうと考えたが、機会がなく断念。

「できたらいいな、とは思いつつ、強烈なきっかけがなくて実現できなかったです」

初めて日本を訪れてから1年後、転職して入ったインターネット会社には、教育支援プログラムがあった。

「語学学校に通う費用を、会社が全額サポートしてくれたんです」

「そのプログラムの中には、日本語のスクールもありました」

当時、上司と反りが合わず、退職しようか迷っていた。

しかし、このプログラムを使わずに辞めるのは、もったいないと思い直した。

「同僚の多くは英語を学んでいたけど、私は日本語を選びました」

文字を覚えることに苦戦したが、学んでいくと韓国語と日本語は文法が同じことに気づく。

「似ているところが多くて、外国語というより方言を学んでいる感覚でしたね」

学ぶほどに日本語の面白さを実感し、興味はさらに強まる。

スクールの先生だけではなく、本当の日本人と話したいと思うようになっていく。

「語学系のSNSで調べたら、韓国語を教えてくれる人を探している日本人を見つけたんです」

すぐに連絡を取り、ランゲージエクスチェンジパートナーとして会うことになった。

07初めて愛したかけがえのない人

日本語を教えてくれた女性

ランゲージエクスチェンジパートナーとして出会った日本人は、留学で韓国を訪れていた女性だった。

「性指向とか関係なしで、初めて会った時に惚れました」

「うまく言葉にできないけど、こんな人がいるんだ・・・・・・って」

お互いに韓国語も日本語も片言だったが、一生懸命伝えようと必死になった。

出会った日から、週に4~5回、顔を合わせるようになった。

自分は仕事を、彼女は語学学校の授業を終えてから19時頃に会い、23時頃まで話した。

「最初は言語の話ばかりでしたけど、だんだん自分のことを話すようになりました」

「私はゲーム開発者、彼女はナースで、世界は全然違ったけど、好みや趣味が合ったんです」

「話していくごとに、本当にいい人だな、ってますます気になっていきました」

性別に捉われない「好き」

ほぼ毎日会い、何時間も話しているうちに、恋人のような距離感になっていった。

「どちらかが告白したわけではなくて、自然とつき合うようになりましたね」

「社会人になってからも、女性とつき合おうと試みたことはありました」

「でも、長く続かないんですよ」

女性との関係の築き方がわからないどころか、そもそもつき合いたいわけではなかった。

それでも、社会的に男性である自分は女性とつき合わないといけない、と思っていた。

「日本人の彼女は、性別関係なく、人として好きだと思えました」

何時間も話すうちに彼女の考えを知り、この人が好きだ、と思えた。

つき合い始めてから、兵役の期間が訪れた。

「1カ月間の軍事訓練は、20代の出来事の中で一番辛いことでした」

男性だけの環境での集団生活は、苦痛でしかなかった。

それでも訓練を乗り越えられたのは、彼女が待っていてくれたから。

「1カ月間がすごく長く感じて、彼女に何通も手紙を書きました」

「この期間を我慢すればまた彼女に会える、と思って乗り切りました」

肯定したい過去

幼い頃、LGBTに関する情報が簡単に手に入っていたら、彼女には出会えなかったかもしれない。

「学生時代にホルモン治療や手術があることを知っていたら、すぐに始めていた気がします」

「でも、そうしていたら、ストレートの彼女とつき合うことはなかったんですよね」

なぜもっと早く、自分はトランスジェンダーだと判断できる情報と巡り会えなかったのか。そう悩んだ時期もある。

しかし、情報が少ない時代だったからこそ、かけがえのない人に出会えた。

「もちろん、彼女との関係も順調だったわけじゃないんですけどね(苦笑)」

08本当の気持ちと失いたくない関係

男として生きる覚悟

彼女の留学期間が終わり、帰国するタイミングで、自分も日本に行くことを決意する。

日本への興味も強かったが、別の理由もあった。

「ただただ韓国から離れてみたかったんです」

「韓国が嫌なわけじゃなくて、帰属意識が薄いからだと思います(苦笑)」

仕事を辞め、日本に渡った。

「日本に行ってからのプランがあったので、不安はなくて、楽しかったですね」

韓国を離れる前に、彼女とした約束がある。

「2人とも30歳になる前に、ワーキング・ホリデーを使って、一緒に外国に行こう」

日本で過ごす時間は、そのための準備期間と考えていた。

実際に日本からフィリピンへ飛び、英語を学んだ。

そして、20代後半で結婚。

「彼女とつき合い始めてから、男として生きていくって決めていました」

よみがえる願望と現実

30歳を過ぎる頃、2人で大阪・豊中に住んでいた。

「東日本大震災があったばかりで、地震情報を得るためにTwitterを始めたんです」

「Twitterの中で、大阪に住んでいる同い年のMTFの方を見つけました」

その人は、結婚している状態で手術や性別変更を進めていることを、詳しく書き記していた。

自分と似た境遇の人の実体験を読み進めると、やり切れていない思いがよみがえる。

「その辺りから、再び『女性として生きたい』って気持ちが出てきたんです」

ある日、その人が「離婚してしまった」とTwitter上で報告していた。

「離婚が悪いことではないと思います」

「でも私は、彼女と別れてしまうかもしれない、と思ったら恐怖を感じたんです」

30歳を過ぎた頃から髪が薄くなり、猛烈に中年の男になっていく自分を見ていられなかった。

しかし、女性になる道を選択すれば、妻との別れが待っているかもしれない。

「どっちの道も選べなくて、すごくしんどかったです」

抑えきれない苛立ち

再び芽生えた「女性として生きたい」という思いを払拭するため、移住することを決める。

「全然違う世界に行こうと思って、彼女と一緒にニュージーランドに行ったんです」

「自然にあふれた場所で、悩みから解放される気がしましたね」

しかし、外を歩けば、ヨーロッパの美しい女性が目に入る。

その女性たちのように振る舞えない現実を、突きつけられた気がした。

「ニュージーランドでは、翻訳の仕事をして、家計をサポートしていたんです」

ひたすら家で仕事をし、たまに外に出ると女性を見て辛くなる。

「そんな生活が続くと、イライラするようになっていきました」

気づくと、夫婦関係は最悪の状態になっていた。

苛立ちが抑えられず、妻に手を上げてしまうこともあった。

「暴力を振るうたびに、子どもの頃に嫌いだったお父さんと自分が重なるんです」

「それがすごく嫌で、本気で死にたいと思ったし、彼女と別れようとも思いました」

「でも、出会った頃のことを思い出すと、別れるなんて無理だった・・・・・・」

妻はすべてを許し、一緒にいてくれた。

二度と彼女を傷つけてはいけない、と誓った。

09 「女性として生きたい」と告げる時

するつもりのなかったカミングアウト

夫婦で話し合い、ニュージーランドを離れて、日本に戻ることに。

「このまま日本に戻っても仲直りできない気がしたので、少しだけドイツに寄ったんです」

現地で、ゲイの友だちができた。

「彼女は昔からゲイに興味があったみたいで、その友だちと遊びたがったんです」

「初めて身近にゲイの人が現れたから、2人の間で話題にも出やすかったですね」

妻はゲイを認めているし、今なら自分の本心を打ち明けられるんじゃないか、と思った。

ゲイの友だちの話をしていた時、「私は女性なんだと思う」と伝えてみた。

「いずれ言おうとは思っていたものの、言う覚悟はしていなかったです。たまたまこのタイミングで、言っちゃった感じでした」

普段から男っぽく見られなかったためか、妻は「そうかもしれないね」と言ってくれた。

「そのひと言で、理解してもらえたんだ、と思いました」

「でも、次の日になったら、彼女が泣いていたんです」

カミングアウト直後は、冗談を言っていると思ったようだ。

ずっと一緒に暮らしてきた人がトランスジェンダーだとは、想像もしていなかったのだろう。

「私も一緒に泣きました」

平行線の話し合い

日本に帰ってきてからは、感情が収まるどころか、かえって抑えられなくなった。

「打ち明けてしまったら、『女性として生きたい』って気持ちが強くなりました」

「彼女に『私は体を全部直したい』とか、言ってましたね」

しかし、反対し続ける妻。

わかってもらえないことに苛立ち、ケンカに発展することも多かった。

「一度は診断書を出してもらったんですけど、『そんなに嫌ならやめる』って彼女の前で破ったこともあります」

「でも、なかなか諦めがつかないんです」

自分を理解してもらうため、LGBT関連の書籍を妻に渡したことがある。

しかし、真剣に取り合ってもらえなかった。

「今ならわかるんです。彼女にとっては、カミングアウトされた時がスタートなんだって」

「私が幼少期からずっと悩んできたことを、一瞬でわかってもらうなんて無理なんです」

妻からの歩み寄り

香港旅行に出かけ、香港駅に着いた時のこと。

妻が「あそこでおばさん2人が手をつないでて、1人は男っぽさがあった」と話し始めた。

「でも仲良しに見えた。興起さんが年を取ったら、あんな感じになるのかな」と続いた。

「それまでずっと彼女は反対していて、話題に出すことも嫌がっていたんです」

「でも、香港で何気なくそう言われて、考えが変わったのかなって」

彼女の了承を得て、30代後半に入ってからホルモン治療を開始した。

10それぞれの生き方を受容できる世界

2人で進めていくもの

ホルモン治療を開始し、精巣は摘出したが、SRSを受ける計画は立てていない。

「年を重ねていくと、危険性も高くなると思うんで」

ホルモン治療を始める前は、なりたい体を手に入れることが、唯一のゴールだと思っていた。

しかし、いざ治療を始めると、自分の気持ちが変化していく。

「体が女性らしくなっていくだけで、自分を取り戻した感じがしたんです」

「それだけでうれしくて、周囲との接し方も変わっていきましたね」

妻との関係も改善し、楽しいことを見つけやすくなっていった。

「目標は、死ぬまで今のままの感じで、彼女と楽しく生きていくことです」

「SRSはチャンスがあったらやるかもしれないけど、無理やり進めるものではないかな、って思ってます」

「治療を進めるうちに、性別変更は私1人でやるものじゃないんだなってわかったので」

生活を共にするパートナーと、歩幅を合わせて進めていくものだった。

既婚者MTFの誤解

いずれは、自分のような既婚者MTFの誤解を解いていきたい。

「韓国にもLGBTのコミュニティがあって、既婚者MTFの仲間も何人かいるんです」

「妻がいるMTFの実情をSNSに書くと、『こういうことを書いてくれてありがとう』ってコメントをくれるんです」

「ただ、たまに同じMTFの人から、否定のコメントをもらうこともあります」

「いままで大事な奥さんを騙して、結婚詐欺みたいだ」と書かれたことがあった。

「特に韓国の若い世代の方は、私みたいに結婚した状態で治療を始めることに不快感を覚える人もいるみたいです」

批判的なコメントに、涙が止まらなかった。

「自分を責められて辛かったわけじゃないです」

「『ありがとう』ってコメントしてくれた既婚者MTFの仲間に、申し訳なくて・・・・・・」

「日本ではどう受け止められるかわからないけど、既婚者MTFへの誤解はどこにでもあると思います」

自分の幼少期はトランスジェンダーに関する情報がなく、男として生きる道しかないと思っていた。

育った時代が違えば、自分を取り巻く環境も違い、選択肢も違ってくる。

その事実を知ってもらいたい。

「認めてもらいたいわけではないです」

「LGBTってカテゴライズされた中にもいろんな人生があって、みんな同じじゃないってことを知ってほしい」

「いろんな人がいるって知ることで、勇気を持てる人もいるかもしれないから」

「あと、私や妻の話をすることで、同じ状況にいる人に、普通のことなんだ、って思ってもらいたいです」

誰かと争いたいわけでも、誰かを説得したいわけでもない。

それぞれにいろいろな事情があることを、受容できる世界であってほしい。

あとがき
フンギさんはいつも、極上の優しさを運んでくれる。ちょっとしたメッセージに込めたおもいも丁寧に受けとめてくれるから、返信はいつもラブレターのよう■現在進行形の性別移行。今は声帯の手術後で、落ち着かない日々だろう。少しでもワクワクしていたらいい■どこに、どのように生まれるのかは、誰にも選べない。でも、文化や宗教、国籍、肌の色、セクシュアリティ、色々な違い。何かがあるとか、ないとか。そんなことは、私たちを隔てない。新しい時代に願う。(編集部)

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